刑罰:第二王都ゼイアレンテ奪還作戦 4
空の閃光と、轟音が消えた。
一瞬の静寂。
次の瞬間には、ニーリィが咆哮をあげていた。その咆哮は確かに怒りを含んでいたように、俺には聞こえた。
ニーリィがこんなに激怒するとは、ジェイスに何かあったのかもしれない。
だが、魔王現象『シュガール』の黒々とした影が燃え、灰になって消し飛ぶのも見えた。
空の脅威がなくなったということだ。
どのような形にせよ、ジェイスは仕事を果たしたはずだ。
そうでなければ、あの自信家で見栄ばかり張りたがる男が、失敗して俺たちに頭を下げている姿をぜひ拝ませてもらおう。
(だったら笑えるんだが――)
要するに、俺も俺の仕事を果たさなければならないということだ。
ここで怠けていたら何を言われるかわかったものではない。ジェイスにデカい顔をされるのも御免だが、ニーリィから慰めるような鳴き声をされるのも嫌だ。
だから俺はテオリッタを抱えあげて、これからの地獄に向かう必要がある――軽く跳躍して屋根の上にあがった。
もう空からの襲撃は来ない。
俺は標的と、その取り巻きどもを睨んだ。
博学公道の石畳をゆっくりと、地響きをたてて移動するのは、魔王現象『アーヴァンク』。
その周囲には
いずれにせよ、ある程度は排除しなければ、『アーヴァンク』までたどり着けない。
「いきましょう、ザイロ」
テオリッタが俺の首にしがみついてくる。しっかりと。
「私たちの出番です。みんなを守らないと」
「仕事だからな」
仕方がない。深呼吸をする。
それから、俺は声を張り上げた。首の聖印に触れる。
「――野郎ども、援護しろ! 『アーヴァンク』を狩るぞ。
『おっ。やっとオレの出番っスね!』
ツァーヴの軽薄な返事。
『体が冷えるとこでしたよ。暇すぎて、ケリがつくまで寝てようかと思ったぐらいでした! 兄貴、オレがいつどんな場所でも寝れる能力持ってるって話しましたっけ? ほら、オレ、クァダイ山脈に放り出されたときも、狩人役の同期に追われながら氷の断崖絶壁にぶら下がって眠るという偉業を成し遂げて――』
「黙ってろ。いいから働け、出番だ」
俺はそこで聖印から指を離した。
これ以上聞いてもやかましいだけだからだ。ツァーヴの放った鮮やかな雷と、頼りない弓矢の援護が飛んだ。
タツヤとオルド爺さん、それから棍棒を抱えたマドリツが奇声をあげつつ飛び出していく。
(この初手で、一気に削る)
俺は身を沈め、一拍おいてすぐに跳んだ。
飛翔印をほぼ全力で起動させ、『アーヴァンク』の背後から迫る。
俺もザッテ・フィンデの聖印を浸透させたナイフを、抜き放つなり投げていた。
こちらの準備は万端であり、ドゥーニーやボギーといった小型の
爆撃。まぶしい光が博学公道を束の間だけ照らす。
(抜けられる。奇襲は成功だ)
俺は公道を一跳びに横切り、今度は反対側の商店の壁を蹴る。この辺りは頑丈そうな造りの建物ばかりだ。遠慮はいらない。
派手にやれる――今度はテオリッタに頼む。
「蹴散らそうぜ」
「当然です」
テオリッタが虚空を撫でれば、無数の剣が降り注ぐ。これには
この攻勢は、地上班の突撃を有利にする意味もあった。
「うぅるヴぁ」
貫かれていくその群れをさらに蹴散らして、タツヤが駆けた。
「ぶぁうじぃぃぃるぁぁぁぁぁぁああ!」
と、判別しがたい雄叫びをあげて、長柄の戦斧を振るう。その刃に触れたやつは一瞬で千切れ跳ぶ。
どん、どん、と、一歩踏み出すごとに
タツヤの前進は、それ自体が一種の衝撃力を伴った攻撃であるかのようだった。
どすぐろい体液をまき散らしながら、タツヤは小さな竜巻のようになる。近づくものを巻き込み、粉砕する。
『――やっぱすげえわ、タツヤさん』
ツァーヴの感心したような声。
『タツヤさんって、何者なんスかね? オレ、ベネティムさんから魔法で人間にさせられた熊の悪霊だって聞いたんスけど』
「最近思ったが、あいつの言うことを真に受けたら人生おしまいだよな」
『最近って、兄貴、そりゃ遅いっスよ!』
ツァーヴが笑って狙撃杖を放つ。
稲妻と、乾いた破裂音。
その一射で、『アーヴァンク』への進路が完全に開いた。タツヤが唸り声とともに突っ込む――『アーヴァンク』の注意は、確かにそちらに向いた。
身をよじり、振り返って地面を見下ろす。
その一瞬を狙った。
俺とテオリッタは高く跳び、頭上から迫った。ナイフに聖印を浸透させる。これはほんの牽制で、テオリッタは『聖剣』の準備をしているはずだ。
強い火花が散っている。
この交錯で決められれば。
だがこのとき、俺たちの目の前で、『アーヴァンク』はとんでもない変化を示した。
ぎゅるっ、と、その胴体が蠢いて、細長く伸びた――と思った瞬間、千切れた。
というよりも、分裂した。
そのそれぞれに足が生え、頭が生え、三つか四つの目のようなものが開いた。
「はあ?」
「ええっ?」
俺とテオリッタはそれぞれアホみたいな声をあげたと思う。
分裂した一方はタツヤに、もう一方は俺とテオリッタに。それぞれ向き直り、また蠢いた。
その足が細長く伸び、殴りつけてくる。
いままでの動きからは考えられない、俊敏な動作だった。
「テオリッタ、避けるぞ!」
「は、……いっ」
テオリッタは俺に強くしがみつきながら、火花を散らせる。
壁から大きな剣を生やす。
これでいい。俺はそいつを足場にして、軌道を変える。伸びてきた『アーヴァンク』の触手――のような得体の知れない何かをかわした。
が、『アーヴァンク』の攻撃はさらに意外な変化を見せた。
伸びた一部が千切れて、俺たちのように壁を足場にして蹴ると、こちらにぶつかってきやがった。
俺は咄嗟にナイフを投げ、爆破したが、その残りがまた切り離されて飛んできた。大型犬くらいの大きさ。
衝突。
「ザイロ!」
テオリッタの悲鳴。
心配しなくても、かろうじて庇うことには成功した。テオリッタを抱え込み、体をできるだけ丸めて、衝撃を受ける。吹き飛ぶ。
ガラスと脆い木を砕く音、視界と平衡感覚の混乱、一瞬の暗転。
(まずいな。大失敗じゃないか)
あまりひどい痛みは感じない。この前に修理されたときから、鈍くなっているのだろう。
俺は目を開け、現状を観察する。
どうやらどこかの商店の二階の窓から、その建物の中にぶち込まれたらしい。
たぶん雑貨屋なのだろう。靴直しとか簡単な修理も引き受ける種類の。商品の満載されたテーブル、工具の棚。武器として使えそうなものは――
(くそ。頭が鈍いぞ、馬鹿か俺は)
武器ならナイフと剣がある。そんなものを探してどうする。
なによりその前に、テオリッタはどこだ。無事に守れたか? 朦朧とした視界はすぐにはっきりと晴れる。
「ザイロ! ザイロ、動けますか? 怪我は!?」
テオリッタが俺の襟首をつかんで、顔を覗きこんでくる。
そんなに泣きそうな顔をするな、と俺は思う。
「……余裕で動ける、お前の聖騎士を見くびるなよ。作戦は変えなきゃいけないけどな」
「そ、――それでこそ、我が騎士」
テオリッタは何かを言いかけ、奥歯を噛んで飲み込んだ。
代わりに、無理やり作った誇らしげな笑顔を浮かべていた。
「テオリッタ。そっちは無事か? やれるんだよな?」
「――もちろん」
そう言ったテオリッタの髪の毛は、小さな火花を断続的に散らしている。俺はその金色の髪に手を触れた。小さな泡のような痛み。
そうして触れると、少しはテオリッタの気分がよく伝わってくる。
「本気で言え。俺にはわかる」
「やれます。当然。我が騎士を導く《女神》ですよ」
「よし。じゃあ、俺もやれる。……絶対にやれる」
俺はテオリッタの頭に手を置いて、立ち上がる。
俺たちはジェイスとニーリィみたいな絆を持っているわけじゃない。そう呼ぶにはあまりにも短い時間だ。
ただ、短いからって、何もわからないわけじゃない。影響がないわけでもない。
きっとテオリッタは俺の愚かさを少しだけ持つことになった。
一方で俺は――これは願望だが、テオリッタの正しい何かであろうとする心を、その千分の一でも持つことができればいいと思った。
いまではもうずっと遠くに感じる、セネルヴァと一緒にいた頃のように。
(……そうだな)
このとき俺は、自分がまた何かできるような気になっていることに気づいた。
いまさら気づいた。
いけそうだ、と思った。しっかりと目を開き、思考を巡らせる。
「あいつを俺たちで倒す作戦を考えるぞ」
「どのような作戦を?」
「まず、『聖剣』での攻撃は中止だ。この魔王現象は……なんというか……」
俺は窓を見た。
ゆっくりと這い上り、侵入してくる、大型犬ほどの『アーヴァンク』の欠片。それがこの部屋に入り込むと、急に膨れて、飛び散った。
今度は猫ほどの大きさになって、五、六匹。
「……あいつは群れなんだ。群れが集まって一つの体を作ってる。一つ叩けばぜんぶ滅ぼせるといいんだが……テオリッタ、その『聖剣』でできることなのか?」
「それは――」
テオリッタは言いにくそうだったが、結局は答えた。
「わかりません。わ、私にも、その『聖剣』は理解できない部分があって……」
「じゃあ、やめた方がいい。できなかったら、体力だけ消耗して終わりってことになる」
「では、どのように?」
「それは」
猫ほどの大きさの塊が、一斉に跳ねた。
俺は手近なテーブルを思い切り蹴とばし、同時にナイフを放った。こんな狭い場所で使うものではないが、浸透させた聖印の閃光が視界を焼く。
結果は見ない。
「逃げながら考える。離れるなよ」
「わわ」
そのままテオリッタを抱えて、階段を駆け下りる。
颯爽と路地の外に出ようとしたつもりだが、その俺の眼前に、一人の男が飛び出してくる。転がって来た、といってもいい。
後頭部を鉄の兜で覆った、変なやつ。
「ぐぶ」
と、妙なうめき声が喉から漏れた。タツヤだった。
「げっげっげっ!」
断続的にタツヤの喉が鳴る。戦斧を片手に、奇怪な動きで跳ね起きる。まるでそういう人形のようだった。
「……お前も吹っ飛ばされたのかよ」
「ぐううう」
肯定とも否定ともつかない、不明瞭な呻きで回答された。
が、その意味するところはすぐにわかった。俺がタツヤの視線の先を見たとき、『アーヴァンク』の巨体が、まさにこの路地を覗き込んでいたからだ。
再び散らばった破片を統合して、その巨体を形成したらしい。
魔王現象『アーヴァンク』は、無数の獣のざわめきのような、異様な咆哮をあげていた。
「仕方ねえな」
俺は首の聖印に指を触れる。
「ツァーヴ! 援護しろ、こいつを倒す作戦を思いつく! 少し時間を稼がせてくれ」
『ああ――っと、すんません、兄貴』
珍しく、ツァーヴが引っかかるような言い方をした。
『ちょっと忙しくなっちゃいました』
「なんだよ、それ! お前っ、こっちはすげえ大変なんだぞ!」
『いや、それがっスね――いまオレも結構大変で』
頭上を雷光が飛ぶ。乾いた破裂音。
それが、立て続けに二度――二度? さらには金属が擦れ、ぶつかり合う音まで聞こえた気がした。
『なんかテオリッタちゃんが狙われてたもんで、応戦しちゃいました。こいつは暗殺技術者っスね――そこそこ強ぇな』
「こっちを狙ってきやがったのかよ! 殺し屋か?」
『ですね! ってなわけで、そっちはどうにかしてください! テオリッタちゃんが狙撃されるよりマシでしょ!』
確かにそうだし、ツァーヴに加勢できる状況でもない。
魔王現象『アーヴァンク』は咆哮をあげ、路地に体を押し込んでくる。みしみしと体が裂けるが、構わず、泥の奔流のように流れてくる。
こいつを倒すには、どうするべきか。
といっても、すでに答えは出ている。
「――よし。作戦を決めた」
俺はテオリッタとタツヤに告げて、走り出す。路地の奥へ。
「一度しか言わないから、タツヤもちゃんと聞いとけよ。それとテオリッタ――お前は一番キツい役目をやることになる。覚悟しろ」
「ええ」
テオリッタは笑顔でうなずいた。
「この《女神》になんでも願いなさい。叶えてあげましょう」
それは『不敵な』といってもいいくらいの笑顔だった。
が、その笑顔もその十秒後くらいには硬直してしまうことが、俺にはわかりきっていた。
つまりそういう作戦だった。
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