休暇行動管理簿:ドッタの剣 2

 ぎっ、と、床板の軋む音がした。

 トリシールが滑るように踏み込んでくる。


 彼女が左手に持った木剣はよく見えていた。

 頭上から叩きつけてくるだろう――いや、違う。そう見せかけて、別の場所を打つつもりだ。足が急停止をかけようとしている。体重の変化。

 では、どこを狙っているのか?

(ぜんぜんわからない)

 と、ドッタは思った。


 なぜなら、頭上から木剣が迫った瞬間に目を閉じたからだ。

 直後、腹部に衝撃。

 胴巻き越しでも強い痛みが走った。

(超痛いじゃん。これが防具なんて嘘だよ、絶対に)

 ドッタは思わずうずくまってしまう。その首に、木剣が突きつけられた。


「目を閉じてどうする」

 トリシールは呆れているというより、理解できないという顔をしていた。

 そうやって見下ろされると、やはり背の高い女だ。パトーシェ・キヴィアよりは少し低いだろうか――いくぶん細身なため、そのようにも見える。

 なんとなくの雰囲気としては、パトーシェをものすごく大型の狼だとしたら、こちらはネコ科の肉食獣だろう。


「貴様、それだけ私の動きを捉えておいて、目を閉じてはなんの意味もないだろう」

「……そんなこと言ったって」

 ドッタはどうにか声を絞り出す。いまの腹だけではなく、それ以外にもあちこち打ち据えられていたし、疲れてもいた。


 ザイロやパトーシェはこんな窮屈な防具を一そろいつけながら、飛んだり跳ねたりするというのだから信じられない。

 それと、思った以上に木剣を重たく感じた。


(向いてないんだよな)

 つくづくそう感じる。

 ドッタはついにその場に寝転がった。軍営の中にある、訓練場の一つだった。

 もっとも粗末で狭く、設備は古い。もうすぐ取り壊される予定の、いまにも崩れそうな建物。日の光もほとんど入ってこないため薄暗い。

 大競技祭が近いいま、懲罰勇者部隊が使えるのは、こういう『正規兵は危ないので使用禁止』の施設ぐらいのものだった。


「木の棒が自分を殴るために近づいてきたら、普通は目を閉じるでしょ……」

「目を閉じたらかわせないだろうが」

 トリシールの叱責はめちゃくちゃであるように思えた。

「痛い思いをしたくなければ、最後まで目を開いていろ!」

「慣れないと無理だよ」

「慣れろ。そのためにやっている」


 めちゃくちゃなことを、と、やはりドッタは思った。

 そういうのに慣れるのは、それなりの訓練と心構えが必要であり、一朝一夕で自分のような「実は全然やる気がない」種類の人間が達成できることではない気がする。

 だが、そんな口答えをすると怒られるのはわかっていたので、ドッタは何も言わなかった。


 トリシールの訓練は、ドッタにとっては過酷すぎた。

 容赦なく木剣で打ち込んでくる。最初に右手は使わないと宣言し、左手一本でやっていたが、まったく相手にならない。

 好きに反撃してもいいと言われても、まるでその機会がない。

 とはいえ、ザイロやジェイスに訓練をつけられるよりは少しはマシなのかもしれなかった。

 たぶんあの二人は容赦なく骨を折ったりしてくる。


 ザイロ曰く――訓練不足のために実戦で死ぬようなやつは、周囲を巻き添えにして死ぬ。

 それなら訓練で出撃不能になっておいてもらった方がいい、とのことだった。

 これを聞いたとき、ドッタは震えあがった。野蛮すぎる。


「あの……できれば……こういう戦い方じゃなくて」

 ドッタはせめて訴えようとした。

「無抵抗な相手を一方的に攻撃できるような戦い方が、ぼくには向いてるんじゃないかと思うんだけど。相手から身を守るようなのはどうも苦手で……」

「あ?」

 トリシールの顔が引きつった。

 言わなきゃよかった、とドッタは反省した――おそらくすぐに忘却されるであろう反省だった。


「それでは貴様が強くなるという目的が達成できんだろうが!」

「前から思ってたけど、なんでぼくが強くなる必要があるわけ……?」

「貴様には英雄になってもらわなければ困るからだ」

「困ることあるかなあ」

「まず、そういう契約で雇われているということが一点」

 どん、と、トリシールは木剣で床板を突いた。


「私の誇りを救い出すためが二点目。……それからついでに、貴様に一応は借りがあることが三点目。以上だ」

「きみの誇りはともかく」

 ドッタの脳は、その部分を積極的に脇に置いておくことにした。個人の精神的な問題なら、他人が関与するようなことではないと確信しているからだ。

「きみに貸しなんて作ったっけ……?」

「……覚えていなければ、それで結構だ」

 トリシールはくすんだ赤色の髪をかきあげ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「本当に一応、偶然、極めて非合理的かつ不条理な形でできた借りだ! しかし、やってもらわなければ私が困る!」


 トリシールは、ドッタの眼前に木剣を突きつけた。

「休憩は終わりだ。やるぞ。木剣を取れ」

「ええ……? もう?」

「さっさと立て。でなければそのまま打ち据える。せめて私に右手を使わせてみせろ。それができれば、うまい飯くらいは奢ってやろう」

 トリシールは挑発するように笑ったが、ドッタは恐らく無理だろうと予想する。

 それは見事に的中した。


 対策を考えなければ。

 ドッタはそれを強く意識した。


        ◆


「……というわけで、きみに相談なんだけど」

 ライノーの部屋を訪れるのは気が進まなかったが、他に相手がいなかった。

「ぼく、どうすればいいと思う?」

 ツァーヴは腹を抱えて爆笑した挙句、「この話で爆笑させて窒息死させましょうよ!」と主張して何の解決策も示してくれなかったし、そのまま「忙しい」と言って夜遊びに出かけてしまったからだ。

 懲罰勇者の夜間外出は制限されているはずだが、まあ、自分にも簡単にできることなのでツァーヴも何か抜け出す方法を思いついたのだろう。


 あとの人員については、とても相談できる相手ではなかった。

 パトーシェもベネティムもノルガユも、この手の話をする意味がない。ザイロやジェイスがいればそもそもこんなひどい目には遭っていない。

 よって、やむを得ず――本当にやむを得ず、ライノーしかいなかったわけだ。


 部屋の隅で壁に向かって歩き続けるタツヤのことはすごく気になったが、ライノーに言わせるとそれは「いつものこと」らしかった。

 疲れればそのうち止まる、と言われても、これは怖い。

 ドッタは改めてタツヤと同室になりたくない思いを新たにした。


「確かに、それは難しい問題だね」

 と、ライノーは朗らかにうなずいた。

「なぜ難しいか説明しよう。まず、出場選手を僕なりに調べてみた」

 そうして彼はツァーヴが持っていたものとよく似た、大競技祭に関する新聞を手に取る。

 夕方にちょっと話しただけだが、その間に情報収集を済ませておいたようだ。

 こういう妙な面倒見の良さがライノーにはあり、ありがたいことではあるが、やっぱりどこかその手回しの良さが不気味に思えるのはなぜだろう。


「優勝候補は四人。まず第一に、第七聖騎士団所属のムルシェオ・パーチラクト。歴戦の軍人ってところかな。無駄口を嫌う寡黙な男で、荒れ狂う旋風のような南方剣術の斬撃を得意とする――らしいね」

「あの、ちょっと気になったんだけど。パーチラクト……って、ジェイスの親戚か何か?」


「ん? いや、それはあまり正確ではないね。パーチラクトという家名は連合王国に登録するときの便宜上のもので、あそこはもともと氏族の集合体だ」

 南東の大平原にはまるで馴染みがない。

 連合王国の実質的な領土になっているのはクリヴィオス家の丘までで、そこから外になるとドッタにはよくわからなかった。


「優秀ならどの氏族でもパーチラクト家の養子ってことにして勢力を強めていく。だから血縁関係はたぶんないよ」

「……じゃあ、ジェイスの名前を出して手加減してもらうのは、無理?」

「そうだね。で、このムルシェオ・パーチラクトとほぼ同じ倍率で注目されているのが――第十聖騎士団のハイネ・ブカ・タンゼ。普段は温和な雰囲気の女性らしいけど、こっちはいかにも東方式の激しい剣術の使い手で、『崖裂き』の異名を持っている」

 ライノーの指が、さらに紙面を動く。


「人間の女性は筋力で男性に劣る傾向があるようだけど、彼女は聖印を使って補助しているのかな。それとも鍛錬で大差のない動きができるのかな――まあ刃物で相手を刺し殺すだけなら、筋力が問題にならない場面もあるからね」

 ライノーは興味深そうに言うが、どうも恐ろしげな印象しか湧いてこない。

 どちらも絶対に戦いたくないと思わせるような触れ込みだ。そんな恐ろしい連中の戦いを見たいと思うのは、どういう神経をしているのだろうか。


「それから、ちょっと評価は落ちるみたいだけど、北方剣技の名手でユベイト・ルドミッシェン。捌きによる鉄壁の防御と、目にも止まらぬ素早い刺突の使い手だとか。ただ、性格にやや難があって、激昂しやすいのが弱点と見られている」

「はあ……で、四人目は?」

「きみだよ、同志ドッタ」

「え」

「懲罰勇者部隊を代表して、パトーシェ・キヴィアを押しのけて出場するということで期待されているのかもね。異常な倍率になっているよ」


 ライノーの言う通り――ドッタは目を見開いてその紙面を見た。

 紙面の名は『リビオ記』。

 そこにはやけに凶暴そうなドッタの似顔絵らしきものがあり、『懲罰勇者の切り札。何匹もの魔王現象を葬って来た恐怖の《首吊り狐》。正規兵どもを血祭りにあげると豪語する。誰かこの悪魔を止められるか!?』とまで書かれている。


「なっ、なっ、なっ」

 ドッタは言葉を失った。

「なにこれ!? ひどくない!?」

「すごいよね。いやあ、そそる紹介文じゃないかな?」

「ぜんぜんそそらないよ! 誰が書いたんだよ、こんなの!」

「まあ、それはともかく。ここにはすでに一回戦の相手も記載されているんだけど――ほら。きみと戦う相手は、これだ」


 ライノーの指がさらに別の出場者を示した。

「ユベイト・ルドミッシェン」

「それって、あのー……たったいま聞いた気がする……」

「三番手の優勝候補ってところだね。つまり、まぐれや付け焼刃で勝つのは無理だ」

「駄目じゃん!」

 ドッタは天井を仰いで叫んだ。

「怪我したくないのに……あの、本当はぼく、マジで弱いんですって言ったら手加減してくれないかな……」


「無理だと思うよ。ドッタ・ルズラスの悪名は轟いているし、この調子で世間に紹介されているしね」

「ぼくが何をしたっていうんだよ……」

「窃盗のことじゃないかな? 私有財産を盗まれると、人はすごく不愉快になるらしい」

「うう」

 ドッタは何か言い訳を考えようとした――だが何も思いつかなかった。

 自分の窃盗を正当化することさえできない。それと同時に、ドッタは罪悪感に浸るという高等な思考回路もまた持っていない。

 ただ、すごく嫌だなあ、と思った。


「だから手加減は期待できないね。刺突が主体の相手だけど、骨ぐらいは折ってくると思うよ。そもそも懲罰勇者は殺しても生き返るから……最悪殺してもいいつもりで来るなら、訓練用の木剣でも命が危ないかもしれない」

「どうすればいいのさ! あの、事前に棄権とか……」

「うん。僕が代わりに出てあげられればいいんだけど、止められていてね」


 もういっそ、どこか遠くに逃げようかと思う。

 だが、トリシールがいる。棄権するために逃走を図っても捕まるだろう。

 残る手段は、試合開始をして正々堂々と、『降参』を叫ぶぐらいしかない。そう、いきなり『降参』をして――それで相手が止まればいいのだが。

 止まらずに一度か二度は殴られる。審判もたぶん止めない。もはやドッタにはそれが確実なことのように思えた。


「というわけで、普通にやったら、きみに勝ち目はない。そこで、僕が提案できる作戦は、たった一つだ」

 ライノーは穏やかに微笑みながら、新聞を畳んだ。

「要するに、相手が自分より弱くなってくれればいい」

「……というと?」

「闇討ちしよう」

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