刑罰:白銀公道アスガーシャ攻防戦 4
明確な合図がなくとも、攻撃の開始はすぐにわかった。
南門の外から煙が立ち上り、大きな破裂音が響いてきたからだ。
それは夕暮れに始まった。
すでに俺たちは屋根の上にのぼって、アスガーシャ公道を見下ろす形でそのときを待っていた。
この公道をまっすぐ進めば、南の大門に突き当たる。
すでに
雲のない、よく晴れた夜になりそうだ。
白色の月を見上げる――航空部隊もじきに上がって来るだろう。俺はライノーを振り返る。
「やるぞ。内側から門を襲撃する」
「第一目標は、我が勇者部隊の同志たちとの合流だね」
「そうだ」
ライノーは槍を片手に抱え、臨戦態勢といったところだ。
それから、フレンシィ。
こちらも曲刀をすでに抜いていた。南方夜鬼らしい、大きな反りを持つ曲刀。感情の読めない真顔で、北の方を一瞥する。
「……ドッタは、うまくやるかしら」
「それは心配するだけ無駄だ」
俺はまったく不安視していない。
相手は、ドッタという存在に無警戒な連中だ。であればドッタの侵入を止めることなどできない。やつは第十三聖騎士団の警備を嘲笑うようにして、《女神》を盗んでみせたアホだ。
「信用しているのね。私はどちらかというと逃げないかどうかを気にしているのだけど」
「それは俺も多少は気になる」
「……まあ、トリシールがいるのだから、大丈夫でしょう」
「ああ。あの『副官』の」
突っ込んで聞いてみれば、あいつは軍に雇われている傭兵らしい。
それを証明する聖印符を持っていた。見たところ、いずれかの聖騎士団の所属らしいが、ドッタに監督役をつけるというのはなかなかの発想だ。それであいつの迷惑な窃盗癖を抑止できればいいのだが。
しかし――
「フレンシィ、お前なんかやたらとあのトリシールと仲良くなったな。なんで?」
「欠点の多い人間を指導監督するということについて、深く話し合ったからです」
「……そうか」
それ以上尋ねるのはなんとなく不毛そうだという気がした。これは俺やドッタに対する苦情や指摘事項が延々と続くのではないか。
俺は諦めて他の連中を見た。
いわゆる「抵抗組織」の残党どもだ。総勢八名。頼りない人数すぎて泣ける。おおむねいずれの顔にも、緊張と恐怖と、あと少しの興奮がある。
出発前に酒を飲んだやつと、眠っているような顔つきのオルド爺さんは別だ。もしかしたら本当に寝ているのかもしれない。
「準備はいいな、野郎ども」
「一応大丈夫です、先生」
と、マドリツは言った。こいつまで俺のことを先生と呼び始めた――正直やめてほしい。
だからというわけではないが、俺は渋面を作って叱咤することにした。
「一応じゃねえんだよ。完全に大丈夫になれ」
「あっ、じゃ、じゃあ、完全に大丈夫です……!」
「全員、完全に大丈夫だな?」
「はい!」
――というような意味合いを持つ、ばらばらの返事があった。
もうこれは仕方がない。やつらは兵隊じゃない。その真似事だけでもできればそれでよかった。
俺が密かに苦笑いしたとき、北の方で大きな火の手があがるのが見えた。
聖印による爆破ではない。
拵えておいた聖印は、単に発火のためにだけ使うことにした。それが油に火をつけて、いま、この街にある軍事的な物資の集積所を焼いている。
いい攪乱になるだろう。
そのために駆け回っているのは、ドッタとトリシールだ。
時限式で発火するよりも確実なのは、ドッタを走らせて火をつけまくることだった。効率的とは言えないが、それだけに意味も出てくる。
三つくらい拠点を焼くころには、狙いが物資の集積地点だとわかってくるだろう。
それに備えて守兵を割く必要も出てくる。そうでなければとにかく火をつけて、第二王都から長期戦闘能力を奪ってしまえばいい。
「いくぞ」
俺は周囲に聞こえるぐらいの、低い声をあげた。
俺たちの眼下を、ちょうど
ボギーと、それを使役するのはドゥーニーと呼ばれる人型
全身を鱗が覆っている種類のやつだ。鉱物が体表を侵食しているノッカーよりも俊敏だが、防御力には劣る。
「撃て」
という、俺の指示には、さすがに「抵抗組織」のやつらも速やかに従った。
それぞれがだいたい一斉に矢を放つ。
雷杖の扱いにも不慣れで、接近戦も心もとない連中に戦わせるなら、これが妥当なところだろう。
そうして一発か二発は、ドゥーニーに命中した。
俺とライノーとフレンシィは、その射撃と同時に跳んでいた。
こちらの成果は完璧だった。ライノーの槍はボギーの一匹を串刺しにしたし、フレンシィの曲刀はドゥーニーの首を切断した。
俺も当然、しくじったりはしない。鉈に似た短剣を一閃させて、もう一匹のドゥーニーの胸を切り裂いている。
振り返りざまに、ボギーを蹴とばして飛翔印を起動。
頭が砕けるほどの勢いで吹き飛ばす。
(あと何匹だ)
俺が次の敵を探して振り返ったとき、意外なものが見えた。オルド爺さんだ。
あの爺さんはいつの間にか剣を手に入れていたらしい――俺たちに続いて飛び降りて、ドゥーニーの腕と、続けて首を切り飛ばしていた。
なかなか鮮やかな手際じゃないか。
「おい、誰だよ、オルド爺さんに剣持たせたのは! 飛び降りて行っちまったぞ!」
屋根の上で騒いだようだが、当のオルド爺さんは素知らぬ顔で剣を旋回させ、今度はボギーをたたき切る。
「やるね、あのご老人」
と、ライノーまでその手際を賞賛しやがった。
まあ――もう仕方がない。こうなったからには、せいぜい働いてもらおう。指示を聞かない手下というのは嫌になるが、いつもこんな感じという気もしないでもない。
「南門だ。内側から襲え」
俺は屋根の上の連中に指示を出して、走り出す。
この通りの屋根の上を移動できるように、板や組み立て式の梯子は用意してあった。設置しておいた箇所もある。
ケビルの嫁に手を出したという鍛冶屋の男は、こういう作業は意外に器用だった。鍛冶屋よりも大工になった方がいいのでは、という気もする。
ともあれ、俺たちは屋根の上からの援護によって、速やかに南門へ接近できた――背後から強襲することにも成功した。
だが、さすがに抵抗は強い。
大型の
これも、わかっていたことだ。
「いいぞ、ここから増援を遮断する」
俺は屋根の上の連中に指示を出した。
アスガーシャ公道沿いの商店を一つ、防衛拠点のように改装してある。矢やナイフなどの武器を蓄えてあった。遮蔽物も屋根の上に備えている。
ここを拠点に、南門を背後から脅かす。
十分な牽制になるし、増援をここで排除することもできる。
叩き潰すには、大型の
「トロールね。建物ごと破壊するつもりみたい」
フレンシィが呟いて、曲刀を低く構えた。
大型で二足歩行の
その腕は、石の塊――としか言いようのない、雑にもほどがある武器を握っている。足元には興奮したボギーが数匹、一緒に突っ込んでくる。
「ライノー、オルド爺さんと一緒に足元の雑魚をやれ」
「喜んで。きみの信頼が嬉しいよ」
こうなると、ライノーが持っている普段の気味の悪さは、若干ながら頼もしさに転化する。
ライノーがボギーを突き殺し、オルド爺さんが剣を振るう間に、俺は地を蹴って跳んだ。
トロールの頭上だ。
貴重なナイフをもう一本使う――そうするべきときだった。
爆破の瞬間、トロールは腕で顔を庇った。防がれるが、閃光と衝撃で体勢が崩れる。
その踵の腱のあたりを、フレンシィの曲刀が深々と切り裂いた。刃が白く、強く、火花を散らしていたのがわかった。
たぶん、鋭い痺れがトロールを襲っただろう。
そのまま倒れこむ。とどめは、着地した俺による短剣の一撃だった。喉元まで深く。
「よし、いいぞ。このまま――」
俺は「抵抗組織」のやつらに怒鳴ろうと、俺たちが立てこもり拠点として定めた商店を振り返った。
そして見た。
屋根の上に、一人の女がいた。
いまだ夕焼けが残る空を背景に、人形のような顔をした、黒い髪の女だ。
完璧な無表情。
フレンシィのそれとは根本的に違う。
もともとそういうものを持っていないかのような顔つきだった。
「ここを押さえておくというのは……」
その女は、冷たく抑揚のない声で呟いた。それがはっきりと聞こえた。
「あの人間の助言だったというけれど。的確だったようね」
寒い、と俺は感じた。
単なる冬の寒さだけではないと、すぐに気づく。大気が冷えて、その寒さがしみ込んでくる。
やつが立っている商店の屋根の上に、白い霜が広がるのが見えた。屋根の上にいた「抵抗組織」の冒険者の一人が悲鳴をあげ、喉をおさえてうずくまった。
(――魔王現象! その本体か?)
俺は舌打ちをした。
ここまではっきりと言葉を喋り、そして異常な温度の低下を引き起こす。ただの
こいつをここに配置していたというのは、やはり、面倒なやつが敵に回っているということか――
「全員、そこを離れろ!」
俺は怒鳴ったが、間に合うだろうか。
どんどん寒気は強くなる。いや、それよりも、こいつを始末しなければならない。ろくな援護も期待できない、相手の正体もわからないこの状況で。
絶望的ではないか?
「ザイロ」
フレンシィが、わずかに俺の方に寄って来た。
白い息で囁く。
「無様な顔をしているわ」
「してねえよ。いつも通りだ」
「よかったわ。その調子。だから決めておきましょう、万が一のときは、あなたが――」
「なに?」
フレンシィの言葉の途中で、魔王現象の女が声を発した。
何かの違和感を覚えたような声。
そこではじめて、人形のような顔に変化が生じた。眉がわずかに動いただけだったが、それまで完全な無表情だっただけに、余計にはっきりとわかった。
「お前は」
魔王現象の女は、俺の背後を見ていた。
ライノーか?
「……なんだ? その体、妙だな。何者だ?」
「人類の味方さ」
ライノーが槍を大きく振りかぶった。
ど、どっ、という踊るような小さな跳躍。
本当に嬉しそうに微笑していたのが最高に気持ち悪かった――そして、槍は冷え切った夜を貫き、飛ぶ。
◆
城攻めが開始されたのは、ちょうど夕暮れが始まる頃合いからだった。
城外に進出してきた
大きな丸太をぶつけるような道具に、聖印を刻んだ巨大な石の塊をぶつける道具。いずれも、ベネティムが見たこともないものだった。
そうした器具を組み立てるのは人間だが、それをどこかから湧きだしてきた人型の『影』が援護する。
こうした『影』は第八の《女神》が呼び出しているものらしい。
彼らは盾を持って走り回り、時として自らの体を呈して、城壁からの攻撃を防いでいる。
なるほど、これは強力な部隊だ――と、ベネティムにすらそれがわかった。
第八聖騎士団は、そうした『影』と連携して戦う術に長けているらしい。中には人間の大人よりも大きな『影』もいて、力仕事を補助してもいる。
「これじゃあオレらの仕事ないっスね」
ツァーヴなどは、あくび混じりに言っていた。
「ちょっと寝てていいっスか? こうやることないと眠くなるんスよね。内側はザイロ兄貴がやってるから楽勝で、空もジェイスさんがさっき出撃したからすぐ片がつくでしょ。で、門が開いたらパトーシェさんが突撃して完璧! 今日は休暇みたいなもんっスよ」
「何をふざけたことを」
これには、ノルガユが当然のように憤慨した。
ツァーヴの首根っこを掴んで、背筋を伸ばして立たせる。
「城攻めが遅すぎる。余の聖印を使って城門を爆破粉砕せよ! そちらの方がはるかに速い。第二王都にて怯える臣民は、余の帰還を待ちわびているはずだ! 一刻も早く余の顔を見たいであろう……」
「い、いや、それはどうっスかね……」
「違うとでも言いたいのか!」
「えっ、いや、あの……別にそうじゃなくてっスね、オレはただ……」
ツァーヴは助けを求めるようにベネティムを見た。
ここにはザイロもジェイスもいないし、パトーシェはテオリッタとともに自分の隊を率いて、城門が開くのを待ち構えているはずだ。
タツヤにはなんの援護も期待できない。
よって、ベネティムは助け舟を出してやろうか、という気分になった。口を開こうとしたところで、やめた。
角笛と、叫び声が聞こえたからだ。
「――『聖女』様だ!」
誰かが言っていた。
ユリサ・キダフレニー。
まさしくその通り、彼女が一歩、兵士たちの戦列から進み出ていた。
当然、その周囲は盾を持った『影』の従者によって守られていたが、その歩き方も立ち方もいかにも『聖女』らしかった。
毅然としていて、まっすぐ城壁の上を見ている。
そうして彼女は、虚空にその右手を伸ばした。
閃光。
そして、何かが弾けるような乾いた音。赤い髪から、盛大に火花が散った。
次の瞬間、もとからそこにあったように、階段が出現していた。
幅が広く、大きな階段だ。
まっすぐと伸び、正面の城壁の上に達するほどの。城壁の上の守兵たちに動揺が走るのがわかった。
「――さあ、兵士たちよ!」
聖印によるものだろう、拡大された聖女の声が響き渡る。
凛然とした、高らかな声。
「我が奇跡により、勝利への道は示された。ともに進撃し、第二王都の人々を救うときだ!」
歓声とも雄叫びともつかない声が、全軍にこだまする。
ベネティムは初めて聖女の声を聞いたと思った。だが、違和感がある。思い切り張り上げた声の裏側に、かすかな恐怖――あるいは、これは――
「うわ。すっげえ」
傍らでツァーヴが唸っていた。
「これが聖女様の力かあ! 見ましたか、ベネティムさん、ノルガユ陛下! マジですごくないっスか? これがあれば余裕で突入っスよ!」
「うむ。余の帰還のために道を作るとは、見事である」
「え、ええ……」
ベネティムは引きつったうめき声しか返せなかった。
なぜなら、余裕で突入できる状況になったということは。
『懲罰勇者9004隊。いますぐ聖女様の元へ集合してください』
首の聖印を通して、声が聞こえた。アディフ・ツイベル第八聖騎士団長の声だ。
『突入します。我々の先導と、聖女様の護衛を命じます』
やっぱり、こうだ。
ベネティムはツァーヴと顔を見合わせた。ツァーヴはへらへらと軽薄に笑い、ノルガユは背負っていた大きな雷杖を抱え上げ、地面を突いた。
「ゆくぞ! いま凱旋のときである、者ども! 我が臣民を解放する! タツヤ将軍、余の前を塞ぐ敵をことごとく打ち滅ぼせ!」
ただ一人、タツヤが暴風のような雄叫びをあげた。
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