刑罰:第二王都ゼイアレンテ奪還作戦 顛末
パトーシェ・キヴィアがその報告を受けたのは、戦線が決定的な破綻をきたす、まさに直前のことだった。
それはあまりにも唐突な報告だった。
悪化する状況の中で、それが良いことなのかどうか、咄嗟には判断がつかなかったほどだ。
彼女が率いる騎兵隊の損耗率は、三割に達しつつあった。
およそ五十を超える騎兵が戦闘不能の重傷を負うか、あるいは命を落としていた。
これは、パトーシェが選択した戦い方の結果だった。
防衛対象となるカンド・アグ福祉地区は、それなりの広さがある。
全域は守り切れない。
住民を可能な限り一か所に避難させ、罠と柵で守るにしても、誰かが外に出て攪乱しなければ押しつぶされるだけだ。
その攪乱の役目は当然、騎兵になる。
というよりも、騎兵の力を活かすなら、そのように活発に動かなければほとんど意味がない。
騎兵という兵科は、機動力と攻撃力にその価値があるからだ。
よって、パトーシェはかつての部下たち――ゾフレクとシエナにも、相当な無理をさせなければならなかった。
果敢に突撃し、防衛線を脅かす
すると相手は固まって守りを固めようとする。
それでもよかった。
敵が守りを固めている間は、攻撃の手も止まる。
執拗に削り取るような突撃を繰り返して、相手が焦れて緩みを見せたら蹴散らす。そういう戦い方をするしかない。
よって、どうしても損耗は避けられなかった。
敵の只中に突出するため、囲まれることもあるし、そうなれば強引な突破をする必要があった。
「すまない」
何度目かの突撃を終え、カンド・アグ福祉地区の内側まで戻ったとき、パトーシェは頭を下げた。
このような、騎兵にとってはただ疲弊するだけの戦いを強いていること。
それにより被害が大きくなっていることについて、パトーシェは唸りをあげたくなるほど歯がゆい気分だった。
だが、引くことはできない。
市民を守るという目的がある。それは懲罰勇者となったパトーシェにとって戦うことの拠り所となる正しさでもあった。
それに加えて、この場を任されたのが自分だという理由もある。
ザイロ・フォルバーツは必ず役目を果たすだろう。あの男が戻って来たとき、何も恥じないような顔をしていたいと思う。
だから、パトーシェははっきりと口にする。
「皆には損耗を強いている。おそらくあと一度か二度ほどしか、この戦い方はできない。それも、危険度はいままでよりもさらに高くなる」
これ以上損耗すれば、突撃による牽制の効果が薄れる。
被害も加速的に増えるだろう。彼らの疲労の度合いを見ても、それは確実に思われた。
「だから、死にたくない者は、次の突撃までに逃げろ。脱走を許す」
「そんなやつ、わざわざ残ってますかね。逃げるチャンスはいくらでもありましたよ」
ゾフレクが、どこか投げ槍に言った。あるいは冗談を口にしているようでもある。
もともとパトーシェの下で騎兵隊を率いていたこの男は、すでに左肩を負傷していた。腕がだらりと垂れている――止血はしたが、もう盾を握る力がないようだ。
「少なくともおれは、団長の部下になったときから、こういう現場は覚悟してましたぜ」
おどけたような言い方で、シエナを振り返る。
「シエナ狙撃兵長も、何か文句があったらいまのうちに言ったらどうです?」
「特にありません」
シエナは小さく首を振った。どこまでも真面目な顔だった。
「歩兵部隊の方がよほど疲弊しているでしょうから」
確かに。
と、パトーシェもそう思う。
フレンシィの率いる南方夜鬼の戦士たちは、さすがに精強だった。予想をはるかに超える粘りを発揮している。
あの鋭い曲刀の扱いもさることながら、飛び道具として、手投げナイフも使う。それには毒が塗りこめられており、多大な殺傷力を生み出す。
突撃してきた大型のバーグェストを、防衛線に達する前に仕留めたほどだ。
それでも、歩兵は騎兵よりもずっと被害が大きい。
戦力の損耗は、とっくに三割を超えているはずだ。戦闘続行の限界が近い。市民の協力がなければ、さらに被害は大きかっただろう。
ベネティムだ――あの詐欺師の男の演説は、それなりの効果をあげていた。
少なくとも自分自身の身を守るために、槍を持って立てる者は戦線についている。
障害物で路地を塞ぐくらいの支援でも、それは確かに敵の出足を鈍らせることに成功していた。
(だが、これにも限度がある)
あとどのくらい持ちこたえられるだろうか。
パトーシェは東の空を見た。上空の戦闘は優勢――とはいえ地上を支援している暇はない。いまは、増援を当てにすることはできそうになかった。
(だったら、目の前のことに集中しろ)
深く息を吐きだしながら、パトーシェは馬の背を撫でる。
伯父から教わった、戦いの心得のようなものだ。皮肉にもそのいくつかは役に立っている。もともと家族には優しかった伯父だ。実家を出奔した自分さえ見捨てなかった。
ただ、そのために、それ以外のすべての他者を踏みにじろうとした。
(私にはできない)
槍を握りなおす。前を見る。
家族も同然であった部下たちを、名も知らない市民を守るために道連れにしようとしている。
(だが、私は、それこそが――)
声が聞こえたのとは、そのときだった。
『――懲罰勇者9004隊。聞こえていますか?』
どこか冷たく、揶揄しているようにも聞こえる声だった。
アディフ・ツイベル。第八聖騎士団長。
かつてパトーシェが聖騎士団長だった頃から、どことなく馴染めそうにないと思っていた相手だ。
もっとも彼女が馴染めそうだと感じた相手の方が少ない。年齢や立場が離れているか、やたらと壁を作る種類の相手ばかりだった。それとも、そもそも性分が合いそうにないか。
例外は同期のサベッテ・フィズバラーという第四聖騎士団長だったが、彼女にはよくからかわれた記憶ばかりがある。
『懲罰勇者9004隊。応答を。もしかして全滅していますか?』
『――ええ……、はい。恐縮ですが全滅しておらず、聞こえています。要件をお願いします』
応答したのはベネティムで、パトーシェは黙ってそれを聞いていた。アディフ・ツイベルの物言いは相変わらず気分に障るものだったからだ。
『戦況が変わりました。掃討作戦に移ります。市民を連れて、王城前、ジェンコーツ広場で合流をお願いします』
『――そ、掃討作戦……合流? あのう、申し訳ないのですが、こちらはいま防戦一方でして……とても反撃するようなことは』
『戦況が変わった、と言いました。我々の勝利のようです。少なくとも、この場は』
『ええ? あの、それは――』
『聖女に率いられたマルコラス・エスゲイン総督の攻撃部隊が、王城を落としました。城内に魔王現象アバドン、並びに魔王現象アニスの姿はなく、北門を破って逃走した姿が目撃されています』
パトーシェはその意味を理解するのに、数秒を要した。ベネティムならばなおさら理解できていないだろう。
敵の指揮官が逃走した、ということだ。
『……それは、意外だね』
ライノーの声が割り込んできた。その言葉には、どことなく空虚な響きがあった。
『逃がしたとすれば、残念なことだ。本当なのかな?』
そうだ――事実かどうか。
パトーシェもまた、そんなことがあり得るのか、と考えて、思い直す。
(いや。あり得る。……確かにそうだ)
王城に籠って防衛したところで、このままでは陥落は目に見えている。
ガルトゥイル要塞が完璧に援軍を遮断しており、その状況を掴んでいるのなら、逃走は唯一の選択肢だ。
だが、あまりにあっけなさすぎる。
せっかく第二王都を占拠したというのに、それを投げ捨てて逃走するとは。それならばこの都の支配にどんな意味があったのか?
これほど知性のある動きをする魔王現象にしては、引き際が単純すぎる。
何か、別の目的を果たしたとでもいうのか。
そんな不吉な想像を、次のアディフの言葉がかき消した。
『また、魔王現象シュガールと魔王現象アーヴァンクはどちらも撃破、もしくは無力化されました。ただし――』
アディフの言葉には、どこまでも突き放したような響きがあった。
『ジェイス・パーチラクトとザイロ・フォルバーツが死亡したとの報告があります。ケルフローラが影の兵士を使って遺体を回収させますので、広場前の拠点確保をお願いします』
(ザイロ・フォルバーツ――)
いつも怒ったような男の顔が脳裏をよぎったとき、強く冷たい風が吹いた気がした。
パトーシェは思わず空を見た。
良く晴れた白い月の下、本格的な冬の到来を告げる風だった。
(馬鹿め。愚かすぎる)
もしかすると、声に出して悪態をついていたかもしれない。フレンシィが『無様』と言いたくなる気持ちがよくわかった。
『テオリッタ様には、こちらのケルフローラが世話になりましたからね。彼らの亡骸は、私たちに可能な限り丁重に搬送させていただきます』
その物言いも、何もかも、アディフ・ツイベルという男は神経を逆撫でするような男だった。
◆
(とりあえずは、うまくいったのかもしれない)
と、トヴィッツ・ヒューカーは思った。
北門の守りを破り、追撃を止めた。市街戦では使えず、温存していた大型の
バーグェストが戦列を蹂躙し、トロールが被害を拡大させた。集中した怪物どもの運用は、やはり力を発揮する。
さらには辛うじて追いすがって来た騎馬隊を、アニスの能力が襲った。
凍りつき、息絶えた亡骸の数々を、トヴィッツはコシュタ・バワーの蹄で踏み越えた。
馬が魔王化したこの
これならば夜明けまでには十分に距離を稼げるだろう。北方に展開している第十一聖騎士団を迂回して、さらに北へ。
(悪くない)
トヴィッツはここまでに打った手を反芻する。
相性の悪い聖騎士団との戦いは避け、市街の攪乱に徹し、スウラ・オドには『切り札』部隊の捜索をさせた。スウラ・オド自身も命を失わずに逃走中であるという。
それに何よりも、アニスのことだ。
(失わずに済んだ)
そのことが最も大きい。
いま、魔王現象『アニス』は、トヴィッツの背後にいる。ともにコシュタ・バワーに乗っている――その冷たい体温が伝わってくる。
思わぬ相手との遭遇で深手は負ったが、致命傷には程遠かった。
むしろ、予想外で有益な情報を得られた――と思う。
「魔王が、いた」
アニスははっきりとそう断言した。
「あれは確かに人間ではなかった。
信じられない、と、トヴィッツは思ったが、すぐに考え直した。
人間でありながら魔王現象に与する者は多い。自分もそうだ。
ある程度の知性を持った魔王現象の主がいるならば、中にはそのような「変わり者」もいるのだろう。
これに対するアバドンの答えは簡単だった。
「それは恐らくパック・プーカだ。そのように名乗っている」
どうやらこの人間の壮年男性の姿を持つ魔王現象は、その存在を知っているようだった。
「迷惑な同胞だな――彼の思考は理解できないところがある。できれば説得したいものだが、まあ、対処はできる。手を打とう」
そんな風に、アバドンは重々しく言った。
「問題は、タツヤ・ニナガワだ。いまだ活動可能なリードゥが残っていたとは思わなかった」
それはトヴィッツにとって、聞いたことのない名前と、単語だった。なぜか禍々しいような響きがあった。
だから、つい口を挟んだ。
「閣下、それは何者でしょうか?」
「古い言葉で、禁忌に触れるものを意味する。あるいは深淵を見る者。
「それはつまり、あなたたちと人間の、最初の戦いのときの?」
「きみたち人間はとてつもなく恐ろしいことを考える。自分たちの世界ごと、我々を滅ぼそうとしたのだから。何もかもが失われるところだった」
アバドンの言葉が、真実かどうか知る術は、トヴィッツにはない。
だが、なんとなく本当のことであるような気がした。
「――では、先を急ごう」
さらに質問を重ねるべきか迷っていたところで、アバドンはコシュタ・バワーの足を速めた。
これはそれ以上の応答をしない、という意味でもあった。
このときに質問をしようとした者が物理的に沈黙させられるのを、トヴィッツは背後で見ていた。
トヴィッツは徐々にアバドンのことを理解しつつある。
この指揮官らしき魔王現象は、人間とよく似た見た目をしていて、人間らしい言葉を使うが、その内部はまったくの別物だ。
人間と同じ情緒のようなものを持っていると考えない方がいい。
「我々は目的を達成した。人類には十分に恐怖を与え、必要なものも回収できた」
必要なもの。
トヴィッツは、アバドンが背負う長方形の箱――「棺」に似ているが、そう呼ぶにはやや小さな箱を見つめた。棺だとすれば、小さな子供のために特別に作られたものだろう。
そして、実際その通りではある。
それこそは、第二王都の王城に安置されていた、とある《女神》の遺体だった。
「大地の《女神》と、嘆きの《女神》の亡骸だ」
と、アバドンはどこか乾いた声でそう言っていた。
「以前の戦いで、人類は『聖女』という生きた兵器を持ち出した。二柱の《女神》の腕と目を接合した、特別な一人の人間だった」
そのことはトヴィッツも伝承に聞いたことがある。
第三次魔王討伐の際、大地の《女神》と嘆きの《女神》の献身によって、一人の『聖女』が生み出された。
その力に率いられた人間は、大いに魔王現象を脅かし、和解することに成功した。その際に使われたのは《女神》の亡骸であった――という。
その両者が、第二王都ゼイアレンテに隠されていた。今回の侵攻の目的の一つは、そこにあったということだ。
「これで我々の側にも、合わせて四柱の《女神》が手に入ったことになる」
アバドンは瞳を細めた。
それが、彼なりの笑い方なのだろう。
「我らが王もお喜びになることだろう」
王、という言葉が気になったが、トヴィッツは黙っていた。
アバドンの声から、確かな敬意と畏怖のようなものを感じたからだ。こういうとき、迂闊な問いかけをするべきではない。
「トヴィッツ・ヒューカー、人間相手の戦術は、きみから学ぶところが大きい。《女神》の運用についてはぜひ助言を貰いたいものだ――期待しているよ」
トヴィッツは黙っていた。
これでもう、足抜けはできない。もとよりそのつもりもない。
(アニスのためだ)
そのために世界を敵に回して戦う。
頭の中で言葉にして、つい笑ってしまった。
(我ながら安物の願望だな。でも、本当のことだ……普通に生きてたら、こんなこと絶対にできない)
退屈とは無縁な未来が開けるのを、トヴィッツ・ヒューカーは感じていた。
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