刑罰:トゥジン・トゥーガ丘陵進撃陽動 顛末

 ドッタがその台詞を口にしたとき、俺は耳を疑った。

 だが、その内容を吟味する前に、あまりにも極端な二人の意見が飛んできた。


「え、絶対に嫌っスけど」

 というのがツァーヴで、本当に心の底から嫌そうな顔をしていた。

 こいつはそういうやつだ。赤の他人の面倒なんか見ていられるか、と言いたいのだろう。


「僕は賛成だ! 素晴らしいよ、同志ドッタ。何としてでも彼らを救おう!」

 こっちはライノー。

 満面の嘘くさい笑顔で、ドッタを抱きしめんばかりに両手を広げた。


 当然、この二人は互いに顔を見合わせた。

 ツァーヴは驚愕したように、ライノーは少し不思議そうに。

「マジで言ってるんスか、ライノーさん! 自殺行為が趣味なんスか!? いや前々からそうじゃないかなー、勇者刑志願する人なんだからそういう感じなのかなーと思ってたんスけど、まさかマジで!?」

「とんでもない! 僕はみんなで助かるのが最も効率的だと考えてるだけさ。困っている人がいたら助けよう。苦しみ、痛みはできるだけ種族全体で分かち合うべきじゃないかな? でなければ、結果的に不均衡からくる脆弱性を生むと思うけど」


 こいつらの会話はまったく噛み合いそうにない。

 こういうとき、真っ先に『命令』を下してきそうなノルガユ陛下は、タツヤに大声で指示を飛ばしているし、自らも杭を地面に叩きこんでいる。

 不幸中の幸いといえばそうかもしれない。

 だが、ドッタのこの主張は、いつになく我慢強かった。


「そ、そういうのじゃなくて……ほら」

 ドッタはツァーヴとライノーを前にして、何か言葉を絞り出そうとしていた。

「あの……逃げてるのは、たぶん。すごく身分の高い人なんじゃないかと、思うんだけど?」

「えっ」

 今度は、連鎖するようにベネティムまで驚いた。

「ドッタ、きみは追剥までやる人だったんですか? いまさら知る新しい一面がだいぶ怖いのですが」

「違うよ! なんていうか、あの、なんか……ぜんぜんうまく言えないし、ちゃんと思い出せないんだけど」


 ドッタは頭を掻きむしった。そして悲鳴のように言う。

「た、助けた方がいい。助けないとよくないよ、ほら、ひ、人として!」

「――よく言いました、ドッタ! それでこそ我が勇士たち。見直しましたよ」

 テオリッタが、俺の腕を強く掴んできた。


「迷える民、力無き民を救うことこそ、《女神》と――そして聖騎士たちの役目! ですよね、ザイロ!」

「くそっ」

 俺は寒さのせいだけではない、苛立ちを感じた。

 ドッタの野郎、急に変な場面で正義感みたいなものを発揮しやがる。そいつは結構だが、こんなところで口にすることじゃないだろう。切羽詰まった戦場の真っただ中じゃなくて、平和なときの演説ででもやっていてくれ、と思う。


 すごく嫌だ。

 大きな危険を伴う仕事だ――しかも任務の範囲外。

 ぜんぜんなんの得もなさそうに思える。赤の他人の子供が二人。

 そいつを助けたって、何がどうなる? せいぜい感謝の言葉と、自己満足が得られるくらいだろう。

 とはいえ、

(ドッタにすら人間性で劣ると思われたら、この先おしまいだな)

 そのことだけは耐えられない。


「……俺はテオリッタを乗せて走らなきゃならない」

 俺はテオリッタの頭に手を乗せる。

 ふむっ、と、テオリッタが偉そうに鼻を鳴らした。


「助ける相手は、子供っつっても二人いるんだろ?」

「そ、そうだね……女の子と、もう少し小さい男の子、だと思う」

「だったら男のガキの方は、ドッタ、お前が乗せろ。パトーシェは女の方だ」

 俺はあえて吐き捨てるように言った。

 馬の鐙に足をかける。ノルガユ陛下の新しい迎撃装置、『鉄条網』とやらは張り終えたところだ。もう出発できる。


「わ」

 ドッタは一度、唾を飲み込んでうなずいた。

「……わ、わ、わかったよ。でもあの、戦うのは任せるからね!」

 これは本当に珍しい。ドッタが盗み以外で、こんな危険を冒そうとするのは滅多にない。


「以上だ! パトーシェ。何か文句があれば聞くぜ」

「……本来なら、命令にない行動だ。作戦の想定外の事態を引き起こし、軍の全体を危険に晒す可能性がある……」

 ぶつぶつと呟きながらも、彼女はすでに騎乗していた。

 スコップの代わりに槍を手にしている。聖印の刻まれた槍だ。

「そんな愚行に手を染めることができるというのは、なるほど、懲罰部隊の優れた点かもしれない」


「どこが優れてるんだよ、俺が総司令だったら全員生き埋めにしてやってるぜ」

「私が総司令でも、即座に除隊させる。軍事裁判だ。しかし」

 パトーシェは背中に痒みを感じているような顔をした。

 冗談を言って笑ったつもりかもしれない。この寒さだ。笑顔も強張るだろうが、それにしたって下手くそすぎた。

「貴様らが動かないようであれば、私一人でも行こうと思っていたところだ。……やる気があるなら、ついてこい。遅れるなよ」

 言うが速いか、馬を走らせ始める。こうなると、追いかけざるを得ない。


「だ、そうだ、ドッタ」

 俺もそれに追う形で、テオリッタを乗せて馬に合図を与える。

「殺されても文句言うなよ。これ、お前発案の余計な仕事だからな!」

「わ、わかってるって!」

「ライノー! 砲撃で援護しろ、曲射だ」

「もちろん。我らが同志諸君、応援しているよ」


 腹が立つほど朗らかな、ライノーの激励。

 なんでこんなに空虚に聞こえてしまうのか、その理由はまるでわからない。

 ただ、駆けだした俺の耳に――ではなく、首の聖印越しに、ツァーヴとライノーのやり取りが聞こえてきていた。


『いやあ、あの人たちすごいっスね。子供を拾ってきて、餌にでもするつもりなんスかね? あそこまでする意味あるかなあ』

『え、僕のかい? あいにくそれほど空腹ではないし、直前まで生きていた人間となると、倫理的にどうなんだろうね? 戦場ではもっと死体がたくさん転がっているからね、あえて食べる必要はないかな』

『なんでライノーさんが食う前提なんスか! 異形フェアリーおびき出す餌にしたらどうかって話っスよ。やっぱこの人、超こわい……!』


 そこまでで、俺は聖印から指を離した。

 やつらが行う倫理とか人間性の類の話は、聞くだけ無駄だ。

 俺は前方に集中した。ドッタが目撃したという二人の子供が、降りしきる雪の向こうに見えてくるはずだ。

 パトーシェが槍を掲げており、その先端から強い光が投射されている。

 この闇でも、かなり先まで見通せる――とはいえ、ドッタがそれを捉える方が速かった。


「いたよ!」

 と、やつが指を差す。

 なるほど、ほんの子供だ。分厚い防寒着で、よたよたと、頼りない足取りで歩いてくる。


 少女と、それよりも幼い少年。

 少女の方を、少年はほとんど背負っているような恰好だった。

 ただし、すぐ背後に異形フェアリーの一群。どうやら、彼らは追われているようだった。


 少し違和感を覚える――なぜこんな群れに襲われている?

 餌としてよりも、何か別の理由があるように思えた。だいたい一千匹ぐらいずつ、足の速い異形フェアリーから順番に、慌てたように前進してきた向こうの軍も気になる。

 それほどの重要人物だとでもいうのだろうか?


「助けて!」

 と、少年の方が叫んだ。

「助けてください! ――姉上を、どうか」


 姉上が、という上品な呼び方はともかく、悪くはない。

 その物言いが気に入った。

 俺はそう思い込むことにする。かなり際どい真似をして助けるのだから、せめて気に入った相手じゃなきゃ困る。

 聖印に指を押し当て、叫ぶ。


「ライノー! ジェイス、やれるだろ!」

 砲撃支援と、航空支援の要請だった。

 それは速やかに実行された。


 まずは俺たちの野戦陣地から、光の砲弾が飛んだ。よく晴れた日に見える白色の月のような、眩しい光。

 それは追っ手の異形フェアリーたちの只中に着弾し、破裂する。

 何匹かのフーアや、ボギーどもが吹き飛ぶ。曲射砲撃。市街戦で使ったような直射砲とは別種のもので、味方の頭上ごしに砲撃を行うときはこれを使う。


 また、この正確な砲撃も、ライノーの特殊な技術といえるだろう。

 どんな脳みそをしているのか一度見てみたいものだが、やつはこの砲弾の軌跡と、その着弾地点を正確に計算することができるらしい。

「射撃は数学だ」、と言っていた教官は誰だったか。

 頭の良すぎるやつがこれをやると、その計算の面白さの方に引きずられて、ほとんどが学者になってしまうとか嘆いていた。


『……何をやっていやがる』

 また、ジェイスの忌々しげな声。

『いきなり敵の方向に突っ込みやがって。イカれてんのか?』

 頭上を青い翼がよぎった。その直後に炎――雪原を焼き、地獄のような熱が蒸気を生む。これも異形フェアリーどもの群れに強烈な損害を与えている。

 みるみるうちに追手が減っていく。


 これこそドラゴンの正しい運用だ。

 遮るもののない野外で、敵だらけの状況。ドラゴンの息吹という大量破壊兵器を運用するにおいて、何一つ遠慮することはない。

 ここでこそ、ジェイスとニーリィはその真価の一つを発揮しているといえた。


 ただ、それでも追っ手を全滅とはいかない。

 何匹かのフーアとボギーが追いすがって来る。フーアはその移動方法上、この雪原でもあまり機動力が鈍らない。ボギーも似たようなものだ。


「テオリッタ。攻撃は一度だけ、すぐに離脱するぞ」

「任せてください」

 テオリッタも迅速だった。空中に生み出した大ぶりな剣は、降り注ぎ、二人の子供の追っ手を遮る形で突き刺さる。

 巻き込めたのは一匹だけだが、足を止めることに成功する。

 この剣の柵を迂回させることになる――俺はナイフを投擲し、追いすがる別の一匹の異形フェアリーを爆破して仕留めた。


 テオリッタは二人の子供に対して大声を張り上げている。

「こちらへ! よくがんばりましたね、二人とも。この《女神》テオリッタが、あなたたちの安全を約束しますよ!」

 励ますように力強い声だった。

 この前、ヨーフで痛い目を見たのに、よくもまだそんな声が出せるものだ。


「――姉の方は確保だ!」

 パトーシェが、姉らしき少女の体を抱え上げている。

 その槍が閃いて、飛びつこうとしたフーアを貫く。

 ぼずっ、という異様な音。槍の穂先がなんらかの衝撃力を生んだらしく、その異形フェアリーの胴体がねじれて吹き飛ぶ。


「ドッタ、急げ」

 俺が言うまでもなく、ドッタは必死の形相だった。

 手を伸ばし、少年の方を抱え上げようとする。その手が触れる。


 が、直前で少年の体が崩れた。

 ボギーだ。

 その鋭い角が、少年の体に突き刺さっている――ドッタはその瞬間、この世の終わりのようなひどい喚き声をあげていた。悲鳴だったかもしれない。


 とにかくドッタはほとんど馬から転げ落ちるような勢いで、さらに手を伸ばした。

 少年を抱え上げ、ボギーの頭部に雷杖を触れさせた。

 そして雷光。激しい音。


 ――なるほど。

 いくら超ヘタクソのドッタでも、密着した状態からの射撃なら外しようがない。

 あまりにも無謀で愚かで、蛮勇と呼ぶのもためらわれる――だが、確かに結果は出した。


「ザイロっ、ちょっと、手伝って」

 ドッタは少年を抱え上げようと努力していた。変な体勢をとったせいで、馬から落ちかけている。

「アホか」

 俺は仕方がないので、ドッタの首根っこを掴んでやった。馬の上に引き上げる。

 問題は、少年の方だった。

 なんと、その腹部には角が刺さったままだった――ボギーの頭を吹き飛ばしたとき、その根本が砕けて残ったらしい。苦悶の顔。喉からうめき声が漏れているから、まだ死んではいない。


「どうしよう! こ、この角、刺さってる!」

「抜くな。いまできることは一つしかない」

 異形フェアリーどもがこちらへ殺到してくる。

「とにかく急げ。馬が潰れてもいい、陣地まで引く! ――パトーシェ、合図しろ!」

「もうやっている!」

 パトーシェは馬を駆けさせながら、頭上で槍を大きく振っていた。銀色の光が、その先端に散っている。


(来い)

 俺は馬を駆けさせながら願った。

 背後からは異形フェアリーたちの群れ。もう一手が必要だ――このまま陣地に戻っても、治療することができない。


「まだか? パトーシェ、追いつかれるぞ」

「必ず来る!」

「――あっ」

 という、ドッタの間抜けな声。

 続いて、夜の闇、降りしきる雪の向こうに、馬蹄と人の声による響きが聞こえた。

 そいつが、俺たちを追う異形フェアリーたちの側面へと、猛然とした攻撃を仕掛けている。


 友軍だ――間違いない。

 これがパトーシェの要求していた、支援部隊だった。

 元・第十三聖騎士団の騎馬部隊だ。もともと、なんらかの形で汚名を雪がねばならなかった者たち。

 それが今回、迂回機動部隊として、俺たちの支援に当たることになっていた。


 ベネティムの出した案だったが、誰にとっても都合のいい提案だったといえる。

 第九聖騎士団は、この騎馬部隊を信用できていない。

 命令の浸透と忠誠心、そして連携に不安がある――よってそれらを測る意味でも、俺たちの支援に回す考えが成立したということだ。


「助かった」

 俺はパトーシェを振り返る。

「お前のところの騎馬部隊、やるな?」

「当然だ。北方騎兵の精強さを知らんのか」

 パトーシェは、無表情を装って言う。

 そうして、もう手放した誇りの名残を惜しむように、異形フェアリーたちに横撃を加える騎馬隊を一度だけ振り返った。


(昔の部下か)

 俺はやつらの顔を思い出そうとする。

 こんな吹雪の中でも、一緒に戦ったことがある。そう、いまでも覚えている。

 だが――


「ザイロ。いまは急ぎましょう」

 テオリッタが、背後から俺にしがみついてくる。

「前を見て。あの二人を助けなければ。まだ間に合う、……でしょう?」

「そうだな」

 俺は馬を疾駆させる。いまは振り返りをしている暇はない。

「ツァーヴに見せる。二人とも、このままじゃ持たないかもしれない」


 まだ危険は何一つ去っていない。

 異形フェアリーたち本隊がやってくるだろう。

 おそらくは、やつらを指揮している将校のような存在もいるはずだった。

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