刑罰:トゥジン・トゥーガ丘陵進撃陽動 2

「いや、それは無理だって」

 と、天幕に戻るなり、ドッタは不景気な顔でそう言った。

 ごろごろと寝転がりながら、軍で配られている新聞のようなものを読んでいる。

 それなら俺も読んだ。下手くそな記事だ。第二王都陥落――の部分が大きく記され、その奪還作戦がさも見込みありげな壮挙であるように書かれていた。


 むしろこの新聞には悲観的な要素の方が多い。

 第二王都に住まわれていたという第三王女、第三王子の行方は不明。

『アバドン』を筆頭に、複数の魔王現象が第二王都を占拠。少なくとも魔王現象『ライネック』、『リャナンシー』の存在が確認されており、異形フェアリーの群れはなおも拡大中だとか。

 ――これは気が滅入りそうになる。

 ドッタの態度にも、それが反映されているのかもしれなかった。


「まず、ぼくはきみらのお望みの道具をなんでも召喚できるような、お手軽で偉大な《女神》じゃない」

 ドッタはそうやって主張した。

 そんなことはよくわかっている。傍らのテオリッタも不愉快そうな顔をした。「むっ」という唸り声も漏れた。


「ぼくだって霧とか煙に変身できるわけじゃないんだからさあ、そんな簡単に盗ってこいとか言われても無理なものは無理だよ」

「金目のものはどうにでもなるだろ」

 という俺の提案に、ドッタは嫌そうに顔を背けた。

「そりゃ、金目のものだけならね。でも、馬はほんとキツいんだよ。この辺は隠しておく場所もないじゃん」


「――僕の助けが必要かな、同志ドッタ」

 と、声をかけたのはライノーだった。

 天幕の中にはこいつら二人しかいなかった。ジェイスはどうせニーリィのところだろう。ノルガユとツァーヴ、タツヤは整備班だ。砲甲冑だけでなく、雷杖、野戦築城に使う資材を準備する必要がある。


「僕が騒ぎを起こそうか? たとえば仮設の厩舎に火を放てば、混乱するだろう。馬は殺して埋めておけばいい」

「いやいやいや、ぼくらは死んだ馬が欲しいわけじゃないんだよね!」

「放火もやめろ、騒ぎじゃ済まねえから」

 ドッタと俺が即座に否定したことで、ライノーはわざとらしいくらい落ち込んだ顔をしてみせた。

「そうか。生きている馬がいいんだね……となると、難しいな」


 悩みはじめたライノーを横目に、パトーシェは俺を肘で突いた。

「どうなっているのだ、この男は。何かおかしいぞ」

「何かどころじゃねえ、ほとんどおかしい。常識が通用しない」

「これは手厳しいな。でも、きみが言うならそうかもしれないね――だから、同志パトーシェ」

 ライノーはまた、芝居がかったような笑顔をパトーシェに向けた。

 同志、と呼ばれて肩がわずかに動いた。理由のよくわからない嫌悪感を覚えたのだろう。俺もよくわかる。


「僕にはどうやら一般常識に欠ける部分があるようだ。何か気づいたことがあれば、いまのように遠慮なく指摘してほしい。改善できるところは直していくよ」

「そ……そうか……」

 今度は、パトーシェが悩む番だった。

「そういう問題なのか? この場合は……?」


「パトーシェ、悩むだけ無駄ですよ。私もしばしば混乱します。明らかに異常な発言をしたら、その都度指摘するしかないのです、改善です」

 テオリッタがやっぱり『先輩』らしく助言をしていた。

 ライノーという男に関して「慣れる」というのはどうかと思うが、とにかく最低限、仕事に支障のない範囲でうまくやろうとするしかない。


「――というわけで、馬を盗むのは大変なので無理。ぼくは、失敗する盗みはやらないよ」

「では、馬は盗むのではなく購入するのはどうかな?」

 ドッタが再び寝ころんだとき、ライノーは穏やかに言った。

「これなら穏便に済むだろう? 購入した馬なら、必要になるときまで商人に預かっていてもらえばいい。幸いにも、同志ドッタは『金目のものなら盗める』と言っている」


「……ああー」

 俺はたぶん、すごく間抜けな声を上げたと思う。

 確かに。

 ヴァークル開拓公社は、いつも通り軍の移動にくっついてきている。嗜好品や物資を売りさばくためだ。彼らは商品を運ぶための馬車も、馬も持っている。

 それを買い取ってしまえば、話が早い。


「その手があるな。完全に盲点だった。ただ、六頭はさすがにかなり値がはる――ドッタ、隠し持ってる財産があればここで使えよ。わかってるよな?」

「わ、わかってるよ。……っていうか、そうか……ぼくには買うという発想がなかったな」

「……それは、貴様らが犯罪行為で解決しようとしてばかりいるからではないか?」

「正確に言えば、金品を盗むところがすでに犯罪だけどね」

 ライノーはつまらないことを言ったが、いまは不問とすることにしよう。

 その案は使える。


「金目のものを盗むなら、どこがいいかな」

 ドッタは徐々に乗り気になっているらしく、こちらに顔を向けるように寝返りをうった。

 なんだかんだ言って、それが趣味のような男だからだ。

「貴族は参加してるんだよね?」


「作戦の総指揮をとってるのは、第九聖騎士団だ。それに加えて、ヨーフ周辺の貴族。第二王都から敗走してきた部隊。傭兵。武装神官も混じってる」

「……それから、第十三聖騎士団。いまでは元、がつくが」

 あえて感情を殺したような声で、パトーシェは付け足した。

 そうだ――それもいる。

 二千に近かったその兵力は、そのまま第二王都奪還作戦に組み込まれた。


 一方で、フレンシィたちは南方峡谷領に引き返した。

 兵力をかき集め、可能な限り急いでこちらに合流するつもりらしい。

 さすがにこれは、俺も止めるわけにはいかない――第二王都の陥落は、誰にとっても他人事ではないからだ。

 フレンシィの父上に、娘の行動を止めるよう進言する機会も失われてしまった。


「わかった」

 ドッタは言った。

「馬を六頭、買えるだけのものがあればいいんだよね?」

「任せる。ヴァークル社との交渉はベネティムがやる」

「じゃあ、ザイロ、一つだけ条件がある」

「言ってみろ」

「今日の夕食は、ツァーヴの代わりにザイロがやってくれ。久しぶりに、ちゃんとした豚肉があるんだよ。内臓もついてる」


 なるほど――言いたいことはわかった。

 ツァーヴの作る料理など、栄養さえ摂れればいいと言わんばかりの代物だ。味付けはめちゃくちゃだし、味見をした本人も、

「このメシ、毒はないっスね! 食材も傷んでないみたいっス!」

 ぐらいの判断しかしない。

 テオリッタも「ぜんぜん味がしません」というぐらいのレベルだ。


 豚肉とその内臓が手に入っているのなら、ジェイスからも文句の出ないように、煮込み料理にするのがいいだろう。果実のペーストを使って煮る。

 ジェイスは南方の平原の出身だ。

 どうも肉を焼くということに対して、抵抗があるらしい。焼いたらどうせ肉汁がこぼれてしまうので、煮汁にした方が絶対においしい――とか。

 この点でも、俺とジェイスは対立していた。


「わかった。今日の当番は俺が代わる」

 俺はうなずいて、パトーシェを振り返った。

「ちなみに、うちの部隊に配属になったからには聞いとくぞ。どのくらい料理できる?」

「んん」

 パトーシェはかすかに喉を鳴らし、だいたい十数秒ほど沈黙した。

 まるでその質問が致命的な、意識外からの奇襲であったかのような反応だった。


「……おおよそ一通りは、問題なくできる。そのくらいは当然だ」

 たぶん嘘だ、と俺は直感した。

 外は雪がさらに強くなりつつある。日も傾きかけている。

 あと数刻で、夜が来るだろう。


        ◆


 雲の合間に、月が出た。

 紫色の大きな月だった。


 ライクェルは顔を上げ、束の間、その月に見とれた。

 こんなに鮮やかな月を見上げたのは久しぶりだった。兄の狩りに同行したとき以来だろう。

 その月も、すぐに隠れた。

 また雪が降り始める。重く、湿った、体にこびりつくような雪だ。


「ライクェル。――ライクェル!」

 姉が、彼の名を呼んでいた。

 声に力がない。寒さに凍えているのがわかる。姉も体力を消耗している――自分がしっかりしなければ、と、強く思う。


「ライクェル。離れないで。はぐれてしまいますよ」

 と、姉はライクェルの手を掴んだ。

 分厚い手袋越しに、そのためにかき集めた力を感じた。ライクェルはそれを握り返す。そして答える。

 姉を心配させないよう、はっきりとした声で。

「はい、姉上。ここにおります」


 ライクェルは、腰の剣帯に吊った剣の重みを頼もしく思う。

 いざとなればこの刃が、姉を守る武器となる。いくら疲れていても、手放す気にはなれない。

 第二王都を、守られながら抜け出して――こうして命を繋いでいる。

 第三王女である姉を守るのは、第三王子である自分の役目だ。そのように教わって、育てられてきた。


「姉上をお守りするのが、この私の役目ですから。姉上のためなら、どんな犠牲でも払えます」

「勇ましいですね。でも、よいですか――ライクェル」

 姉は、青く凍ったような目でライクェルを見る。

 その瞳を怖いという者もいたが、ライクェルにとってはこの世で最も誇り高くなれるような、そんな輝きであると感じていた。


「王家の者の命は、……いえ、公共に奉仕せんと志した者の命は、万民のためにあります」

 姉ははっきりと言った。

「家族のためではありません。民のために用いるべきです。私を見捨てることで、それが顔も知れぬ誰かのためになるのなら、それをこそ成し遂げなさい」

 理不尽なことを言われていると思った。

 王の資質。第三王子である自分には、あまり関係のないものだと思ってきた――兄が二人いて、姉が三人もいた。

 自分の番が回ってくることはないと思っていた。


「私の尊敬する方が言っていたことです」

 姉はその青い瞳を笑みのような形に細めた。

 ライクェルは、それが少し気になった。

「姉上の尊敬する方ですか。どのような方なのですか?」

「ロウツィル兄上が神殿で学びを受けていた頃の学友でした。連合王国の将来について、深い見識をお持ちの方でしたよ」

「頭のいい方だったのですね」

「ええ。きっと、神殿でも一番。いまは大司祭にでもなっているのかもしれませんね」


 そうして、姉はまた微笑んだ。

「ですから、簡単に命を投げ出してはいけません。この命を投げ打つべきときは、それが民のためになるときのみ」

 ライクェルの手を引き、また歩き出す。

「それまでは決して希望を捨ててはなりません。南へ。港湾都市ヨーフへ。……それのみが、私たちの生き延びる道です」


 二人の姉弟は、足を速める。

 異形フェアリーの気配は、まだ背後にはない。

 行く先は、降りしきる雪と、夜の暗闇が閉ざしていた。

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