刑罰:ゼイアレンテ潜行偵察 4
巻き上がるように放たれた炎は、周囲の建物にも延焼しているようだ。
消火活動が急がれている。
が、そもそも魔王現象に消火活動の備えなどあったのだろうか。
どうでもいいと考えていたのかもしれない――それもお粗末なものだが、これは人間が対処しなければならない問題だった。ひどい騒ぎになっていた。
そのおかげで、俺たちも少しは動きやすかった。
正門前の広場を塞がれる前に、密かに逃げ出した。危険な賭けには違いないが、取り調べを受けるよりマシだ。
俺とライノーは、首や体に刻んだ聖印を見られると非常に困る。
俺もフレンシィもそれぞれ、商品の奥底に隠していた、ささやかな携行武器を手にした。ライノーだけは、「預かる」という名目で奪われていた槍を取り返していた。
俺の場合は手の平ぐらいの大きさのナイフを三本。それから短剣。これはいかにも心もとない。
あとは見つからないように走るだけだ――が、そううまく行くはずがないこともわかっていた。無理がある。
「人の数が減っているようね。食料に使われたのでしょう。それに……」
と、フレンシィはいつものように淡々と言った。ついでに頭上を指さす。
「ザイロ、見える? 多くの建物が改装されているわ」
言われるまでもなく、見えている。
背の高い建物は物見櫓のように、いびつな増築を施されている。あるいは、大型の店舗だったものは倉庫に。
つまり、かなり原始的ではあるが、それらは軍事施設と見ていい。
「フレンシィ、第二王都に来たことはあるか?」
「お父様に同行する形で、何度か。でも数えるほどね。あなたの方が詳しいでしょう?」
「そうだな……とはいえ俺も、隅々まで知ってるわけじゃない。地図がほしいな」
大型の建物は、おおむね軍事用に改装された可能性が高い。
特に、一定規模以上の商店だ。それらの店の傾向から、どのような施設になっているか当たりもつく。軍事拠点の座標。これは間違いなく重要な情報になるだろう。
――そう考えていた矢先に、面倒そうなやつと出くわした。
まず気づいたのはライノーだった。路地の隙間を縫って駆け抜けようとした俺の腕を、あいつが掴んできた。
「待ってくれ、同志ザイロ。あれを」
路地の奥だ。
一人の人間が叫びながら走ってくる。いや、逃げてくる。それがすぐにわかった。
それを追っているのは――あれは
犯罪者を追いかける警備兵。
どう見てもそんな構図だった。
ただしその警備兵が、
「助けて……!」
と、逃げている方が叫んだ。かなり汚れた身なりの男だ。あちこちで転んだらしく、擦り傷だらけ。
助けて、というのは俺たちに言っているのか?
「ザイロ。私たちは急いでいるの。任務があるわ」
フレンシィが釘を刺してきた。俺もそう思う。
迷惑な連中とは、まだ距離がある。このまま走って引き離すのがいい。だが、ライノーは何かを確かめるように俺の顔を見た。
「うん、彼女の意見はわかった。では、きみは? 僕は別行動になるかな?」
平然と言いやがった。
これにはフレンシィも大いに呆れかえった。
「本気で言っているのですか? ザイロ、この方は何を考えて生きているの? 危機管理能力がミミズほどにも存在しないの?」
聞かれても俺は困る。
ライノーはそういうやつだ。前からそこだけはわかっていた。戦場でいきなり作戦を無視して、放棄が決まった開拓民の集落を助けに行くようなやつだ。
百害あって一利ぐらいしかない行為をする。
こんなやつは本当の軍なら殺されても仕方がない。俺もそう思う。勝手に厄介ごとに首を突っ込んで死ね、徴兵された兵隊を巻き込むな、と言いたい。
(クソ野郎)
俺は心の中で悪態をついた。やっぱりこいつを連れてきたのは失敗だった。ツァーヴの方がマシだった。
それにあの逃げてくるやつ。
よりにもよって、俺たちの方に逃げて来るんじゃねえよ。
「フレンシィ。俺は、なんであいつが追われているか気になる」
「あなたもそれを本気で言っているの? 作戦の目的を考えなさい」
「わかってる。作戦の目的は……」
一拍置いて、俺は鼻で笑った。
「この街と住民の奪還だ。それは、あの見ず知らずのクソ野郎を含む。俺たち懲罰勇者は命令違反をすると死ぬ仕組みになってるんだ――残念ながら。お前は先に行ってろ、フレンシィ」
俺は短剣を引き抜いた。
剣術は久しぶりだ。そのまま逃げてくる男とすれ違う形で、
「ありがとう……同志ザイロ、だからきみを尊敬しているんだ」
ライノーが続いてくるのがわかった。お前の尊敬なんているか。畜生。
ボギーの角を回避すると同時に、剣を首筋へ叩き込む。
俺の短剣は、鉈のように幅広の刀身を持つ片刃のものだ。重量があり、人間の腕くらいなら切断してしまう。
ボギーの喉は、それよりも柔らかかった。
あとは、もう一匹。
今度は警戒している分、俺の死角に回り込もうとするような動きを見せた。
俺は飛翔印サカラを起動すると、最小限の跳躍でボギーの頭上をとった。死角はなくなる。そこから壁を蹴ることで迎撃を回避し、一撃。
これでどうにか片が付いた。
他の二匹は、ライノーが始末をしていた。
やつは短い槍を手にしていた。その穂先には、木の葉型の湾曲した刃。膨らんだ先端が旋回し、刺突だけではなく、高い切断能力を示す。
そいつで、ボギーの胴体を突き穿つ瞬間を見た。
二度、三度ほど念入りに突いて心臓を破壊している。なかなか鮮やかで、かつ凄惨な手口じゃないか。
残るは一人、人間の兵士――俺がすぐさまそちらへ向き直ろうとしたら、もう終わっていた。
「なんでこんなことを……」
不満そうに呟いた、フレンシィだった。
「呆れます」
南方夜鬼が得意とする曲刀。触れるだけで雷を発して、相手を無力化する。このときそれを使ったかどうかは、定かではない。
「ザイロ。ライノー。あなた方の愚かさを表現する言葉が見当たらないわ。何を考えているの? 特にザイロ! あなたはマスティボルト家の婿であり、懲罰勇者部隊の実質的な指揮官でしょう! いまの判断はなんなの? どういうことか説明しなさい!」
「助かった。味方を呼ばれたら少し手間だったからな」
説明を聞いてもらえそうな気がしなかったので、俺は構わずフレンシィを労った。
「ライノーは後で殴る。避けるなよ」
「ええ?」
ライノーはいつもの胡散臭い笑顔を引っ込めた。
何かを考え込むような表情。これもだいぶ芝居がかっているが、考え込んだのは本当だと思う。
「……やっぱり理解が難しいな……なぜいまの流れで同志ザイロは怒るのだろう? 共に力を合わせて、
不思議そうに言うが、まさにそのことが気に入らないのだ。
こんなことをするつもりではなかった。どう考えても間違いだった。ただ、ライノーに言っても無意味そうな気がしていた。
「ザイロ、まだ私の話は終わっていないわ。人の話を聞きなさい」
フレンシィはまだ俺に異論があるようで、肋骨の隙間あたりを指で突いてくる。昔から思っていたが、これがやけに痛く感じる。
「あなたたち、いつもこんなことばかりやっているの? 冒険者ギルドの時がとりわけ無茶な計画だったわけではなくて? 一刻も早くあなたを釈放する運動が必要ね」
「それは……お前の父上殿に迷惑だから、そういうことはやめろよ」
「迷惑ですって? いまさらどんな顔でそんなことを。あなたの周辺にいるだけで、大抵の人間は迷惑するの。思慮深さと少しは人間らしい判断力を身につけなさい。その辺の昆虫でももう少し危機管理をしているわ!」
この発言には、俺が反撃する番だった。そもそもフレンシィには言いたいことが山ほどある。
「いや――待て。危機管理ならお前の方がしっかりしろ。まず俺たちより前に出るな。怪我でもしたらどうする」
「う?」
「次から下がってろ。お前の体は俺たちより百倍以上は大事なんだ。何かあったら、俺はお前を守らなきゃならない」
「……う、ぐっ」
フレンシィは呻くような声をあげ、顔を覆った。そして黙った。
ようやく気付いたか。
万が一のことがあれば、フレンシィと、そして父上殿に申し訳が立たない。俺たちは懲罰勇者だ。いくらでも負傷していいし、最悪、死んでも取り返しがつく。
フレンシィは違う。そういうことだ。
一方で、ライノーは逃げていた男の方を助け起こしている。
「――やあ。大丈夫かい、旦那? 負傷はないか? 何か痛むところは?」
笑顔で立たせる。
その口調が微妙におかしいことに、俺は気づいた――そうか。こいつまだ演技が必要だと思っているのだ。用心棒の設定で喋っている。
「旦那も僕らに遭遇してよかったな。あ、僕たちは旅の商人でね。さっきこの都に着いたんだがどうも不慣れで――」
「ライノー。もうその演技いらねえから。時と場合を考えろ」
「え、そうなのかい?」
俺はライノーの肩を叩いて止めた。
そうでなければ話が進まない。俺はこの、えらく怯えた様子の男の素性に対して、ちょっとした思いつきがあった。
というか、いまの状況で衛兵と
「抵抗組織って言ってたよな? あの爆破を見た兵士が、確かにそう言ってた」
俺はその男の顔を覗き込む。
なんとなく鹿に似ている顔だ、と俺は思う。その汚れた見た目から、差し詰め泥の中でのたうち回った鹿、というところか。
「お前らが、それか?」
「……あんたたちは?」
鹿みたいな男の顔に、警戒の色が浮かんだ。
だが、拒絶というほどではない。疑っている――訝しんでいる。たったいま
実際、俺はそいつを期待していた。
確かな利益があると判断したから助けたのだ。ライノーのようなアホじゃないので、フレンシィから文句を言われる筋合いはない。本当だ。
「助けに来た。俺たちは連合王国、第九聖騎士団所属」
俺はホードの不景気な顔を思い浮かべながら、わかりやすい嘘をついた。
それから男の襟首をそっと掴む。落ち着けるため背中に触れたようにも見えたかもしれない。だが、逃がさないためだ。
「あんたがその抵抗組織ってやつの関係者なら、話がある。拠点に案内してほしい」
俺の言葉に、しかし、そいつは顔を背けた。泣きそうな顔だった。
「……抵抗組織は、もう終わりです」
「なんだって?」
「おれが、その組織の代表だった。あの爆破は、ねぐらにしていた倉庫を焼くための炎だったんだ」
気が遠くなるような話を、聞いている気がする。
「万が一のときの集合場所も決めてあるけど、もう、何人が生き残っているか……も、もう、どん底ですよ……」
男の声が涙声になっていた。
せっかく助けたのに、こんなことになるとは。俺は思わず舌打ちをしたが、ライノーはさわやかにうなずいた。
「不幸中の幸いだね。少なくとも抵抗組織の一人を助けられた。それにいまはどん底ってことなら、ここから形勢を逆転させていくだけだよ――がんばろう、同志ザイロ!」
「ザイロ。この男なのだけど」
フレンシィはもはや真顔で俺を見た。
「もしかして、かなり問題のある人選だった?」
「よく気付いたな。あと一日早くそれに思い至ってほしかったぜ」
◆
修理場から、トゥジン山までは多少の距離がある。
タツヤとともに解放されたとき、ドッタ・ルズラスはうんざりした。
せめてあと数日、療養という名の休暇をもらえないものか。
できるだけ遠回りをして、ゆっくり部隊に復帰したい。キンジャ・シヴァの大河沿いに、いくつかの村や町を見ていくのもいいだろう――
そういう雑念を断ち切ったのが、迎えの者を称する女だった。
くすんだ赤色の髪。包帯に包まれた右腕。そして、異様に鋭い目つきをした女。
「行くぞ。ドッタ・ルズラス。《首吊り狐》」
と、その女は言った。トリシールという名の、傭兵あがりの軍人らしかった。
それにしても不機嫌そうな顔だ――ドッタは一目見ただけで怯えた。見覚えはない。さては、蘇生のたびに起こるという記憶の欠落だろうか。
「懲罰勇者部隊に復帰するのだろう。馬に乗れ。タツヤとやら、そちらの男も命じれば乗れるとは聞いている」
「はあ」
ドッタは困惑し、トリシールの顔を眺めた。
「あの、失礼かもしれないんだけど……」
意を決して、尋ねることにする。
「きみ、誰?」
「トリシールだ。さきほども名乗っただろうが。《火眼》のトリシールだ」
「ああ……えっと……ごめん、覚えてない」
「だろうな。屈辱だが、どうでもいい。私の目的は、貴様を一刻も早く戦線に戻すことだ」
「な、なんで!?」
ドッタは思わず裏返ったような声をあげた。
「おかしくない!? きみ、どこの悪い組織に雇われてるのさ!」
「私の個人的な事情だ。いいか、ドッタ。私はお前を教育する。私をあのような目に遭わせた男が、つまらない三流のコソ泥だと思いたくないからな!」
トリシールは、殺意すらこもった目でドッタを睨んでいた。
「まずは戦線に戻ることだ。逃げようとしたら容赦なく懲らしめる! 私にはその能力がある! この聖痕がある限り――」
と、彼女は襟をくつろげた。鎖骨のあたりに刻まれた、黒い痣のような文様を示してみせる。
「絶対にお前を逃がさん。一人前どころか、最強の勇士として、人類の歴史に刻ませてみせる!」
「えええ……」
混乱のあまり、ドッタは傍らのタツヤを見た。
タツヤはどうやら寝ていたらしく、半分閉じかけていたまぶたを開き、喉を鳴らした。
げっげっ、という、それはカエルの鳴き声とも、笑い声ともつかぬ呻きだった。
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