聖女運用記録:ケイル・ヴォーク攻勢計画準備
ホード・クリヴィオスがゼイアレンテ宮にたどり着いたとき、ほとんどすべての状況は終わりつつあった。
遅かった、ということになる。
城内に潜んでいた
「なかなかの激戦だったようですね、クリヴィオス第九聖騎士団長」
ゼイアレンテ宮の広間で彼を出迎えたのは、アディフ・ツイベルだった。
第八の聖騎士団の長。いつもの冷笑的な表情にも、さすがに疲れが覗いていた。
「こちらもどうにか片が付きましたよ。すべて『聖女』様と、エスゲイン総督閣下のお力でね」
「そうか」
早速、ホードは辟易とさせられた。
強調するような言い方は、単なる皮肉だ。エスゲインという総督がどれほど無能であるかは、ホードもよく知っていた。
「ペルメリィ。ケルフローラ様のお相手をしてくれ」
より込み入った話題に踏み込む前に、ホードはペルメリィに許可を出した。
休んでいろ、という意味だ。彼の《女神》であるペルメリィは、こういう指示がなければ休もうとしない。
「それで構わないだろう、ツイベル団長」
「ええ。ケルフローラ、遊んでもらいなさい。ただし、この広間から出ないように」
アディフの言葉には、ケルフローラは黙ってうなずく。
だが、少し喜びのような色がよぎったかもしれない。
「わかった。行こう、ペル」
とだけ言って、ケルフローラはペルメリィの手を取った。
「お菓子……、持ってきてるから」
大人びた顔立ちとは裏腹に、その仕草には子供のようなところがある。ペルメリィはホードを案ずるように一瞥したが、構うな、という意味で首を振った。
これから先は、あまり愉快な話にはなるまい。
「――クリヴィオス団長。あなたが言いたいことは、わかっているつもりです」
二人の《女神》を横目に見送りながら、アディフは言った。
何かを値踏みするように。
「なぜ、やつらがこの城を明け渡したか――ですよね?」
「当然だ」
ホードは認めた。
この作戦において、そのことを考えていない指揮官は、いま外の広場で己の勝利を喧伝しているマルコラス・エスゲインくらいのものだろう。
「魔王現象どもには強力な増援の当てがあるか、あるいは、撤退の際にこの都市を破壊して使用不能とする算段があったか。私はそのどちらかだと考えていた」
「それよりも事態は深刻でした」
アディフは微笑んでいたが、その目は深刻そのものだった。
「城の地下が手ひどく破壊されていました。その過程で、いわば隠されていた宝物庫が暴かれたようです」
「――何が持ち去られた?」
「恐らくは、《女神》」
ホードはいま聞いた単語を、耳の錯覚だと思いたい気分になった。
「《女神》のご遺体だと?」
「ええ。それも二柱――大司祭ハテムの見解によれば、かつての第三次魔王討伐における『聖女』の元となった、大地と嘆きの《女神》でしょう」
「……宮廷神官の見立てか。それは確かか?」
「そのように考えて動くべきでしょうね。事態は深刻です」
まさしくそうだ――と、ホードは思った。
《女神》の遺体が奪われた。それは深刻な問題だ。
どのようにその遺体を使うのか、想像はつく。ちょうど自分たちが『聖女』を生み出したように、魔王現象どもがそれを似たようなやり方で利用できない理由はない。
「この第二王都を占領しておきながら、放棄するだけの戦果は得ていたということになります。――どうでしょう? 絶望的な状況になってきたと思いませんか?」
「ガルトゥイルは」
ホードはせめて、わずかでも希望的な要素を見つけようとした。
「どのような見解を示している? これからの方針は?」
「変わりません。『聖女』を用いた全面攻勢。――春季攻勢計画、作戦名『ケイル・ヴォーク』、だそうですよ」
ケイル・ヴォーク。
人類が辿れる限り、もっとも古い神話に出てくる魔法の鍵の名だ。意味は、確か、『万物を絶つもの』。世界を終わらせる鍵でもあるという。
「もうすぐ本格的な冬が来ます。そうなれば、少なくとも二か月は自然休戦ですね」
アディフに言われなくともわかっている。
魔王現象の支配域は、北部から北西部に及んでいる。
やつらはその方角からやってくる。どうやらそこに魔王現象どもの出現する何か――『巣』のようなものがあるらしい、というのがガルトゥイルの推測だ。
よってこれから雪解けまでの期間は、強烈な寒気と降雪のため、魔王現象であっても活動が鈍る。
一部の例外を除いて、北部を隔てる山脈を越えるような、まともな活動はできなくなる。
人類側にしても同じことだ。
気象を操る第四の《女神》、バフロークならばその条件を緩和できるが、局地的で一時的なものでしかない。せいぜい、「一部の例外」として厳寒期の侵攻を行ってくる魔王現象に対処する程度の。
「……攻勢計画の、指揮を執るのは」
ホードは考えながら呟いた。
「せめて、まともな人物であってほしいものだ」
「どうでしょうね。私は逆だと思います。まともな人物では勝てないと思いませんか?」
そうしてアディフはまた、値踏みするようにホードを見る。
「たとえば、懲罰勇者。ザイロ・フォルバーツ」
「ありえない」
ホードは一言で切って捨てる。
「まずその可能性が皆無だ。それにあの男のような滅茶苦茶なやり方をされては、軍は成り立たない。やつが一時でも第五聖騎士団を率いていたというのが不可解だ」
「そうでしょうか。この都市の市民の防衛において、真に活躍を示したのは彼らでした」
結果だけを見れば、そうかもしれない。
ホードは黙った。
確かにやつらは魔王現象を二匹も討伐したらしい。あのジェイスという竜騎兵が、やたらとドラゴンやその騎兵たちから人望があるというのも知っている。
そして何より、ザイロ・フォルバーツ。
認めたくはないが、常に結果を出し続けている男ではある。
「私は思うのですが、もしも――もしも、ザイロ・フォルバーツとその仲間たちに、十分な補給と連携する兵力、そして独立行動権を与えることができたら。どんな戦果をあげるのでしょうね?」
アディフは愚かなことを口にしている。ホードは顔をしかめた。
ザイロは当然として、その隊員――いや、囚人どもにどういう権限も与えるべきではない。それは法の敗北だ。
貴族閥の出身であり、法と秩序を重んじる環境で育ったホードには、それは許されないことだった。
(そうだ。やつらにどんな能力があるにせよ)
社会を維持するためには、どのような意味でも、犯罪者どもに頼るわけにはいかない。
そうはっきりと言おうとしてアディフを睨んだとき、気づいた。
「――あ、あの」
控えめを通り越して、怯えたような声だった。
それはまるで自分が誰かに気づかれるのを待っていたかのようなタイミングで、実際にその通りなのだろう。
真紅の髪の少女が、アディフの傍らにいた。
その佇まいはあまりにも静かで、存在感というものがなく、アディフですら驚かせたほどだった。
「聖女様」
「おや」
ホードは速やかに敬礼し、アディフは一拍遅れて大仰に頭を下げた。
「聖女様。我々にお声がけいただけるとは、どのような御用でしょう」
「あの……そ、それは、御用、というほどではないのですが……」
聖女ユリサ・キダフレニーは、目を伏せ、うつむいた。
他人と向かい合ったとき、そうするように体に染みついた仕草のように思われた。
「いけませんね。聖女様。姿勢を正すよう教わったはずでしょう?」
アディフは両手を広げ、彼女の肩に触れた。
背筋を伸ばして立たせる。
「この広間には、他の兵も多くおります。どうか、喋り方と姿勢にはお気をつけください。我々に対して敬語は禁止。サベッテ嬢から教えられていますね?」
「……はい」
そこで、ようやく聖女の背筋が伸びた。
おそろしく窮屈で、不自由な生活を送っているのだろう――と、ホードは思った。少しだけ自分の過去を思い出す。クリヴィオス家の嫡男として、軍人としての栄誉を期待された自分のように。
「その、私は」
徐々にユリサの表情から、どこか卑屈だったものが薄れる。
完全に消えはしないが、それでも前を向くことで、どこか毅然としたものが漂う。それは、炎の色をした右目のせいかもしれない。
「――今回の戦いで、いくつかのことを教わりまし……、教わった」
その話は、ホードも聞いている。
檻のような柵を作って、兵士を守る拠点を作ることで制圧領域を広げる。火力を集中させて優位を作り、引いた相手を追撃する。
かつての第五聖騎士団の《女神》セネルヴァを彷彿とさせるような戦い方をしたらしい。
それは確かに有効だった。
「この戦い方を教えてくれた方は、どなただろうか?」
ユリサ・キダフレニーは、アディフとホードの間で視線をさまよわせた。
そういう表情の作り方は、まだまだ甘い。春季攻勢までには、改善しなければと思う。
「おかげで、兵士……の皆に、不要な犠牲を出さなくて済んだ。礼を言いたい。それに、この力の使い方について……もっと教わるべきことが、あると思う」
「助言してくださったのは、エスゲイン総督閣下でしょう?」
アディフは平然とした顔で、嘘をついた。
「そう思っていた方がいい」
「いいや。あの方……エ、エスゲイン総督、は、もっと単純なやり方しか指示しなかった。やり方を変えたのは、アディフ・ツイベル、あなたからの連絡があってからだ」
今度は、アディフが値踏みするような目で見上げられる番だ。
ユリサのその右目で炎が燃えている。
「もしかして、あ、あなたが……あなたの考えを、教えてくれたのか?」
「いいえ。しかし、戦い方の教師のことは、知らない方がよいでしょう。少なくともあなたは会わない方がいい」
「な……なぜ? 私はただ、一言だけでも礼を」
「その男は罪人です。それも、この世でもっとも罪深い種類の罪人」
アディフはホードに目配せをしてきた。
勝手にしろ、という意味で、ホードは顔をしかめて目を逸らす。
「その男の名は、ザイロ・フォルバーツ。あなたの右腕と右目に宿る、《女神》セネルヴァを殺した者。《女神殺し》の懲罰勇者です」
◆
夜明けを迎えた頃。
薄暗がりの奥で、静かな声が響く。
「――では、やはり《女神》の遺体は持ち去られたと?」
「はい。大地と嘆きの二柱が向こうの手に渡りました。こちらが確認している限りでは、月の《女神》も魔王どもの手にあります」
「憂慮すべき事態だ、カフゼン。我々は圧倒的に不利な状況にある」
かすかなため息。
名前を呼ばれて、カフゼンは肩をすくめた。
「ですね。王室、連合行政室の官僚、宰相、ガルトゥイルの将校、いまだに残る神殿内部の共生派勢力――敵が多すぎますよ」
「よろしい。では順番に状況を整理しよう。春季攻勢までに、少しでも事態を改善させる」
とん、と、指が机を叩く音。
カフゼンは知っている。これは彼の主が意識を切り替えるときの合図だ。
「神殿の状況は? マーレン・キヴィア大司祭がいなくなり、後任の首席大司祭の選出はどうなっている?」
「どうにか、こちらで目をつけている人間を推挙できそうです。うまくいけば、の話ですが」
「……そうか。王室と行政室はどうしようもないが、それに加えてガルトゥイルの方も、最低限の対処はしたい」
「難航していますね。クレスダン総帥は尽力していますが――」
「総帥自ら、攻勢計画の前線に立つわけにもいかない。うん。わかった。ここは思案のしどころだ――やはり難しい状況だな」
声が止まる。
薄闇の中に沈黙が満ちる。そのまま二分は、そうしていただろう。
こういうとき、カフゼンは主にならって沈黙を守ることにしている。その思考の邪魔をするべきではない。
「……とても、難しい状況だ。しかし、まだすべてが終わったわけではない。希望はある……そう。たとえば、懲罰勇者」
「確かに、予想以上に戦果をあげています。予想以上に無茶なこともしていますが」
「だから、切り札だ。もしも彼らに、もっと自由な軍事的権限を与えられたら、と私は思うことがある」
「そんなことをしたら、暴走しかねませんよ。彼らは善人というわけではありません。制御できない者もいます」
「だからだよ」
声に笑いが含まれた。
懲罰勇者という響き。
この冷えた冬の薄闇の中でも、そこにはつい笑ってしまうような諧謔があった。
「暴走を見てみたいと思わないか? 彼らの本気の暴走を」
「どうでしょうね。魔王現象より恐ろしいことになりはしないでしょうか」
「それはきっと、さぞかし愉快だろうな」
「……それは」
「冗談だよ」
カフゼンには、とてもそうは思えなかった。
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