刑罰:白銀公道アスガーシャ攻防戦 3
思った以上に、雑然とした天幕だった。
第八聖騎士団長という肩書にはそぐわないような気がしたほどだ。
アディフ・ツイベル。
その男を最初見た時には、何事も万事周到に仕上げて見せるような、あるいはいっそ優雅な気配さえ漂っているように思えた。
だから、個人用の天幕を見て驚いた。用途不明のガラクタのような物体や、中途半端に開いた棚、丸まった衣服などが目についた。
もっとも、この天幕の妙な散らかりように関しては、《女神》ケルフローラに原因があるのかもしれない。
ベネティムが入って来たとき、ちょうど彼女は太い針金を組み合わせた、古典的なパズルを弄んでいた。というより、それと格闘していたように思う。
「お耳に入れたいことがあります」
と、ベネティムが対話を希望したとき、アディフは彼女に外で遊んでくるように言った。
命じた、というよりも、年の離れた親戚がそう頼んだ、という方が近いかもしれない。
ケルフローラは無言でうなずくと、半端に開いた棚から一つかみの干菓子を握って天幕から出て行った。
その整いすぎた見た目と、透き通った氷のような表情を除けば、本当にただの子供にしか見えない仕草だった。
「――では、あなたは、我々にこう言いたいのですね?」
最後まで要件を聞いたとき、アディフは組み立て式の椅子に腰かけたまま、直立したベネティムを上目遣いに一瞥した。
どこか嘲笑っているような瞳だと思う。
あるいはそれは生まれつきのものかもしれないが。
「ガルトゥイルから正式に着任した総督殿の作戦には誤りがあるので、あなたたち懲罰勇者の意見を聞き入れ、この間際になってから方針を変更せよ――と?」
アディフの声に、少し笑いが混じった。
「それを私に堂々と主張するとは、なかなかの胆力です」
まったくその通りだ、と、ベネティムは思う。
だが、他に方法はなかった。
この第二王都ゼイアレンテ奪還作戦において、全体の作戦に関与している者は三名。
ガルトゥイルからの北部第二方面総督、マルコラス・エスゲイン。
第八聖騎士団長、アディフ・ツイベル。
第九聖騎士団長、ホード・クリヴィオス。
このうちホード・クリヴィオスについては、いくらか自分たち懲罰勇者を認めている気配はある。
が、それはあくまで戦力としてであり、何より真面目すぎる。
あの男は上からの指示を絶対視し、そうすることが軍という組織の機能を守ることだと信じている。そういう種類の、ちゃんとした人間だ。
ベネティムが説得するには難度が高すぎる。
一方で、マルコラス本人とはそもそも面会することが叶わなかった。
――で、ある以上は、残った一人に声をかけてみるしかなかった。
アディフ・ツイベル。
ザイロいわく、話せばわからなくもなくもないかもしれないやつ、だそうだ。その曖昧な情報で自分を働かせるのはやめてほしかったが、ベネティム自身も必死だ――死なないために。
あのザイロが南門から攻めるべきというのなら、本当にそうなのだろう。
「……全軍を集中させて、南門から攻めるべきです。もちろん、包囲の別動隊を配置した上で」
ベネティムは先ほどの主張を繰り返した。
「牽制が有効な相手ではないと考えます。ただでさえ、地下道の突破に第九聖騎士団を当てているのです。こちらは魔王現象『アーヴァンク』の動きを封じ、討滅するという目的があるため、状況によっては有効と思われますが」
ベネティムはそこで息を吸った。
さきほどまでのアディフの声の調子と、微妙な表情の動きから、この男がどういう種類の物言いを好むのかを考えた。
それが真実である必要など何もない。
ベネティムにとっては、ただ相手に気に入られればそれでよかった。
「……正直に申しますと、先ほどツイベル聖騎士団長がおっしゃったとおりです。マルコラス・エスゲイン総督閣下の作戦方針は致命的な敗北を引き起こしかねません」
口調は弱気に聞こえるかもしれないが、その言葉は挑発的でさえある。
我ながら大胆なことを言っている、とベネティムは思う。
「よって、我々懲罰勇者部隊の忠言を検討していただきたいのです。つきましては、ツイベル聖騎士団長にお力添えをお願いしたく。いわば、我々はあなたを利用しようと考えております――そう」
ここまで言葉を並べても、アディフは表情をほとんど変えなかった。
「我々も、死にたくありませんので」
こういう自虐的な諧謔を、アディフはとりわけ好む人間だと思った。皮肉めいた物言いがそれを証明しているようなものだ。
たぶん、それに自覚的な男でもあるだろう。
「……正直なのはいいことです。時と場合にもよりますが」
アディフは先ほど自分で入れたばかりの茶を、一口すすった。
そういう仕草はやはりどことなく優雅で、名門貴族らしかった。
「実のところ、私も同意見ではあります。戦力を分散して陽動する利点を感じない――ですが、私も自分の立場を危うくしたくもない」
何かを確かめられている。
ベネティムはそんな感覚に襲われた。
「相手はエスゲイン家の総督です。これに反対した場合、後々の戦いと、政治的な問題で不利に立たされる可能性がある。色々と理由をつけて、我が第八聖騎士団への出資を減らす――といったこともね」
ありえるだろう、とベネティムもそこのところは同意だった。
単なる感情や面子の問題だけではない。アディフ・ツイベルほどの立場の人間が、自分に異議を唱えてくるのだから、エスゲイン家への敵対の意志を疑われる。
敵の力を弱めて、自分に得のある味方の力を強めようと思うのは、当然のことだ。
「私は聖騎士団の団長として、ケルフローラや兵士たちを庇護する責務もあります。それが第一といってもいい。エスゲイン家の嫌がらせに晒されることで、彼らを困窮させたくはありませんね」
そうして、アディフはまたベネティムを見上げた。
「それとも、ベネティム隊長。あなたにそれを凌ぐだけの利点や、あるいは敵対を避ける方策を提示できますか?」
「ええ。無論です」
ベネティムは即答した。
即答してから後悔する。仕方がない。言ってしまったのだから、やり遂げなくては。
「詐欺罪で勇者刑を受けているあなたが、どんな利点を提示してくれるのか、私には見当もつきませんが」
「……確かに私は詐欺の罪で投獄されました。ですが、詐欺というものは、最低限の資金がなければ難しいものです」
喋りながら、ベネティムは喉の渇きを感じた。
水が飲みたい。いまアディフが飲んでいるような茶でもいい。
「私には、その資金がありました。現在に至るまで確保し続けています」
「隠した資金の話ですか? いわば埋蔵金の類。急に興味がなくなってきましたね。荒唐無稽な話で煙に巻くのは、相手を選んだ方がいいでしょう」
「いえ。ヴァークル社の金庫の話です」
そうしてベネティムは、左腕の袖を大きくまくり上げて見せた。
その腕にははっきりと、四本の線のような刺青があった。アディフが片目を閉じ、注視してくるのがわかった。
「ヴァークル開拓公社は人材集めに熱心な組織です。見込みのある子どもを拾って養い、独り立ちする際に、借金という形で資金を提供する。それも旧王国の金貨で。その金額は、この線の本数で決まっています」
借りた金額を刺青で表す。
四本ともなれば、それはすぐにでも人を雇って大口の商売を展開できる金額であり、滅多にいるものではない。
「私は、いまだにその資金を保有しています。ヴァークル社がそれを管理している。私が投獄されたとき、私財は没収されましたが、公社の金庫の中までは手をつけられませんでした」
「法律上では、それも没収されるべきものであるはずですね」
「ヴァークル社がそれを許すはずがありません。そして私は、いまだにそれを引き出す権利を持っている」
「罪人でも、ですか?」
「罪人でも、です。ヴァークル社はそういう組織です。それに――」
ベネティムはできるだけさりげなく聞こえるように、その続きを口にする。
「それに私は養子ではなく、ヴァークル社の直系の息子だからです。……私の意見を聞き入れていただけるなら、ヴァークル社からの政治的かつ経済的な支援をお約束します」
数秒、沈黙が降りた。
アディフは片目を閉じていた。それが、この男が考え込むときの癖なのかもしれない。
そのまま一分ほどが過ぎたように思う。
「……家名が異なっていますね。あなたの名前は、ベネティム・レオプール」
「戸籍上は、そうなっていますね」
戸籍のことなど、どうにでもなる。一時期は三つほど別の戸籍を持っていたこともあった。
「この件はどうぞご自由にお調べください。事実しか出てこないでしょうから」
「なるほど」
アディフはわずかにうなずいた。
「その刺青のことは知っています。記憶にあるものと一致する。……しかし、それを調べている時間はありませんね」
「そうです。それを調べている間に、多くの部下が死にます。なぜならば、この作戦はうまくいかないからです」
ベネティムは、左腕の袖を戻した。
この烙印は、あまり人に見せたいものではない。
「あなたは部下の困窮を避け、庇護する義務があるとおっしゃった。それならば、まず彼らの命を守る戦い方をするべきです。未来の政治的な対立を恐れるよりも、明日にも殺される兵士のことをお考え下さい」
「……相手を動揺させておいて、最後には感情的な要素も絡め、相手自身が使った論理で決着をつけようとしてくる。……うん」
アディフは口の端をつりあげるような笑い方をした。
「悪くないですね。たとえそれが嘘だとしても、最後の部分は合致している。私が聖騎士団長としての論理を振りかざすならば、その結論には同調せざるを得ない――つまり、なかなか使えそうだ、ということもわかりました」
なんとなく、嫌な予感がした。
ベネティムは相手が楽しんでいることを直感する。
「ベネティム・レオプール。いえ、あなたの話が本当なら、ベネティム・ヴァークル。この作戦の修正案を強行することはできます。第三王子と、第三王女の口添えもいただけるでしょうから。あの二人はあなたたち懲罰勇者部隊をひどく買っている」
ベネティムは二人分の顔を思い浮かべる。
あの二人を助けようとしたのは、ドッタの気まぐれとしか思えない言動だったが、利益はあったようだった。
「だが同時に、エスゲイン家に意見することで、私は――いや、聖騎士団全体が、政治的に大きな敵を抱えることになります。この作戦が終わってからですがね。いわば政争が始まるということです」
「ええ」
何もわからないが、わかったふりをして、ベネティムはうなずいた。
「そうなるでしょうね」
「そこで、あなたを使わせてもらいましょう。正確には、あなたたち懲罰勇者部隊を」
アディフは立ち上がった。思ったよりも身長が高い。
そして、先ほどまでとは打って変わった、圧倒するような目つきで見据えてくる。
「その舌を、利用させていただきます。忘れないように。あなたはこの私からも借金をしたということです」
「そのようなことなら、喜んで」
ベネティムは頼りなく笑った。
そういう態度が、かえって不気味さを与えるときもあることを、ベネティムはなんとなく知っていた。
「私にも、目的がありますから。そのために、あなたを利用させていただく」
嘘だ。
目的など別に何もない――ただ、アディフのような男は、そういう態度をこそ喜ぶだろう。そういう確信があった。
見破られていたとしても、いや、見破られているとしたらなおさら、アディフはこの滑稽な自分という人間を楽しむだろう。
◆
アディフ・ツイベルの天幕から出ると、タツヤを連れたパトーシェが待っていた。
彼女はいつも通りに生真面目な、緊張したような目でベネティムを睨んだ。
「どうだ。首尾は?」
「おおむねうまくいきました。作戦は変更です。借りを一つ、背負わされることになりましたが」
「そうか」
パトーシェの頬が、かすかに緩んだ。どちらかといえば安堵に近い笑みだった。
「では、仕方がない。ザイロが私に助けを求めているというのなら、南門を抜いてやろう」
「……そうですね」
「かつての第十三聖騎士団の騎兵を、今回もそのまま指揮していいそうだ。門を破ったら速やかな突破を行う。邪魔はさせん」
「期待しています」
パトーシェにザイロからの通信を伝えたのは、良い方向に作用したようだ。
機嫌も良くなり、部隊の雰囲気も大幅に改善された。ジェイスは相変わらず不機嫌そうだったが、ベネティムが訪れたら文句を言うくらいの余裕も出てきた。
「では、出撃の準備をする。貴様も遅れるな。戦場の役立たずならともかく、足手まといは許されんぞ」
「わかっています」
できれば置いて行ってほしい、とベネティムは思った。
だが、ザイロの頼みは果たせた――これで生き残る確率は上がるだろうか?
(その代償は小さくなさそうだ)
ベネティムはタツヤの肩を叩いて、歩き出す。
「行きましょうか、タツヤ」
「う」
タツヤの小さい唸り声に対し、背後では、鬨の声をあげる兵士たちの声が響いている。
そういえば、『聖女』が姿を見せる時間だ。士気を高めるためだろう。
(……どんなことをさせられるのか)
ベネティムはそのことを思う。
アディフと交わした密約を知ったら、ザイロは自分をまた殴るだろうか。それは嫌だ。
だが――
(こんな嘘をついたことがばれたら、フィジウス兄さんは怒るかな)
ベネティムは、左腕を押さえている自分に気づく。
アディフに語ったことについて、一部伏せていたこともある。
まずはヴァークル社への借金のこと。自分は四本も線を刻まれるほど期待された人間ではなかった。三本はブラフのために勝手に増やした線だ。
そして自分はヴァークル家にとって直系の息子であるが――一族の恥として、秘密裡に追放された身にすぎない。
自分とまったく同じ出生と、十四歳までの来歴を持った別人が、いまだにヴァークル家の末席に名前だけ連ねている。勇者刑に処されたことなど外部に漏らせるはずもない。
(兄さんに怒られるのは嫌だな)
それとも、もう完全に無視するだろうか。
そちらの方がよほどいい、と、ベネティムは思った。
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