刑罰:トゥジン・トゥーガ最前線陣地防衛 1
トゥジン・トゥーガ、北東部第四丘陵。
後に『棘の掌』と呼称される場所である。
おそらく懲罰勇者たちの名が歴史上に現れたのは、このときが最初だっただろう。
◆
グレムリンからの報告は、断片的であったが、状況把握の手がかりにはなった。
彼らも多少は人間の言葉を使うことができる。
オウムのようなものだが、訓練によってそれなりの意志疎通はできるようになる。
「どうやら、先行させていた追跡部隊は、姉弟を逃したようです」
レントビーが声をかけたとき、トリシールは目を閉じていた。
馬の背に揺られながら、眠っているようにも見えた。
だが、実際は違う。レントビーはそのことを知っている。ゆえに報告していても、油断はできない。明快な言葉を心がける。
「大規模な破壊兵器に阻まれました。砲兵と、それにドラゴン。竜騎兵です」
特に、竜騎兵の方だ。レントビーは苦々しく思う。
砲兵の方は情報不足でよくわからないが、いま明白な脅威になっているのは、たった一騎の竜騎兵だった。
戻ってきたグレムリンがわずか四匹だったということから、その竜騎兵の異常さがよくわかる。
護衛用にガーゴイルも飛ばしたというのに、それも簡単に焼き払われてしまった。
制空権を完全に抑えられ、地上への攻撃も許す結果になっている。
「――そして、騎兵が三騎。おそらくは例の三騎かと。やつらが姉弟を救出しました。これは個人的な見解ですが、最初からそれが狙いで突出してきたものと思われます」
「そうか。……これはなかなか面白いな、レントビー」
トリシールは薄く目を開けてうなずいた。
やはり、しっかりと聞こえていたらしい。
「ドラゴンと砲兵まで持ち出してきている。たやすく制空権を奪ったドラゴンも脅威だが、砲兵はおそらく複数。砲撃が正確すぎた。単独で狙いをつけていたとは思えん」
「見えたのですか、トリシール様」
「ようやくな」
トリシールは肩のあたりを指で触れた。
おそらく無意識の仕草だろう。そこに、噂に聞く『聖痕』があるに違いない。
「騎兵の顔も見えた。最初に偵察部隊が遭遇した連中と同じだ。王子を救出した者が、おそらく例の指揮官なのだろうな。なかなか大胆で面白かったぞ」
トリシールは喉の奥から、引きつるような音を鳴らした。
笑ったのだ、と、少し遅れてレントビーは気づく。
「まさか、
レントビーには想像もつかないが、彼女にはその光景がはっきりと見えたに違いない。
それは、彼女が生まれ持った才能――『聖痕』によるものだ。
『聖痕』とは、生まれつき個人の体に刻まれた、聖印のことを言う。
刺青などではなく、それは痣のようになっており、たとえ焼いても剝がしても消えず、やがて再生する。
伝説によれば、かつて第一次魔王討伐の際に召喚された異世界の人間が、こちらの世界の者と子を成した際に受け継いだものらしい。かつては「スキル」や「天恵」と呼ばれていたとも聞く。
その性質は必ず子に遺伝するとは限らず、何代も隔てて発現することがあるという。
――ただし、現代においては、その社会的な地位は逆転したに等しい。
『聖痕』を持って生まれた者は呪われた子供として扱われ、ひそかに捨てられたり、殺されたりすることも多い。人間社会に混じって暮らすには、異物すぎたのだろう。
少なくとも十年ぐらい前までは、『聖痕』持ちの子供は生まれた直後に捨てられるのも普通のことだった。
そしてトリシールは、その環境から生き残った者だ。
彼女は遠くの光景を見ることができる。
しかし、それほど自由自在にとはいかない。神経を集中させているとき、夢を見るようにして、その光景が目に浮かぶことがあるのだという。
「思った以上の強敵だぞ」
トリシールは少し興奮気味に言った。
「特に指揮官が凄まじいな。この展開を予期していたように陣を張り、躊躇なく精鋭による救出部隊を編成。しかもそれを直率したときている。どうだ、レントビー」
「ええ」
という返事しか、レントビーには返せない。
「……同感です。油断できない相手かと。獣じみた直感と判断力ですね」
「そう! まるで獣、その狡猾さは狐だな。首吊り狐を知っているか?」
「いえ……聞いたことはありません」
「私の故郷の森に棲む、賢い獣だ。樹上から獲物に襲い掛かるような狩りをする。それにそっくりだ。その指揮官――ああ――便宜上、仮にやつを《首吊り狐》と呼ぼう。そいつを相手に大軍で戦をするというのは……ふふ」
トリシールは獰猛に笑った。
「優れた者を蹂躙するのは、心が躍るな。レントビー、戦闘準備をしろ」
「はい」
恐怖を覚えながら、レントビーは真面目そうな表情を装ってうなずいた。
自分は、明敏で忠実な副官でなければならない。そうでなければまずこのトリシールに何をされるかわからない。そうした危うさを持つ女だった。
「ようやく騎兵の出番だ。コシュタ・バワーと組ませて、数を揃え、中央に配置。歩兵は左右に展開だ、道を開けてやれ。その後、陣地を両翼から包囲させる」
トリシールの頭の中では、これからの戦闘が思い浮かべられているのだろう。
実に楽しそうに見えた。
「これだけの軍勢を、その少数精鋭でどうやって凌ぐ? 《首吊り狐》。少々の騎兵の援軍はあれど、簡単に蹂躙してしまうぞ――ああ、レントビー。一つ徹底させろ」
「……と、言いますと?」
「指揮官は生きて捕えろ。個人的に興味がある。面白そうではないか? これほどの精鋭を操り、見事我々の前からあの姉弟を奪って見せた相手だ」
トリシールは高揚した目で、丘陵の向こうにいるはずの指揮官を見ていた。
「そういう人間を捕え、心を折るのがいいんだよ。わからないか?」
「はあ……」
「《首吊り狐》が、どう出るか楽しみだな。おそらくは冷静で、混乱や恐慌とは無縁の指揮官なのだろうがな」
◆
「ザイロ! どうしよう!」
と、陣地にたどり着くなり、ドッタは叫んだ。
馬から転げ落ちるように降りる。その腕の中には、しっかりとあの少年が抱え込まれていた。
「なんとかしなきゃ! こっ、この子、角が刺さってるんだ!」
「見りゃわかる」
「呼吸もすごく浅いんだ! どうしよう!」
「どうしよう、だってよ。ツァーヴ」
俺は我が部隊の狙撃手にして、衛生兵でもある男の肩を叩いた。
こいつはさすがに仕事が速い。もう少年の傷を睨みつけている。
「どんな感じだ? 生きてるよな?」
「そうっスね。割と運がいい方じゃないっスか? いやー、角も抜かなくて良かったと思いますよ! 兄貴とか、自分の体基準で乱暴にそういうことしそうだからなあ」
「お前、余計なこと言わずに仕事できねえのか?」
「余計なこと言いながらでも仕事できるのが、オレの天才なとこなんスよ!」
ツァーヴは人体を効果的に破壊することに長けている。
どこをどうすれば人が死ぬのか、人体の構造がどうなっているか知っている――その方法を、暗殺教団で学んできた。
つまりそれを応用すれば、人体を治す方にもある程度は使えるということだ。
こいつが実に手際よく応急手当をするまで、俺もそのことが信じられなかった。
「内臓に負傷は……ああ、ダメっスねこれ。服が肉の中に埋まっちゃってるし……。仕方ないんでスプライト使います」
傷口を見ていたツァーヴが、低く唸った。
「修理場からくすねてたやつありましたよね? ノルガユさん、助手お願いします!」
「よかろう」
ノルガユが鷹揚にうなずき、荷袋から小さな瓶を手に取る。
「民を救うのは王の責務だ。ツァーヴ、励め」
ノルガユは瓶の蓋を開ける。底の方にうっすらと赤く輝く粘液が溜まっていた。その光が漏れ出しているのだ。
これは『スプライト』と呼ばれている。
第二の《女神》、アンダウィラ――あのクソ生意気な《女神》が召喚する、とても小さな生き物のようなものだという。
それはもう目に見えないほど小さいので、集合体だと、こういう液体のような状態に見える。傷口を接合し、癒し、復元する能力があるらしい。
俺も使ったことはある。
第二の《女神》とその聖騎士は正直言って苦手だが、これが『修理場』の根幹を成す技術の一つ――だと聞いていた。
「……女の子の方は、どうなんでしょう?」
ベネティムは少女の方を眺め、何ができるわけでもないのに深刻そうな顔をしていた。
「すごく顔色が悪いですよ。真っ白です」
「色白なのはもともとだと思うけど、体温が低いね」
ライノーなんかは無遠慮に、少女の顔を触っている。それはむしろ、道端で拾った珍しい生き物の手触りを確認しているようだった。
「でも、それぐらいだ。体を温めて、ちゃんと栄養を摂れば回復するよ! いやあ……繊細に見えて、なかなかよくできてるなあ」
「ライノー、不用意に触れるな。おそらく、身分の高い方だぞ」
パトーシェが咎める。
ライノーが少女に触れているということが、なぜかひどく不吉なものに感じるらしく、彼女はいまにも腰の剣に手をかけそうだった。
「右の耳飾りが見えないのか。黄金だ。それに宝石……いや待て、これは左右で一対のものではないか? まさか、ドッタ、貴様」
「うッ」
「同志ドッタ、あとでその手の平に隠したものを返した方がいいかもしれないよ。……ああ、これかい? 確かに黄金だね」
「だから気安く触るな、と言っているというのだ……!」
またライノーが遠慮なく少女の耳――そこにある何かの鳥を象った金細工に手を伸ばす。
パトーシェはそれを止めようと、ライノーの手首を掴んだ。
少女の体が揺さぶられることになる。
「あ……」
それと同時に、少女は目を開いていた。
「あ」
青い瞳だった。
その目は、パトーシェのこともライノーのことも見ていない。
視線はただ、弟の手当てをするノルガユ陛下に注がれていた。それも、とてつもない驚愕の眼差しで。
「――ノルガユ様!?」
少女の喉から、かすれた声が漏れた。
はっきりと俺は聞いたし、周りのみんなも同じだろう。やつらの脳裏に浮かんだのは、『なんだそりゃ』だったに違いない。俺もそうだったからだ。
ノルガユに、初対面で、なんら脅迫を受けたわけでもなく『様』をつけるやつがいようとは。
それ以前に、名前を知っていた。
俺たちは言葉も忘れ、思わずみんなでノルガユを見た。
やつは眉をひそめて振り返り、少女を一瞥し、束の間だけ硬直したように思った。
が、その数秒後、ただ尊大にうなずいた。
「メルネアティス。よくぞ無事にここまで来た」
ノルガユは珍しく――本当に珍しく、口の端に笑みを浮かべた。
ノルガユの笑みなど、ジェイスのそれより滅多にない。
「余は兄として嬉しいぞ」
「あ……」
少女は唇を震わせた。
何か言おうとしている。俺も言いたかった。つまり、
(――なんだその設定は?)
と、いうことだ。
ただ、それを言う前に、状況はまた一変した。
「ザイロ!」
『おい、陸のアホども!』
遠見のレンズを手にしていたテオリッタと、上空から警戒に当たっていたジェイスが同時に声をあげた。
タツヤも唸り声をあげ、ゆっくりと立ち上がっている。
その虚ろな瞳が、雪原の彼方を睨んでいる。
「きましたよ! 新手です。私が見つけました」
テオリッタは自分の手柄と言わんばかりに、遠見のレンズを掲げて胸を張った。ドッタが疲労して使い物になりそうになかったので、自分から見張りを買って出ていた。
こういうときは真面目でやる気のあるやつに任せるに限る。それがたとえ《女神》でもだ。
それに加えて、いまは空からの目もあった。
『主力は騎兵だな。中央に大勢いるぜ。それから左右に歩兵が展開してきてる――空に上がってきたやつも多いな。だいぶ本腰入れてきた』
ジェイスは小さな舌打ちをした。
『通信切るぜ、忙しい。ニーリィ、散歩は中止だ。邪魔する奴らをみんな叩き落そう』
「あ……! それは。わ、私たちの、追っ手、です……! すみません、私たちは」
「話は後だ」
俺はうなずき、何か言いかけた少女を黙らせた。
「忙しくなるみたいだからな。あいつらを迎え撃たなきゃならない」
これに対して、もっとも怯えた様子を見せたやつがいる。ベネティムだ。
「な、なんとかなりますかね? 大軍みたいなんですが……!」
「作戦はあるからな」
鬱陶しいので、俺はあえて自信ありそうにうなずいた。
「あんまりビビるな、ベネティム。一応、お前は指揮官だろ」
「……そ、そうなんですけど。いや、でも。確かに。なんででしょうね?」
ベネティムは気弱でいながら、なぜか底が抜けたように明るいという奇妙な愛想笑いをした。
「久しぶりにみなさんが揃ってますし。なんか、いくらでもどうにかなりそうな気がするんですよね」
「そりゃ気のせいだ」
俺はいよいよ強くなりつつある、雪の彼方を睨んだ。
軍勢がやってくる。
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