刑罰:トゥジン山奪取進軍援護 2
ようやく見舞いに行くと、ノルガユは完全に寝ていた。
第九の《女神》が言っていた毒が効いたのだろう。
死んだように眠っているノルガユの、傍らにいたのはテオリッタと――それから意外にもドッタだった。
もともとテオリッタには見張りを任せていたのだが、ドッタが拘束を外されているとは。
見張りを頼んだ理由は簡単で、この『陛下』は、隙を見ては起き上がって何かしようとするからだ。
主に周りの誰かに命令して働かせようとする。おかげで正規兵と混じるといらない衝突を生みかねない。
「ドッタ。……お前、なんで自由になってんだよ」
「いや、それがまあ、みんな忙しくなっちゃって」
と、ドッタは気まずそうに言った。
「これから急いで撤収するから、って言われたんで。ツァーヴもタツヤもパトーシェも駆り出されたよ」
なるほど。たまにあることだ。ドッタのようなやつは肉体労働にはあまり向かないし、下手にうろつかれては妙な被害を発生させるかもしれない。
そういう集団行動にはそもそも加わらせないというのが無難な扱い方だった。
「そこで、この私が問題児の二人をまとめて見張っていたというわけです!」
テオリッタは偉そうに胸を張った。
「すごいでしょう。偉いでしょう」
「……よくやった」
「でしょう!」
仕方がないので、その部分は認める。ふん、と、テオリッタは鼻を鳴らした。
「私はこの部隊を見守る《女神》ですから!」
「ええ……? 見守りと監視はぜんぜん違うと思うんだけど……」
「似たようなものです! ドッタ! あなたが悪事を働かないように目を光らせているのですから!」
ドッタはぼやいたが、そう言われてみるとそんな気はする。
なんらかの社会に所属して生活するために、ドッタには外付けの良心のようなものが必要なのかもしれない。
「それよりも、ザイロ! ずいぶんと会議に時間がかかったようですね。これからやるべきことは決まりましたか?」
待っている間、よほど暇だったのだろう。『ジグ』の遊戯盤を地面に広げ、ドッタと交戦していたらしい。
戦況は、白のテオリッタが明らかに優勢――『狼』の駒が防衛線を突破し、ドッタの本陣を脅かしている。
この《女神》はなかなかこの遊戯のコツを掴むのが上手かった。
ろくに考えもせずに駒を進めるドッタでは頻繁に負けるようになってきていた。そもそもドッタがこの手の遊戯にまったく向いていないせいもある。
「ドッタがさっきから二回も『待った』をかけてきたのですよ。私は慈悲深いので認めて差し上げましたが! 二回もですよ!」
「それでもドッタはこの有り様かよ」
「……まあ、うん。今日はちょっと調子が悪いからね……」
ドッタはしょうもない言い訳をもごもごと呟いて、盤面を崩しにかかった。
「というわけで、ザイロが返ってきたので休憩は終わり! 終了!」
「あっ。ドッタ、なんということを! もうすぐ私が勝利するところを――」
「ザイロ、作戦はどうなったの? ぼくらはそろそろいい加減働きすぎだから、引き上げていいとか?」
「そんなわけねえだろ」
テオリッタには悪いが、話はしないわけにはいかない。
これからは急ぐ必要がある。とにかく素早くトゥジン山を獲ってしまうことだ。
「これから移動だ。北へ向かう。で、俺たちはその護衛だ。追って来るやつらを止めなきゃならない」
「ああ……」
ドッタは絶望的な顔をした。
「それって、つまり魔王と戦う?」
「覇気のない顔ですね、ドッタ。もっとやる気を出しなさい! 我々の活躍が認められているということですよ、頼りにされているのです!」
テオリッタは叱咤するが、そんなことでドッタの気分が良くなるわけがない。
「落ち込むな。兵隊と物資については、かなり融通が利く。昨日までよりはかなりマシになったぜ」
俺は木箱の一つに座り込み、小型の筒状の器具を懐から引っ張り出す。
表面に聖印を刻んだゼワン=ガン産の鉱石を、布でくるんだ道具だ。
蓄光を忘れなければ、長期にわたってそれなりの熱を発生させてくれる。
実は俺も懲罰勇者になってから知ったことだが、こいつは素材も含めるとそこそこ高価な道具で、正規兵にしか配られていない高級品だった。
「俺たちの扱いの改善についてはまあ一応、お前のおかげと言えば言える。まさか王女様と王子様を拾ってくるなんてな。何か気づいていたのか?」
「ああ……うん……どうかな」
ドッタは曖昧に笑った。
「どうなんだろう? ぼくは何か気づいてやったのかな?」
「なんだよそれ、知らねえけど」
「……いや。いいんだけどさ。そういうことなら、じゃあ、もしかして、ぼくは今回特に何もしなくていいってこと?」
「そんなわけねえだろ」
俺はドッタの甘い考えを、即座に打ち砕かねばならなかった。
「遊ばせておける人間なんて、うちの部隊にいるわけねえだろ。というか、そろそろ本当にちゃんとしたお前の出番だよ」
「えっ」
ドッタの顔が引きつった。
「……どういうこと?」
「もともとな、味方の軍の物資かすめるためにお前を飼ってたわけじゃねえんだよ。ここからは真面目に働いてもらう」
「ええ……マジな話?」
「マジな話だ。お前がうまくやればみんな助かる」
「気が進まないんだけど……絶対危ないやつでしょ……」
「危ないやつだが、必要な役なんだよ。これができたら犠牲が減る。いいか、まず――」
俺がドッタの説得に取り掛かろうとしたときだ。
天幕の、入口の方から声がした。
「失礼します」
落ち着いていたが、不思議と耳に響くような声。俺はさっきもこの声を聞いた。慌てて振り返る。
「――懲罰勇者9004隊の、皆様ですよね? 唐突な訪問、申し訳ございません」
メルネアティス第三王女殿下が、そこに立っていた。
太陽の加減のせいか、後光が差しているように見える。まさにあまりにも唐突な訪問で、俺は驚き、ドッタはなぜか俺の後ろに隠れようとした。
「ザイロ・フォルバーツ様とは先ほどご挨拶させていただきましたね。そちらが、《女神》テオリッタ様でしょうか?」
「そ、……そうです」
テオリッタもいささかぎこちなくうなずき、背筋を伸ばした。
なんとなくそういう雰囲気のある相手だ。
「私は聖騎士ザイロと共に、勇者たちに祝福を与える《女神》テオリッタです!」
「勇者の皆様ともども、ご活躍を伺っております」
ご活躍を、伺っているときた。
誰から聞いたのだろう――たぶんベネティムだ。
あいつはいま、作戦会議が終わってからの短期間で、あることないこと可能な限り吹き込んだに違いない。
「それから、ドッタ様。……私たちを救うよう進言してくださり、感謝しております。この場は弟に替わって、お礼を申し上げます」
「あ、は、ええと、……お、おかげさまで、ぼくは元気です。どうもありがとうございます……」
ドッタはしどろもどろに訳の分からない返答をして、頭を下げた。
そうしてさらに俺の後ろに隠れた。
「勇敢な方だとお聞きしました。狩人をされていたそうですね。クァダイ山脈における
「え? あ、はい……?」
「鋭い目と耳、経験と勘で、何度も部隊の窮地を救ったとか」
「はあ……?」
ドッタがどんどん混乱していくのがわかった。
誰の話をしているかまったくわからないが、絶対にこれはベネティム由来の情報だろう。もういちいち訂正する気力が湧かない。
「それに、ノルガユ様。……まさかこのような場所でお会いするとは」
「ああ」
俺は思わず声をあげていた。
「その話。王女様、こいつのことをご存じで?」
まだ眠っているノルガユを横目で見る。こうして横顔だけ見ると、なんとなく威厳のある顔つきだ。やたら立派な髭のせいかもしれない。
「ノルガユ様は、私の兄上――ロウツィルと同じ神殿の学院に通っていた学士の方でした」
学士。確かに、噂だけは聞いたことがある。
ノルガユは将来を嘱望された、天才的な聖印技師であり、学者でもあったと。確かにそのくらいでもないと納得できない腕をしている。
「何度もお話ししたことがあります。兄上と同様、私にも優しくしてくれました。控えめで、穏やかで、落ち着いていて……きっとこの人は、この世界のことをなんだって知っているんだと……」
メルネアティス殿下はなんだか遠くの景色を見るように、ノルガユを見ていた。
「幼い私はそう思っていました。兄上の失踪の直後、学院を出奔したと伺っていましたが……まさか、……このようなことになっているとは」
彼女はどうやら、ノルガユが起こした大規模テロのことを知らないらしい。
事実、俺も首謀者の名前までは知らなかった。ガルトゥイルの発表した通り、連合王家に反対する過激派旧メト王室系の仕業だと思っていた。
ノルガユという個人があのテロを引き起こしたらしい、と聞いたのは、この部隊に所属してからだ。
たしかに将来を嘱望された学士が、精神に異常をきたしてあんな凶行に及んだとすれば、神殿がそれを公にできるはずがない。
特に王室に対しては、徹底した情報遮断を行うはずだ。
あの事件の首謀者を知るのは、王室では国王陛下本人と王太子ぐらいのものだろう。
「……そのノルガユ様が。私のことを、妹と」
メルネアティスの声が、ごくわずかに震えるのがわかった。
「私には、ノルガユ様に何があったのかわかりません。でも……」
何か言おうとした。でも、の先はわからない。
「……せめて、この顔を覚えていてくれたことに、感謝すべきかもしれませんね」
きっとこの少女は、ノルガユ・センリッジという人物のことを慕っていたのだろう。
俺はなんとなくそう確信した。
◆
「……次の、作戦だ」
トリシールは、作戦盤を前にしてそう言った。
彼女は底光りする目でレントビーを睨んでいた。鋭く整った顔立ちには、いまはどこか暗い影が加わっている気がする。
新しい右腕のせいかもしれない。
レントビーは思わず彼女の右腕を注視してしまう。あのとき、敵の騎兵に斬り飛ばされたはずの腕だ――失ったはずのそこには、黒い鱗と鉤爪の生えた腕があった。
あの『アメミット』という魔王現象が、手傷を負って戻ってきた彼女に、その腕を与えた。巨大な体から吐き出すようにして、その腕を渡し、傷口に押し付けるように命じた。
そこからは、邪悪な魔術を見ているようだった。
トリシールの腕の断面に押し当てられた「腕」は、あっという間に接合した。浸食された、といえるかもしれない。
とにかく、彼女はその腕を手に入れていた。
「敵は懲罰勇者部隊だ」
と、トリシールは憎悪に満ちた唸り声をあげた。
「レントビー。私たちに後はない。なんとしても、やつらを仕留めなければ――問題は」
レントビーはその後の台詞が想像できた。
右腕を失い、この陣地に運び込まれてから、うわごとのように言っていた。
「懲罰勇者どもの指揮官。《首吊り狐》だ。やつさえ、仕留められれば……!」
「狙撃、を試してみますか」
「そんなことは当然だ。やれることはすべてやる」
レントビーの言葉に、トリシールは冷たい瞳を向けてきた。
「お前も策を考えろ。次にしくじれば、報酬ではなく、我らの身が危ない。なんとしても、《首吊り狐》を殺す方法を思いつけ。やつさえいなければ、懲罰部隊など烏合の衆に過ぎないだろう」
この指揮官は追い詰められている、と、レントビーは思った。
見切るときかもしれない。
自分には、まだやるべきことがある。いまは魔王に与しているが、本当なら、こんな恐ろしいことに手を染めていたくはない。人類のために戦い、立派だったと言われたい。
虚栄心にすぎないだろう。それでも。
(……どこかでこの女を殺し、私が指揮官となる)
そうすれば、もう少し生き延びることができる。
魔王現象に取り入り、忠実な奴隷を演じれば、自分の命はもう少しだけ保証されるはずだ。
生きてさえいれば、いくらでも機会はあるだろう。
(いつかきっと、その日が来る)
それまで、どんなことをしてでも生き延びる。
どんな残酷なことでもできる。
他人を蹴落とし、都市に敵を招き入れ、守るべき者を殺した。間引きという理由で老人や子供を殺した。
これだけの悪事を帳消しにするには、もう生き延び続けるしかない。
自分は実は邪悪ではなかったと、本当は正しいことをするつもりだったと、せめて弁解させてほしい。いまやっていることは偽りにすぎないのだと。
(そうだ――こんなのは嘘だ)
レントビーは強くそう思う。
結果がすべてではない。罪の重さに、いま思い悩んでいる自分がいる――行動の過程も、考慮されてしかるべきだろう。
であれば、自分はこれほど思い悩み、苦悩しているのだから、もう十分に罰は受けている。
(……だから、許してくれ)
レントビーは暗い瞳で、トリシールの横顔を見つめた。
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