休暇行動管理簿:ドッタの剣 1
パトーシェ・キヴィアが、妙なことをやっていた。
木剣を、革で覆ったものを振り回す。
その武器とも呼べないような棒切れで、突っ込んでくる軍人を殴り倒していた。
(なんだこれ……)
あまりにも野蛮な光景に、ドッタはただ怯えるしかない。
白昼堂々、軍営の訓練場で、正規兵を懲罰勇者が打ち据えるとは。そんなことをやろうと考えるのは、ザイロかジェイスぐらいのものだと思っていた。
薄々気づいてはいたが、パトーシェもまた育ちがいいだけの、暴力の国からやって来た暴力の民なのではなかろうか。
パトーシェに突き倒された軍人は、唸り声をあげてしばらく立てない。
あの苛烈な打突を見るに、骨でも折れたのではないだろうか。それともただ痛すぎるだけか。
「悪くはない。特に受けの反応は見事」
と、木剣を構えたままそれを見下ろし、パトーシェは軽く息をついた。
「が、持久力に課題がありそうだな。切っ先が下がってきたのが自分でもわかっただろう。構えの正確さと、それを支える伸筋の鍛錬が必要だ」
そういう助言までして、彼女は額の汗を拭った。
(怖すぎる……)
ドッタはその姿を見て思う。
他人が悶絶するほど強烈な打撃を加えておいて、その平然とした上から目線の態度はなんなのだろう。ザイロもジェイスもそういうところはある。
だが、助言を受けた方に恨みがましいような目つきはない。むしろ素直に受け入れているように見える。特殊な趣味の人間なのかもしれない。
「――次!」
倒れた軍人が運び出されると、パトーシェは大声をあげた。
すると次の軍人が、また革で覆った棒を持って進み出てくる。そして今度は三度か四度、棒をぶつけ合わせたかと思うと、パトーシェは相手の腹部を強かに突いた。
その一撃で、屈強そうに見えた軍人が崩れ落ちる。
「動きの鍛え方は申し分ないが、頭を使っていない。相手の挙動から次の手を予測しろ。腹への突きは防げたはずだ――次!」
次から次へと、パトーシェの前には軍人が進み出ては殴り倒される。
これは、特殊な趣味の人間がよほど多いということなのか。どうも『稽古をつけている』というやつらしいが、ドッタからすれば、殴られて上達することなどあるのだろうかと思わずにはいられない。
それにパトーシェ・キヴィアは懲罰勇者だ。
このような場に立つことがそもそも許されているのかどうかわからないし、そんな輩の助言をみんなが聞き入れている様子なのも謎だ。
もっと軽蔑されるか、憎悪の目で見られるのが普通だとドッタは思っていた。
だが、それ以上に不可解なこともあった。
観客がやたら多いということだ。
訓練場を取り巻いて、軍服も着ていない連中がうろついている。それはつまり、彼らが休暇であって、単なる趣味でここに来て観戦しているということを意味する。
例えばツァーヴ。
訓練場の隅で、珍しく大きな新聞のようなものを広げ、何やら珍しく真面目な――だがツァーヴ特有のどこかだらしのない顔で、文字を書きつけていた。
その彼に聞いてみたところ、
「パトーシェさん、めちゃくちゃ強いんスよ」
と、ドッタからすれば理解不能な答えが返って来た。
「武器持って一対一なら、ジェイスさんでも危ないんじゃないスかね。喧嘩ならザイロ兄貴が勝つかもっスけど、普通にやったら無理だと思いますよ! いやー、少なくともオレは絶対やりたくないっスね! あ、もちろん暗殺するってなると話は別なんスけど――」
「ちょ、ちょっと、そういうことじゃなくて」
ドッタは際限のないツァーヴの長い解説を聞くつもりはなかった。
終わらないからだ。
「なんでそれを見てる人が多いの? 楽しいの、これ? 参考にしてんの?」
「違いますって――あ、それってドッタさん、もしかして」
ツァーヴはそこで何かに思い至ったようだ。
「軍隊の行事とかぜんぜん知識なかったりします? オレは潜り込んだりしたことあるんで、ちょっと詳しいっスよ!」
「うん、まあ……ちっとも興味ないし……」
「なるほど! つまりドッタさん、アレ知らないんスね。大競技祭のこと。そういえば一般公開してなかったっスね。貴族さんたちは結構見に来てるんですけどねえ」
「ああ」
大競技祭。
その響きで、ドッタは多くのことを直感的に察した。
あの棒で殴り合うやつを、大々的なお祭り騒ぎにしたものだろう。どっちが派手にやられたかを判定して、勝者を決めるというような。
「王都に駐留してる各部隊が代表立てて、競技するんスよ。王室とか宰相さまとかも見に来るデカい行事っスね」
「……もうわかった。じゃあ、それって賭けの標的になってるんでしょ」
「そりゃもちろん! 賭けないわけないじゃないスか!」
ツァーヴは手を叩いた。
「部隊のメンツと金を賭けた大勝負ってわけです。胴元が貴族の人たちなんで、結構な金が動くんスよね! ほぼ公式っスよ、こんなの。お祭り騒ぎってわけです」
道理で、ツァーヴが新聞を広げていると思った。
それは各部隊の代表選手を印刷した、情報誌のようなものであるらしかった。
パトーシェの名前も書いてある。その隣にある数字は、賭けたときの倍率か。
「今年はオレら懲罰勇者部隊も、珍しく年末年始にここにいるもんスからね。ザイロの兄貴とジェイスさんが修理場から戻って来てないいま、我らがパトーシェ姐さんの出番ってわけですよ」
「姐さん呼びするとまた怒られるよ……っていうか、それならきみはパトーシェに賭けるの?」
「まあ、そうっスねえ。どうしようかなあと思って。ぶっちゃけその辺の実力を値踏みしてるようなところありますからね、いま」
ツァーヴは周囲の観客や、パトーシェと手合わせするために並んでいる連中を見た。
「だからみんな見に来てるし、『戦技指南』って名目でパトーシェさんと部隊の中堅どころを戦わせてるところもありますね。オレら、指南要請されたら拒否権ないし」
「じゃあ、パトーシェがめちゃくちゃ律儀に助言してあげてるのは?」
「ありゃ完全に性格ですね、あの人の」
ツァーヴはだらしなく笑って、また何やら自分なりの解釈らしきものを新聞紙面に書きつけた。
「適当に体裁だけつくろっておけばいいのに。そもそも、どこも本気で『戦技指南』受けるつもりで来てないでしょ。あわよくば骨でも折る予定なんじゃないスか? いやー、あの人マジで面白いっスよね」
「まあ、ぼくから見ても超面白いときがあるけど」
「ですよねぇ。もういっそパトーシェ姐さんに賭けようかな。でもなあ……今回は優勝候補が他に三人もいるんスよね。ドッタさん、誰が来ると思います? 事前予想を踏まえて考えるとですね、オレはやっぱりこの、第七騎士団のムルシェオ・パーチラクトにするべきかなって。なにしろ聖騎士の参加は禁止なんで――」
賭博か――と、ドッタは考える。
あまり強い方ではない。特にツァーヴのように、緻密に情報や確率を調べ、勝率をあげていくという努力は自分には向いていない。
せいぜい小金を賭けて運試しをするぐらいにとどめておくべきだろう。
「さあ――次!」
と、パトーシェが叫んでいた。
新手が棒きれを構えて進み出る。また似たような対峙と、棒きれでの殴り合いが始まる。
素早い攻防。打撃をかいくぐり、パトーシェが半歩踏み込み、肩と顎を打った。相手が悶絶する。
(自分には関係のない世界の話だ)
――と、思えばそれが良くなかったのかもしれない。
そういうときに限って、災難が降りかかって来る。
◆
「――というわけで、ドッタ。あなたにお願いしたいんですよね」
その夜、ベネティムに呼び出され、ドッタは意味不明な言葉を聞かされた。
「ぜひ、我が懲罰勇者部隊を代表して、大競技祭に出てください」
「え」
ドッタは当然のように、即答することができなかった。
二度ほどいまの言葉を反芻し、首を右に捻り、それから左に捻ってから、聞き返す。
「……なんて? ベネティム、いま、ぼくに何にどうしろっていう感じのことを言ったの?」
「大競技祭に出てください。我々を代表して」
「いや」
ドッタは我ながらすさまじい勢いで首を振ったと思う。
「いやいやいやいやいやいやいや。無理でしょ。よりにもよって、なんでぼく? 他にそういうの得意な人がいくらでもいるじゃん!」
「それがねえ、実はいまいないんですよ。ザイロくんとジェイスくんは、修理場からまだ戻って来てませんし。ジェイスくんはどうせ寄り道してるんでしょうけど……」
「じゃあ、パトーシェがいるよ! ツァーヴも昼間言ってたけど、あの人はマジで超強いって噂で」
「パトーシェさんには、別の仕事があります。義勇兵の募集です」
「え? 義勇……なにそれ?」
「まあ色々ありまして。そういう、広報的な活動をやっていただくことになりました。これから本人を説得することを考えると、私は頭が痛いですが」
実際、頭痛を感じているように、ベネティムはこめかみを指先で揉んだ。
顔色も悪いし、目の下の隈もひどい。
この休暇に入ってからというもの、ベネティムはいつも具合が悪そうにしている。よほど気がかりなことがあるのかもしれない。
「そうなると、ドッタ。他にこの大競技祭に適任の方がいると思いますか?」
「いや、いるでしょ! ほら、ツァーヴとかも――」
「絶対に相手に重傷を負わせますよ。最悪、殺すかも。そうしたら我々、休暇取り消しで全員次の作戦まで監獄入りですよ」
「ああ……」
ドッタはその光景が思い浮かぶ。
牢獄で残りの休暇を過ごすしかないなんて、ぞっとする。
「じゃあ、タツヤとか」
「無理ですよ、タツヤはそういうのが一番苦手なんです。以前、できるだけ手加減してくださいとお願いした時には、相手の両足を完全に破壊しました」
「……そう」
ライノーの名前はあえて出さない。
あいつこそ、何をしでかすかわかったものではないからだ。時として常識をまるで理解していないような気配がある。
そしてノルガユは論外だ。
「つまり、ドッタ。きみしかいないというわけです」
「――把握した。そうか。面白そうではないか」
と、低い声で言った人物がいる。
「ベネティム。貴様は、たまには有益なことも言うようだな。ただの口先だけの阿呆かと思っていた」
ドッタの背後に控えていた女だ――トリシール。彼女も一緒に、このベネティムの部屋に呼ばれていた。
「首吊り狐。貴様に白兵戦技の訓練をつけるいい機会だ。ぜひ受けろ」
「ええ……? 嫌なんだけど……」
「貴様の感想など聞いていない。受けろ」
「絶対嫌だけど……」
「では」
トリシールは、その包帯に包まれた右手で、ドッタの肩を掴んだ。
「ここで重傷を負い、残りの休暇期間を修理場で過ごすか? それもいいだろうな。心配するな、付き添ってやる」
「ま、待って! 待って待って待って!」
かなり力をこめられて、ドッタは悲鳴のような声をあげさせられた。
「ど、どうなのそれ!? ぼくが出て意味あるの!?」
「まあ、どの部隊も代表を出さないといけない決まりですから」
「……ちなみに、その……競技祭って、怪我とかすることあるの? 降参したらそれで終わりとかにならない?」
「我々懲罰勇者部隊は、たいへん軽蔑されており、あるいは憎悪されています。パトーシェさんやジェイスくんがちょっと特殊な事例であるだけですね。ドッタ、あなたの場合は……」
ベネティムは強張った青白い顔で、ドッタにもわかる予測を告げる。
「降参したとしても、聞こえなかった振りをして骨の二本や三本は壊しにかかるでしょうね。革をかぶせた木の棒でも、そのくらいの威力はあるらしいです」
「聞いたか。よかったな、首吊り狐」
トリシールは口の端を歪めた。
底意地の悪い笑い方だ、とドッタはいつも思う。
「修理場で休暇を送ることにならないよう、訓練を積む必要が出てきたな? 私が付き合おうではないか」
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