刑罰:トゥジン・トゥーガ丘陵進撃陽動 1
雪が舞っていた。
足元には、もううっすらと積もり始めている。
(――クソ寒い)
俺は白い息を吐き、降り出した雪の奥を睨む。
いまはまだ埋もれるほどの降雪量ではない。それでも近いうちに、この丘陵地帯も一面の雪に覆われるだろう。
トゥジン・トゥーガ丘陵、と呼ばれていた。
港湾都市ヨーフから延びる大街道は、この丘陵地帯を縫うようにして北東へ続いている。
そして、小規模な二つの山の隙間を抜けると、そこが第二王都だ。
いまでは、魔王現象二十一号『アバドン』の支配下にある都である。
「……ザイロ。雪ですよ」
テオリッタが、足元の雪の粒を拾い上げていた。
手袋をしていないので、皮膚の温度ですぐに溶ける。あまり意味はない。それでもテオリッタは、興味深そうに自分の指先で雪が溶けるのを眺めていた。
「雪が降っていますね。……積もりますか?」
「たぶんな。もうその時期だ」
「そうですか」
なんとなく、テオリッタは楽しそうだった。
両手をこすり合わせ、白い息を吐いている。気持ちはわからなくもない。
「ザイロは、積もっている雪を見たことがありますか?」
「……ある。が、雪にいい思い出はぜんぜんないな」
「ザイロは南部の出身だと聞きました。それでも雪を知っているのですね?」
「西の方をあちこち転戦してたからな。……基本的に雪は敵だから、気をつけなきゃならないことが多いんだよ。たとえば」
俺は自分の手袋を外し、テオリッタの手を掴んだ。やはり、冷えている。
テオリッタは少し驚いたように目を丸くしたが、いまは釘を刺しておくべきところだ。
「まず、お前は手袋をしろ」
テオリッタにも支給されているはずだった。
当然、俺たちのよりも上等なやつが。
「凍傷はだいたい指先から始まる。できるだけ体を温めておけ。ブーツのつま先に布でくるんだスリワクを入れるのも忘れるなよ」
スリワク、というのは、見た目は小さいがとてつもなく辛い果実のことだ。
ふつうは乾燥させて調味料に使う。
が、これを靴の中に入れておくと、血の流れをよくする効果があり、凍傷の予防になるらしい。北部出身のやつから聞いたことがある。
あいつの名前は――と、思い出そうとして、やめた。
「ザイロ、私はあれが苦手です。なんとなく……歩くときに、気持ち悪いというか……」
「それでも入れとけ。凍傷にかかって指を切り落とされたくなければ、絶対にそうしろ」
俺はテオリッタの手を、軍服のポケットに押し込む。
「……わかりました」
テオリッタは口を一文字に引き結び、うつむいた。
ポケットの中でもまだ俺の指を掴んでいた。いまさら、自分の指の冷たさにきづいたのか。さっさと天幕に戻った方がいいだろう。
俺が振り返ったとき、一人の男が近づいてくるのが見えた。
冴えない顔色の、貧相な肉の厚みをした男。ベネティムだ。
「……ザイロくん」
と、ベネティムは言った。
「ご相談があるんですが。聞いてくれます?」
「あんまり聞きたくねえな」
俺はポケットから酒瓶を取り出し、呷る。
北方産のウィスキー。イアード家の『紫耀』と呼ばれる種類の銘柄だ。
本来ならどれだけ軍票を支払っても俺たち懲罰勇者に回ってくるような代物ではないが、ドッタが部隊にいるいまは、そんな制限はあまり関係がない。
「そう言わずに。お願いしますよ……次の作戦が発令されたんです。進軍です。最終目標は、第二王都になります」
「だろうな」
わかりきっていることだ。
ヨーフ市行政庁舎は、手当たり次第に周辺地域の戦力をかき集めた。その大人数で進軍しているのだから、目指す場所など決まっていた。
第二王都。
そこを奪還することは、あらゆる意味で最優先の目標だ。誰にでもわかる。
そして俺たち懲罰勇者は、全員そろってこの作戦に組み込まれ、軍営の片隅に粗末な天幕を張ることになっていた。
「ええと……そこで、第一段階の作戦目標なんですけど」
「第二王都から進出してくる
トゥジン山とは、この丘陵の先にある二つの小規模な山の一つだ。街道を挟んで、東がトゥジン。西がトゥーガ山と呼ばれている。
「そんな感じだよな?」
「あ、はい。よくわかりますね」
「そりゃそうだろう……」
少しでも考えれば、これもすぐにわかる。
いまごろ第二王都からは
そのために叩いておくべき最大目標は、港湾都市ヨーフしかない。
だから俺たちはまず、自分たちの安全のためにこの軍勢を打ち払う必要がある。
それから第二王都の奪還を狙うなら、その拠点となる場所が必要だ。
トゥジン山――そこを奪うことができれば、東部地域からの補給を受けることも可能になる。
大河キンジャ・シバの支流が、その麓を流れているからだ。
ヴァークル開拓公社の本部が存在する工業都市ロッカや、第一王都と兵站が繋がることになる。そこまで戦線を押し上げれば、ガルトゥイルとのまともな連携も可能になる。
そして軍部は、なんとしても第二王都は奪還しなければならない――と、考えているはずだ。
第二王都とは、一つの象徴だった。
たしか三十年ほど前、第四次魔王現象の本格化を受けて、五つの国家が一つに統合された。そのうち三つの王国はすでに都を失い、王族の血も途絶えていたと聞く。
そんな状況で中心となった二つの王国の首都が、それぞれ第一王都・第二王都と呼ばれることになった。ちなみにどちらが第一で第二かは、かなりつまらない政治的な応酬があったというが、まったく興味がないのでよく知らない。
とにかく、第二王都の重要性は、その成立の過程にある。
世界中の人間が一つにまとまろうとする、意識の象徴という意味で。
また、軍事的にも非常に危険な代物でもある――ガルトゥイルと、第一王都を狙える場所にあるからだ。
「で、俺たちは?」
俺は改めてベネティムに尋ねた。
「どの部隊の先導を務めればいいんだ? それとも予備隊か?」
懲罰勇者がまったく信用できない連中である以上、そういうことも考えられた。重要な局面に投入するのではなく、予備にとどめる。
「それが、実は……ですね。私も交渉をがんばったんですけど」
ベネティムは言いにくそうだった。その態度で察しろという姿勢がありありと窺えた。
俺は暗澹とした気分になる。
「はっきり言え。なにをさせられるんだ?」
「どの部隊にも所属しません」
「……どういう意味だ?」
「我々懲罰勇者9004隊は、単独で先行して、トゥジン・トゥーガ北東部第四丘陵を占拠。野戦築城にて確保せよ! 出発は今夜! ……という調子でして」
ベネティムは大きな紙の地図を広げて見せた。
この地点から北東へ――いくつか並ぶなだらかな丘の一つに、丸印がつけられていた。これが、『北東部第四丘陵』と言いたいのか。
なるほど、それはわかる。
だが――
「ふざけてんのか! バカじゃねえのか?」
「ひえっ」
「ザイロ、落ち着きなさい。ベネティムが怯えていますよ」
俺は思わず大声をあげていた。
テオリッタが宥めるように俺の背中を叩いた――しかし猛獣の類じゃあるまいし、そんな宥め方はされたくない。
「なんだその作戦は」
俺は地図を睨んだ。
懲罰勇者部隊で、先行してここに拠点を確保。冗談ではない。どれだけの
これではまるで、
「――そうだ。完全に、囮だな」
俺の考えをなぞるように、声が聞こえた。
ベネティムの背後から、具足の金具をこすり合わせ、一人の女が近づいてくる。真面目くさった不機嫌な顔。ひとまとめに束ねた黒髪と、相手を刺し殺すように鋭い目つき。
「司令部は、我々に囮として突出せよと命令している」
パトーシェ・キヴィアだった。
「あまり戦術上の意味があるとは思えない命令だ。我々に向かって来た敵を攻撃する用意はあるようだが、どれほど期待できるか」
俺が知る、少し前の彼女と違うところは、首に聖印があるということだ。俺たちとまったく同じ――懲罰勇者の証。
「そうか。ご苦労、新入り」
俺はあえて軽薄にそう言った。
この部隊にやってきてからずっと、パトーシェの辛気臭い顔を見るのが憂鬱になっていたからだ。
「その呼び方はやめろ」
パトーシェは強い目つきで俺を睨んだ。
「調子に乗ってジェイスまで私のことをそう呼ぶようになっただろう」
「あいつは人間の名前を覚えるのが苦手だから、仕方がない――それより、どう思う? 俺たちだけであの丘を占拠できると思うか?」
パトーシェは、ベネティムの参加する作戦会議に同席していた。
主にベネティムが適当なことを言うのを防ぐためと、軍事的な判断を交えた情報を持ち帰るためだ。
これまで、ベネティムだけでは大雑把な命令内容しか持ち帰らず、超忙しい俺が同席するか、二度手間で情報を仕入れる必要があった。これはパトーシェが部隊に加わって明らかに改善したことの一つになる。
「絶対に無理だな」
パトーシェは、おおよそ予想していた通りの答えを返してきた。
「占拠し、その状態を維持するには、野戦築城の必要がある。それまで
「それを狙って軍が攻めてくれるんだろう?」
「そうしてくれれば、
パトーシェは怒涛のように言いつのる。
喋りながら、徐々に眉間に皴が寄っていくのがわかった。
「――兵数が足りない。せめて我々の部隊を掩護する兵。できれば伏兵だな。それから物資。物資運搬はどうする? 我々が徒歩で運ぶのか? 馬が必要だ。私が騎乗する分を含めて六頭はほしい。ザイロ、この地形での戦闘なら貴様も乗るだろう。……あとは、出発が今夜というのも絶対に不可能だな、準備時間がいる……ライノーと言ったか、あの気味の悪い男の砲甲冑にも蓄光が必要になる」
一息に言ってから、彼女は首を振った。
「こんな条件で戦闘を強いられていたとは。……つくづく、とんでもない部隊だな。懲罰勇者というのは」
そうやって彼女がまくしたてるのを聞き終えると、俺はベネティムの肩を叩いた。
「だってよ、指揮官。成功にはこれだけ必要らしいから、条件を整えてやってくれ」
「……はあ」
ベネティムは相変わらず、よくわかっていないような顔で曖昧にうなずいた。
「兵隊についてきてもらって、馬を調達して、時間を稼げってことですよね……?」
「そういうことだ。うまいことやってくれ」
「……待て」
パトーシェは、ひどく不可解そうな顔をした。
「どうにかする余地があるのか? これは司令部が下した命令だぞ。物資の割り当ても決まっているし、作戦開始時期も、兵の配備も動かしようがない」
「物資はどうにかなるでしょう。作戦開始も、まあ……ごまかしてみます」
「それこそ、どうやってごまかすというのだ。司令部は子供ではないぞ」
「ええーと、どうしましょう。夜より昼の方がいい囮になるし、きっと我々も早く壊滅しますよ、とか……? 命令書があればいいんですが……」
「じゃあ、命令書を作るか」
俺はたまにやる方法を提案することにした。
「例の手で行こう。印章が必要だな、まずはそれを手に入れる」
「前に盗んだやつ、陛下がまだ持ってたかもしれません」
「そうか、完全に自分のものだと思ってるよな、あれは」
「あとは賄賂ですかね……?」
「それだ。ドッタ大活躍だな。援護の兵を配置する名目はどうする?」
「あー……ガルトゥイルの使者の護衛にしましょう、我々の出撃とともに帰ってもらう。という感じで……」
「……貴様ら」
俺たちの話を聞きながら、パトーシェはますます眉間の皴を深くした。
「なんといい加減な。……いつもそんな調子で戦っているのか?」
「驚きましたか?」
どういうわけか、テオリッタが胸を張った。
その顔はいつも以上にまして尊大だ。間違いない――こいつ、『先輩』のつもりでいやがる。
「これが、私の勇者たちです!」
ふん、と、テオリッタは小さく鼻を鳴らした。
これはあまり自慢にならない、ということ後で教える必要があるだろう。
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