刑罰:ヨーフ・チェグ港湾避難救助 7
《鉄鯨》の始末は簡単だった。
もともと至近距離に寄られた砲兵に、たいした自衛手段はない。
それでもやつは接近戦用の聖印を起動させ、光の刃を左腕から突き出させた。
苦し紛れだ。
簡単にかわせるし、俺の放ったナイフは正確に肩関節に突き刺さり、そこから先を吹き飛ばした。
それをもう一度――喉元へ。よく浸透させたザッテ・フィンデの爆破力は、完全に《鉄鯨》を絶命させていた。
むしろ大変だったのは、そのあと。
テオリッタのことだ。
あの聖剣を呼び出した後、彼女はほとんど身動きがとれなくなるらしい。
ジェイスを避難民の援護に向かわせたので、俺は造船所の屋根の上から、テオリッタを抱えておろす必要があった。顔面が蒼白で、全身から散る火花もひどい。
その放電のせいで、髪の毛が輝くようだった。
「……見事です、ザイロ」
と、そんな状態でもテオリッタは偉そうにそう言った。
笑顔を浮かべようとしてさえいた。
「ですが、私も見事だったでしょう?」
彼女が求めているものは、言われなくてもわかる。そのために戦っている。
「私の頭を撫でて、褒め讃えることを許可します。存分に崇めるがいいでしょう。さすが《女神》、さすがテオリッタ……」
喋りながら不安になったのか、彼女は窺うように俺を見た。
「でしょう?」
「まあな」
俺はテオリッタの頭を撫でた。
少し乱暴だったかもしれない。手の平に火花の痛み。
「さすがテオリッタ。いい根性してるよ」
「頼りになりましたか?」
「なかなか、頼りになった」
テオリッタは極端だが、誰だってそうかもしれない、と俺はふと思った。
我ながらうまく仕事を一つ終えた時には、誰だって褒められたくなる。頼りになったと、仲間から言われたくなる。
それに命をかける価値があると、そう思うやつもいるだろう。
俺は《女神》を見くびりすぎていたかもしれない。
「……あ」
不意に、テオリッタが声をあげた。
俺の肩越しに、背後を指さす。
「ザイロ、あれを……」
俺もそちらを見た。
造船所の影になっている辺り――そこに誰かがいた。
小柄な人影。子供か? きっと少女だろう。テオリッタよりも幼く見えた。何か大きなものを引きずり、よろめきながら、こちらに近づいてくる。
「……助けて!」
と、その少女は言った。
泣きそうな顔だったし、実際泣いていたと思う。衣服はべったりと血で濡れていた。負傷しているのか。いや――違う。
俺は少女が引きずっているものが何かわかった。
人間だ。成人男性。胸のあたりが破け、血があふれている。少女の衣服は、その男の流した血なのかもしれなかった。
避難民からはぐれたのか。
面倒なことになったと思った。彼女を連れて戻らなければならない。もはや限界のテオリッタを含めて、護衛相手が増えてしまった。
俺は残りのナイフを数える。三本。大事に使わなければ。
「助けてください! お父さんが……」
少女はえづくような声をあげた。
「お父さん、がっ、動かなくなって……だ、誰もいないし……!」
「安心しなさい」
答えたのはテオリッタで、無謀にも俺の支え無しに立っていた。
「もう大丈夫です」
と、テオリッタは言った。弱々しかった声が、力強いものに変わっていた。
「ここにいるのは《女神》テオリッタと、我が騎士ザイロ・フォルバーツ。あなたの安全を約束しましょう」
そうして、テオリッタは一歩、血まみれの少女に歩み寄った。
「急いでその方の治療もしなければ。他の方からはぐれたのですか? 名前は――」
「私は」
少女の体がよろめいた。
一瞬、そう見えた瞬間、俺は見た。少女の顔から一切の感情が消えるのを。
(まずい)
と、思ったのは遅すぎた。
テオリッタに近寄らせすぎた。少女の体が、よろめいたと思ったときに加速していた。
俺はひどい間抜けだ。
(ふざけんなよ、ザイロ・フォルバーツ)
間に合えと祈った。誰に祈ったのか――俺は後になって気づいた。セネルヴァ。いまはもう顔も思い出せない女神に。
それでも現実は非情で、出遅れた俺が間に合うはずもない。
少女の腕が振り上げられる。
ナイフか。肉厚で、鋭い。
テオリッタはこのとき、悲鳴もあげずに目を見開いていた。そして、瞬間。
俺は思い出した。
現実は非情で、真面目に相手をすると勝ち目なんてほとんどない。
真面目にやってダメなら――それがどうしても負けるわけにはいかない勝負だとするなら、手段を選ばずインチキしてでも勝つべきだ。
このとき、それが間に合った。
『あ』
ツァーヴのやや気まずそうな声がした。
『やべ。子供撃っちゃった? ……あれー……?』
『いきなり何やってるんですか、ツァーヴ!』
それからベネティムの悲鳴。
『それって民間人撃ったってことですか!? バカじゃないですか!?』
白い稲妻が、血まみれの少女を撃ち抜いていた。
少女は驚愕の表情を浮かべた――当たり前だ。
その稲妻は少女の上半身の半分ぐらいを粉砕していた。左半身、肩から胸まで、盛大に肉が爆ぜる。
後から聞いた話では、これはツァーヴが配置についてから、最初の一撃だったらしい。
ツァーヴいわく、
「兄貴とテオリッタちゃんが襲われそうに見えたんで」
と言っていた。
どういう原理かは知らないが、その判断は正確だった。
「こんな……」
少女は呻いた。
「こんな、ことが」
倒れそうになりながらも、最後までテオリッタを狙おうとした。
上半身が抉られた状態でそこまで動けるのは、もう完全に人間のやっていいことではなかった。
逆の手でナイフを握り、突き出してくる――テオリッタに触れたか否か。硬質な音が響いた。
その瞬間には、俺が間に割り込み、少女の体を蹴とばしている。
それが決定的な一撃になった。
上半身が千切れ、吹き飛ぶ。
テオリッタがその場に崩れ落ちる。その体を、俺は寸前で捕まえた。
「テオリッタ。いまので、怪我は?」
「ザイロ……」
彼女は蒼白な顔に、引きつってはいたが、はっきりとした笑みを浮かべた。
その手が小さなナイフを握っている。見覚えがあった。露店で買ったやつか。果物を切るぐらいにしか使い道がなさそうな刃。
「この、刃物の使い方を……もっとちゃんと、学ぶ必要がありそうですね」
「これで防いだのか」
こんな、玩具のような代物で。
俺は大きく深呼吸をして、そのナイフを見た。
「もっといいやつを買った方がいいな。……稽古はつけてやる」
◆
この日、商業地区では、第十三聖騎士団が奮戦したらしい。
それに、市の警備兵と、武装神官たちも。
パトーシェの率いる部隊は、迅速に対応し、
狙撃兵が足止めを行い、騎兵が蹴散らして、歩兵が制圧する。
基本的な戦い方はこれだけではあるのだが、そういう形で部隊を分散させつつ統率できていたというのはパトーシェの軍人としての実力なのだろう。
また、市の警備兵と武装神官たちも、市民をよく守った。
攻撃部隊が聖騎士団ならば、防御部隊の主役は彼らだった。
この部隊を指揮していたのは、マーレン・キヴィア大司祭だった――らしい。
自ら陣頭指揮に当たるその姿は、神官の印象を覆すようなものだったそうだ。
それまでの神殿は、魔王現象との戦いに関して、どこか消極的なところがあった。従軍神官といえども、参謀であり聖印を調律する技術屋という側面が強かった。
大司祭という立場でありながら、最前線に出たマーレン・キヴィアは、市民から大きな人気を集めたとされている。
実際、戦術的な観点から見ても、マーレン・キヴィアの指揮はなかなかのものだったと思える。
戦力配備が適切で、ことごとく
被害の拡大を防ぎ、結果として、彼らの努力で港湾都市ヨーフは防衛されたといえる。
そして――
◆
ヨーフ市の地下水路は、迷宮のように入り組んでいる。
旧王国時代からの遺構に手を加え、整備しながら使用しているためだ。
都市の外へつながる要所は人間の軍隊が押さえていたが、さらに深部へ潜るなら、監視の目など無いに等しい。
特に、その魔王現象『スプリガン』にとっては。
その体は傷ついており、甚大な負傷を負っていた。
すべてはあの狙撃のせいだ。
方法は悪くなかったはずだ。標的の《女神》には十分に近づけていた。あと少しでその肉体を破壊できていた。
あの稲妻のような狙撃が、すべてを狂わせた。
寄生先として使った肉体が、脆すぎたのだろうか。
リデオ・ソドリックの側近として存在していたイリという少女――その体をそのまま使用していた。
魔王『スプリガン』は、他の生物に寄生する能力を持つ魔王現象だ。
その本体はネズミほどの大きさもない。
他のなにかに寄生する、乗っ取る、擬態するといった能力を持つ魔王現象はそう珍しいものではない。
が、『スプリガン』の場合はその生命力が卓抜していた。
宿主が破壊され、生命活動が停止しても、そこから分離して生き延びることができる。再生力も高い。ただ、本体の戦闘能力の低さはどうしようもない。
あの場で無理をせず、聖騎士と戦うことなく死亡を装って逃走したのは正解だったはずだ。
(いまは、損傷の修復に専念するしかない)
『スプリガン』はそう結論づける。
稲妻による狙撃と、聖騎士の打撃は、『スプリガン』の本体にも確かなダメージを与えていた。
肉体を修復しながら、ここから
たとえ人間どもが予想外に上手で、殲滅されていたとしても、方法はある。魔王現象には、周囲の生物や無機物を侵食することができる。
そうして新たな群れを作り上げればいい。
それが取り得る最善の方法――
「ああ」
不意に声が聞こえて、『スプリガン』は思考を中断した。
人間の声だ。誰かが近づいてくる。
「そこにいるのかな、『スプリガン』。負傷しているね。かわいそうに」
『スプリガン』はその人物を見る。
体格のいい男だ。見た目は人間としか思えないが、表情が妙だ。どうやら微笑している――らしい。その理由がわからない。
(あり得ない)
と、思う。
人間だとしたら、どうやって自分の存在を察知されたのだろう?
「不思議そうだね。実は、魔王現象が周囲を侵食する際には、独自の……なんていうのかな。『波』があるんだ」
『スプリガン』の疑問を察したように、その男はうなずいた。
「同族ならそれを捉えられる。そうやって追跡してきたんだ。持ち場を離れてね」
男はゆっくりと近づいてくる。
『スプリガン』は動けない。損傷が大きすぎる――せいぜい、少し這いずった程度だ。
「……僕の犯している罪は、勇者部隊の中では、最も底が浅くて単純でわかりやすい。らしい。罪という概念は難しいけど、たぶんそうなんだろう」
男の喋る言葉の意味はわからないが、得体のしれない不安感だけを感じる。
一歩ずつ距離が詰まっていく。
「同族殺しだ。僕はそれに快楽を覚える性質がある。……人間はすごいよ。こういう性質はすごく『ありがち』で、動機として『つまらない』ものだって言うんだから。……つまらないって、本当にすごいよね」
喉を鳴らして笑うのがわかる。
「それで僕はもう全面降伏さ。なんでも言うこと聞きます、って感じだよ。他の懲罰勇者の仲間たちを見ていると、僕がいかに浅薄なのか毎日思い知ってもいる」
「来るな」
と、『スプリガン』は言ったつもりだった。
人間の声帯が存在しないため、どれほどまともな言葉になったかはわからない。しかし、男が止まるはずがないこともまた、わかっていた。
「だから、僕は人間に媚を売るんだ。それはもう必死でね。喜んでくれそうなことはなんでもやるよ。受け入れてもらうために苦労もする。こちら側にしか僕の居場所はないから」
「来るな」
『スプリガン』は繰り返した。他にできることがなかった。
「だから倫理観も学んでいる最中なんだよ。きみたち魔王現象にとっては、僕は単なる殺人鬼に過ぎないということもわかってきた。自分の楽しみのために同族を殺す、とても底が浅くてつまらない種類の罪人……」
「来るな」
「だが、人間にとっては英雄にもなれるらしい。罪にも問われない。なぜだろうね。この辺の理屈は僕も勉強中で、うまく説明ができない」
「来るな!」
「断るよ。さっきから、きみのその声」
その男は、嬉しそうに笑った。
首筋にぐるりと浮かぶ聖印が、ひどく不吉なものに見えた。
「なかなかいいね。もっと苦しそうに叫んでくれると嬉しいし、すごくワクワクしてくる。殺すまでに時間をかけたい気分だ」
そうして、彼は『スプリガン』を握りしめる。
「名乗るのが遅れた。僕は魔王現象『パック・プーカ』。この肉体の、元の持ち主の名前を使って、人間からはライノーと呼ばれている」
◆
こうしてヨーフ市をめぐる攻防は終結した。
が、最悪なのはその後だった。
おそらくこの日が何かの転機だったに違いない――人類は加速的に追い詰められていくことになる。
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