刑罰:ヨーフ・チェグ港湾避難救助 顛末
拠点まで引き上げると、もう事態は収束しかかっていた。
市街に展開していた聖騎士団と警備兵は、ちゃんと仕事をしていたということだ。
救助できる限りの避難民の保護は完了していたし、掃討戦が開始されていた。
水路まで逃げ込んだ
よって、俺たち勇者の任務は、ひとまず終わりになる。タツヤが甲冑を外して、その場にうずくまっているというのはそういうことだ。
タツヤは待機指示を受けている場合、完全に動きを止めるということはない。
だいたいその辺を歩き回っていたり、何の意味があるのかわからないが空中を指でなぞったりしている。
こうして停止しているのは、作戦終了を耳にしたからだろう。
「なんだ、ザイロ。ライノーのやつは一緒じゃないのか?」
と、ジェイスには聞かれた。
やつはすでにニーリィの装具を外し、その体表の掃除に取り掛かっていた。たとえ命令が出ても飛ばすつもりはない、といわんばかりの態度だった。
「あいつ、先に帰ってたんじゃないのか?」
俺はニーリィの傍らにある砲甲冑を見た。どうやらその中に主はいないらしい。
テオリッタも、興味深そうにそれを覗き込む。
「こっちでは見てないよな。テオリッタ?」
「ええ。……あの者は生身でどこかを徘徊しているということですか? 危険なのでは……?」
「つまり、また命令無視の単独行動ってわけだ」
ジェイスは皮肉っぽく笑い、ベネティムを振り返る。
「ベネティム、そろそろやつに首輪と鎖でもつけた方がいいぜ。あんな自分勝手なやつ、野放しにしといていいのか?」
「そういうこと、よりによってジェイスくんが言いますかね……」
応じたベネティムは、なんだか具合が悪そうだった。
顔つきで疲弊しているのがわかる。この状況でよほど神経に負担がかかっていたようだ。
「いやー。あの人は放っといていいんじゃないっスかね?」
ちょうど櫓から降りてきたツァーヴが、軽薄に笑って言った。
左腕にまだ包帯を巻いてはいたが、こいつだけは元気そうだ。それもそうだろう。働いている時間が一人だけ短い。
「その辺で火事場泥棒でもやってるんじゃないスか? それか
「なんか、標本にするって言ってたよね……」
ドッタは気味が悪そうに言った。
こいつは早々に仕事を勝手に切り上げ、酒瓶を傾けてチーズと干し肉を齧っていた。こんな贅沢な夜食をどこで手に入れてきたのか。そんな暇があったのか。
ドッタのこの能力も、超常現象の類というべきかもしれない。
「だから、ライノーなんて心配するだけ無駄だと思うよ。それよりぼくは帰って寝たいんだけど」
「オレも賛成っスね。テオリッタちゃんも兄貴もお人好しだなあ。っつーか、なんか弱みでも握られてます?」
「いや、その、心配というか……」
テオリッタはわずかに逡巡したようだった。
「いったい何を行っているか、気になるというか」
「そういうことだ。別にあんなやつ、心配はしてねえよ」
俺はドッタの手から酒瓶と、チーズを一かけら取り上げた。
南部のワインだ――それもたぶん安くはない。この様子では、たぶんドッタもだいぶ荒稼ぎをしたのだろう。
「あっ」
と、ツァーヴも素早く俺の後ろに回り、「順番待ち」のような顔つきをした。
「兄貴、次オレっスからね! 久しぶりの南部ワインだなあ」
「愚か者め。もっとも働いていない者が、何を言っている」
ノルガユがでかい木材を担いで、歩いてくるのが見えた。
聖印を刻んだ杭だった。たぶん起爆するやつ。ノルガユが手にしていなければ、かなり取り扱いに注意を要する危険物だ。
「ツァーヴ、貴様は到着が遅すぎた。褒美を受け取る順は、ドッタの次にザイロ。そしてタツヤ、ジェイス、ベネティムだ。お前は最後になる」
「ええ!? オレ、ベネティムさんより後なんスか!?」
「当然だ。お前とライノーには問題がある。……特にライノーは、厳しく言って聞かせねばならんな。国防上、大きな障害になりかねん」
ノルガユは憤懣を扱い損ねているように、険しい目で砲甲冑を睨む。
ぶつぶつと文句を呟きながら、その整備にとりかかるつもりのようだ。
「……久しぶりに我が精鋭部隊が全員揃うべきところを、ライノーめ、まさか単独行動とはな。許せん。せっかく激励の言葉を用意しておいてやったというのに……」
「あ! アブねえ。いま、オレはじめてライノーさんに感謝したかも」
「激励される羽目にならなくてよかったよね……。あれはたぶん拷問として成立するよ」
「陛下の演説、国家構想まで聞かされますからね。あんな不毛な時間、他にあります?」
「……おい。なんでもいいんだが、もう引き上げていいんだな?」
ノルガユの言葉は完全に無視して、ジェイスが大きくあくびをしていた。
「ニーリィがお湯浴びて眠りたいってよ。ノルガユの超くだらねえ話を聞くぐらいなら帰るぞ」
そうして、ジェイスがニーリィの首を叩いたときだった。
「――ザイロ!」
聞き覚えのある声だった。
馬に乗った女が、こちらに駆けてきている。鉄色の髪と、褐色の肌――フレンシィ。手勢を五十騎ほど連れている。
しかし、その顔つきは妙だ。
もう、この戦いはほとんど終わりかけているのに、まるでこれから撤退戦でも始めようというかのような悲愴な形相だった。
「ずいぶん無様な姿だけど、ひとまず無事だったようね。それは結構。――で、こんなところで何を呑気にしているの?」
「悪いが、今日はもう店じまいだ」
俺は片手を振り、酒瓶を呷ってチーズを齧る。
「商業地区の仕事は、聖騎士団が片づけるだろうよ」
もう仕事をするつもりはない、という意味で言った。
その俺の手から、次は俺だと言わんばかりにジェイスがワインをひったくる。
チーズの方はツァーヴが奪って、タツヤに差し出していた。タツヤは緩慢な動作でそれを齧る。
「もう今日はお前の罵倒を聞くのもちょっと辛い気分なんだよ」
「何をだらしのないことを。それでもマスティボルト家の婿なの? 冬眠中のキツネザルにも劣るわ」
「キツネザルってなんだよ? いいからこっちは片付いたんだ、休ませてくれ」
「そうね。この街は片が付いた。ひとまずはもう安全。でもね」
フレンシィは、苛立ちのにじむ声で言った。
「第二王都が陥落したわ。いま、その報告を受けたところよ」
「……もう一度。なんだって?」
「第二王都が陥落した。この街への攻撃、それ自体が陽動だったのね」
俺だけでなく、みんなが沈黙した。
ドッタも、ベネティムも、ツァーヴも、ジェイスも、みんなだ。タツヤはもともと静かだ。
その沈黙の中で、最初に口を開いたのは、ノルガユだった。
「……余の都が、
「魔王現象『アバドン』。第九騎士団を破り、防衛線を抜け、第二王都を急襲したようね」
余の都、という部分をおそらく意図的に無視して、フレンシィはうなずいた。
「ガルトゥイル要塞は、喉元に刃物を突き付けられたようなもの。そこも抜かれてしまえば、あとは第一王都ね」
そうして、フレンシィは俺を見た。
「少なくとも、このヨーフ市は孤立したわ」
◆
パトーシェ・キヴィアが司令室に戻ったとき、大司祭マーレンはすでに着替えを終えていた。
鎖帷子を脱ぎ、儀礼的に備えていた剣を外して、椅子に腰かけている。
彼はパトーシェと、それから背後に続いている歩兵長の顔を見て、かすかに微笑した。
「よく戻った」
その言葉には、珍しく満足げな響きがあった。
「諸君らの奮闘は聞いている」
「ありがとうございます」
パトーシェは拝礼し、歩兵長のラジートもそれに倣った。この場では、まず彼には無言を通すように言ってある。
「伯父上におかれましても、見事な指揮であったと聞いております」
「運にも恵まれた。しかし、亡くなった市民も少なくない。またすぐに次の戦いに備えなければな」
マーレンの微笑はすぐに消え、また厳粛ないつもの顔に戻る。片手で聖印を切る仕草を、パトーシェはどこか冷たい目で見ていた。
「……そうですね。伯父上はこの功績で、大司祭の中でも筆頭の位置に立たれるでしょう」
「組織としての神殿の機構は硬直している。この未曽有の試練に対して、我々はもっと団結しなければならない」
マーレンは大きくうなずいた。
「もしもそのような栄誉にあずかるとしたら、まずは人事を一新せねばな。その際には、パトーシェ、お前の置かれている状況も改善する必要がある」
そうして、ため息のように重たい息を吐く。
「人事の一新、ですか。……では」
パトーシェは、一歩、伯父に近づいた。
「そこで、神殿の幹部を『共生派』の一党に入れ替えるおつもりですか?」
これに対し、マーレンからの答えはなかった。
厳粛な表情にも、少しの揺らぎもなかった。パトーシェは、その沈黙が何分も続いた気がしたが、おそらく数秒のことだっただろう。
「……リデオ・ソドリックを尋問したか?」
「きっかけは、あの男でした。やつが会っていた、『共生派』の使者の名前。北方風の呼び名で、マハイゼル・ジエルコフ。伯父上が使われていた偽名でした」
冒険者ギルドを動かせるほどの財力のある、北方出身の、以前からこの街に滞在していた、神殿関係者。
そこまで限定すると、疑わしい人物と関係者はかなり絞られる。
「それからリデオ・ソドリックが使者と会っていた日付と時間、伯父上の行動記録。こちらの警備態勢がほぼ完全に漏れていたこと。なにより、先ほどまでの戦い――」
パトーシェは、すでに腰の剣に手をかけていた。傍らのラジートも同様だ。
「最初に
「なかなか詳しく調べているな。どうやった? 戦いの最中、それほど余裕があったとは思えんが」
「お答えしかねます」
動いたのは、フレンシィたちだった。
南方夜鬼。
彼女たちに関しての情報だけは、徹底して伏せていた。彼女たちもそれを望んでいた。
理由はわからないが、ひどくパトーシェを不愉快にさせる女とその手勢だ。しかし、その行動はなかなかに迅速だったといえる。
結果として、ここまでのことができた。
「伯父上。なぜ『共生派』に? 人類が敗北すれば、すべては終わってしまうのではないですか?」
「……そんなことはない」
マーレンはゆっくりと立ち上がる。パトーシェは剣を握る手に力をこめた。ラジートも緊張しながら、伯父の側面に回る。
「動かないでください、伯父上」
「大事な者たちのためだよ、パトーシェ。私と、家族と、神殿に対して忠実な、敬虔なる者たち」
マーレンはパトーシェの制止を聞かなかった。
緩慢な歩みで、彼女の前に立つ。
「私は彼らを救いたいと思っている。人類はおそらく敗北するだろうが、心の正しい者と家族は無事であってほしいからな。よって、『共生派』についた」
「それでは、……それ以外の者は?」
「どうなろうが知ったことではない。自分と、家族と、自分が大事に想う者以外など、配慮している余裕はない。……この状況下ではな」
マーレンの顔は相変わらず厳粛で、真実を語っているのだと思えた。
「誰だってそうだろう。仕方がない。それともお前は、見ず知らずの人間を救う、英雄にでもなりたいのか?」
「伯父上、私は」
「お前はどこか幼く、大人になりきれていない部分がある。まずはそれを改善するべきだ」
マーレンは鷹揚にうなずく。
「お前も『共生派』として、今後の世界の運営に関わってほしいと考えている」
「私は――」
「人類は魔王現象に敗北する。それでも、それなりの数の人間は生き残りを約束されるだろう――我々はその中で、管理者の側に立たねばならん。残った者たちに正しい導きを」
「それ以上、やめてください」
パトーシェはすでに剣を抜いていた。マーレンの首筋に、その切っ先を突きつける。
「残念です。伯父上。私は、あなたを、本当に……本当に、尊敬していました」
「泣いているのか、パトーシェ」
「私は、伯父上とは違う。……自分と関係がなくても……見ず知らずの人間でも、そうやって見捨てるなんて間違っていると思う。そんな風に考えることができない」
「それは異常な考え方だ、パトーシェ。肥大化した自我による英雄思想というべきかもしれない。不憫ではある」
「黙れ」
パトーシェは鋭く言い捨てた。そうして、傍らの歩兵長に指示を下す。
「ラジート。伯父上を拘束しろ」
「はい!」
ラジートは迅速に、拘束具を手にした。その瞬間に、マーレンも動いた。
雷杖。
どこにそれを隠し持っていたのか。
構えた先端は、パトーシェの胸の真ん中を狙っていた。聖印が光を発する――火花が散る。
「団長――」
おそらくそれは、反射的な行動だったに違いない。
拘束具を放り出し、ラジートはパトーシェを押した。突き飛ばしたというべきだろう。その結果を考えて動いたとは思えない。
雷杖から放たれた稲妻は、彼の胸部を穿った。
肉と骨が爆ぜる。血飛沫が跳ねた。
パトーシェ・キヴィアは、そのとき同時に見た。呆然としたラジートの顔と、憂鬱そうな伯父の顔。
(ラジートは判断を間違えた。私を庇うのではなく、攻撃すればよかったのだ)
そうすれば、自分の命は助かった。
(……私が、間違えるわけにはいかない)
パトーシェは唇を噛み、剣を振るった。伯父の腕を切り裂く。それでもマーレンは止まらなかった。
ナイフを手にしている。
なんらかの聖印が刻まれているのがわかる。攻撃用のものだ――それもおそらく致命的な攻撃を行うもの。起動されるわけにはいかない。
気づけば、パトーシェは叫びをあげていた。
あるいは悲鳴に近かったかもしれない。
その剣の切っ先がマーレン・キヴィアの首を貫いたのは、その直後のことだった。
◆
冬節第一月、七日。
第二王都が魔王現象『アバドン』によって陥落。
同日、第十三聖騎士団パトーシェ・キヴィアは大司祭と、部下の殺害の罪によって投獄された。
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