刑罰:トゥジン山奪取進軍援護 6

 俺とテオリッタの前進を、異形フェアリーたちに阻む術はなかった。

 特に馬上にあるときは、俺もテオリッタも攻撃だけに集中できる。


 馬を疾駆させながら、ナイフを放つ――爆破させて吹き飛ばす。

 小回りの利くボギーどもはテオリッタが処理した。降り注ぐ剣は、人間相手でなければ迅速な殲滅力と精度を誇る。

 小型の異形フェアリーにはよく効く。

 もはや統率されていない群れを突き抜けるのは、そう難しいことではない。


 前方に第九聖騎士団の戦列が見えてくる。

 聖印の光によって照らされたそれは、すでに混乱をきたしていた。

 魔王現象『アメミット』の黒々と波打つ巨体によって、蹂躙されかけているのがわかる。すでに被害は出ているだろう。


(だが――)

 と、俺は考える。

 魔王現象『アメミット』。

 あらゆるものを食らうという魔王。それでもテオリッタがいる以上、攻略する手立ては簡単だ。滅ぼすことはできるだろう。

 ただ、それをやってしまえば、


「ザイロ、迷っていますね」

 テオリッタが小声で呟いた。

 俺はなにかごまかすような言葉を並べようとしたが、すぐに無理だと悟った。

 テオリッタは俺にしがみついている。俺の気分はとっくに伝わっているだろう。


「私は、大丈夫です」

「何がだよ」

「思えば、我が騎士らしくない戦い方でした。私が知っているザイロは、もっと容赦なく、悪質で、獰猛で、手に負えない……」

「喧嘩売ってんのか?」

「本当のことです。ザイロ。あなたは私に、あの聖剣を、みんなの前で使わせたくないと思っていますね」


 テオリッタの言う通りだ。

 たぶん俺は、そのために単独行動に寄った戦術を選んだ。単騎でつっこんで、『アメミット』を狙い撃とうとしたやり方もそうだ。

 それが裏目に出た結果だと言える。


 だが、それはあくまでも結果論で――、いや。

 結果論ではあるが、いまは結果がすべてだ。

 北進する第九聖騎士団や、王子と王女こそを囮に使って、迎撃するようなやり方もあった。そういう戦術を視野に入れているだけでも、もっと被害は抑えられた。


「……あの聖剣を使ったら」

 俺は隠さず、そのことを口にすることにした。そもそも隠すのは無理だった。

「お前が特別な《女神》だと、周りに知られるだろう。そうなったとき、どんなことをさせられるかわかったものじゃない」


「私は構いません。ザイロ、あなたの覚悟さえ確かなら。そうすることで皆さんを助けられるなら、喜んで力を使いましょう」

「くだらない。自己犠牲なんて冗談じゃない。お前たち《女神》は――」

 俺は腹が立っていた。

 ナイフを放つ手に力がこもる。異形フェアリーが一匹、吹き飛んで進路から消える。

「そうやって、簡単に自分を消耗させる。人間に気に入られるためだろう? 人間から褒められるために命をかけるなんて、そんなもんクソだ」


「私を見くびらないでください。怒りますよ、ザイロ」

 口調と裏腹に、テオリッタはまったく怒っていないと感じた。

「あなたに言われて、私もずっと考えていました。でも、何度考えても、その答えは同じです」

「なんだよ……」

「私は、やっぱり誰かのために戦いたい。そういう《女神》でありたい。そのためなら、あなたがいくら怒っても、悲しんでも、それでも私は戦います」

「《女神》だからか。お前がそんな風に作られたからか?」

「わかりません。でも、知ったことではありません」


 テオリッタに、俺のよくない物言いが伝染していた。

 パトーシェあたりに後で怒られるかもしれない。

「世界を救ったら、きっとみんな私を崇めるでしょう。それが私の望みです」


《女神》ってのは自分勝手だ。

 揃いも揃ってみんなそうだ。セネルヴァ。あいつの望みなら、俺も思い出せる。似たようなことを言っていた。たしか、それを『野望』と表現していた。


 セネルヴァはその野望を果たせなかった。

 俺がそういう結末を作った。だが、今度は? また同じことをするのか。一度しくじった俺にそんなことができるか?

 ――答えなんて出せるわけがない。

 だったら、その確信がないなら、やめておくべきだ。俺だってもうあんな目に遭うのは御免だ。


「あなたはどうですか? 私はザイロを傷つけるでしょう。時として我が身の犠牲を厭わぬ戦い方もするでしょう。そのことであなたを不愉快にするでしょう」

 テオリッタが、怖がっているのがわかった。

 俺にもそれが伝わってくるせいだ。畜生。気分が悪くなってくる。


「それを許してくれるなら」

 声が震えている。

 テオリッタは、俺にこんなことを尋ねたくはなかったと感じる。

「あなたを私の騎士として、再び認めます。覚悟はできていますか、ザイロ?」


「よくわかった」

 俺は吐き捨てるように言った。

「容赦しねえぞ、テオリッタ」

 俺はまたもう一度だけ、間違っている方を自ら選ぶことにした。

 もう一度――いや、たぶん何度でも、俺は進んで間違っている方を選ぶだろう。


        ◆


 ベネティムは恐ろしいものを見ていると思った。

 あるいは、絶望的なものだ。


「……射かけろ! 斉射!」

 ホードが叫び、腕を振り下ろす。

 一斉に弓矢を放つ音が響く。第九聖騎士団は雷杖を持たない。毒を塗った矢を使うからだ。

《女神》ペルメリィの呼び出す致死性の高い猛毒だと聞いていた。


 だが、その何百という弓矢は、魔王現象『アメミット』にまるで被害を及ぼさない。

 黒々とした巨体が蠢くのがわかる。

 矢が突き刺さる――その部分の皮膚が裂け、小さな口をいくつも作り出す。そうして矢を丸ごと飲み込む。


(駄目だ)

 と、ベネティムは確信する。

 これでは勝てない。ドラゴンすら殺すという、第九聖騎士団の猛毒が効果を発揮した様子がない。おそらくあの魔王現象にはそういう能力があるのだ。


 攻撃の際にも、『アメミット』はそれを応用していた。

 間近で見て、ベネティムはおぞましいと思わされた。

 巨体のあちこちから細長い――触手のような腕が生え、近づいた兵士を掴んで捕食する。というより、掴んだと同時に食っている。

 悲鳴が連鎖し、戦列は溶けるように崩壊しつつある。


「王女と王子をお守りしろ!」

 馬上のホードが怒鳴っていた。ペルメリィはその背後に必死でしがみつきながら、魔王現象『アメミット』を、その長い前髪の隙間から睨んでいる。

「ペルメリィ! 神経毒は効果がない。種類を変えろ、生物毒を試す!」

「はい……!」


 上空――虚空から黒い雨が降り注いだが、それも背中に生じた無数の「口」に飲み込まれてしまう。効果を発揮したようには見えない。

 つまり、『アメミット』の前進を止める方法は何もないということだ。

 戦列が崩されている。第九聖騎士団はともかく、貴族連合の兵の中には逃げ出す者も出てきた。


「いやだ!」

 と、騎士の誰かが叫び、ベネティムを押しのけようとした。

 まだ若すぎるくらいの横顔が見えた――逃げるつもりだ。

 腿に蹴とばされたような衝撃。たぶん実際に蹴られたのだ。ベネティムはよろめき、考える。


(私だっていやだ)

 痛む腿をさすりながら、ただ、その気持ちだけが大きくなる。

(蹴られるし、寒いし、こんなところで死にたくない。あんなのに食われたくない)


「――ベネティム! 王子と王女を守れ」

 ホードが自分に怒鳴っている。無茶なことを、と思った。

「懲罰勇者だろう! 何とかしてみせろ!」

 ベネティムは完全に硬直していた。

 ザイロやジェイスや、ああいう連中と同じように期待されては困る。

 自分にそんな能力はない。このまま突っ立っていることしかできない。命を投げ出して戦うどころか、足がこわばって、逃げ出すことすらできない。


 自分にできることがあるとすれば――昔から、それはたった一つしかない。

 何かをできる他人に、何かしてもらう。そういう嘘をつく。

 そう思った時、ベネティムは大きく息を吸い込んでいた。


「――いま、逃げようとしている諸君に尋ねましょう!」

 我ながら、会心の大声だったと思う。

 逃げ出す兵士の何人かが足を止めるのがわかった。何か画期的な作戦を喋り出すことでも期待されたのだろうか。だとしたら申し訳がない。


「逃げるのは結構。ですが、ここから逃げて諸君に何が残るでしょう? ただ命だけを残して、いったい何が諸君の余生に残りますか? 死ぬまでの暇つぶしのために生きるのならば、いまここで死ぬのも同じこと!」

 めちゃくちゃなことを言っている。

 だが、めちゃくちゃなことは、理解するまで少し多めに時間がかかる。


「我々の後ろにいるのは、この国の王女と王子です。限られた人類の生存圏、そのすべてを意味する王国の、最も貴重な二人です!」

 いまにも吐きそうだ。さらに何人かの兵士の、逃げ出す足が緩められた。


 その一方で、まだ統率下にある第九聖騎士団は果敢に弓矢を射続けている。

 あるいは弩で、あるいは聖印を刻んだ手投げ槍で。

 効果はないだろう。すべて『アメミット』が開いた口に飲み込まれる。それでもその間だけは、ほんの一瞬でも動きが止まる。

 それを見て、逃げ足を止めて弓矢を放った兵士がいる。

 ただ逃げ出すだけではなく最後に何かしておくか、という程度には思ったのかもしれない。


「王女と王子を守れば、我々人類は未来に希望を繋ぐことができます」

 何を言っているんだろう、とベネティムは自分でも思う。

 だが、それでもいい。

 思いつくことを思いつく限り口にする。時間を稼ぐ。ザイロが来ると言っていた――そうだ、ザイロ・フォルバーツとその《女神》がきっと来る。


「まだ戦う力は残されているのだと、人類の戦士たちの力は健在であると、世の人々は知るでしょう。誰もが我々の戦いの価値を知るでしょう!」

 ひどい欺瞞だ。誰が戦いの価値なんて判断できるだろう。

 だが、いまはこれが必要だった。魔王に怯え、逃げ出す兵士に対しては、味気ない現実よりも愉快な気分になれる妄想こそが必要だった。


「ここに立つことで、我らは世界を守っている。そして我々は必ず勝つでしょう。ここに、その始祖がいるからです!」

 ベネティムは、傍らのタツヤの肩を掴んだ。

 極端な猫背で唸り声をあげる男。

 この方法は、きっとベネティムしか知らない。ザイロも誰も知らないだろう。タツヤを戦わせる特別な方法。


「かつて、最初に魔王を退けた者たち。その最後の一人。伝説の英雄。この者が、諸君らと戦う!」

 そうしてベネティムはタツヤの耳元でささやく。

 それが合図だ。


「……英雄のように、戦ってください。お願いします」

 瞬間、タツヤが動いた。

「ぎ」

 と、喉の奥から軋むような唸り声が聞こえた気がする。

 いっそう背を丸め、戦斧をわずかに持ち上げたとき、その姿が消えた。ベネティムにはそうとしか認識できなかった。

 そのくらい速すぎた。


 きぃっ、と何かがこすれる音。

 次の瞬間、魔王現象『アメミット』の体の一部が抉れて吹き飛んでいた。

 タツヤが、その傍らの雪面へ着地する。踵が雪面を削る。タツヤの顔はよく見えない――もしかしたら、笑っているのだろうか?


「――あの男、何をした?」

 ホードが振り返った。ベネティムを疑うような表情。

「いま、どうやって『アメミット』に傷を」

「奥の手です」

 とは言ったが、ベネティムは知っていた。タツヤには、常識を超えた速さで機動することができる。

 その速度はベネティムが目で追えないほどだ。


『アメミット』が新たな口を作るよりも、タツヤの方が速い。

 ただそれだけのことだが、事情がわからなければ、何かの魔術を使ったようにしか思えないだろう。


 魔王『アメミット』も驚いたようだった。

 全身から腕を生やし、タツヤを捕えようとする。追いつくはずがない、とベネティムは確信している。

 こうなったタツヤは、ベネティムの理解を越えている。

 タツヤの戦斧は再び『アメミット』の腕をまとめて何本も切り裂き、その肉体を抉り取った。

 周囲で歓声があがる。踏みとどまり、矢を射かける者も出てきた。


(でも――)

 ベネティムは知っている。この状態のタツヤは長くは持たない。

 その体が耐えきれない、ということだ。

 三度目の跳躍と、高速の斬撃。その着地で、左の足が折れるのが見えた。雪煙。あと一度の跳躍で限界だろう。少なくとも修理場送りだ。


 だが、ここまででよかった。

 戦意を取り戻した兵士たちがいた。彼らはうまくペテンにかかってくれた。弓で、あるいは剣を投げて、攻撃を再開した者がいる。

 それらはほんの一瞬ではあるが、『アメミット』の動きを鈍らせる。


 当然、そのうち何人かは確実に犠牲になる。

 ぎりぎりまで射撃で時間を稼ごうとした兵士が、『アメミット』に近づきすぎ、その腕に捕まって食いちぎられる。

 それでもそういう攻勢は、無防備に背を見せて逃げるよりもずっと被害を少なくする。ベネティムは意識していなかったが、確かに魔王現象『アメミット』の動きは停止といえるほどに鈍っていた。

 そして、


『――持ちこたえたな。信じられねえ』

 ザイロの声がした。

 魔王『アメミット』の背後から、一騎、駆けてくる馬が見えている。

 ザイロとテオリッタ――ベネティムは安堵のため息をついた。


『もっと押し込まれてるかと思った』

「遅いですよ、ザイロくん」

『そいつは悪かった。――テオリッタ。頼む。みんなに見せてやってくれ』

 どう返事をしたのかはわからない。ただ背後の《女神》が、ひときわ強く輝くのがわかった。

 黄金色の光――火花、閃光。


 ザイロとテオリッタの接近に、『アメミット』は大きな反応を見せた。

 驚いたように全身が波打つ。動揺している、とベネティムには思えた。

 そして、魔王は逃げようとした。明らかにそうとしか思えないような動きだった。その巨体を伸ばして、少しでも遠くへ逃走しようとしていた。

 それはもはや間に合わない。


「いまさら、どこに」

 ザイロが皮肉めいた笑い方をした。

「逃げるつもりだ?」

 その手に、一振りの剣が握られている。なんの装飾もない、極めて単純な、一振りの剣だ。

 ザイロは馬上からそれを投擲していた。


 飛来する剣が宙を貫き、『アメミット』の体に突き刺さる。

 反射的にそれを食おうとしたのか。大きな口が開く。刃がそこに飲み込まれる。

 その瞬間、『アメミット』の体が瞬いた。ベネティムの目には、そんな風に見えた――真昼のように、鮮やかな光が迸った。


 こうして魔王現象『アメミット』は、剣の《女神》テオリッタの聖剣によって消え去った。

 そのことは、誰の目にも明らかな結果だった。


        ◆


「ザイロくん」

 周囲が騒然として動きを止める中で、ただ一騎、ザイロとテオリッタが近づいてくる。

 ベネティムはどこか疲弊した笑顔を作ってそれを迎えた。


「本当に遅いですよ。私も死ぬかと思いました、大変だったんですから」

「こっちも忙しかったんだよ。ただ……」

 顔をしかめ、ザイロは馬から降りる――テオリッタに手を貸してやっている。

「判断に間違いがあった。もう少しうまくやれただろうな。……悪かった」


 意外な発言のような気がした。

 ベネティムが知る限り、ザイロはいつももっと自信に溢れていて、強引で暴力的な男だと思っていた。

 それが、こんな風に謝るとは。


「……なんだよ?」

「あ、いえ、別に!」

 ベネティムは慌てて首を振った。

 少し人間らしい部分を見せたが、この男が暴力の化身のような人物であることに変わりはない。その不興を買いたくはなかった。凶暴さはよく知っている。

 ――《女神》を殺したというのは、おそらく何かの理由があるのだろうが。

 ベネティムが見る限り、ザイロ・フォルバーツは、そういう類の理不尽さを持ち合わせた男ではない。


「残っていた二体の魔王現象を討ちました。異形フェアリーの群れはこれで瓦解するでしょう」

 ベネティムは冷静であるように――口調だけは冷静であるように努めた。

「あとは人間の傭兵だけですね。そちらに対処しなければ」

「もう終わってる」

 ザイロは西の彼方を指さした。

「ドッタにやらせた」


 煙が立ち上っているのが見えた。

 西の丘陵のどこかで、火の手が上がっている。


「人間も魔王も食事はする。武器も必要だ。つまり物資の集積地点が必ずある――ドッタに忍び込ませて焼いた」

「ど……どうやって? その場所は」

「やつらの進軍してきた経路と、周辺の地形から予想地点を割り出して、あとは空から確かめればいい。たぶんどこかの集落を襲って、拠点に変えてると思った」


 ザイロは自分が成功させた戦いを、いかにもつまらなさそうに語る。

 妙な癖を持った男だ、とベネティムは思う。


「兵站を切られれば、傭兵は降参するしかない。戦う気力が尽きる。物理的にも継続した戦闘ができない」

 言いながら、ザイロは周囲を見回した。

「……おい、ベネティム。ライノーはどこだ? 砲甲冑の抜け殻しか見当たらないんだが」

「あ」

「また現場放棄かよ」

 ザイロはうんざりしたような顔をした。

「あいつ、もう首に縄でもつけといた方がいいんじゃねえのか?」

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