王国裁判記録 パトーシェ・キヴィア

 牢獄に繋がれて、何日かが過ぎた。

 正確にはわからない。

 時間の感覚はすぐに曖昧になった――太陽の見えない地下牢だった。


 自分の部下たちがどうなったのかはわからない。

 それを知る術もなかった。

 せめて、気力だけは衰えないように、外がどうなっているのか色々と思考を巡らせた。


 とはいえ、あまりいい想像は働かない。

 助けが来ないということは、実家からは見捨てられただろう。当然だ。自ら、出奔するようにして出てきた家だ。

 伯父を除いて、理解者などいなかった――その伯父は、自分が殺した。

 聖騎士団の部下たちにもどうしようもないに違いない。

 それ以外の希望的な要素は思いつかず、あとは懲罰勇者たちが脳裏に浮かんですぐに消えた。


(こんなときに、あんなやつらのことを思い出してどうする)

 そう思う一方で、その中でも筆頭のようなあの男――ザイロはどうしているだろう、とも考えた。

《女神殺し》の、人類史上稀にみる重罪人。


(あの男は、私の罪をどう思っているだろう)

 大司祭であり、伯父でもある人物を殺した。

 その行動に驚いているか。気がふれたと思われたか。それならまだいい。だが、もしもその行いを軽蔑されているとしたら、


(それがもっとも嫌だな)

 と、思う。

 こんな事件を起こした以上、自分は人類を裏切った『共生派』の一人だと思われているかもしれない。

 うまく言葉にはできないが、そのことだけは、ひどく耐えがたい気がする。

 せめて、もう一度だけ話をしたい。もしも誤解されているのなら、真実を語りたい。


(こんなことを考えるのは)

 パトーシェは自分に言い聞かせた。

(……追い詰められているからだな)

 そうとしか思えない。


 最初は、裁判に望みをかけていた。

 だが、査察官が何度か牢を訪れたことで、パトーシェはそれが無意味であろうことを知った。

 訪れる査察官はいつも同じ人物のようだった。

 尋ねる内容は、

「マーレン・キヴィアを殺した動機は何か」

 それだけだ。


 起きた出来事を、パトーシェは正確に話すことができた。

 しかし、査察官は「違う」と断定的に言い、いつも内容の訂正を要求してきた。

「お前は、神殿勢力をまとめあげようとするマーレン大司祭の人望と、その能力を恐れた」

 査察官は繰り返しそう言った。

「人類を裏切り、伯父と部下を殺害した」

 まだ若いようだったが、底光りする目をした査察官だった。

「その事実を正確に証言することができれば、解放してやれる」


 ――別の事実を、作り上げようとしている。

 パトーシェがそれを自分から口にしはじめるのを待っている。

 このまま精神をすり減らしながら、何度も答えを繰り返すことで、それが頭の中で真実になってしまいかねない。


(まるで学校の教師のようだ)

 幼年学校の頃を思い出すことがある。

 たとえその場しのぎであっても、生徒の口から謝罪や反省と言った『真実』が出てくるのを待っている。


 このまま続けると、自分も持たないかもしれない。眠ることも満足にできず、意識は徐々に朦朧としてきている。

 相手はいくらでも時間をかけるつもりだろう。

 パトーシェは、自分が『共生派』の一人として、軽蔑されて死ぬことに対して恐怖を覚えた。

 そして、その恐怖が鈍麻していくこと自体もまた、恐ろしかった。


 ――その二人がやってきたのは、そんな日々のある晩のことだった。

 もう何度目、何十度目かになろうかという査察官の代わりに、彼らはパトーシェの牢の前に立っていた。


 陽気だが、どこか嗜虐的な笑みを浮かべた男。

 それから、白い神官服を身にまとった、眠そうな顔をした長身の女。

 そういう二人組だった。


「少し時間がかかってしまった。申し訳ない、パトーシェ・キヴィア。元・第十三聖騎士団長」

 と、男の方が薄い笑みを浮かべて言った。

 最初は、皮肉を言われているのかと思った。新たな査察官が、また別の方向から自分を責めようとしているのかもしれない。

 パトーシェは、その男を睨んで身を固くした。


「あなたの調査はすぐに終わったんだが、検討の段階で議論が必要になってね」

 男は、パトーシェの視線をほとんど意に介した様子ではなかった。

「なにしろ、勇者にできるのはあと一人がぎりぎり限界ってところだ。色々と迷ったよ……かなり難しい判断だったと思う。正直、私は反対したからね」

 勇者、という点に、パトーシェはわずかに反応した。

 してしまった、というべきかもしれない。

 男の笑みが、少し深まった。ずいぶんと嫌な笑い方をする男だと思う。


「そうだね。あなたは勇者と親しいらしい。……我々は、勇者としての資質を、主に二つの面から考慮している……」

 笑う男は、順番に指を折る。

「まずは能力。続いて精神性。能力的には、あなたは十分に優れた指揮官であり軍人だ。軍勢を指揮する能力は、いま、少しだけ欲しい。逆に言えばそれだけでしかないんだが――」

 失礼なことを言われている。

 やはり、気に入らない。その笑い方も癇に障る。


「精神面には少し驚かされた。恩義ある縁者を手にかけたね。これは明らかに個人の利得の範囲を超えた行動だった。見ず知らずの人間のために、それを実行できた」

 笑う男は手元の――冊子のようなものをめくり、うなずいた。

「その、心の動きの方に着目した人がいる。果たしてこれができる人間が、本当はどれほどいるだろうか? ――その答えが、あなたに与える選択肢になる」


「……なぜ」

 パトーシェはようやくそこで声をあげた。

 しわがれた声――まるで自分の声ではないようだった。

「なぜ、お前がそれを知っている」

 あの現場の状況を、ましてや自分の心の動きを把握している人間などいるはずがない。


「ああ。そこが気になるのか。この部分についての発言は、のちに禁止措置をとらせてもらうけど、これはそういう祝福だ」

 笑う男は、冊子を閉じた。それを背後の女に渡す。

「私の《女神》は本を召喚する。情報を召喚する、といってもいい」

 神官服の女は、冊子を受け取ると無言のままその場に腰を下ろした。眠そうな目で笑う男を見る。


「……わかってるよ、ありがとう、エンフィーエ。いつも助かる」

 エンフィーエ。

 そう呼ばれた女は、笑う男の手を黙ってつかみ、自分の頭の上に乗せた。半ば強引に撫でさせる。


「……お前は、聖騎士か?」

「そう。十二番目の聖騎士だ。名前は……偽名ならば教えてもいいけど、それを聞いても意味がないだろう」

 笑う男は《女神》エンフィーエの頭を撫でながら、パトーシェの顔を覗き込む。

「では、そろそろあなたに選択肢を提示させてもらう」

 また指を折りながら、笑う男は朗らかに言う。


「一つ。このまま『共生派』の一員として、死刑になる。……その場合は、早めにあの査察官の言う『事実』を認めることだ。そうすれば、死後の世界のことはよくわからないが、おそらく苦痛の日々は終わる」

 パトーシェは顔から表情を消そうと努力した。

 理由はわからないが、この不愉快な聖騎士に、感情を見せたくないと思った。


「二つ。懲罰勇者となって、戦い続けることもできる。死んでも生き返らされ、行動の自由はほぼない。名誉もない。顔もわからないどこかの誰かのためにすべてを捧げる……」

 笑う男の顔が、そこではじめて少し曇った。

「私ならたぶん断るだろうし、決しておすすめはできない。個人的にはあなたにそれだけの適性があるとも思えない」


「……勇者刑とは」

 パトーシェは、かすれた声に力をこめようとする。

「なんなのだ? 勇者にできる人数に、限りがあるとはどういう意味だ? ……死ぬたびに生き返るということも……よくわからない。蘇生したとき、記憶を失う場合もあると聞いている」


「質問が多いな。あんまり知らない方がいいんだけど、この部分は他言無用に処置するということで。答えられる範囲で答えておこう」

 笑う男はうなずいた。

「たぶん、あなたは普通の……我々みたいな一般寄りの感性を持っている。気になるのはわかるよ。その状態では決断できないだろう」

 嘲られているのかもしれない。

 笑い方も喋り方も、いちいち人を不快にさせる男だ。


「噂ぐらい知っているだろう。第一の《女神》は、英雄を召喚する力を持つ。大昔の大戦初期は、異世界の英雄を召喚していたんだけど……どうも非効率でね」

 なにか大きな秘密を聞いている。

《女神》に関する情報は、軍でも最大の機密情報にあたるはずだ。


「言葉が通じないこともあるし、そもそもこちらが理解できる精神形態を持っているとも限らない。最悪、人類に敵対することもあった」

 第一の《女神》については、パトーシェもその力だけは聞いたことがあった。

 英雄を召喚する能力――確かに、それが本当なら、もっと際限なく召喚していてもいいだろう。

 なぜ英雄による軍隊を作り上げないのか、不思議ではあった。


「そこで、かつての人々は方針を変えた。確実に意思疎通ができる、この世界の人間を、英雄として呼び出すことにしたんだ。……そして、かの《女神》の能力は、死者にも通用する」

「……それが」

 ここまできたら、パトーシェにもわかった。

「それが勇者なのか?」

「そう。それが『勇者』だ。死から蘇って戦う英雄。最初はそうだった。……いま懲罰という形をとっているのは、まあ、色々と事情があってね」


 かつて勇者は、名誉のある立場だったということだろうか。

 パトーシェ・キヴィアは想像する――あの連中の顔を思い出しても、その英雄という言葉が当てはまりそうな人物は、

(……一人も思い浮かべることができない)

 脳裏によぎった像を、握りつぶすようにして遮った。


「ただし、《女神》による蘇生も完全とはいかない。人間には魂とでもいうべき何かがあるらしくてね、生き返るたびにそれは摩耗する。どんどん再現が難しくなっていく……だから」

 彼は自分の頭を指さした。


「第一の《女神》は、勇者たちに対する記憶力と、それを正確に読み込む――いや。なんというか、想起する力で補っている。……驚くほど原始的だろう? でも、これしかない」

 男はどこか、憐れむような顔をした。

 まるで、もはや手遅れになった負傷者を見るように。やはり嘲っているような表情が、その顔のどこかにある気がする。

 それとも、単にそういう顔つきなだけなのか。


「もちろん、このエンフィーエは記録文書を用意してそれを補助できるけど、肝心の召喚のときには第一の《女神》の記憶力と想像力が頼りだ」

 半ば眠るように目を閉じかけていた、傍らの《女神》がわずかに顔をあげた。

 自分の話をされたから、かもしれない。


「記憶力の空き容量――ああいや、余裕はせいぜいあと一人分ってところだな。第一の《女神》は勇者たちに関する情報を繰り返し想起することに、普段の生活のほぼすべてを使っている。……なぜだと思う?」

「……それほど」

 パトーシェは呻いた。

「勇者というものは、切り札になり得るのか?」


「まあ……ちょっとした理由はあるんだけど、私はそうであってほしいと思ってるよ。まともな神経を持ってる人は、結構な割合で『共生派』に取り込まれる可能性があるから」

 男はそこで、秘密を打ち明けるように声を低めた。


「家族や親しい人、尊敬する恩人を――顔も知らない人たちのために、容赦なく裁けるとか。そういう人じゃなければね」

 パトーシェは言い返す気力を無くした。

 それこそ事実だった――自分がやったことだ。

 代わりに目の前の不愉快な男を睨む。


「明かせる秘密はここまでだ。枷の聖印と『修理』の話はいずれまた。……改めて、どうする? パトーシェ・キヴィア」

「勇者になると言えば、ここから私を出せるのか?」

「そうしたいところだが、脱獄は無理だね。一度、死んでもらう必要がある」

 男は平然と言う。

 パトーシェにもおそらくそうなるだろう、という漠然とした予感があった。


「殺して、分解して、ここからあなたを運び出す。……こればかりは仕方がない」

 男は、傍らの《女神》の頭を再び撫でた。

「エンフィーエは、あなたの情報をすべて『本』の形で召喚することができる。そして再現するのは、第一の《女神》を信じてもらうしかない」


 パトーシェは、男の言葉から、皮肉な響きを感じ取った。

《女神》を信じること。

 神官の家に生まれ、そして聖騎士となった自分に必要とされていることが、それか。

(信じて死ぬか、信じずに死ぬか)

 もとより、残された選択肢はその二つしかなかった。


「どうする? やはり、私としては――」

「承諾する」

 せめて、この不快な男を驚かせてやろうと思った。

 パトーシェは即断し、一言ずつ、はっきりと発言する。

「勇者になる。もう一度……もう一度、戦うことを許されるなら、私は、誰とも知れない人々のためにこそ戦うことを誓う」


「わかった」

 男は、笑みを消した。そうすると、ひどく陰鬱な顔つきになった。

「後戻りはできない。推奨もしない。私はあなたの勇者化にはいまでも反対だ――しかし、その誓いには敬意を表する」


 男が刃を引き抜く。

 剣だ。鉈に近いような肉厚の刀身――その刃が輝き、閃いた。

「パトーシェ・キヴィア。あなたを勇者刑に処す」

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