刑罰:トゥジン山奪取進軍援護 5

 上空は、ツァーヴの想像以上に厳しい環境だった。

 防風用のゴーグルと防寒着がなければ死んでいるだろう。


(ヤバいな、この人。ゲロ吐きそうにならないのかな)

 ジェイスに付き合って、何度か試験的な飛行はしていたが、実戦の戦闘機動はまた違う。

 特にジェイスのそれは、他の竜騎兵から考えても隔絶しているとさえ言えた。


 急旋回、急上昇は当然として、宙返りのような動きまで行う。

 この動きで、たとえ背後をとられそうになったとしても、いつの間にか背後を取り返していることになる。

 ただ、あまりにも負荷がきつすぎる。

 真似しようと思ってもできるものではない。


 それから、ニーリィの動きも他のドラゴンとは明らかに違っている。

 特別な個体なのだとすぐにわかった。

 加速に減速、姿勢の制御はツァーヴという重りを乗せてさえ華麗だったし、炎のブレスによる狙いの精度も驚くべきものだった。空中で実際に乗ってみるとそれがよく理解できる。

 大型の飛翔する異形フェアリー――ワイバーンというらしい、そいつを一撃で焼き尽くした。

 ニーリィと同じくらいに大型の、飛行型の異形フェアリーだった。


「……ワイバーンはすべて墜とす。できるなら、一撃でだ」

 と、ジェイスは言っていた。

 その口調から、ツァーヴはなんとなく確信する。あれは異形フェアリーと化したドラゴンなのだろう。絶対にそうだ。


 ジェイスもニーリィも、ワイバーンだけは逃すまいと、ツァーヴの視界が暗くなるほどの高速で迫り、そして迷いなく叩き墜とした。

 ニーリィの炎と、ジェイスの投げ槍が宙を飛ぶ。

 その都度、異形フェアリーたちが次々と落ちる。


 ツァーヴにはいとも簡単そうに見えたが、他の竜騎士たちの戦いを見ていると、これはかなり異常なことであるらしかった。

 ワイバーンと一対一になるだけでも苦戦していたし、群がってくるガーゴイルたちもいる。

 回避運動を主体として、数騎で組んで援護し合う。そうすることで拮抗を保っているという状態だった。


 また、地上から放たれる赤い熱線も脅威だった。

 あれは『フリアエ』という魔王現象が撃っているらしい。

 すでに味方の一騎がその射撃に射抜かれ、焼かれていた。いままた眼下で、もう一騎。ジェイスは舌打ちをした。


「ツァーヴ! まだか? さっさと狙え、いまので何度目だと思ってる。発射地点はわかっただろうが!」

「そうっスね」

 ツァーヴは雷杖を構えながら、彼我の距離を測る。

 敵陣営のずっと後方だ。周囲に異形フェアリーも引き連れていない。ただ一匹――いや一人だろうか? 人型の影が佇み、そこから熱線を放っているのだ。

 あとは、当てられるか。


「どうかなあ。少しダメかな。ジェイスさん、もうちょい近づいてもらえないっスか?」

 ツァーヴが抱える雷杖は、製品名を『ヒナギク』という――ヴァークル社が開発した狙撃杖であり、ノルガユが原型をとどめないほどに調律を施した代物だ。

 今回は、さらに射程距離を重視した調整を施している。

 威力と精度は、自力で補わなければならない。


「確実に当てたいんスよね。ほら、オレって無駄撃ちしない主義じゃないっスか? 博打とかでもタイミング掴んで一気にでかい勝ちを掴みに行くタイプっていうか――」

「うるせえ、黙れ」

 ジェイスの返事は簡潔だった。

「あの赤い閃光を避けながら、異形フェアリーどもの迎撃を突っ切って、やつに近づけって?」


「あ、やっぱそれキツイっスか?」

「……ニーリィが」

 青いドラゴンは、よく晴れた夜空に鳴いた。

 深い紫色の月光を浴びて、その竜の横顔は、寒気がするほど美しく見えた。

「……そのくらいできないと思われるのは心外だってよ。掴まってろ、クソ野郎。……ニーリィ、下だ。速度稼ぐぞ!」


 それから、急激に加速した。

 ツァーヴは内臓がすべて口から出るかと思ったほどだ。異形フェアリーの群れが来る。それから赤い熱線。

 その中を突き抜ける。体を捻って、一瞬、上下がわからなくなった。

 目が回る、というより、体の中がまるごと捻じられるような感覚。


「――ここだ。上がれ、ニーリィ!」

 ジェイスの声がかろうじて聞こえた。

 投げ槍を放ち、炎を吐き出す。異形フェアリーが墜ちていく。

 熱線が、ニーリィの翼すれすれをかすめた。風の音。どういう体勢でかわしたのかはわからない。それでも、近づいていた。急接近だ。


 味方の竜騎兵たちから離れ、孤立した、ということでもある。周囲の異形フェアリーが群がって来る。

 そのわずかな時間が、ツァーヴに与えられた機会だった。


「撃て!」

 と、ジェイスに言われるまでもなく、ツァーヴは射撃姿勢に入っている。

 雷杖で狙いをつける。

 人型の魔王現象、『フリアエ』。その頭部だ。青く輝く髪を伸ばした女の姿をとっている。しっかりと見えていた。

(当てられる。そういう距離だ。じゃなきゃ恰好がつかないぞ)

 聖印に触れ、起動させる。


 鋭い雷と、乾いた音。

 手応えはあった。完璧な狙いだった。稲妻の軌道は、夜空を貫き、『フリアエ』の頭部に着弾していた。

 だが、それが吹き飛ぶことはなかった。


(……ウソだろ!?)

 ツァーヴはそのときに見た。

 赤い熱線を、『フリアエ』が放つ瞬間だ。その熱線がツァーヴの狙撃を相殺していた。赤い光はそのまま宙を焼き、味方の一騎を撃ち抜いている。

 あんなことができるのか。理解できない反応速度――それとも予測だろうか。

 こちらの狙撃体勢を見て判断したのかもしれない。


(上等じゃないか。だったらさ――)

 ツァーヴは即座に対処を決めた。

 熱線による正確な防御。その弱点は、有効範囲が狭すぎること。

 突破するのに必要なのは、ほぼ同時に実行される、別角度からの精密な狙撃だ。それができればいい。


「何やってんだ。しくじりやがったな、ツァーヴ!」

 ジェイスの怒鳴り声。

「クソが。ザイロにどんなツラで皮肉られると思ってやがる、いますぐ離脱――」

「いや。まだっス。ほら、オレってマジの天才じゃないっスか?」

 ツァーヴは蓄光弾倉を入れ替える。杖身の冷却まであと数秒だが、そんなには待てない。杖身が吹き飛んでも構わない。あと二発は持つだろう。


「むしろ燃えてきました。……ってか、ジェイスさんとニーリィ姐さんなら余裕ですよね? 拾ってください、お願いします」

「おい」

 ツァーヴはジェイスの返事を聞かず、留め具を外す。自分をニーリィの背に固定していた留め具だ。

 そして身を乗り出す。


(相手が動いてないんだ)

 ツァーヴは静かに聖印を起動する。

 狙撃杖が閃光を放つ。

(だったら、何度でも当てられなきゃ無能ってもんだよな)


 狙いは再び正確に、『フリアエ』の頭部。

 これも防がれる。赤い熱線が、ツァーヴの放った稲妻を弾く。どんな反応速度をしているのか。腹が立つほどだ。

 熱線はそのまま夜空に尾を引いて――それが消える前に、ツァーヴは飛んだ。


「くそっ。ニーリィ!」

 ジェイスの悪態。それと、甲高い鳥のような声も聞こえた気がする。


 ツァーヴはニーリィの背中から飛び降りて、もう一度、蓄光弾倉を入れ替えながら聖印を起動する。

 三度目の稲妻が虚空を焼く。

 杖身がその出力に耐えきれず吹き飛ぶ。小さな木片が頬を打ち、痛みが走った。

 だが、狙いは正確だった。『フリアエ』の胸へと、雷が吸い込まれた。


 これを相殺するためには、熱線をもう一条放つ必要がある。

 魔王現象『フリアエ』にそれはできなかった。そんな連射が可能なら、そもそも自分たちを近づかせていないはずだ。

『フリアエ』その顔が、呆気にとられたように口を開けた。

 この距離で見えたとは思えないから、たぶん気のせいだ、と思う。


『フリアエ』の胸が、ツァーヴの放った雷によって貫かれた。

 そのまま爆ぜる。吹き飛ぶ。

 虚空に尾を引いていた熱線が掻き消えた。


 そして、落下。浮遊感。

 ――直後に、衝撃。

 首が引き抜かれるかと思うほどの衝撃だった。


「……ふざけるな!」

 ジェイスは、ツァーヴの防寒着の襟首を掴んだまま怒鳴った。

「こんな曲芸みたいなことさせやがって。そのまま落としてやろうかと思ったぜ、アホじゃねえのか」


「いやあ、オレは楽しかったっス。それに、うまくいったでしょ。こんなのオレらにしか絶対できねえやつっスよ」

「……どうでもいいが、その杖」

 ジェイスはツァーヴが片手にぶら下げた杖に目を止めた。黒く焦げ、半ばから裂けるようにへし折れている。

「ノルガユのやつが激怒するぞ」

「ああ。……ヤバいっスね、それ」


        ◆


 俺とテオリッタが異形フェアリーの群れを突き抜けるのは、そう難しいことではなかった。

 というよりむしろ簡単だった。

 群れを突き抜け、俺とテオリッタだけで後方から攪乱にかかる余裕さえあった。


 異形フェアリーの群れは北へと向かい、本隊を追って伸びきった。

 そこへライノーの砲撃が穴を開けたし、狙撃兵による援護もあった。十分に群れを乱せたということだ。それに加えて、異形フェアリーどもは途中で動きが鈍り、混乱した。

 その原因は明白だった。

 ノルガユが先行して敷設した、罠が効果を発揮したのだろう。それをパトーシェたちの騎馬隊が襲い掛かった。


 どんな罠を仕掛けたのか、俺にも遠目に見えたことが一つある。

 異形フェアリーの体を吹き飛ばす閃光と、散らばる雪だ。


『止めたぞ』

 と、ノルガユの声が雑音混じりに聞こえた。

 晴れてはいるが、なかなかに風が強い。

『騎馬隊は援護しろ! 工兵部隊、射撃しつつ持久する! 踏みとどまれ!』


「すげえな。ほんとに、完全に動きが止まってる」

 混乱が起きている。

 血迷ってこちらを襲って来た異形フェアリーを吹き飛ばし、俺は気になったことを聞いておくことにする。


「ノルガユ陛下、どうやった?」

 せいぜい、異形フェアリーの足が鈍るくらいでいいと思っていた。

 砕屑さいせき印の樽は使い果たしていたし、急に用意できるものは選択肢が少ない。せいぜい単純で小規模な爆破印くらいのはずだった。

 だが、これはほとんど完全に堰き止めているようなものだ――何匹か、強引に突破しようとした異形フェアリーが吹き飛んでいる。


『鳴子を使った』

 ノルガユはたいしたことでも無さそうに言う。

 鳴子は地面に木の棒を突き刺し、板と紐で結び合わせたものだ。それらが連動していて、紐に引っかかると一斉に音が鳴る。

 それに爆破の聖印を刻んで、即席の罠とする方法はよく使われる。

 紐の張り方に工夫をすれば、潜り抜けることも難しい罠になる。


 だが、ここで問題になるのは二つ。それが有効となるほど多くの木の板に聖印を刻む手間と、それがあまりにも露見しやすい罠であることだった。

 特にこの雪原では隠しようがない。

 無防備につっこんでくるやつは、よほど愚かな異形フェアリーだけだ。


「やつらが通り抜けできないくらい大量に、そいつを用意できたのか? よくそんなに聖印を刻めたな。蓄光する時間も――」

『すべてに刻む必要はない』

 ノルガユは、辛抱強い教師のようだった。

『こちらだけが把握している配置図に沿って、一見無作為に並べる。有効な聖印入りの鳴子は連結させて爆破力を高める。そういう罠だ』


 そこでわかった。

 これは簡単に露見する罠であってよいのだ。

 いままでこんな優良な条件での戦いが少なかったから、基本が頭から抜け落ちている。ただ、躊躇わせればいいというだけの、時間稼ぎの罠が有効に働いていた。

 そこに工兵の嫌がらせともいえる射撃と、騎馬隊の攻撃が加われば、全体が停止するのもわかる。

 すぐに杭の森を迂回する方針に切り替えるだろう。

 あとはその隙に、俺が『アメミット』を討つ。


 まずは探さねばならない。

 あんな目立つやつは、そう難しくはないだろうと思っていたが――

「ザイロ、次が来ます。フーアどもです!」

「俺がやる。お前は探すのに集中してくれ、《女神》の直感ってやつがあるんだろ」

「……たっ、多少は! やってみせますっ!」

 テオリッタ自身、あまりその辺の直感に自信はないらしい。漠然とした予感のようなものでしかないようだ。この前は擬態する相手に引っかかったことだし、精度は低いのだろう。

 だが、俺が手綱捌きと迎撃から注意を逸らすのは、あまりよくない。


 すでに魔王現象『アメミット』の特徴は掴んでいる。

 ホードたち第九聖騎士団によれば、図体のでかい、ぶよぶよとした芋虫のような外見だったらしい。特徴を聞けば、倒せない相手ではない。

 しかし――


『ザイロくん!? どこに行ったんですか、大変なことになってるんですけど!』

 ベネティムの切羽詰まった声が響いた。

 頭が痛むくらい強い声だった。俺は意味がないとは知りながら、耳を抑えた――そして怒鳴り返す。

「……ンだよ! いま俺はすげえ忙しいから、また後にしてくれ! これから魔王と戦うんだから」

『それじゃあ、なおさらこっちですよ!』

 ベネティムの声は悲痛だった。


『たぶんあれがアメミットです、聖騎士団の人たちがそう言っています!』

「ああ!? なんだ!?」

『こっちに直接来ました、戦列が突破されてるんですから! とにかく早く戻ってきてください!』


「ザイロ、あれを!」

 俺の背後で、テオリッタも声をあげていた。

 本隊が移動する東方を指さす。黒々と巨大な、芋虫のような巨体が垣間見えた気がした――しかもそれは徐々に膨らんでいるようにも見える。

「魔王ではありませんか? あの巨体……大きくなっているような……」

「俺にもそう見える」


 あれが『アメミット』。

 第九聖騎士団によれば、大喰らいの魔王現象。

 巨大な「口」を持った魔王だったという。本当にどんなものでも食らうらしい。鋼だろうが、炎だろうが、土も雪も食う。

 あの《女神》ペルメリィの召喚した毒でさえ、その大口に吸い込まれて効果をあげられなかった、という報告があった。


「本体が先陣切って突っ込んできたのかよ……!」

 ちょっとした衝撃だった。

 確かに、異形フェアリーたちの動きは愚直すぎた。罠に向かって愚直に前進して、かなりの被害を出し、パトーシェたち騎馬隊の攻撃を無防備にうけた。

 防衛がうまくいきすぎていた、と言っていいかもしれない。


 だが、魔王現象の本体が、真っ先に前進してくるとは。

 まさか異形フェアリーどもの指揮を放棄して――いや、違う。

 たぶん発想が違う。

 異形フェアリーを指揮する利点がほとんどないと判断したのか? ただ被害を出すだけで、特に第九聖騎士団を相手取るにあたり、自分自身以外に使える駒がないと判断したのか。

 だとしたら、とんでもなく大胆で――あるいは賢い魔王なのか。その逆で、ろくな思考力のない魔王なのか?


 どちらにしても、その戦術は俺たちにとって意表をついたものだった。

 痛手でもある。

 これを挽回するには、一つしかない。


「ライノー! そっちに戻る、もう一度砲撃でこじ開けてくれ!」

『了解だ。忙しくなってきたね、同志ベネティムの方はどうしようかな?』

「どうしようもない。粘れ! 俺が戻るまでどうにかしろ!」

『む、無理ですって! 毒が効いてないみたいだし――ああっ! ちょっと、それはまずいですよ! ホード団長、待ってください、私から離れないで!』

「……いいからとにかく粘れ、タツヤを使え! どうにかさせろ!」

 俺は怒鳴って、走り出した。

 それ以外にできる最善はない。


 戦術で負けた、と思ったのは久しぶりだ。

 思えば甘い手だった。

 相手の行動を読み違えた。これは自分の失敗だ――取り返すには、いますぐに動くしかない。

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