刑罰:第二王都ゼイアレンテ奪還作戦 5
スウラ・オドと名乗っていた。
旧王国の言葉で、毒のある甲虫を意味する。
その名の通り、スウラ・オドの仕事は殺人だった。
金さえ払えばどんなことでもする。
スウラ・オドは、そうした単純な生き方を望んでいた。
もともとの生まれは、工業都市ロッカの貧民街だった。
いい記憶はまるでない。
そこには街の複雑な掟があり、上下関係があり、しがらみがあった。その中で生きることに、我慢ができない性分だった。
スウラ・オドは疎ましくて仕方がなかった。
結局、まともな道は歩めず、傭兵と冒険者の中間のような仕事をすることになった。
その手の『社会からはみ出した連中』ならば、普通の世間より少しはマシだと考えたが、そこでもまた上下関係や同じ部隊の仲間といった煩わしさがあった。
だから、スウラ・オドがさらに暗い場所まで転がり落ちるのに、そう長くはかからなかった。
望んでそうした。仲間ができること、彼らと関係を保ちあうということに、彼はとても耐えきれなかった。
結局のところは、金だ、と考えることにした。
最低限の関わりだけで生きるなら、金というものだけで他人と繋がろうと思った。
そのやり方が一番簡単で、わかりやすかった。他人もある程度までなら納得してくれる。金が目的だと言えば、余計な詮索も少ない。
だから、スウラ・オドはすべての仕事に命を懸けている。
自分の単純で原始的で、身勝手な生き方のためだ。
――相手がどれだけの手練れであろうと、その矜持のようなものを譲ったことはなかった。いままでは。だが、この相手は――
(またか)
スウラ・オドは閃く雷光を見た。
夜の虚空を貫いて、身を沈めた彼の頭上を貫く。
(相当な技量だな。すさまじく正確だ)
スウラ・オドは闇の奥を睨み、しかし、動きを止めない。這うような姿勢から、そのまま跳躍する。
屋根から屋根へ。
相手の姿を捉えたまま、離れない。
着地しながら、左手の雷杖を撃つ。『ツクバネ』、と呼ばれる狙撃杖だった。威力と射程は抑えられているが、精度は高い。
近づきすぎず、離れすぎない。
その間合いを保ったまま戦うのが、スウラ・オドのやり方だった。
だが、そう簡単なことではない。
この『敵』は、そう簡単に狙いを絞らせない。常に意表をつくような移動をする。
無理に当てようと近づきすぎれば、恐ろしいほどの果断さと俊敏な反応で寄ってくる――先ほどは一度しくじった。
至近距離での攻防に持ち込まれてしまった。
スウラ・オドの『奥の手』を使わなければ、手痛い傷を負ったかもしれない。
「ねえ。名前ぐらい名乗ってほしいんスけど」
しかも、この相手はひどくうるさい。
「なんて呼ばれてるかわかんないと、話しづらいでしょ。そう思いません? これだと独り言みたいじゃないっスか――あ、そうそう、オレの名前はツァーヴです! 実は殺人の天才で、まあ殺人に限らない天才ではあるんスけど、もう数々の標的をこの手でぶち殺して――あっ、成功率はゼロなんでまあ標的っつーか厳密には標的じゃないんスけどそれはまあ事情があって――」
さっきからひっきりなしに喋りかけてくる。
これだけ激しく、かつ静かに移動しながら、よくも次から次へと無意味な言葉を投げてくるものだ。
たったいま、『ツクバネ』の射撃をかわしたときなど、軽く宙返りをしてみせたほどだった。
(さすがに、こいつは――)
そう。
彼の雇い主であるトヴィッツ・ヒューカーの言葉を借りるならば、さすが『切り札』部隊というところか。
スウラ・オドには自負があった。
大抵の危険な役目はこなしてきたし、それを成功させてきた。修羅場は潜っている。
特に『殺し』の仕事ならば、軍の正規兵などは相手にならない。『切り札』部隊が相手だろうが、自分の重ねた技術と経験に匹敵する者がいるとは思えなかった。
殺しの腕を自慢するような小者は、数えきれないほど始末してきた。
――いまは、その自信が揺らいでいる。
スウラ・オドはトヴィッツの言葉をまた思い出す。
「――ぼくの想定している『切り札』部隊と遭遇したら、逃げた方がいいでしょうね。負けない戦いはできるかもしれませんが、たぶん勝てないと思います」
「俺の仕事の際に、そいつらと遭遇したら?」
「ぼくはあなたの実力を、本当には知りませんからね。なんとも言えませんが」
そのときトヴィッツは笑った。突き放したところのある笑みだった。
「できるだけ長く足止めをお願いします」
そういう風に、トヴィッツに判断させるだけのことはある。
(勝てない相手か。でも、負けない戦いは、できるかもしれないだろう?)
スウラ・オドは、闇の奥に相手の姿を見据える。
雷杖を構えている。向こうも狙撃用の、長柄の雷杖だ。もう一度、撃ってくるか。その前に、スウラも勝負に出ることにした。
この相手の狙撃能力は卓抜している。
こちらの回避動作を先回りするようにして撃つ。
『奥の手』がなければ、先ほどはスウラも危ないところだった。
「止まってくださいよ」
と、このふざけた敵は言って、身を沈めた。
「バッタみたいにぴょんぴょん跳ねられると当てにくいんで、落ち着いてじっとしててほしいんスよね。知ってます? イナゴってもともとは大人しいやつなんですけど、群れで育つとすげえ凶暴になって――」
喋っている途中で、杖の先端が瞬いた。
いまだ、と、スウラ・オドは決断した。こちらも伏せて、地面に右の手の平を触れさせる。その右腕に刻まれた聖印が起動する。
飛翔印サカラと呼ばれていた。
その聖印が、スウラ・オドの体を瞬時に跳躍させている。
人体に聖印を刻む技術は、いまだ一般的ではない。
特に民間の、闇医者のような聖印技師では、成功率も高くはない。
人間の体は少しずつかたちが違うため、同じように聖印を刻んでも、思った通りの効果を発揮させることはできないからだ。
個々人の肉体と、蓄光量、それに釣り合う形で聖印を設計しなければならない。
その意味で、スウラ・オドは当たりを引いた。
彼に聖印を刻んだのは、腕のいい闇医者だったといえる。
このときも飛翔印サカラは完全に機能し、スウラ・オドの体を瞬時に隣の民家の屋根へと運んでいた。稲妻の狙撃を紙一重でかわす。
――が、着地したとき、その足元が崩れた。
前のめりに倒れかけたところを、どうにか堪える。屋根の一部が砕けていた。
「おっと、引っかかった」
という、軽薄な声。
「驚きました? 単純だけどアホがかかるんスよねえ!」
この地点に誘導されたのか。
この相手に同じ手は二度通じない、とスウラ・オドは確信する。飛翔印で逃れるべきではなかった。
どうにか足を引き抜いたときには、もう距離が詰まっていた。
やはり俊敏な動作で、敵が迫る。
近接戦闘。スウラ・オドは、右手でナイフを掴み、応戦する。
相手も刃物を握っているのが見えた。拳に握りこんで、押し出すようにして使う種類のナイフだった。
一つの矢のようになって、突き込んでくる。こちらも刃を合わせて弾く。
ぎ、ぎっ、と、連続して二度。
金属が擦れる音がした。
一気に背筋が冷たくなる。二の腕に痛み。それから腹部に膝。蹴られた勢いで、素早く距離を取る。
(信じられんな。どんな反射神経だ)
この一瞬の攻防で、負傷したのはこちらだけだった。防御に徹していても、この有り様だ。
「いやあ、強いっスね、あんた。オレと戦ってこれだけ長い間生きてるなんて、ホントに表彰モンですぜ。明日から自慢話にしていいっスよ! あっ、死んでたら自慢できねえけど、なんだろう、オレが語り継いであげようかな――」
口調はふざけているが、本当に、自身が言うほど強い。
こんな妙な相手と戦うのは初めてだった。
(まともなやり方じゃ倒せない)
もとより、『まともなやり方』を通そうとは思っていない。
相手の弱みをつくのが、暗殺の技能というものだ。戦って勝つ必要はどこにもない。
この口数の多い敵を技術で上回るのは、おそらく自分にはできないだろう。この男本人には何の弱みも見当たらない。
(だから、狙うなら)
スウラ・オドは、左手に構えた『ツクバネ』の狙撃杖を、あらぬ方向へ向けた。
地上だった。
そちらには、路地を駆けていく魔王現象『アーヴァンク』と、それに追われる三人の人間が見えていた。
夜闇に慣れたスウラ・オドの目には、はっきりと視認できた。
「これはどうだ?」
あえて挑発的な言葉を添えて、聖印を起動させる。
発光。鋭い火花。
「おいおい、ちょっと、それはさ」
この敵は、すぐにそれが意味するところを悟ったようだ。
平然とした顔で飛び込んくる。その動きはやはり的確だったといえる。すでに起動した聖印に対して、右の肩をぶつけてきた。
ばつっ、と、肉が爆ぜる音。
杖身が逸らされ、狙撃は外れた――だが、そんな防ぎ方をしてきた相手の右肩は、焼け焦げて深く抉れていた。
骨まで砕いたか。
だらりと右腕が垂れ下がる。
(詰んだな)
相手がそのままうずくまるのがわかった。
自分より強いやつを殺す方法はいくつもある。スウラ・オドが思う最善の手段とは、そいつにとっての弱みを突くことだ。
(こいつも同じだ。弱みなんて持たない方がいい。他人との関係は邪魔になる)
スウラ・オドは容赦なく追撃する。
うずくまった相手の首を狙ってナイフを――いや。相手が笑っている。首筋に左手の指を当てて――
「引っかかりましたぜ、ドッタさん」
スウラ・オドは攻撃を中止せざるを得なかった。
その相手の軽薄でだらしのない笑みからは、底のない悪意――ですらない、もっと根源的な殺意だけを感じた。
「相手の弱みを狙うってのは悪くない。賛成です。でも残念ですけどオレは天才なもんで――」
右肩を抉られながら、言うことではなかった。
スウラ・オドは全力で後方へ跳ぶ。
「そういうのはフツーの相手にやってくださいよ」
一度に四発。
乾いた音と稲妻の光が連続して瞬いた。
同時に、左足に焼けつくような激痛。着地出来ない。屋根から転がり落ちる。その直前に、左手を使って跳んだ。
全力で――体内の蓄光をすべて使い果たすつもりで。
ツァーヴと名乗ったのか。
恐ろしい技量の相手だ。
あらゆる点で自分を上回っていた。こんな敗北感を覚えるのは久しぶりだ。
初めてのことかもしれない。相手の弱みをつきとめ、それを使ってまで、逆に罠に引き込まれることになった。
(俺の負けだな。たしかに、いまは勝てない――だが)
スウラ・オドは、地面に転がり落ちると走り始めた。痛む左足を、戦いの興奮が麻痺させている。
(目的は果たした。時間稼ぎは十分だ)
いまはそれでいい、と、スウラ・オドは思った。
◆
「――当たった!」
と、ドッタが屋根の上にするすると這い出してくる。
その能天気だが引きつったような笑顔に、ツァーヴは苦笑いで返すしかなかった。
「ぜんぜん当たってないっスよ、一発だけじゃないっスか。しかも足! 頭か胴体に当ててちゃんと殺してくださいよ」
「ええ? あの、ぼくにしてはがんばった方なんだけど」
「あれだけ近づいてて四発も連射して足に一発だけなんて、ベネティムさん並みじゃないっスか。しっかりしてくださいって、マジで! オレとドッタさんが組めば無敵の殺人鬼コンビになれるんスから!」
「いや、そんなもんなりたくないし……」
「別にならなくても構わんが」
ドッタの背後から、くすんだ赤毛の女が姿を現した。
「射撃の訓練はしろ。自衛すらできずにどうする」
トリシールとかいう女だった。
元・傭兵で――おそらくは人間。少なくともツァーヴが見る限りでは、右腕と両目の異様な気配を除いては、そうとしか思えない。
どうやらドッタの情婦のようだったが、かなり腕も立つ。いったいいくら金を払ったものか、ツァーヴも知らない。
「その有様で英雄になれるつもりか、首吊り狐」
「それにもなりたくないんだけど……」
「いや、なってもらう。これは貴様への罰だ」
「もう十分受けてるよ! なんでぼくだけ二重に懲罰受けなきゃいけないんだよ」
「いやあ――そりゃもちろん、ドッタさんが」
ツァーヴは笑っている自分に気づいた。
「それだけ悪いことしてきたからでしょうよ。諦めた方がいいっスよ!」
愉快な見世物を見ている気分だった。
まったくもって、この連中ときたら――懲罰勇者部隊。この間抜けな変人どもの背後を守ってやれるのは、天才の自分しかいないだろう。
(オレは本当にお人好しだな。面倒見が良すぎる。人生、損するタイプだ)
と、ツァーヴは思った。
◆
暗闇の奥で、ささやく声が響いていた。
「――まだか?」
「わからん、ぜんぜん見えねえ。暗くて――」
「待て待て、明かり出せ。もっと前だ」
「急げよ……! 遅れたらザイロ先生に首の骨をへし折られるぞ」
「あの人、マジでヤバいよね。人相が悪すぎる……」
「目つきが獣」
「ナイフとか舐めてそう」
「ありゃ本当に《女神殺し》だよ。間違いねえ。殺人衝動を我慢できねえんだ」
「しくじったら、俺らどうなるかな……」
「安らかに死ねるとは思わねえ方がいいぞ。だからもっと急げって。まだ見えてこないか?」
「ンなこと言われても暗くて――あ! あつっ! 熱いぞ! いまなんか触った!」
「それじゃねえか? っつーか、もうそれってことでいいだろ」
「確かに。やるだけやったよな、俺ら」
「うーん……まあ、いいか。たぶんこれだろ。例のやつ仕掛けろ」
「……これ、ちゃんと動くよな? ザイロ先生も自信なさそうだったのが不安なんだよなあ。なんで誰も文句言わなかったんだよ」
「フレンシィ姐さんに殺されそうだからだよ」
「あの人、ザイロ先生に文句言っていいのは自分だけだと思ってるよな――あ。ちょっと待て。いま、大変なことに気づいた」
「……なに?」
「この聖印、もう起動してる。悪い。間違えた」
「なに?」
「逃げた方がいい。起爆まであと二分もないと――思う! どけ! 走れ!」
「あっ」
「いてえっ!」
「押すな! 殺すぞ、クソ野郎!」
暗闇で交わされる言葉は徐々に大きくなり、そして――
数十秒後、大きな爆発音が響き渡って、そのすべてをかき消した。
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