刑罰:トゥジン山奪取進軍援護 1

 第三王女、メルネアティスの出現は抜群の効果を発揮した。

 彼女の存在そのものが、貴族連合の主張を退けたといえるだろう。


 連合王家に忠誠を誓い、領土を保証されている関係にある以上、南方貴族たちは黙るしかない。メルネアティスの訴えの正当性を無視できない。

 この状況で、戦闘可能な兵士を連れて離脱すれば、あとでどれほどの批判を受けるかわからない。

 それは聖騎士団と《女神》、そして神殿を敵に回すことに等しかった――何よりその権威に便乗する、その他のハゲタカのような貴族もいるだろう。


「……なんとしても、トゥジン山を奪取する」

 と、最終的にホードは言った。

 数分間、ホードと貴族たち、そして王女の間で密談めいたやりとりが交わされ、そして再開した会議だった。

 当然のように俺たちは密談からは外された。

 結果として俺はすっかり退屈していたし、ベネティムに至ってはほとんど居眠りしかけていた。


「我々が進軍すれば、……懲罰勇者どもの言う通り、魔王どもはこちらを追って来るしかない。確かに、第二王都の奪還成功を仮定するならば、孤立するのはやつらの方だ」

 喋りながら、ホードは視線を俺とベネティムに向けた。

 一度だけだ。それも、かなり硬質な目つき。決して俺たちを認めたわけではない、という不快感がそこにこもっているように思えた。


「いかがですか、メルネアティス殿下」

 ホードはすぐにメルネアティスに視線を戻した。

「合流地点への兵站部隊、および聖騎士団の派遣は叶うでしょうか?」

「はい。私と弟の名において要請しましょう」

 メルネアティスはうなずき、右手の指輪を撫でた。

 王家の印章を刻んだ指輪だ――噂に聞いたことがある。それ自体が聖印であり、王家の血筋にしか反応しない、特殊な『印』を文書に記すことができるという。


「恐らく現在の状況からして、第八聖騎士団がやって来てくれるはずです」

 マジかよ。

 俺は無言と無表情を通そうとしたが、さすがに無理だったかもしれない。

 第八聖騎士団――『影』の《女神》ケルフローラと、その聖騎士。正直言って苦手な種類のやつらだった。すでにもううまくやれる気がしない。

 あの皮肉っぽくて芝居がかった、聖騎士の目つきを思い出す。それから《女神》の呆れたような冷たい視線。


「では、可能な限りの速度で進軍。当然、魔王どもは追撃してくるだろう。西へ逃げた傭兵隊の残存兵力とともに、熾烈な攻勢が予想される」

 逆に言えば、それさえ食い止めることができれば、トゥジン山を奪取する障害はほとんどないに等しいということだ。

 悠々と陣地を築き、要塞化することができるだろう。

 こちらに王女がいる限り、支援要請を無視することも絶対にできない。

 よって、問題は、


「……懲罰勇者、9004隊。貴様らには魔王現象どもの足止めを命ずる」

 ホードは重苦しい声でそう言った。

 その青い目が、今度ははっきりと、俺を正面から睨んでいた。こうして対峙してみると、まだ相当に若い。俺よりも年下かもしれない。


「本隊へ近づけるな。それに当たって、かつての第十三聖騎士団の騎兵と、狙撃兵の指揮権を引き続き委ねる。戦い方は任せるが、移動しながら迎撃を行え。質問は?」

 昨夜までの戦いと、同じだけの戦力でやれということか。

 騎兵と狙撃兵を合わせて四百。これはちょっと少なすぎるだろう。なので、俺はベネティムを肘で突いた。


「……あの、ザイロくん。きみの肘での合図、なんかすごく痛く感じるんですけど……もっとお手柔らかになりませんか?」

「じゅうぶん手加減してる。それより、なんとかしてくれ」

 小声で言う。

 ベネティムは吐きそうな顔をした。


「兵隊ですか? あの、どのくらい必要なんです……?」

「倍は欲しい。まずは工兵だな、技師じゃなくてもいいから二百。そこそこ器用なやつ。……なにしろ、ノルガユが負傷した。やつの指示を聞いて、実行できる手足が必要だ」

 今回、俺は単なる迎撃戦闘を考えていない。

 前線基地をここに確保するような戦いはやめるべきだ。それでは死人が多くなりすぎる。もっと単純な作戦がいいだろう――もとより、じっくり構えている時間もない。


「……ほ、他には? それだけじゃダメなんですか?」

「歩兵。狙撃兵と連携して動けるやつらがいる。これも最低二百……欲をいえば四百」

「数が多い気がするんですけど……」

「任せた」


 一瞬のため息。

 そしてベネティムは声をあげた。相変わらずデカい声で。

「僭越ながら、意見を具申いたします! 聖騎士団長どの。兵力について、我々が作戦を全うするにはいま少しの支援が必要です。なぜなら、」

「わかった」

 予想外にも、ホードはベネティムの途中でうなずいた。

 俺は驚いた――まさかベネティムがついに催眠術のような技まで手に入れたのかと思った。だが、ベネティムの顔を見ても、やつの方が俺より驚いていた。

 なぜか自分を指さしているが、改めて考えると、アホかと言いたい。

 お前にそんな特殊能力が開花してたまるか。


「認めよう、ベネティム。お前たちにはどれほどの兵力が必要だ?」

 ホードが冷静さを取り戻したのか。俺たちの意見を聞き入れるくらいには、心の余裕を手に入れたのか。あるいは――

 俺の想像を先取りするかのように、ホードは背後に控える王女を振り返った。


「これはメルネアティス様のご意向でもある」

 むしろホードのその言葉は、周囲の貴族たちと、何より自分自身にそう言い聞かせているようだった。

「この作戦において、最も過酷な戦闘を務める貴様らへの……支援を、指揮官として可能な限り尊重する」


「ホード・クリヴィオス。私ごときの意見を受け入れてくださり、感謝します」

 静かで、落ち着いた声だった。

 ベネティムとは明らかに、根本的な何かが違う。混沌としかけた場の中で、つい誰もが耳を傾けてしまうような、そんな声だ。

 その声の主――第三王女メルネアティスが、俺とベネティムに顔を向けていた。


「私と弟は彼らに救われました。彼らは私たちの身分を知らなかったにもかかわらず、危険を冒し、駆け付けてくれました」

 これには、誰からの言葉もなかった。

 王族の言葉に異論を挟める立場の者は、ここではホード・クリヴィオスぐらいのものだが、彼も不機嫌そうな顔ではあるが沈黙を保った。


「懲罰勇者部隊は信用できます。その能力も、精神の気高さも」

 言いすぎだ、と俺は思った。

 王女の目は節穴だ。

 精神の気高さだとか、そんなものを持ち出されては困ってしまう。特に俺たちの部隊なんて基本的には倫理的に破綻したやつか、そもそも根本がおかしいやつしかいない。


「懲罰勇者部隊。彼らをまた盾としようというのなら、それができるだけの支援を惜しむべきではありません」

 メルネアティスの言葉は柔らかく聞こえたが、しかし、そこには反論を許さない鋭さもあった。貴族たちも不満そうではあったが、とにかく黙っていた。

 これが王家の血というやつか。

 だがなるほど――その『鋭さ』の部分だけは、ノルガユもよく似ている。気がする。たぶん気のせいだ。


「信じています。勇敢な方々」

 メルネアティスは、俺とベネティムに向かって微笑した。

 他人にそういう表情を向けることに、すっかり慣れている人間の笑い方だった。


「……そういうことだ。私も、あくまでも軍事戦術上の観点に限り、同様の結論に達した。貴様らは実力を示した。そうするだけの価値があると、判断せざるを得ない」

 ホードは薄く目を閉じた。

「だが、その代わりに必ず魔王現象を止めてみせろ。それができなければ、我々は本当に壊滅する」


       ◆


 本当なら、そのままノルガユの見舞いにでも行くところだった。

 あいつには部下が二百人できたことを告げ、その指導を押し付けなければならない。

 だがその途中で、面倒くさいものを見た。


 ジェイスだ。

 しかも、怒鳴っている――十数人ほどの兵士に対して。


 おそらく、怒鳴られているのはみんな竜騎兵なのだろう。

 ジェイスと似たような、分厚い防寒着を着ている。しかし、誰もが一様に雪面に腰を下ろし、疲弊しきっているようだった。

 あるいは、立ち上がる気力もないのか。


 ジェイスの隣にニーリィはいない。

 これは非常にまずいことだった。ジェイスを止められる数少ない存在が、欠けているということになる。

 当然のことながら、聖騎士団と合流したいまはドッタも両手を縛りあげられて、ツァーヴの監視下だ。これはよくない。

 せめてニーリィに手綱を握ってもらわねば、ジェイスという男は人間にとって凶暴すぎる。


「ふざけるなよ、クソ野郎ども!」

 と、ジェイスは怒鳴っていた。

 いつものジェイス以上に、激怒しているようだった。

「なんで置いてきた!? お前らごときが、どのツラ下げて生き残ってきやがった? みんなは、お前らのために戦ったんだぞ!」


 ジェイスは泣いているように見えた。

 竜騎士の一人の胸倉を掴み、殺意すらこもった目で睨みつける。

 まだ若い男だった。ジェイスの剣幕にさらされて、その顔には明らかな怯えがあった。

「コーデリアはな! お前を心配してたんだよ。お前があんまりにもひ弱で、お人好しだから、生きて帰れないんじゃないかって――それを、お前はなんで! なんで置き去りにしてここに来た!?」


 コーデリアはドラゴンの名前か? ……俺にはジェイスの怒りの理由などわからない。

 激怒するジェイスを止めることもできない。止めようとも思わない。

 ジェイスが怒るとき、それはすべてドラゴンのためだ。自分のために怒ることなどまったくない。


 だから、止める言葉がない。気休めさえできない。

 そんな風にして、どう介入するべきか悩んでいると、背後から声をかけられた。


「放っておいたほうがいいよ、同志ザイロ。あれは仕方がない」

 ライノーだ。

 雪原の上に、砲甲冑を放り出し、本人は優雅に本なんて読んでいやがる。

 よく見かける光景ではあった――太陽のあるうちに、少しでも砲甲冑に光を蓄える。そしてライノーは本が好きだ。本当に何でも読む。理解しているかどうか、いまいち怪しいところはあるが。

 今日読んでいるのは、『キヴ・ベザルフィペ』。昆虫料理について書かれた書籍らしい。

 すぐに内容を忘れてほしい類の本だと思う。


「同志ジェイスはドラゴンのことについて怒っているんだよ」

「そりゃわかる。ジェイスが他のことに関して怒ってるところなんて見たことねえよ」

「そうだね。同志ジェイスは、あの竜騎士たちが置き去りにしてきたドラゴンたちのことで、ひどく憤慨しているらしい」

 ライノーはいつも通りの、一見穏やかそうな笑顔で、本のページをめくった。

 得体のしれない昆虫の図が、詳細に描かれている。


「彼らは、ドラゴンを本陣の竜房に拘束したまま、置き去りにして敗走したようだね」

「ああ」

 俺はジェイスのことを知っている。

 そういうことなら、諦めるしかない。

「そりゃジェイスは怒るよな。うっかり殺さなきゃいいけど」

「同志ジェイスは反省し、後悔し、絶望している人間は殺さないよ。それがわかっているから、あの程度で済んでいるんだ。手の付けようがない相手なら、同志ジェイスは即座に殺しているだろう」


「……まあ、確かに」

 俺はライノーを改めて見た。

 こいつは人間の倫理についてさっぱり理解している様子はないが、俺たち個々人の意識の持ち方についてはやたら詳しい。

 ジェイスの考えていることを、ちゃんと言語化できるのもこいつぐらいではないだろうか。もちろんその場しのぎという能力なら、ベネティムもやってのけるだろうが。


「それならいい。次の作戦には、ジェイスがどうしても必要だからな」

「ということは、決まったのかな?」

 ライノーはそこでようやく、本から顔をあげた。

「僕らのやるべきことは?」

「トゥジン山を獲る。俺たちは進軍する本隊の防衛。だが――そんな不毛なことをするつもりはない」


「ん? ああ。なるほど、そうか」

 ライノーは話が早い。

 どこかで戦術や軍事的な知識を学んだのだろうか。冒険者上がりにしては、察しが良すぎる。


「……僕らの方から、攻めるんだね? いいよ。大賛成だ……魔王現象を、叩きに行くんだろう?」

「そうだ。そもそも防御なんて、俺たち懲罰勇者の本領じゃないだろう」

 俺は隠さずにうなずいた。

「ジェイスには、前にデカい口を叩いた通りに『フリアエ』の相手をしてもらう。だからまあ、どうにかするだろ。……俺らは残った『アメミット』を狙う」

 本隊の防御という役目は、ある意味で嘘っぱちだ――攻めなければ。魔王現象の核さえ仕留めれば、それで終わる。

 そして人間の指揮官も仕留める。それができれば、誰も文句は言うまい。


「……いいね。すごいよ、素晴らしい」

 ライノーは本を閉じた。

 魔王と戦えることが楽しくてしょうがないというような顔で、目を細め、深くうなずいた。さすが志願勇者というべきか――戦いに飢えているのか。

「さすが、同志ザイロ。それでこそ僕の相棒。感動したよ……そういう作戦を考えるきみだから」


 ライノーは何度もうなずきを繰り返し、腹立たしいほど穏やかに笑った。

「どこまでもついていくよ。正直、きみには感服している。本当のことを言おう――個人的には、きみと同志ジェイスは僕の目標だ」

「ジェイスと一緒にするな」

 俺はできるだけ怖い顔でライノーを睨んだ。

 どこまで意味があったかどうか。


「あと、お前、死ぬほど胡散臭いんだよ」

「そうかな? 同志ベネティムよりも?」

「比較対象が悪い」


 ――とにかく、こうして俺たちの作戦は始まった。

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