刑罰:トゥジン・トゥーガ最前線陣地防衛 4

 最初に異変に気づいたのは、ジェイス・パーチラクトだった。

 吹雪の空からそれを見た。


 ジェイスとニーリィの空中戦闘がほぼ終息しかけていた頃だった。

 彼らの戦闘、それ自体は一方的ですらあった。


 射程距離と運動性能が違いすぎた――グレムリンの爪や牙はかすりもしない。もともと彼らは大型の獲物に空から群がり、集団での狩りを主とする異形フェアリーだ。

 群れたところを、逆に狙われる形になった。

 ドラゴンの息吹が夜空を焦がすたび、グレムリンが灰となる。


 また、グレムリンよりは空中戦に向いたガーゴイルも似たような末路を辿った。

 遠距離に棘のような器官を飛ばす攻撃手段こそあったが、それはニーリィの空中機動によって回避され、背後をとられて炎に焼かれる。

 ジェイスの槍ですれ違いざまに串刺しにされた者もいた。

 聖印を刻むことにより、追尾する性能のある短槍を、ジェイスは何本か携行している。


「いや。気にするな、ニーリィ」

 ニーリィの咆哮を聞きながら、ジェイスはその首筋を撫でた。

「下のやつらにはせいぜい苦労させておこう。ザイロが仕事してるんだ、すぐに終わるさ」

 そうして、残り少なくなったガーゴイルの一匹を射落としたときだった。


「……なんだ、あれは?」

 思わず、地上に目を凝らす。

 懲罰勇者とその支援部隊が布陣する、防衛陣地の後方だった。

 雪煙――それを従えるように、走る影がいくつか。いや、もっと多い。旗が翻っているのも見えるが、どうも混乱しているように見えた。


 それは、ジェイスの目には敗走してくる軍に見えた。


        ◆


 俺は正面を睨んだ。

 バーグェスト。ひどく大型の個体だ。

 異形フェアリーには個体差があるとはいえ、これはその範疇を越えているように思える。象よりもまだデカい。

 軍の上層部や行政室なら、こういう相手には新たな分類名でもつけるのだろう。

 しかし俺にそんな趣味はない。


 だから、ただ鉄条網を越えて跳ぶ。

 コシュタ・バワーたちの死骸を足場に、さらに跳ぶ。

 大型バーグェストの上に乗ったゴブリンたちが、こちらに雷杖を向けてくるのがわかった。

 俺にしがみつくテオリッタの腕に力がこもる。


「ツァーヴ! 乗ってるやつらを――」

 黙らせてくれ、と言おうとしたつもりだが、さすがに仕事が速い。

 言い終える前に稲妻が走った。跳んだ俺の足元をかすめるように、閃光が一つ。乾いた破裂音。

 ゴブリンが二匹、それに貫かれて吹き飛んだ。

 一度に二人か――なかなか効率的じゃないか。


『よし! まず、オレが二人っスね。みなさんどうっスか? 多く落とした方が勝ちってことで』

 ツァーヴの声が聞こえる。

 もしかすると、元聖騎士団の狙撃兵たちと賭けでもしているのかもしれない。こんなときでもふざけるやつだ。


 その声に応じるように、稲妻が何条か、バーグェストとその乗り手たちを狙って走る。

 一発だけは当たった――また俺を狙おうとしていたゴブリンが落ちる。

 それで、やつらをだいぶ消極的にすることはできたようだ。何かを叫びながら伏せ、バーグェストの背に備えた盾、らしきものに身を隠す。

 とはいえ、


「ツァーヴ! 変なことさせるな、俺に当てたら殺すぞ!」

『ひぇっ……じゃ、じゃあ、ルール変更! この勝負にはヘタクソな人は参加禁止でお願いします!』

 ひどい言いぐさで、また反感を買うのは目に見えていたが、もうこの距離だ。

 気にしている余裕はない。俺は近づくバーグェストを睨みつけ、ナイフを引き抜く――投擲する。

 また、テオリッタも虚空に剣を呼び出した。


 爆破。そして剣が降り注ぐ。

 バーグェストの横をすり抜けるような形で、すれ違った。ゴブリンたちの散発的な射撃は明後日の方向を狙っている。

 俺は雪面を削るように着地した。振り返る。攻撃の効果は――


「ザイロ! どうやら、まだのようです」

 テオリッタの髪の先から、火花が散るのがわかった。

 不満そうに怪物の巨体を見上げている。

「あの毛皮、かなり分厚いようですね」


 バーグェストは咆哮をあげ、棹立ちになっていた。

 俺のナイフが着弾した個所はえぐれており、毛皮も焼け焦げている。テオリッタが呼んだ剣も、確かに突き刺さっている。

 だが、致命傷には遠い。

 毛皮というより、その下にある皮膚が分厚い装甲の役目を果たしているようだった。


 やつは大きく首をふり、こちらに向き直ろうとしている。

 何匹かのゴブリンはその動きで振り落された。

 間近で動かれると、なかなかの迫力だった。地響きが起きる。雪と泥が跳ね飛ばされる。


「大きな剣を使いますか? あの巨体を貫くには――」

「いや」

 俺はナイフを引き抜き、時間をかけて聖印を浸透させていく。

「足場だけでいい。ツァーヴがいるからな、こいつは楽な仕事だ」


 再び跳ぶ。

 テオリッタの呼び出した剣を蹴って、また頭上へ。今度は飛び越す形。

 ゴブリンがこちらへ楽々と狙いをつけられる状態だが、もはや二匹しか残っていない。その二匹を、間違いなくツァーヴの放ったと思われる稲妻がまとめて貫いた。

 それに続いた連射が、大型バーグェストの頭部を撃つ。

 こっちは狙撃兵たちだろう。いくらか注意を逸らすことになる。


 優れた狙撃兵による援護射撃がある以上、こんな相手はたいした脅威ではない。

 俺が攻撃に専念できる。

 この形が整っている限り、テオリッタに余計な負荷もかける必要がない。

 ツァーヴというやつは、人間性はさておき、狙撃兵としておよそ望み得るすべての技量と判断力を持ち合わせている。

 本当に人間性はどうかと思うが。


 とにかく、俺の攻撃は成功した。

「しっかり捕まれ」

 と、テオリッタには言った。

 じゅうぶんに浸透させた爆破印とナイフが、大型バーグェストの頭部に突き刺さる。吹き飛ばす。それだけの威力をこめることができた。


 あとはテオリッタを抱えて着地するだけ――転がるようにして衝撃を殺す。

 頭部を失ったバーグェストが、ゆっくりと倒れこむのが見えた。


「私の活躍が」

 テオリッタは俺に抱えられながら、それでもまだ不満そうに言った。

「ぜんぜんありませんでした」

「拗ねるな。まだまだ敵はいる。魔王現象の本体だって、姿を見せてない」


 とはいえ、もう決着はつきかけている。

 残っていた騎兵は迂回機動を試みたらしい。それ以外はバーグェストによって蹴散らされている。

 歩兵はうんざりするほど多くいるが、こちらの残り一手がちゃんと決まってくれれば――

 と、俺がそんな都合のいい想定を思い浮かべたときだった。


『――ザイロ!』

 不意にドッタの声が聞こえた。

 いつものことではあるが、やつから通信があるとき、慌てていないということがない。

「なんだよ」

 そう答えた俺には、このときまだ心の余裕があった。


 せいぜい、ようやく伏兵が出てきたぐらいの話だと思ったからだ。

 敵は圧倒的に大軍だが、指揮官の性格によっては、俺たちみたいな小陣地を相手に伏兵を引っ張り出してくる可能性もあった。

 最悪で、魔王現象の本体ぐらいか。


 そこまで来て第九聖騎士団本隊からの攻撃がなければ、逃走してもよいという話にはなっていたし、その準備もしていた。

 少なくとも第九聖騎士団の陣地に向かえば、やつらを巻き込んでいくらでも対策の立てようはある。

 第九の《女神》が誇る「毒の雨」もある。それを当てにしていた。


「またまずいことになったのか? 今度はなんだ、そろそろ魔王が来たか」

『違うって! ザイロ、いますぐ戻ってよ、大変だから!』

「また新手の敵か」

『いや――違う。味方』

「ああ?」

『負けたんだってさ、ぼくら』


        ◆


 騎兵の一団が、敵の歩兵を貫いた。

 乱れた隊列の隙間を縫って、機動力を活かし、敵後方を攻撃する。


 単純だが、これこそが騎兵の本領の一つといえるだろう。

 少なくともパトーシェ・キヴィアはそう教わった。


(いた)

 パトーシェは馬上で槍を握りなおす。

 雪の向こうに、素早く移動する騎兵の姿が見えた。すでに敵が動いたのはわかっていた。あの陣地を正面から破るのは、とてつもなく困難だ。

 背後に迂回して逆転を狙う。

 お互い似たような考えをするであろうことは、想像がついた。


 こちらと同数ほどの騎兵の一群。

 敵の指揮官の姿がある――どうやら女だ。

 くすんだような赤毛。こちらを見て、驚いたように片目を見開いた。よく見慣れた長槍を片手に抱えている。

 ディグラープ打撃印群だろう。接近戦における破壊力に優れた聖印群で、騎兵が用いる。パトーシェ自身、それを用いて訓練したこともある。


(なかなか統率は取れている。迂回機動についてくることのできる精鋭で向かって来たのだろう。だが――)

 パトーシェは思考を打ち切った。背後に続く騎兵に対し、声を張り上げる。

「続け」


 ずいぶん規模は小さくなっていたが、それに応じるのは、かつての第十三聖騎士団だった。

「了解です」

 という騎兵長――ゾフレクの声と、低い雄叫びが響いた。

 ほとんど一塊の砲弾のようになって、敵の騎兵群とぶつかっていく。


 その結果は、歴然としていた。

 要因は二つ。

 敵の方の移動距離が大きかった――この吹雪の中を大回りして、背面を突こうとしていた。パトーシェたちはそれを狙い撃つだけでよかった。

 もう一つは、単純な練度だ。

 戦慣れした傭兵は、個々が侮れない戦闘要員ではあるが、群れとして見た時にやはり脆さがある。パトーシェが指揮する騎兵隊は、互いに連携して戦闘する方法に長けていた。

 正面からの衝突では、それがはっきりと表れる。


 瞬く間に数十騎の敵が叩き落された。

 そして、パトーシェ自身も敵の指揮官と向き合う。

 くすんだ赤毛の女は、鋭い気合の声とともに長槍を振るった。

 ぎゅっ、と、その穂先が撓んだ。低い軌道――ねじれながら伸びてくる。槍の形状自体が、蛇のように変化していた。

 地面を抉り、雪を吹き飛ばして、下方から延びてくる。


 ディグラープ打撃印群は、近接戦闘のための聖印群だ。

 武装の形状を変形させながら、相手の盾を避けて貫く。あるいは、相手から届かない位置から武器を伸ばし、攻撃を加える。

 ぶつかるのが一瞬の騎乗戦闘であれば、かなり有効な武装だ。

 特に歩兵が相手であれば、一方的な蹂躙になるだろう。


 ただ、パトーシェの身に着けた甲冑は、そうした敵に対するための兵装だった。

 こちらはニスカフォル掩撃印群という。

 もともとは障壁印ニスケフよりもさらに強力で、全面に展開できるようにした防御用の印群になる。持続するのはごくわずかな時間ではあるが、その防御力は砲撃にも耐えうる。

 人間の突撃をそのまま凶器に変える、という設計思想がその背景にあると聞く。


 その防御性能に死角はなく、どれだけ複雑な軌道で刃が襲い掛かっても同じことだった。

 赤毛の女の放った長槍は、青く輝く障壁にぶつかって砕けた。

 すれ違いざま、同時に、パトーシェもまた槍を振るう。


 相手が回避を試み、それは半ば失敗した。

 槍を握っていた右腕――その肘の上あたりに、パトーシェの槍が引っかかった。

 直後、衝突の勢いで吹き飛ばしている。


「く」

 赤毛の女がパトーシェを睨んだ。

 いや、その目は、彼女ではなく別のものを睨んでいたような気もする。

「首吊り狐」

 と、聞きなれない言葉を聞いた。そのまますれ違って離れる。


(勝てる。もう一押しできる)

 パトーシェは彼女を追撃しようとする――部下の騎兵がそれを阻む動きをしてくる。

 最初のぶつかり合いによって、かなり数が減っていた。こちらの騎兵はほぼ健在。押し切ることができる。

 そう思った瞬間に、声がした。


『戻れ、パトーシェ。まずいことになった』

 ザイロだ。

 指揮官であるベネティムを経由した割り込み通信――パトーシェは唸った。ここで引くのは、あまりにも惜しい。

「あと一押しで潰走させられる! 何があった?」

『負けたみたいだ。くそ』


 ザイロの声には、いつも通りの怒りがあった。

 本人は気づいていないかもしれないが、そのむやみな怒りには、かえって周りの人間を冷静にさせるところがある。

 だから、彼女もいくぶん冷静な意識でそれを聞いた。


『第九聖騎士団の本陣が魔王現象に襲われて、貴族連合が交戦する前に逃げ出した。それでもどうにか撃退して、こっちまで避難してきたってよ――くそっ』

 それもまた、迂回奇襲だ。

 この吹雪に隠れるようにして、魔王現象が動いていた――恐ろしく素早く、隠密性に優れた魔王。そういうことなのかもしれない。


『ヨーフからこっち、負け続けだ』

 ザイロは忌々しげに言った。

 局地戦では勝っている、とパトーシェも思った。

 懲罰勇者部隊は、予想以上の勝利を重ねている。

 だが、もっと大きなところでは負け続けていた。まるでこの敵の動きは、自分たち懲罰勇者部隊との正面戦闘を回避し、徹底的に追い込もうとしているように思える。


『ろくでもないことになるぞ。とりあえず第九聖騎士団長の顔でも見て憂さを晴らせ、笑えるぜ』

 趣味の悪い男ではある。

 ということは、自分の趣味も相当に悪いのかもしれない。

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