刑罰:第二王都ゼイアレンテ奪還作戦 3

 白々とした月の光が、ゼイアレンテの街を照らしている。

 それに時として破裂する、魔王現象『シュガール』の弾丸。閃光と轟音。


(まだか?)

 俺は路地裏で息を潜めて、その瞬間を待たなければならなかった。

 上空が騒がしい。

 制空権を確保していない――いま迂闊に飛び出していけば、低空を旋回する飛行型異形フェアリーどもに襲撃されるだろう。


 なにしろ、魔王現象『アーヴァンク』はかなり図体がでかい。

 街路を歩く『アーヴァンク』は、六つの脚を持った、濡れた毛玉のような巨体だった。

 有効な攻撃を行うには、屋根の上から攻撃を行う必要がある。


「ザイロ。まだですか?」

 テオリッタが俺の袖を引いた。

「こうしている間にも、みんなは防戦に苦労しているでしょう。ここは我々が勇ましく攻撃を敢行するべきときなのでは……?」

 テオリッタは、他の人間が傷ついている、あるいは負荷がかかっているという状態に苦痛を感じるらしい。


 たぶん、《女神》はみんなそういうものだ。セネルヴァも、あの飄々とした態度でいながら、内心はそうだったと思う。

 いや、苦痛というのは言いすぎか。

 得体の知れない焦りのようなものだろう。


「まだだ。俺たちが失敗したら、それこそ防衛部隊が持ちこたえる目がなくなる」

 俺はテオリッタの肩を掴んだ。

 それは自分自身を落ち着かせるという行為にも似ていた。


「せめて『シュガール』を始末したらな。あれのせいでドラゴンたちが苦戦してる。むしろ敵の方に余裕があるくらいだ」

 圧倒的に数が多いが、ただ、勝算はある。

 空の異形フェアリーたちは、そのほとんどが『シュガール』の支配下にあるのだろう。頭さえ潰せば脅威は激減する。


「……もどかしいですね。目の前にいるというのに」

 テオリッタは、俺の袖を握ったまま唸った。

 その炎の目が、街路を闊歩する『アーヴァンク』を睨んでいた。動きは遅い。行先はどこか――この進路なら城門かもしれない。後方陣地を破壊するつもりだろうか。

「ザイロ、私はいつでもいけますよ」

 念を押すようにそう言った。テオリッタは明らかに焦れていた。


 こちらがこの様子なら、ツァーヴも相当に騒がしく喋りまくり、待ちかねているだろう。

 タツヤはやつの延々と続く無駄口を耳から流し込まれていると思われた。

 この目の前の大通り――博学公道と呼ばれる大路を挟んだ反対側では、やっぱりタツヤとツァーヴが潜んでいる。『アーヴァンク』を挟み撃つため、そういう形で追っていた。


 それから、路地裏を振り返れば、俺とテオリッタ以外にも数人。

「上が片付いたら、行くぞ」

 と、俺は彼らに声をかける。

 元「抵抗組織」の冒険者どもだ。こちらに四人、タツヤたちの側にも四人。やつらは結局、全員俺たちについてきた。


 なんと、このろくでなしどもは、犯罪者もどきのいた第三居留区にも居場所がないらしかった。

 話を聞けば、かなり大きな借金を仕切り役にしているとか、他人の娘に手を出そうとして険悪な関係であるとか、酔っぱらって殺し合い寸前に発展した相手がいるとか。

 ――まあ、どうしようもない。


 よって、せめてその場しのぎにでもこっちについてきて、混乱のどさくさに紛れて街を逃げ出そうという魂胆が透けて見えた。

 オルド爺さんあたりはよくわからないが、とにかくそんな連中なので、あまり頼りにはできないが即席の援護要員にはできる――かもしれない。


「ザイロ先生。あの、上は……」

 いまだに冒険者どものまとめ役のようになっているマドリツが、控えめに呟いた。

「なんとかなりますかね? あの『シュガール』のすごい爆発が、オレらの頭の上に降ってくるなんてことは?」


「……心配するな。もう少し、時間さえあればどうにかする」

 俺は我ながらいい加減なことを言っているな、と思った。

「ジェイスはともかく、ニーリィがいるからな」

 そう言ったところで、冒険者どもにはどういう意味かわからないだろう。ただ、ジェイスはヘマをするなよ、というのは、心の中で思うだけにした。

 ニーリィが泣いて荒れると、俺たちが困る。


        ◆


 白々とした月の光の下を、ニーリィの翼が舞う。

 風さえ置き去りにするような滑らかな速度。


 それでも、追ってくる弾丸は引き離せない。

 輝く六つの光は、小さなもう一つの月のようだった。あれが標的に接触すると、広範囲の爆破が引き起こされる。

 できるだけ共に戦う他のドラゴンたちからも引き離さねばならない。


(だが――)

 ジェイスは判断を迫られた。

 あまり時間をかけると、次の追尾弾を撃って来るだろう。魔王現象『シュガール』は距離を取ったまま、こちらにぴたりと狙いをつけている。

 逃がすつもりはない、とでもいうように。


 その三つの角が、かすかに放電しているのもわかった。

 おそらくあれは準備しているのだ。


(いますぐ、対処が必要だ)

 ノルガユから渡された「対策」となる兵器は、残り二つしかない。それでもやるしかなかった。

 紐で結び合わされた石のような、その器具――ノルガユいわく『擬燐印』を掴む。タツヤに言わせると『フレア』とも呼ぶらしい。


 仕組みとしては簡単で、永年温石ビスティに手を加え、その効果を補強する石を繋ぎ合わせたものにすぎない。

 通常の永年温石ビスティよりは強い熱を――人間や竜の体温よりもやや高い熱を発することのできるようにしてある。これを起動させることで、強い熱を発しながら空中で炸裂する。


 これで追尾弾を欺く。

『シュガール』の弾丸の性質は、基本的にはジェイスたちが使う飛槍と大差がない。熱源を追いかけさせている。それは推測できていた。

 ただ、この魔王現象の場合は、その爆破半径が大きすぎることが問題だった。

 擬燐印を起動させ、投下したら、まっすぐ高速で離脱しなければならない。


(そこで、攻撃に移る)

 そう決めた。

 だから、首の聖印に触れて怒鳴る。

「全員、離れろ! さっきのやつをやる。いいか、竜のお嬢さんたちを巻き込むなよ! 殺すぞ!」

『――おい、お姫様とジェイスがやるってよ』

『わかった。各自、てめえの目の前の敵を引き付けて離れろ』

『次で決めるのか、ジェイス?』


 そう問われると、ジェイスは背筋が冷たく痺れるのを感じた。

 次で決める。大きな重圧だ。

「大丈夫。私に任せて」

 ニーリィが励ますように言った。

「絶対に接近してみせるから」

「わかった。――次で決める」


 ジェイスはニーリィに答えたつもりだったが、聖印による通信の向こうからも反応があった。

『ジェイスがまた大口を叩いたぞ』

『ぜひそうしてくれ。雑魚は受け持つ――ああ、すまん、ちょっとキツい。多すぎる。誰か援護頼む!』

『私が行く。ジェイスに誰も近づけるな』


 これには、ニーリィがからかうように喉を鳴らした。

「大人気ね」

「きみの方が人気だよ、お姫様」

 だが、緊張は軽くなった。ジェイスは擬燐印を頭上で振り回し、そうして、力いっぱい放り投げる。

 それは空中で火花を散らし、まばゆい光を放った。


 追尾弾は六つ。

 すべてが、その囮に食いついた。連鎖した爆破に巻き込まれた形だ。

 ニーリィは加速し、爆破半径から逃れる。大周りに反転する――側面に『シュガール』。ニーリィは距離を詰めていく。


(決めてやる)

 ジェイスは次の擬燐印を構えた。

『シュガール』の頭部の角が発光する。また自分たちを迎え撃つように、追尾弾が放たれてくる。

 さらにこちらの接近を阻止しようとする動きを、何匹かのオベロンとワイバーンが示した。数が多すぎて、友軍もそれを遮れない。


 そのくらいは想定済みだ。

 ジェイスは仕掛けを終えている。

 自分の飛槍に、擬燐印を結び合わせたものだ。それを投げる。

 囮となる光と熱を発散しながら、槍が飛ぶ――『シュガール』を狙ったが、間に割り込んだオベロンの一匹に阻まれた。そいつが囮のようになって引き付けていく。


 閃光と、爆発。

 邪魔な異形フェアリーたちがまとめてそれに飲み込まれた。

 ニーリィはその衝撃の余波を、ぎりぎりで迂回するように飛ぶ。

 翼を打ち振るう。まばゆい光の向こうに『シュガール』が見えた。向こうも似たような機動を行っている。


 今度は、こちらから逃げるのではない。

 距離を取ろうとすれば、ニーリィに背中を向けることになるからだ。追尾弾をくぐりぬけて来ると、もう向こうも知っていた。

 互いに渦を巻くような機動で、急激に接近する。


「行こう、ニーリィ」

「ええ。喜んで」

 速度と機動力ではニーリィの方が上だ、と、ジェイスは思った。

 そう信じた。


 魔王現象『シュガール』が、昆虫の顎を開いた。

 ぎちぎちぎちっ、という湿った鳴き声。ジェイスにはその意味が少しだけわかる。

『災い、が、くる』

 災い。おそらくニーリィのことを言っているのだ。

 頭部の角が明滅し、火花を散らす。もう打ち止めのはずだ。明らかに無理をしている――だが、光は強まっていく。


 三本のうちの一本だけが、強く発光していた。

 三つ撃つだけの力を、そうやって一つに結集させているのだろうか。そういうことができるのか。しくじったかもしれない。

(ついに、俺は――)

 いつかヘマをするんじゃないかと思っていた。

 その恐怖があった。


 証言と状況証拠を集め、推測を重ねて、対策を立てる。

 賭博のようなものだ。いくら確率を高める努力をしても、永遠に成功し続けることなどできるはずがない、と、ジェイスはどこかでそう感じていた。

 それがいまだったということか?

 この距離と速度なら、ニーリィにもかわしきれない。


「ニーリィ」

 ごめん、と、ジェイスは言いかけた。

 それこそ彼の本当の失態だったが、それだけは避けられた。


 ぱっ、と白い光がはるか下方の、地上で瞬いた。

(砲撃)

 ジェイスはその光を知っていた。

(ライノーだな?)

 誘導弾。『シュガール』には回避を試みる暇もなかった。光は魔王の体に着弾すると、その甲殻を抉り取って吹き飛ばしている。

 頭部をおよそ半分が、粉砕されていた。


 その衝撃で、白く輝いていた角も、火花を散らしながら折れた。

 いましかなかったし、ニーリィがそれを逃すはずもない。

 たちまちのうちに距離を詰め、捉えた。

 二本のしなやかな腕が『シュガール』を真横から拘束する。『シュガール』が悶えるのがわかった。

 頭を半分失っても動くとは、見た目にふさわしい生命力といえる。

 ナイフのような爪を持つ脚を動かし、ニーリィの牙と爪を牽制さえしていた。


『――命中、したね』

 ライノーの声が、ひどい雑音に混じって聞こえた。

 そうだ。命中させた。

 いかに誘導性能のある聖印砲弾とはいえ、相手が回避運動をできない瞬間に着弾するように撃たなければ、かわされる。


 その砲撃を、一発でやってみせた。相変わらず信じられない腕だった。

 ライノーはおよそ全方位的に胡散臭く、与えられた仕事もわけのわからない理由で放り出すような男だ。

 が、残念なことに、砲撃の腕だけは卓抜している。

 ライノーの砲撃が対空支援に回っているときは、心強くあるのは確かだった。


『同志ジェイス。これで、そ……、ぼくも……き…………ったかな?』

「まあな」

 何を言っているのかわからなかったが、ジェイスは吠えるように返した。

「上等だ。あとは、俺たちが」


 そこで気づく。

 シュガールの頭部に、一本だけ角が残っている。それが明滅しながら、火花を散らしていた。


(馬鹿野郎)

 無理にでも撃つ気か。

 攻撃の向き先は――地上か。そこには要救助市民がいると、ザイロが言っていた気がする。あとついでにライノーたちも。

 それとも自分ごと巻き込むつもりでニーリィに撃つか。


 いずれにしても、考える時間はほとんどなかった。

 人間やライノーたち懲罰勇者どもなど、どうなろうが知ったことではない。

 知ったことではないが――

(最悪だな)

 ライノーがたったいま援護砲撃をしてこなければ、人間どもや地上のことなど、すっかり忘れていられたような気もする。


 こういうときのことは、決めていた。

 何度もニーリィと話し合ったことだ。これは取り返しのつく失敗だ。


「ニーリィ、頼む」

 ジェイスは拘束具を外した。飛槍――ではなく、肉厚の鉈剣を掴む。竜騎兵にとっては、まず使わない本当に非常用の武装にあたる。

 そうして、『シュガール』の頭部に飛びついた。


「後で話をしよう。そのとき、俺が何か忘れてることがあったら――」

 鉈剣を叩き込む。『シュガール』の、残った一本の角の根本だ。亀裂が入っていたため、そう難しいことではなかった。

 体重を乗せて、深く。

「思い出させてくれ」


 ほぼ同時に、『シュガール』の足が動いた。

 異常な関節の可動域だった。頭部にしがみつくジェイスの腰のあたりに、その先端が突き刺さる。脇腹を引き裂いてくる。

 激痛はあったが、ジェイスは鉈剣をさらに強く押し込む。

『シュガール』の最後の一本の角は、火花を散らしながら千切れた。ジェイス自身も、体の中の何かが破けたような感触を覚えた。


「――わかった、ジェイスくん」

 ニーリィのやわらかい声。

 何度も話し合ったことだ。これができるのは自分だけだ。こうやってニーリィを守れるのは、世界で自分しかいない。

(それでもニーリィは、そんな目をする。言葉に出さなくてもわかる)

 ジェイスの思考がそのように流れたのも、一瞬のことだった。


 彼女は、それ以上の『シュガール』の抵抗を絶った。『シュガール』の頭の付け根をかみ砕く。

「何度でも、同じ話をするからね。守ってくれてありがとう。――ごめん」

 炎がニーリィの顎からあふれ出す。それは『シュガール』の胴体を一瞬で吹き飛ばして、灰にできる力を持っていた。

 そしてニーリィの憤怒の咆哮が響き渡るのを、ジェイスは意識の遠い場所で聞いた。


 久しぶりの死――だが、賭けにはまた勝てた。ニーリィと、その世界を守るためには勝ち続けるしかない。

 これで何回目の勝利になるだろうか。あと何回勝てばいいのか?

 白い月が見える。

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