休暇行動管理簿:ホード・クリヴィオス 1

 北部から張り出した前線が、重く湿った雪を降らせた。

 それは本格的な冬の訪れだった。


 ホード・クリヴィオスが第一王都ゼフェンテに帰還したとき、すでに城下は一面の雪に覆われていた。

 これから年明けを迎え、雪解けの春季まで、この雪は続くだろう。

「今年の冬は、いつもより寒さが厳しいと聞きました」

 と、ペルメリィは少し憂鬱そうに、毛皮の襟巻で顔の下半分を覆った。

 彼女が極端な冷え性であることは、第九聖騎士団なら誰もが知っている。この襟巻も、彼らの勧めで買い求めた、紫貂の毛皮を用いた品だった。


「……バフロークは、何日かだけでも晴天を作ってくれないでしょうか?」

 バフロークというのは、第四聖騎士団に従軍する嵐の《女神》だった。

 雲や風を自在に呼び出すことができるという。

「せめて年始の聖四日には、第一王都に戻って来てくれればよいのですが」

 ペルメリィはそう言ったが、難しいだろうな、と、ホードは思う。第四聖騎士団はこのような時期ほど忙しい。


 この寒気の前には、魔王現象も、人類も、ともに活動を停滞させる。

 だが、完全な休戦ということはあり得ない。

 軍隊にはやるべきことがある。

 魔王現象が雪深い北部山脈の向こうで静かに態勢を整えているように、人類もまた、束の間の平和を享受するというわけにはいかなかった。


 春季までに消耗した戦力を整える必要がある。

 それに加えて、この厳寒期でも侵攻可能な魔王現象も、異形フェアリーの群れもいる――そちらへの対処も、当然のように必要だった。

 そのための軍議は、やはりガルトゥイルの機密会議室で行われた。

 それはおよそ一年ぶりに、ほぼ全ての聖騎士団長の集う場となった。


 いつも不在の第十二聖騎士団を除いて、すべての席が埋まった。

 第一聖騎士団長ルカージ・ヤンクールを筆頭に十一席。東方戦線に張り付いていた第七聖騎士団も、どことなく眠そうな顔で議席に座っていた。

 とはいえ、長の出席が不可能だった団もある。


 第二聖騎士団はいつも通りに代表者がやってきた。

 目つきの鋭い女性で、ランヘルマ・ルムルダウという――新たな『修理場』の統括者であるという話だった。

 第十一聖騎士団からは、長であるビュークス・ウィンティエの代理が出席していた。

 北部に進出し、戦闘に明け暮れるこの聖騎士団は、本格的に雪が山脈を閉ざす限界まで戻るつもりはないようだった。


 そして、第五聖騎士団の団長の椅子には、いまは新しい顔がある。

 城砦の《女神》セネルヴァの右腕と右目を引き継いだ、『聖女』ユリサ・キダフレニー。

 どうしようもなく居心地の悪そうな顔で、隙あらば左右に視線を振っている。落ち着かないという以上に、人の名前と顔を覚えるのに必死なのだろう。


「……ビュークス・ウィンティエ第十一聖騎士団長は、どうした?」

 と、その軍議の冒頭で、メーヴィカ・リージャーが尋ねた。

 第三聖騎士団の長である彼女は、自分の意見を持たない。ゆえに、いつも会議の進行役を行うのが通例であった。


「すでに撤収の命令が出ているはずだ。受領していないのか、それとも従う気がないのか。代行、答えよ」

「第十一聖騎士団として、命令は受領しています」

 代行の男は、メーヴィカ・リージャーの威圧的な物言いにも怯んだ様子はなかった。

「しかし、団長は連合王国貴族として、私人としての権利も有しています。団長は現在、婚姻の儀式を行っているため、即時の帰還はできません」


「婚姻って、結婚ですか? またかよ!」

 声をあげたのは、第六聖騎士団のリュフェン・カウロンだった。

「すげえな。あの人、ホントに毎年結婚してませんか?」

 呆れているというより、楽しんでいるような口調だった。そういうところが、相容れない――と、ホードは事あるごとに思う。

 おおよそ聖騎士団に向いていない人間だ。それを言ったら、ビュークス・ウィンティエも方向性は違えど似たようなものだ。


「あの人の嫁さん、いま何人いるんでしたっけ。七人? 八人か? 今度の相手はどこの貴族なんです?」

「リンスピン家のご令嬢です」

 代理の男は淡々と告げた。そういう人物を選んで会議に送り込んでいることがはっきりとわかる。

「戦闘行動に関する命令が解除されたため、ウィンティエ聖騎士団長は結婚の権利を行使しており、帰還は既定の新婚期間が終わってからになるでしょう」

「それまで地方で休暇ですか。羨ましいね……ああ、失礼。いまのは個人的な感想です」

 リュフェンは慌てたように口をつぐんだ。

 メーヴィカ・リージャーに無言で睨まれたからだ。

 そういう仕草が、妙に滑稽な男だった。あのザイロ・フォルバーツとは、そのあたりの愛嬌とでも呼ぶものが違う。


「――では、第十一聖騎士団を除き、西方への臨時防衛体制について決めておく」

 リュフェンが黙ったのを確認すると、メーヴィカ・リージャーは告げた。

 鋼のように厳粛な声だった。


「例年通り、嵐の《女神》と第四聖騎士団の出動を要請する。サベッテ・フィズバラー、異論はないか」

「ええ。当然です」

 サベッテはむしろ誇るようにうなずいた。

 気象を操る第四の《女神》は、臨時即応部隊として展開することが常である。彼女たちであれば、どんな悪天候でもそれを無力化してしまえるからだ。


 とはいえ、不安要素もある。

 サベッテは、先代の第四聖騎士団長から部隊を引き継いだばかりの――いわば『新人』だ。

 昨年は引き継ぎ期間であったため、冬季防衛任務の全面的な指揮は、今年が初めてということになる。


「支援部隊の必要性はあるか? 昨今の状況を鑑みるに、魔王現象が何らかの方法で虚をつき、積極攻勢をかけてくる可能性もある」

「そうですね」

 サベッテは、第七聖騎士団――シグリア・パーチラクトの顔を横目に見た。

 支援部隊といえば、彼女たちの擁する獣の《女神》が最適解の一つになる。その輸送力と機動力は圧倒的であり、食料や物資に困ることはない。


 懸念事項としては、第七聖騎士団はずっと東方に張り付いていたため、部隊の疲労もあるかもしれない。

 だが、いま席についているシグリアの顔からは、その形跡は窺えない。

 というより、ひどく眠そうな顔は天性のものであるらしく、疲労していたとしても変化がまるでわからない。

 いつも大して意見を言うことのない女性だ。

 おそらく、今回も――と、考えていたところで、唐突に彼女が挙手をした。


「……すみません。第七聖騎士団ですが、あのー……休暇を頂きたく思います」

 ホードは久しぶりに、彼女の声を聞いた気がした。

 それこそホードにとっては数年ぶり、というところだった。

「私たちの部隊の人員も、疲労が限界に達していますし……、フィムリンデも同様に、休暇を依頼されています。ええと……まあ、個人的にも」

 一瞬、彼女の視線が『聖女』の辺りをさまよった。敏感にそれに気づいたユリサは、何か身構えるように肩をこわばらせたが、それだけだった。


「……個人的にも、趣味として、調査したい事項もありますので。ううん……そうですね。少なくとも一旬程度の休暇を、希望いたします」

 いまにも眠ってしまいそうな顔で、最後の方は口の中で言う寝言に近い響きがあった。

 ホードはたまに呆れるときがある。

 よくこの調子で、緻密で正確な補給という仕事をこなせるものだ。あるいは普段から脳を酷使している反動なのかもしれない――というのは、好意的すぎる見方だろうか。


「では――第七聖騎士団の皆様がそうおっしゃるのなら、私は」

 サベッテはそんなシグリア・パーチラクトと、卓に座る全員の顔をゆっくりと見回す。

 一拍、注目を集めるように呼吸の間を置いてから、はっきりと言う。


「第六聖騎士団の支援を希望させていただきます」

「えっ」

 机に頬杖をついていたリュフェンが、がくん、と傾いた。

「俺ですか?」

「ええ。赫々たる戦歴を持つ先輩に、ぜひご支援とご指導を賜りたいと思っています」

 サベッテは底意地の悪さを感じさせる笑みを浮かべていた。

「何かお断りする事情がおありですか? リュフェン・カウロン聖騎士団長」


「いやあ――それがその。実は、年越しは第一王都の大温泉で過ごそうと思ってたんですよ」

「あら、温泉! 素晴らしいですね、私も温泉は好きですよ。……しかし、それは支援要請の拒否理由になりますか?」


「――なるはずがないだろう」

 気づけば、ホードは即座に応じていた。

 理由も態度もふざけすぎているように思えた。そういう人間に対して我慢ができない。だからホードはリュフェンを睨みつけ、はっきりと発言する。

「他の部隊は戦線から帰還したばかりだ。私も支援部隊の適任は、第六聖騎士団か、第十聖騎士団のいずれかであると考える」


「ありがとうございます、クリヴィオス団長」

 サベッテは優雅に一礼したが、ホードは何も応じなかった。

 礼を言われるようなことではないからだ。


「ま、待ってくださいよ」

 と、リュフェンはなおも食い下がろうとした。

「俺にも予定ってもんがあって――あの――」

「懲罰勇者部隊の、ザイロ・フォルバーツが帰還するようですね」

 声をあげたのは、今度はアディフ・ツイベルだった。冷笑的な笑みを顔に張り付かせた男。いかにも物腰は柔らかいが、他の団長とは明らかに一線を引いたところがある。


「それも、第一王都で待機するようです。彼と接触するのはやめておいた方がよいでしょう。あなたは彼と親しかった」

「いや、待ってくださいよ。俺は別に、あいつとは――」

「その意味でも、あなたの前線行きには賛成です。リュフェン・カウロン聖騎士団長に誤解を招くような行動を控えていただく、という意味でも」

 それからより深く微笑み、アディフはサベッテとリュフェンの二人を見た。

「ご武運をお祈りします」


 その言葉で、会議の趨勢は決まった。

 あとは細々とした兵站の話、春季反撃計画に向けた構想、次回までの課題。

 そうした内容が話し合われ、散会となった。

 第四聖騎士団と第六聖騎士団以外は、基本的には臨戦即応体制での第一王都防衛待機――名目上の『休暇』という体制になる。

 ホード・クリヴィオスにとっては、おおよそ半年ぶりの休暇だった。


 第一王都に帰還したホードには、何をおいても最初にやるべきことがあった。

 すなわち、ペルメリィへの賞与である。

 第一王都の、演劇を見たいと言っていた。それが彼女の数少ない趣味であり、自分で脚本のようなものも書いている。

 そのことを、ホードだけは知っていた。


 雑務については、彼の副官と部下がホードの分を補填して担当すると言っていた。

 余計な気を回す連中だと、ホードは思った。

 そうした仕事を他人に負わせるとき、薄暗い気持ちになる。――それが、《女神》であるペルメリィへの報酬でなければ、耐えきれることではなかっただろう。


 これはホードがペルメリィに与えられる、数少ない報酬の一つだ。

 彼女にとってはそれだけが唯一の望みなのだ。

 心を石のようにすることで、ホードは自己嫌悪に耐えた。それは醜悪な感情だと思うからだ。

 自分と人類はペルメリィの、承認欲求を利用している。

 だが、それについて感傷に浸ることは、許されないだろう――とホードは考える。ホードにとってそれは恥知らずなことだ。


 ただ心を石のようにして、彼女たち《女神》の欲求を利用する。

 人類のためだ。

 ホードはそのように割り切ることにしていた。


「ありがとうございます、ホード」

 と、雪の積もった路地を歩きながら、ペルメリィは頬を紅潮させていた。

「以前から、……見たかった舞台です」

 それはよほど期待していた演目らしい。

 大昔――いまはほとんど記録に残っていない第二次魔王討伐を主題にした、聖騎士と《女神》の話だという。演題は『紅玉花』。


「きっと、ホードも気に入ると思います」

 そのように語ったとき、ホードとペルメリィは、ちょうどひときわ薄暗い路地の奥に差し掛かっていたところだった。

 そこでホードは気づいた。


(囲まれている)

 数は多い。少なくとも、十人以上。

 敵意がある。

 ホードはペルメリィの手を掴んだ。腰の剣に手をかける。


「離れるな」

 と、ホードは命じ、

「はい。必ず」

 と、ペルメリィはどこか怯えながら、しかしかすかに嬉しそうに頬を緩ませた。

 この明白な殺気と、路地を塞ぐように現れた人影に、気づいていないはずがない。


 ホードには、思い知っていることがある。

 この《女神》は自分と危険な場所に踏み込むのが、たまらなく嬉しいらしい。

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