刑罰:ゼイアレンテ潜行偵察 3
手押し車を用意して、保存の効く食料を乗せた。
干し肉と、オイル漬けの魚、ドライフルーツ――それから、塩だ。
数年前から製塩は国家事業とされており、第二王都では入手の難しい商品のはずだった。もちろん闇で出回っている分も少なくないが、第二王都への輸送の手間を考えれば、なかなか貴重なものだろう。
これを使って潜り込む。
あとは『バーツマス商店』という旗を看板代わりに掲げれば、見た目だけはちゃんとした行商人ができあがることになる。
こいつを引いて運ぶのは俺の役目で、ライノーは大きな槍を担いでついてくることになった。
フレンシィは一人、馬に乗って俺を叱咤する仕事。
優雅なものだが、今回の任務の出資者なのだから仕方がない。
この話を聞いたとき、パトーシェ・キヴィアはひどく憤慨した。
「……それは、どういうことだ」
語気を荒げてはいないし、目に見えて表情を変えたわけではないが、瞳孔が広がった気がした。
「商人として潜入だと? そういうことなら、私が適任のはずだろう」
「……なんで?」
「演技力だ!」
ぼん、と、パトーシェは強く胸を叩いた。
その自信がどこから来るのか知りたかったが、彼女は一片の疑いも抱いていないらしい。激しい口調で言いつのる。
「冒険者ギルドの件を忘れたのか。私の演技で、あと一歩でうまくいきそうなところだったではないか!」
「落ち着け。お前は物事をもう少し客観的に見た方がいい。逆に言えば、それはほとんど失敗していたってことだ……」
「そんなことはない!」
パトーシェはいまにも俺の胸倉に掴みかかってきそうだった。
「貴様、あれほどフレンシィのことを元・婚約者だと言っておいて、なんだその態度は。夫婦という設定でうきうきしながら出発か?」
「うきうきは微塵もしてない」
本当だ。
こんな状況でうきうきできるやつがいたら、かなり神経が参っているはずなのでゆっくり療養とかをした方がいいと思う。
ただ、パトーシェは聞く耳を持たなかった。
「とにかく、その任務は配役を変更しろ。私が同行する。そのままでは失敗が目に見えているからな」
「――ザイロ。何をしているの」
そのとき、俺とパトーシェが騒いでいるところに颯爽と現れたやつがいる。
フレンシィだ。すでに馬上にあり、商人らしい身なりに着替えていた。
「そんな女と遊んでいる場合ではないでしょう。いますぐ出発するわ。任務を失敗させたいの?」
「待て。フレンシィ・マスティボルト。私から異議がある」
パトーシェは鋭く言って、俺を押しのけて進み出た。
「この一件だが、配役を変更してもらいたい。作戦の成功のためだ。ここは戦闘力と演技力に優れたこの私が――」
「残念ね。これらの商品を並べる資金を提供したのは、この私。フレンシィ・マスティボルトです。それにあなたの戦闘力と演技力には、私が後れを取るはずがないと断言しましょう」
フレンシィは勝利を告げるように名乗りをあげた。
「これからすぐに仕事に取り掛からなければいけないの。――それでは」
鉄色の髪をかきあげ、フレンシィはえらく恭しく頭を下げた。
「失礼します。パトーシェ・キヴィア嬢」
最後に、パトーシェが歯ぎしりする音が聞こえた気がした。こいつの負けず嫌いも相当なものだ。
◆
街道を西へ。
かなり大きな回り道をして、第二王都へ向かう。
第二王都の門が開くのは真夜中だけで、入口には小規模だが行列ができていた。
人型の
それを指揮しているのは、ほんの数名の人間のようだった。
これはかなり意表をつかれるやり方だった。
大雑把すぎた。
およそ軍人で兵站のことを考えないやつはいないと思うが、俺はてっきり輸送部隊を組んで動かしているとばかり思っていた。このやり方は危険すぎる。
思えば
やつらが初めて経験する、物資輸送という活動なのかもしれなかった。
「これなら、取引する商人や農家、貴族たちを徹底的に狙うべきかもしれないね」
と、ライノーなんかは言った。
「それで第二王都の
やつは勝手に喋りながら、自分でその結論に達していた。
「ままならないね」
本当に困ったように言うのだから性質が悪い。こいつの発言がことごとく胡散臭く聞こえる理由はなぜだろう、と俺はしばしば考える。
だが、フレンシィとライノーの存在は、城門を抜ける際に拍子抜けといっていいほどの効果を発揮した。
それは確かだ。
「我々はバーツマス商店と申します」
城門での検閲に際して、フレンシィは深々と頭を下げた。
いつもの貴族らしい優雅さとは違う、ただ愚直な態度。そういう演技ができるやつだ。しかも愛想がいい――微笑みを浮かべてさえいる。
「東方産の保存食を扱っておりますよ。旧王国の貨幣で買い取っていただけるなら、ぜひ取引させてくださいな」
「保存食は歓迎している。人間を養うには、人間の食料が必要だからな」
検閲の兵士はそう言った。
自分も人間のくせに、ずいぶん他人事のような言い方をする、と思った。あるいは、そう考えなければやっていられないのかもしれない。
「……我慢しよう、同志ザイロ」
ライノーは俺の傍らでささやいた。
「この兵士を怒りに任せて殺しても、全体で見た状況は悪化するだけだからね」
「わかってる……というかお前、俺をなんだと思ってるんだ?」
俺だって始終意味もなく怒っているわけではない。
「それは失礼。僕からすると、きみが怒るときは予想がつかないんだよ。同志ドッタや同志ツァーヴに聞いても同じ答えが返ってきたので、把握は諦めつつある」
「マジで失礼だよお前らは」
ライノーと俺が呟いている間に、兵士とフレンシィの会話は進んでいる。
「その見た目、お前は夜鬼だな? 連れている二人は何者だ」
「あちらの槍を持った男は、用心棒。《心臓喰い》ノールと名乗っています」
物騒な二つ名を考えたものだ。ライノーは『用心棒』らしく、槍にもたれかかるような、ある意味で雑な態度をしていた。
「それから、こちらが私の亭主。ロイド・バーツマスです。愛想が悪いのが唯一の欠点で――ほら、あなた、ご挨拶」
「……どうも」
愛想が悪いと言われたからには、それに乗っかるしかない。
フレンシィに背中を叩かれ、俺はさっさと頭を下げた。
「すみませんねえ。ウチの人は、いつもこの調子で。おかげで商売がしにくくって」
「だろうな」
フレンシィが愛想よく言うと、検閲の兵士は嘲笑った。その顔を覚えておこう、と俺は思った。
「奥方のおかげで助かっているな、亭主。感謝しろよ。うちも妻が機転を利かせてくれなかったら、こんないい役目にはありつけていない」
いい役目。
この門番のことか。少なくとも
ライノーはまた、「堪えろ」とでも言うように、俺の肩を叩いた。
余計なお世話だ。
それから後は、フレンシィと二つか三つのやり取り。そして手押し車を無遠慮に調べる手つき――密かに忍ばせていた塩の塊にも気づいたはずだ。それが効果を発揮したのだろう。
フレンシィが一つ、塩の小袋を賄賂代わりに受け渡せば、俺たちはあっさりと門の通過を許された。
あとはライノーが武器の点検を受けて、一時的に没収されただけだ。
まったくこれは拍子抜けだった。
「フレンシィ。……一つ不思議なことがあるんだが」
「なにか?」
俺たちは城門から入ってすぐの広場で、商品を下ろし始めた。これから食料管理担当がやってきて、何をいくらで買い取るか決めるらしい。
「お前、普段からあの愛想の良さを発揮できないのか?」
「……なんですって?」
「俺とかいつも罵倒ばかりされている気がするんだけど、なんとかならないか」
「それは、……だって。仕方がないでしょう。私はいつも――」
フレンシィが塩の袋を手に取り、何か反論しようとした。
そのときだった。
ごわぁん――と、地を揺らすような轟音が彼方で響いた。
おかげでピクルスを詰めた瓶が、地面に転がり落ちたほどだった。
「……おや」
ライノーが呟き、北の夜空を見た。
「爆発? ……砲撃に似ているな。なんだろうね」
市街地の方だった。煙が立ち上る。そして炎。ざわめきが広がり、俺たちと一緒に入都を許可された商人たちが騒然とし始めている。
なにやら角笛を吹き鳴らしつつ走り出したやつもいる。
「抵抗組織だ!」
と、兵士の誰かが怒鳴るのが聞こえた。
すごく嫌な予感がした――こういう俺の勘は当たる。それは直後に証明された。
「城門を閉めろ! 商人どもを拘束しろ、爆破の聖印が持ち込まれたぞ!」
俺とフレンシィ、そしてライノーは互いに顔を見合わせた。
「……これって、まずくないか?」
「そうね。すごく良くないわ。ザイロ、あなたの日頃の行いはどうなっているの?」
「二人とも、悲観的になるのは良くないよ。逆に考えよう!」
ただ一人、ライノーは人差し指を立て、快活に言った。
「なにかの混乱が起きている。ということは、騒動に紛れて偵察する好機といえるだろう。あとは脱出する手段を見つけるだけだ――ここを離脱して、身を隠そうじゃないか」
これには、さすがにフレンシィも鼻白んだようだった。
「ザイロ。思ったのですが、この用心棒、実はすごく変な人なのでは?」
「いまさら気づいたか」
それを悟ったときには、だいたいもう遅い。
◆
王城の天守から、トヴィッツ・ヒューカーはその炎を見た。
爆炎と煙。
北部にあるかつて繁華街の一つであった場所から、火の手があがっていた。
「無事、始められたようですね。まずはこれで商人たちを遮断します。抵抗組織の殲滅をもって、補給の仕組みを刷新しましょう」
振り返り、彼のいまの主に告げる。
体格のいい男性の姿をとって、その魔王はそこにいた。『アバドン』。壮年の男性のように見えるが、それはあくまでも仮の姿にすぎないことを、トヴィッツは知っていた。
「間に合った、といえるかな?」
アバトンは、どこか平坦な口調で尋ねてくる。
「きみの言葉を借りるなら、遅すぎたくらいなのだろうね」
「まあ、そうですね。商人たちに兵站を頼るというのは良くない。簡単に外部からの侵入を許している状態ですから。次からは輸送部隊を編成するべきです」
その杜撰さに、トヴィッツも最初は驚いた。
いままではそれで問題なかったのだろう。
長期的に都市を占領し、人間を家畜として管理するにあたって、はじめて顕在化した部分といえるだろう。
「これでも、すでに内部に侵入されていたらどうしようもありません。なので、抵抗組織に奮起してもらいました。商人たちに化けて侵入してきた工作員がいたとしたら、この方法で炙りだせると思います」
「わかった。人間の破壊工作とその対策に関しては、きみに任せよう」
「ありがとうございます。ただ――」
トヴィッツは一瞬だけ悩み、結局は先を続けることにした。
この上司、アバドンは、隠し事めいたことを嫌う。
「先日お話しした切り札となる『特殊部隊』が、すでに潜入していたとしたら、困ったことにはなります。戦えば負けるので。ひとまず対策のため、ぼくに手駒をいただけませんか?」
「いいだろう」
即答だった。
ずいぶんと評価されているものだ、と、トヴィッツは思う。アバドンはその顔に微笑みらしきものを浮かべた。
「どんな手駒が必要か、教えてくれ。可能な範囲で与えよう」
「助かります。牢獄から選んでも構いませんか?」
「もちろんだ。自由に選ぶがいい」
「それでは、そのように。……それと、アバドン閣下。もう一つのお約束をお忘れなく」
「わかっているよ」
アバドンは寛大だ。
それは超越的な寛大さでもある。
食用の家畜が、自分の見ていないところで何をしようと、逃げ出したり肉の質を落としたりしない限り問題ないとでもいうような。
「アニスにはきみの部屋を訪問するよう言っておく。存分に二人で過ごすといい」
「感謝いたします」
心の底から、トヴィッツは礼を言った。
その実、歓喜していたといえる。
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