休暇行動管理簿:ホード・クリヴィオス 2
ホードの剣は、緩やかに湾曲した片刃のものだ。
それも片手で扱えるように、刃渡りは短い。
生き物を相手にする場合は、これが有効に作用する。
深く切り込む必要はなく、ほんのわずかに引っかけるだけでも、ペルメリィの毒が効果を発揮するからだ。
(少し、数が多いか)
その剣を差し伸べるように正面に構え、ホードは相手の数を目算する。
正面の路地を塞ぐのが四人。背後にも四人だ。
武装は、ホードの剣よりも短い短剣。雷杖を持っているのが、前方に一人いた。
だが、それ以上に目を引く点がもう一つ。
やつらが鉄の仮面を装着しているということだ。破毒面である。それはつまり、ホード・クリヴィオス個人を特定して襲撃していることを意味する。
ペルメリィは、《女神》の中でも特別な能力を持っている――と、ホード・クリヴィオスは考える。
それは、直接に人間へ干渉できるということだ。
人を傷つけることに対し、本能的に忌避感を持つ彼女たちだが、ペルメリィの毒は種類によっては癒すために使われるものもある。
痛みを感じにくくするものや、身体機能を麻痺させるもの。
そうした「医療用の」毒ならば、ペルメリィは人間に直接行使することができる。
彼らの破毒面は、それを警戒したものだろう。
(――だが)
ホードは自らもまた、破毒面をつけた。
「ペルメリィ。『霧』を頼む」
「……はい。承知しました」
ペルメリィもまた、わずかに上気した顔を破毒面で覆う。
第九聖騎士団が一般に「不気味」だとか「冷徹」だとか評される理由がこれだ。部隊の全員が破毒面で顔を覆って戦闘する。
それはよほど恐ろしい軍勢に見えるのだろう。
「では、白の霧を」
ペルメリィの片手が宙を撫でると、言った通りに白い霧が広がった。
本来ならば心身に急激な弛緩と虚脱をもたらす霧だが、今回は目的が違う。単純な視認性の阻害を狙った、遮蔽効果だ。
敵に動揺。特に雷杖を持った男が舌打ちをする。
ホードはそれを見逃さない。
「離れるな」
と、繰り返しペルメリィに告げ、飛び出している。
正面――あふれ出す白い霧に混じり、ホードは剣を振るう。正面の二人を、瞬時に刃の先端で切り裂いた。
ごく浅いもので構わない。
ホードの使う片刃の剣には、平時から神経毒を塗布している。外出時にはこの手の備えは怠らない。
「くそ! 敗北主義者の、偽りの聖騎士め!」
一人は短剣で反撃を試みようとした。
白い霧をかき分け、ホード――ではなく、ペルメリィに刃を向けようとする。
その切っ先が目前に迫っても、ペルメリィは対処ができない。身を固め、壁に背をつけ、呼ぶだけだ。
「ホード!」
「わかっている」
ホードの剣術は南部で発達した技法だ。
体の旋回を基本として、渦を巻くように斬りつける。その動きは攻防一体であり、ペルメリィへの攻撃を弾く動作が、そのまま相手の喉を引き裂くものになっている。
「かっ」
と、相手はよろめき、倒れる。
血飛沫が路地裏の地面と壁を濡らした。ペルメリィの衣服にそれが飛び散らないように、最低限の配慮をした。
そのくらいの余裕があった。
第九聖騎士団の聖騎士は、毒を扱う必要性から、剣や弓矢のような武器に習熟する。必然的にその技量は高くなる。
「……ありがとう、ございます。見事ですね、ホード」
ペルメリィはむしろ陶然とした笑みを浮かべた。
ホードはその間も動きを止めていない。旋回する動きで、残った雷杖使いの腕を切り裂き、無力化する。
残るは後方の四人。
ホードが振り返った時、彼らの一人が雷杖を構えるのが見えた――まだあったのか。
遮蔽物の霧はもう薄れ始めている。屋外で使えばこんなものだ。持続させるのはペルメリィの負担が大きすぎる。
(私の体を盾にして、ペルメリィへの射撃を阻む)
ホードは冷静に考えた。
理想は左肩。そうだ。半身になって肩を盾にする。片腕を犠牲にして、飛び込み、始末を――
そこまで戦術を組み立てたところで、後方の四人が崩れ落ちた。
六度か七度、閃光が走るのが見えた。
雷杖。連射性に優れた新型――それも卓越した射撃技量。外したのは一発だけ。ホードは顔をしかめた。
その攻撃を行った人物に心当たりがあったからだ。その顔も見えた。軽い足音とともに踏み込んでくる。
冷笑的な表情。
まるでこの世で自分だけが知っている悪趣味な冗談に対して、嘲笑っているような男。
「――アディフ・ツイベル」
ホードは剣を下ろし、その男の名前を呼んだ。
「……どうも」
と、ペルメリィは急に怯えたような顔になり、静かにホードの背後に回った。盾にされている、と思う。
彼女は極端な人見知りだ――《女神》同士ですら、ろくに喋ろうとしない。例外はケルフローラくらいのものだ。
「第九聖騎士団の団長が無事で、何よりです」
アディフ・ツイベルは、わざとらしく一礼した。
「情報を掴んだもので、助けに参りました。彼らは――」
「ただのゴロツキではないな」
ホードは地面に転がる襲撃者たちに視線を向ける。
「私たち第九聖騎士団の特性を知っていて、雷杖も使う。短剣の扱いも、それなりではあった。軍隊のものだな」
「さすがはホード・クリヴィオス団長。まさしく、彼らは軍の所属です」
アディフはケルフローラを連れていない――単独でここへ駆けつけたようだ。いつも丁寧に撫でつけられている淡い麦色の髪が、少しだけほつれて見えた。
「決戦派――といえば、おわかりになりますか?」
「かつてのデルフ・ユゴーリン将軍の賛同者か」
数年ほど前に、ジェイス・パーチラクトの反乱で殺された将軍の名だった。
その主張は、二千の竜騎兵を揃えて焦土印による突撃を敢行し、魔王現象の本拠地を焼き尽くすことで、敵の継戦能力を奪うことが可能であるというものだ。
あまりにも根拠の薄い希望的観測に基づく作戦だ、とホードは反対した記憶がある。
が、長期的に見ればごくわずかな犠牲による短期決戦――その可能性を魅力に感じる者もいた。
彼らは決戦派と呼ばれ、いまでも軍内部で密かに一定の勢力を持っているという。
それが、この襲撃者どもの正体だというのか。
「目障りだと思いませんか、クリヴィオス団長」
アディフは手際よく、倒れた襲撃者を縛り上げていく。
「内部に敵を抱えた状態では、円滑な作戦は遂行できない。せめて彼らを掣肘する存在が必要ではないでしょうか?」
「何が言いたい」
「今年の暮れ。神殿の、主席大司祭を定める会議があります」
アディフは何かを測るような目で、ホードを見上げた。
「そこで軍部の発言権を高めるように、こちらで目をつけている人物を推挙したいのです。私はもちろん支援しますが」
ツイベル家は、中央の貴族だったはずだ。
王家直轄旗手と呼ばれ、領土は持たないが商業と神殿の利権を持つ。かなりの資産を持つ、大貴族といってもいい立場にある。
「ツイベル家だけでは、工作に限界があります。クリヴィオス家の後押しがあれば、より確実な――」
「そういう話なら、私は聞かなかったことにしよう」
ホードは冷徹に告げた。
「軍人が政治に関与せざるを得ない状況であることは、私も理解している。だが宗教は別だ。我々は聖騎士であり、《女神》を保護し、その祝福を人類のために役立てるべく行動する」
これは規則だ。
ホードは暗唱できるほどに熟知している。
「よって、聖騎士は誰よりも厳しく、神殿との関りを自制せねばならない。貴様もくだらん陰謀に関わるのはやめろ、アディフ・ツイベル」
それは、単なる忠告に近かったかもしれない。
「それは危険なことだ。いまの連合行政室は――宰相は、信用できない。力を持ちすぎた軍人がどんな目に遭うのか、貴様なら想像できるだろう」
アディフは皮肉めいた笑みを浮かべた。
無言の否定であることは、わかっていた。
◆
演劇は、ホードの目から見ても秀逸なものだったといえる。
聖騎士と女神の悲恋を、決して過剰すぎない脚本と演技で描き、最後には決して結ばれないはずの二人の、精神的な永遠の結びつきを示唆して終わる。
特に、主演である《女神》役の演技には見るべきものがあった。
もとはサーカスとして雑技を披露していた女優だったというが、その表現は卓抜していたのだろうと思う。
ペルメリィなどは熱烈な拍手を送っていた。
少し涙目になっていたかもしれない。
「ホード。素晴らしい舞台でしたね」
「そうだな」
ホードは認めた。
「気に入ってくれたなら、私も連れてきた甲斐がある」
「ええ。……決して結ばれない二人ですが、だからこそ永遠の絆を得られることもある……そう思いませんか?」
「私はそれを判断するほど賢くはない」
ホードは厳しく言った。
ペルメリィは表情を動かさず、無言だったが、どんな気持ちになるかはわかっていた――それでも言うしかなかった。
それに、もう一つ。
舞台が繰り広げられている間、ずっと気になっていたこともある。
「ペルメリィ。済まない。どうも、今日は邪魔が多い」
「……はい」
ペルメリィは諦めたように、強張った笑顔でうなずいた。
「そのようですね」
「誤解するな。演劇は素晴らしかった。あとは、隣の席に妙な輩が座っていなければ。もっと集中して観劇できたかもしれないな」
「……それは失礼をした」
暗い、陰鬱な声だった。
ホードは隣に視線を向ける。知っている顔だ。当然のように。
グィオ・ダン・キルバ。
第十聖騎士団長――一部の口の悪い者は、『葬儀屋のような聖騎士』と呼ぶ。
だが、ホードは密かに好感を持ち、先達として尊敬してもいた。彼の陰鬱さは、己の職務を理解しすぎていることによるものだと。
「だが、席はすでに決まっていたことだ」
「……では、ここまでがあなたとアディフ・ツイベルの仕込みか」
そうとしか考えられなかった。
偶然という可能性は、考えるだけ馬鹿げている。
「あの『決戦派』どもの襲撃も、あなたたちが情報を流したのだな」
「そうだ」
グィオは小さくうなずいた。うなだれたようにも見えた。
「我々はあらゆる努力をしなければならない。その点で、俺とアディフ・ツイベルの意見は一致している。そちらはどうだ、ホード・クリヴィオス」
グィオの黒く底光りする瞳が、ホードを見た。
「本当に勝つつもりはあるか? この戦いに。個人的な何もかもを捨てて勝つつもりは?」
「……本気なのだな」
「必死だ。これ以上、神殿にかき回されたくはない。軍部はクレスダン総帥が抑え、神殿は我々の推挙する人物が抑える。それでようやく、行政室と対等になれる」
舞台の挨拶が終わり、席を立って退出する者が多い。
その喧噪の中でグィオの呟くような声は消えてしまいそうだった。
「春季攻勢は、人類の最後の機会だと考えている。これをしくじれば、次は戦費が持たないだろう……」
「――は! 暗いなあ、グィオ。暗すぎるんだよ、お前は!」
不意に、グィオの隣――ホードから見て反対側の席より、からかうような声が聞こえた。
そこには、背の高い女が座っていた。椅子にもたれかかるような座り方だ。大きな帽子を目深にかぶっているため、顔はよく見えない。
――が、ホードの座る場所からは、その頬に幾何学的な文様が刻まれているのがわかった。
その文様は、ペルメリィのものとよく似ていた。
(――間違いない)
と、ホードは思った。
これは《女神》だ。グィオの第十聖騎士団が擁する、鋼の《女神》――イリーナレア。
名前だけは知っていたが、姿は見たことがなかった。第十聖騎士団とグィオがそれほど徹底してその正体を隠していた。
が、あえていま、こんな場所でホードにその顔を晒したということは――
「せめて最後の機会だから、わたしとお前で魔王現象どもを皆殺しにしてやる! 楽勝だぜ! くらいのことは言えねえのか?」
「できれば、そのようにしたい」
「ンだよその反応! 覇気が足りねえよ覇気が。なあ?」
鋼の《女神》イリーナレアは、ホードとペルメリィを交互に見た。
ペルメリィよりも年上に見える《女神》だった。その目つきは、野性的といってもいい鋭さがある。
「は、あ、あの――」
ペルメリィは言葉を失った。
それはそうだろう。ホードが推測するに、この《女神》は明らかにペルメリィが苦手なタイプだろう。
「なんだよ! 返事くらいしてくれてもいいだろ? あ、もしかしてわたしのこと嫌いか? まあ会ったばっかりだもんな。ってか他の《女神》なんて滅多に会わねえな。わたしはさ、いつもこの陰気な聖騎士サマが――」
「いや。もう結構だ」
ホードは短く言って、首を振った。
グィオ・ダン・キルバが、自らの部隊の秘中の秘である《女神》を晒している。
その意味を、ホードは過小評価しなかった。
「このような茶番に、何度も付き合わされては軍人としての本分が果たせない」
ため息をつきたい気分だった。
「可能な限りの支援はしよう。だが、そのための手順を考え、実行するのはあなたとアディフ・ツイベルだ。私はそのような陰謀に向いていない」
「そうだな」
グィオは暗い目つきを、舞台の方に向けていた。
いまはもう誰もいない――いや、黒子だけが片付けをしている舞台だった。
「アディフ・ツイベルには、何か策を仕掛ける見込みがあるようだ。そういうことは、あの男に任せようと思う」
それがいいだろう。勝手にしろ。
とは、ホードは言わない。ただ、隣にいるペルメリィの手を握った。
「済まないな。妙なことにつき合わせた」
「いいえ。ですが、……その分を補填していただけるなら……帰り道にお願いが」
「聞こう」
「このまま、いつもより遠回りをして帰りたいのです」
ホードは無言でうなずいた。
そのくらいの報酬がなければ、やっていられない。――自分にとっても。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます