刑罰:トゥジン・トゥーガ最前線陣地防衛 顛末

 敵の群れは西方へ去り、吹雪は徐々に収まりつつある。

 夜明けも近い。

 俺たちはみんな疲れていた。逃げ込んできた第九聖騎士団と、いくらか残った貴族連合の兵士たちの方が、その度合いは強かったかもしれない。


 ただ、うちの部隊ではノルガユが負傷していた。

 右腕をやられて、腹部にも抉られたような傷。

 意識を失うほどではないが、うわごとのような台詞を繰り返しているという――もっともそれは俺たちに言わせるなら、いつも通りのノルガユだ。

 見れば目つきも鋭く、思ったより傷は深くないように見えた。


「我が妹と、弟のためだ」

 見舞いに行ったとき、ノルガユははっきりと言った。

「それはすなわち、民のためでもある。王家の血が絶えては民の心が安らがぬからだ。王の血は最後の一滴まで民のためにある」

 完全にうわごととしか思えない。俺は少し安心した。まともなことを言っていたらどうしようと思った。


 聞いた話によると、第九聖騎士団がこちらの陣に逃げてきたとき、調子にのって追撃して来た異形フェアリーの群れもいたらしい。

 そいつらが後方から陣になだれ込み、俺たちが助け出した変な姉弟も、それに巻き込まれかけた。


 特に、意識が朦朧として動けない弟が危なかった。

 それを姉が庇おうとして、さらにその姉をノルガユが庇ったということだ。

 正直、俺はアホだと思う。ノルガユは確かに図体もデカいし力も強いが、だからといって戦闘訓練を積んだ兵士というわけではない――たぶん。なんとなくわかる。

 よって、馬鹿げた行いというしかない。


「……ノルガユ様は、あの様子ですが」

 と、呆れた目で見ていた俺に、声をかけてきたやつがいる。

《女神》だ。第九聖騎士団の――ペルメリィといったはずだ。どこか陰鬱な目つきで、俺を見ていた。


「かなり傷が深かった様子です。この、私の支援で、意識は明瞭を保ってはいますが……」

 なんだかやけに長い前髪の隙間から、ペルメリィは俺を見ていた。

「あまり無理をさせない方がいいでしょう」

 そういえば、第九聖騎士団の《女神》は毒を呼び出すことができると聞いている。それは必ずしも生物を痛めつけたり、殺したりするためにだけ使われるものではない。

 中には傷の痛みを麻痺させ、意識を保つような、癒しに使える毒もあるらしかった。

 つまり、ノルガユに使ったのは、それか。


「もう少ししたら、眠りにつく……ような毒を、使おうと思っていますが」

「そうしてくれ。俺なんかが何言っても、ノルガユは聞かねえよ。なにせあいつは国王陛下だからな。寝ててくれた方がいい」

 俺はペルメリィを見て笑った。

「一応、礼を言っとくよ。ノルガユ陛下には無理だろうからな。助かった」

「では――え、あ、う」

 ペルメリィは何か言いかけて、口元に手を当てた。怯えたような目を伏せ、俺から離れていく。

「ごめんなさい。良くないことでした。し、失礼します!」


 その反応も当然かもしれない。

 なにしろ、《女神殺し》が相手だ。たとえば俺が殺人鬼と二人きりで会話する羽目になれば、もっと気を付ける。

 無駄に怯えさせただけかもしれない。後でホード・クリヴィオス――あいつが契約する聖騎士に怒られるだろうか。


「ザイロ」

 俺が考え込んでいると、背後から声が聞こえた。

 いつからそこにいたのか。テオリッタだ。彼女はなんだか底の抜けたような快活な笑みを浮かべて、俺の上着の裾を引っ張った。

「よくないことですよ。他の騎士の《女神》と会話するだけならともかく、褒めるようなことを口にするなんて」


「別に褒めてない。礼を言っただけだ」

「よくないですよ」

「ノルガユの手当てをしてもらったんだろう。礼は言う」

「よくないですよ」

「おい、力が強いぞ。裾が伸びる」

「よくないですよ」

「やめろ」

 テオリッタが満面の笑顔のまま、あまりに強く引っ張るので、俺はその手を掴んで止めるしかなかった。

 もしかすると、よほど何か言いたいのかもしれない。重大な要件とか。


「どうした。何か用事があるのか?」

「あ。はい。そうでした! そうです――ベネティムと、第九聖騎士団の団長という方が」

 テオリッタは何か思い出したように両手を叩き合わせた。

「ザイロを探しているようです。何か、相談したいことがあるのだとか」

「だろうな」


 気の重い話だ。

 なにしろ、俺たちは負けたのだから。


        ◆


 天幕の中には、すでにホード・クリヴィオスがいた。

 第九聖騎士団の団長である。

 その背後には、貴族連合の残った代表らしき連中。まだ五人くらいは残っていたか――知らない連中だ。


「……状況を説明する」

 と、ホードは重々しく言った。

 その顔には疲労の色が濃い。憔悴している。いつもあった張り詰めた気配が弱々しく感じられた。


「貴様ら懲罰勇者部隊が進発した後、我々の本陣は敵襲を受けた。魔王現象だった」

 ホードは作戦卓に両肘をつき、かろうじてそれで体を支えているようだった。

「……それも三体だ。『ライネック』、『フリアエ』、『アメミット』」

 一気に三匹か。それはずいぶんと豪勢な陣容だ。


 このうち『ライネック』については聞いたことがある。

 自分と、自分が支配する異形フェアリーの姿と物音を消してしまうことができるらしい。

 詳しい仕掛けはわからないが、とにかくそんな連中に襲われたらさぞかし大混乱に陥ったことだろう。


「急襲を受けて、貴族連合の大半が交戦せずに瓦解した。『ライネック』は隠密性能に優れた魔王現象だった。我々は踏みとどまり、かろうじてこの魔王現象『ライネック』を撃破した。が――」

 なるほど。

 一匹は撃破したか。第九の《女神》ペルメリィによる無差別攻撃なら、被害は出るが倒せない相手ではなかっただろう。

 さすがに第九聖騎士団、まったく一方的にやられたというわけではない。


「……我々の勝利も、敗勢を覆すことはできなかった。南方への道を遮断され、我々はこちらへ逃げるしかなかったということになる」

 ホードは深くため息をついた。俺を睨む。

「ザイロ・フォルバーツ。一応は、任務を果たしたことを労おう」

 少しも労う気の感じられない口調だった。むしろ腹立たしげな響きもある。

「また、これからの方針についてだが」


「聖騎士団長。ここは撤退の一手でしょう。ヨーフ市に引き上げねば」

 背後に控えていた貴族の一人が、声をあげていた。

 それに続くやつもいる。

「同感です。論じるまでもありません。我々は兵站を遮断されてしまった。後方の敵を迂回、または強行突破し、一刻も早く街へ戻るべきです」

「ええ。その後、戦わずして敗走した貴族どもを糾弾し、しかるべき処罰を与える必要があるでしょうね」


 ホードは鬱陶しそうな目で、彼らの言い分を聞いていた。

 やつらの言いたいことはわかる。最終的な目的はただ一つ、自分たちより早く逃げ出した連中への処罰だ。

 それによって領地や資産を没収し、当然、その分配に預かりたいのだろう。


「第二王都は、ガルトゥイルに任せておけばよい。我々はむしろ南部諸貴族で団結し、強固な防衛線を築くべきかと。それだけの備えはある。領民の安全こそ第一ですから」

 そう言った貴族の一人の言葉からは、この遠征と敗戦に付き合わされたことへの不満が確かに覗いていた。

 それはそうだ。

 第二王都が落とされ、奪還が難しくなっているいま、南部をある種の自治領として独立させるような構想も準備されていたのだろう。


「……あの、ザイロくん」

 不意に、ベネティムが口を開いた。

 やつは怯えたような目でこちらを見ていた。

「なんか雰囲気が最悪なんですが、これ、どういう風になるのがいいんでしょうか?」


「このままヨーフ市へ引き上げるのは、明らかによくない。第二王都奪還の可能性が極端に低くなるし、何もいいことはない」

 得をするのは、ここにいる五人の南部領主くらいだ。

 俺たちが撤退すると、第二王都の魔王現象は、すべての戦力をガルトゥイルとの戦いに回せることになる。

 俺たちは消耗だけして街へ戻り、そうなれば、再び攻勢に出るための力を蓄える必要が出てくる。それがいつになるかは想像もつかない。


「ここは何が何でも、当初の予定通りにやるべきだ」

「……わかりました。そのために必要なものは?」

「やる気と覚悟。物資の面でいえば、まだ戦いは継続できる。トゥジン山までは楽勝で持つだろう。……問題なのは負けたことだ」

 本陣が魔王現象に急襲され、ここまで敗走することになった。

 その心理的な影響は大きい。せめてホード・クリヴィオスにはやる気を出してもらい、貴族どもの手綱を握りなおしてもらわなければ。


「わ、……わかりました。では、負けたのではなく……むしろ勝ったことにすればいいんですね?」

「そりゃそうだけど。おい、そんな無茶な」

「――みなさん!」

 ベネティムが声をあげていた。

 こういうとき、こいつの声はめちゃくちゃ大きく、他の話しているやつの言葉をかき消してしまう。

 こうなると議論なんて無駄だ。ただ一方的にベネティムの声を聞くしかない。


「みなさんは誤解されているようですが、我々はいま優勢であり、魔王現象に勝利しつつあります!」

 貴族たちの目が、何言っているんだこいつ、という様子になった。

 ホードも同様だったし、俺も似たような目で見ていた。


「先ほど我々は兵站を遮断されたとおっしゃられましたが、実際には、敵の兵站を遮断しているのは我々の方なのです。ヨーフ市と我々の軍で、後方の魔王現象は完全に閉塞しております」

「……そのヨーフ市が」

 と、貴族の一人が言った。

「いま、脅威にさらされているのだ。襲われるかもしれん」


「問題なく。そちらにはすでに手を打っています。このザイロ・フォルバーツと婚約関係にある南方夜鬼、マスティボルト家が――」

「おい、てめえ、ベネティム」

 俺は肘で小突いたが、ベネティムの舌は止まらない。

「フレンシィ・マスティボルトが氏族を糾合し、兵力を結集させました。彼女らにヨーフ市防衛を任せます。あの街は、籠城するなら何か月でも持たせることができますからね。たとえ潜入された場合でも、その防衛力はご存じの通り」


 フレンシィの軍勢が、勝手にヨーフ市防衛を担うことにさせられた。

 だが、貴族たちを一時的に黙らせることには成功していた。それが真実かどうか、この場で確かめることはできない。

 それでも、マスティボルト家と夜鬼のことだけは知っている。

 やつらはやると言ったらやる、戦いに生きてきた歴史を持つ民族ということだ。


「我々はやつらのことなど放っておき、予定通り前進すればいいでしょう。懲罰勇者部隊はご命令に従って前線基地を確保し、本隊である第九聖騎士団も魔王現象の一体を討伐されました。作戦は、全体を俯瞰すれば順調に推移しています」

「……だが、兵站は」

 ホードはさすがに完全には騙されない。

 鋭い目つきをベネティムに向けていた。


「兵站はどうする。前進し、トゥジン山へ到達したとして、第二王都を攻めるだけの物資が必要だ」

「そこから先は、ですね」

 今度はベネティムが俺を見た。

 軍事的な問題は仕方がない――俺が答えるか。


「大河キンジャ・シヴァがある。第一王都と兵站が繋がるはずだ。いますぐ伝令を出して、他の聖騎士団との合流を打診すればいい。できれば第六聖騎士団だ。東部のうまいメシを運んでこいってな――とにかく、要点は」

 俺は作戦卓に手をついた。

 勢いと迫力。あとは、攻撃の提案。これで結構会議はまとまる。軍人は攻めるのが好きだ――守りの戦いは終わりが見えないが、攻めには達成すべき目標があるからだ。

 ホードも籠城なんかより、攻勢による脅威の排除を望んでいるだろう。俺も同じだ。


「要点は、素早く移動して、トゥジン山を占拠しちまうことだ。……背後のやつらも慌てて追って来るさ。そしたら、俺たちが盾になって止めてやるよ」

「それは――」

 答えようとして、ホードは奥歯を嚙み締めたようだった。

「貴様らを信用しろというのか? 懲罰勇者部隊を? 貴様らのような屑どもを」


 ベネティムが俺の横で、腕を引っ張っていた。

 余計なことを言ったのかもしれない。

 俺の発言を咎めるような顔をしていた――そいつは悪かった。俺は詐欺師じゃない。


「……方針を検討させてもらう。もういい。ここから出ていけ、勇者ども」

「待て、いま決めなきゃだめだ。こういうのは速度が全てだ、時間をかけるほど不利になる」

「私がそう決めた。出ていけと言ったぞ、勇者ども。首の印を破裂させてほしいのか?」

「上等じゃねえか。あんたの命令を忠実にやり遂げた連中への報酬がそれか? 俺たちが踏みとどまってなかったら、お前らどこに逃げ込むつもりだったんだよ」

「口の利き方を――」


 売り言葉に買い言葉だ。

 いつもそうなるし、よく注意される。だが、こういうことを言われて黙っていられるかと言えば、俺には無理だ。

 確かに俺たちの部隊は屑ばかりだが、人類が勝つためにはここにいる誰よりも真面目にやっている。

 もちろんそれは、そうしなければ聖印が爆破されるせいだし、死んでも生き返るからでもある。

 動機としては、所詮はそういうことに過ぎない。


 だが、結果として自分たちの保身とか、そういうのとは別の目的のために戦っているのも確かだ。こっちは本気でやっている。

 それが俺たちの行動の結果であり、それこそがすべてだ。


 俺はホードにもう二つ三つ文句を言ってやろうと思った。

 もはや意見など通らないかもしれないが、そうせずにはいられなかった。

 だが――


「失礼いたします」

 と、天幕の入口から声が聞こえた。

 周囲の視線がそこに集まる。一人の少女が立っていた。あれは確か、ドッタが救出を主張した二人の子供のうち、姉の方か――

「こちらにいると伺って、訪ねて参りました。クリヴィオス第九聖騎士団長。お話し中に申し訳ございません」


「……なぜ」

 と、言ったホードの顔から表情が抜けた。

 驚きすぎて、どういう表情を浮かべればいいかもわからない。そんな様子だった。

「第三王女殿下。なぜ、このようなところに」


 マジか、と、俺は思った。

 ノルガユのやつ、適当なことを言っていたわけじゃないのか。

 だったらあいつは、この少女の顔を知っていたのか――そして、この王女殿下も、ノルガユの顔を知っていた。

 それはとてつもなく不可解なことに思えた。


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