刑罰:トゥジン・トゥーガ丘陵進撃陽動 3

 俺たちの任務の開始は、夕刻と決まった。

 つまりベネティムは司令部を相手に、実に一日以上の時間を稼ぎ出したわけだ。

 そのために俺たちは軍の雑用を死ぬほどやらされることになったわけだが、仕方がない。


 周囲の冷たい視線にはうんざりさせられたが、それさえ耐えればなんてことはない。

 実際、彼らが俺たちを嫌う気持ちはよくわかる。

 こんな犯罪者どもが軍営を闊歩しているというのは、いくら聖印の首輪付きとはいえ、不愉快な気分になるだろう。仕方がないとは思う。

 特に第九聖騎士団の団長。

 名前は確か、ホード・クリヴィオス――ワインで有名なクリヴィオス家の英才。やつが俺やパトーシェを見る目つきはすさまじいものがあった。


 俺は聖騎士団長だった頃から、あまりいい印象を持たれていなかったのは確かだ。

 軍紀や聖騎士団長としての態度、振る舞いといったものに、やたら厳しかったような記憶がある。たぶん潔癖なのだ。

 自分の《女神》に対しても、『完璧』を求めるようなところがあった。


「作戦に疑問があるようだな、ザイロ・フォルバーツ」

 と、俺なんかは、ホード・クリヴィオスから直接言われた。

「貴様たちの指揮官から聞いた。特に作戦への不満が激しく、激発寸前だと。いまにも陣営に放火を始めかねない様子――だったか?」

 ベネティムだ――あの野郎、適当なこと言いやがった、と思ったが黙っていた。

 なんらかの交渉材料の一要素に使った可能性があるからだ。それはそれとして、あとで事情は問い詰めよう。


「私は貴様たちをまったく信用していない。従軍させることは有害だと思っている」

 総指揮官直々に、ありがたい言葉だ。

 それでも黙って聞くしかない。口答えしてもろくなことにならない。

「戦いによる死は、かつての第十三聖騎士団の部下たちへの配慮だ。……私自身は、交戦開始前に殺しておくべきだとさえ考える。軍部はなぜ貴様らの存在を許しているのか、理解しがたい」


 ある意味では、まったく正しいかもしれない。

 俺はますます沈黙した――そして本格的に腹が立つ前にその場を離れた。

 この調子でつまらない罵詈雑言を聞いていては、ますます気分が悪くなる。わざと聞こえる陰口もだ。


 よって、居心地が最悪な俺は、隙さえあればジェイスの竜房で戦術的休息をとった。

 仮設とはいえ、そこはかなり広い敷地を与えられている。

 第二王都から脱出できたドラゴンと、その騎手たちが、そこに収容されていたからだ。その数は、およそ四十にも達するという。


 そしてジェイスは、どういう原理かは知らないが、そこにいるほとんど全てのドラゴンの歓心を得ることに成功しているようだった。

 俺が竜房を訪れると、やつはニーリィの腹を枕に、優雅な休憩をとっていた。

 肉をくわえてジェイスに近づこうとするドラゴンもいるが、その都度、ニーリィが牙をむいて威嚇している。

 なかなかいい身分だ、と俺は思った。


「……かなり規模のでかい空中戦になるだろうな」

 と、ジェイスは言った。

 木匙で粥のようなものをすすりながら、鬱陶しそうに俺を見る。

「向こうにも航空戦力がある。覚悟がいるな」


 それはそうだろう。

 第二王都には、ここに並んでいるよりたくさんのドラゴンがいたはずだ。それでも市街に突入され、敗北したのだから、よほどの戦力があるとみるべきだ。

 もっとも、そのすべてをこちらの戦線に回せるかといえば、そうでもない。

 ガルトゥイル要塞があり、第一王都がある。

 そちらにも警戒を割かねばならないからだ。


「なんだ。ジェイス、自信なさそうだな?」

「そういうことじゃねえんだよ」

 挑発的に言ったつもりだが、珍しくジェイスは乗ってこなかった。

「空を飛ぶ種類の魔王現象がいるらしい。『フリアエ』。そいつがな――なんつーか、火の槍を撃って来る。単なる飛行型の異形フェアリーとは、射程距離が桁違いって話だ」

「見てきたみたいに言うじゃねえか」


「モイラから聞いた」

「誰だ、それ」

「あっちにいる。あのおっとりした感じの、角が外側にカールしてる子だよ……いまこっち見てる……、やめろニーリィ威嚇するな」

「ドラゴンかよ」

「ドラゴンだよ」

 と、ジェイスは言うが、おそらく他の竜騎兵から聞いたのだろう。

 懲罰勇者部隊と会話したがる兵士など基本的にいないが、竜騎兵には別の連帯感があるのかもしれない。


「……とにかくだ。かなり面倒ではあるが、そいつが出てきたら俺が殺す」

 ジェイスははっきりと、かつ不機嫌そうに言った。

「ドラゴンたちが何翼も殺されてるんだ。俺は許せん」

 ドラゴンを数えるとき、ジェイスは『翼』と呼ぶ。

 これはかなり古い言い回しだが、ジェイスの前で『匹』とか『頭』とか呼ぶと、躊躇なく激しい攻撃に晒されることになる。俺は少なくともこの竜房の中でジェイスと喧嘩するほど馬鹿じゃない。

「制空権はどうにかする。陸はお前らが死んでも突破しろ、実際に死んでもいいぞ」


 俺はどのように答えるか迷った。

 何か憎まれ口の一つでも叩きたいような気がした――真面目すぎる。真面目すぎていいことは何もないからだ。

 そのとき、竜房の奥の方で木材か何かをひっくり返すような、激しい音が響いた。


「うお――わっ!」

 その素っ頓狂な調子ですぐわかった。

 ツァーヴだ。見れば、木箱に埋もれるようにひっくり返っている。竜房の世話を手伝わされていたのか。


「馬鹿野郎」

 ジェイスは呆れたように言った。

「何やってんだよ」

「いや、違うんスよ、ジェイスさん! いまこの子に尻尾で殴られそうになって、うわヤバいってなったんスよ! 箱の中身こぼさなかったオレ、むしろすごくないスか!?」


「背中を見ればわかるだろう。その子には尻尾の方から近づくな!」

「な、なんでっスか?」

「鱗に傷が残ってるのが見えないのか? てめーの目は鉛でできてんのか。そっちから傷つけられたってことだよ、後ろから近づくやつに対して繊細になってる!」

「見ただけでそこまでわかんないっスよ!」

 ツァーヴの声は悲鳴に近い。

 その気持ちはわからないでもない。ドラゴンの世話に関するジェイスの指示はたまに理不尽としか思えないときがある。


「ツァーヴよりノルガユとかドッタに手伝わせた方がいいんじゃないか? 少なくともあいつらの方が、こういうのは器用だろ」

「どっちも忙しいからな。それに」

 俺の疑問に、ジェイスは首を振った。

「今回はちょっと考えがある。ツァーヴを――、ああ。ちょっと待て」

 言いかけて、ジェイスは顔をしかめた。手元ですすっていた粥を差し出す。


「今日の昼飯は誰だ?」

「パトーシェ・キヴィア」

「……新入りだな? 味がしないと思ったら、底の方に塩と麦がダマになっていくつも沈んでるぜ……何をすればこうなる?」

 ジェイスは不機嫌そうに唸った。

「誰かあの新入りに飯の作り方を教えろ」

「もしかすると、それが一番の急務かもしれないな」


        ◆


 第二王都の新たな運営は、おそらくこれでひと段落というところだ。

 レントビー・キスコックは執務室のデスクに広げられた書類の束を見て、大きく息を吐く。

 処罰報告が、その中にある。


 昨日の夜は、四名の人間が逃げ出そうとした。

 子供を二人連れた家族だった。

 これはできるだけ残酷な方法で、全員殺すしかない。周囲への見せしめのためだ。脱走者がどうなるのか徹底的に教える必要がある。

 結果的には、それが王都に住む人間の保全につながる。


 そうした活動の成果は出ている。

 最初の十日間よりは、脱走を試みる人間は大幅に減っていた。

 新たな人員の配置もできた――とはいえ、人間の管理に重要な役職はそう多くはない。第二王都にいた役人たちは、ほとんど全員がただの『被管理人』という分類に降格された。

『管理人』の立場に留まることができた自分は、幸運な部類に入るのだろう。

 都市の警備兵の一軍を掌握していたこと、迅速に裏切って市街占領の援護をしたことが、その評価に繋がった。


 それでも安泰とはいえない。

 共生派として認識されたのはごく最近で、己の地位の基盤が脆いことはよくわかる。

 成果を上げ続け、それを示すしかない。この、魔王現象を相手に。


「――では、レントビー・キスコック。報告は以上かな?」

 と、その影――魔王現象『アバドン』は言った。

 目の前にすると、圧倒されるようだ。

 この魔王現象は、大柄な男性の、人間らしき姿はとっている。が、レントビーには理解もできない、冷たさのようなものに襲われている気分になる。


「人間の治安は安定しているようだね」

「はい。脱走者の数は激減しました。警備に割く人員は減らしても問題ないかと」

「それはよかった。きみの手腕には満足しているよ」

 子供をあやすような声で『アバドン』は言う。

 それでもやはりレントビーはまるで落ち着かない。この声音で喋りながら、次の瞬間には相手を殺すところを何度も見ている。


「人間があまり減りすぎると、我々も困るからね。管理に費やす労力と釣り合っていればいい。とはいえ――」

『アバドン』は声を少し低めた。

「まだ少し減らしてもいいな。こうした都市部には、必要な人間の割合が少ない」


 彼らが言う必要な人間とは、主に農業従事者のことだ。

 それ以外は農業従事者の補助か、単純な労働力、または食料として考えられている。


 そう――食料そのもの。

 あるいはその生産者。

 それこそが魔王現象にとっての、人間の価値であるようだった。文明や文化はほとんど認めていないと見える。


 観察していて、レントビーも改めてわかったことがある――魔王現象や異形フェアリーも食事をする。

 だが、共食いはしない。

 飢えると仮死状態となり、その状態で何十日も耐えることができるという。


 そして、魔王現象や異形フェアリーがもっとも好むのは人間の血と肉だった。

 どうやら、彼らは人間からなんらかの栄養――というべきなのかわからないが、とにかくそういう力のようなものを補給しているようだ。

 人間を捕食した彼らは、明らかに活力に満ち溢れて見えた。

 牛や豚や、食用植物ではそうはいかない、らしい。


「人間の監視に必要な労力を、さらに減らしておきたい」

 ゆえに『アバドン』は、はっきりとその意向を伝えてくる。

「戦いがある。ガルトゥイルに――ヨーフ。あとは北部の領主たちが少々。一応は多方面の敵を相手にするのだ。兵力は多い方がいいからね」


「それはつまり」

 レントビーは、自分の声が他人ごとのように聞こえた。

「間引きを行うべきだと?」

「頑強な者は異形フェアリーとして兵士に昇格させてもらいたい。虚弱なものは食料に使う。一割ほど減らしてくれるかな」

 あまりにも簡単な指示だった。

 レントビーは強いて己を残酷で、利己的だと思い込むことにした。他人のことなんて知るか、と言い聞かせる。いまは自分が生きることで精いっぱいなのだから、仕方がない。


(いまだけだ)

 と、レントビーは思う。

(いまは耐えろ。やがて人類の扱いがよくなるかもしれない。管理が安定すれば、こんなこともなくなるかもしれない)

 だから、いまは自分を偽ることだ。偽っていると考える、本当の自分がいれば、大丈夫だ――レントビーは、自分自身にそう言い聞かせた。


「そう緊張しないでくれ、レントビー・キスコック。我々はきみの価値を認めている。人間の運営、警備態勢、西方からの兵站の管理もね」

 落ち着け、とでもいうように、『アバドン』は手の平を下に向けた。

「なかなかの手腕だと思う。ヨーフ市方面の戦いでも、兵を率いてもらいたい」

 勘弁してくれ、と言いたくなった。

 人間の軍とまた戦うのか。


「トリシール嬢の補佐をしてほしい。きみが副官だ。いい組み合わせになるだろう」

 レントビーは暗澹とした気分になった。

 トリシールは、この街を攻めた人間の部隊の長だった。もともとは傭兵だったと聞いている。あろうことか魔王現象に金で雇われ、略奪を許されて、西方から転戦してきた。

 彼女の戦いを思い出す――嬉々とした笑顔で、市街地に躍り込んできた。

 あの戦い方を見て、自分は寝返りの決意を固めたのだ。


「宜しく頼むよ、レントビー」

 魔王現象『アバドン』は、冷たく穏やかな声で、彼の名をまた呼んだ。

「きみたちには期待している」

 その期待を決して裏切るな、という意味だ。


(……生き残るには、やるしかない)

 レントビーは己がまた残酷なことをしようとしている、と思った。

(でも、偽物の自分だ)

 本当の自分は、もっと善良で、人の幸福のために生きることができる。そうできるような状況になるまで、いまは忍耐するしかない。

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