刑罰:ヨーフ・チェグ港湾避難救助 1
急造の司令室だった。
もともと俺たち勇者部隊に割り当てられる部屋には、ぜんぶ「臨時」とか「特殊」とかいう名称がつく。
ちゃんとしたものは正規兵のものだ。
その司令室も、竜房の傍らにあった物置のような小屋にすぎなかった。
俺とテオリッタがそこに入室したとき、すでにベネティムの隣にそいつは佇んでいた。
両手を後ろに組み、いつも通り腹が立つくらい穏やかな顔に、薄笑いを浮かべて。
「やあ、同志ザイロ」
と、その男――ライノーは、まず俺に向かって挨拶をした。
「元気そうで何よりだ。僕が居ない間、大変だったみたいだね」
とても懲罰房に入っていたとは思えない態度だ。こいつはいつもそうだ。説教する神官のような、あるいは市民学校の先生のような口調で喋る。
「そちらが例の、女神様かな?」
ライノーは細い目をテオリッタに向ける。
なぜだか、テオリッタは少し怯えた様子を見せた。その反応は正しい。ライノーはとてつもなく胡散臭いやつだからだ。
無言のテオリッタに、ライノーはそれでも構わないとばかりに挨拶する。
「よろしくね、テオリッタ様。僕はライノー。この懲罰勇者9004隊で砲兵を務めている者だよ。同志ザイロとは、相棒みたいなものかな」
「ぜんぜん違う」
俺は最後の部分を否定した。
「ベネティム、こいつやっぱり釈放はまだ早かったんじゃねえかな。顔を見てたらそんな気がしてきた」
「ええ……? どうにかして懲罰房から出せって言ったのは、きみでしょう……」
ベネティムは、さも自分が何か交渉をした挙句、ライノーを出すことに成功したような言い方をした。
だが、事実は違うし、すでに聞いた。
この街が攻撃を受けていて、遊ばせておく兵力がないから釈放されたのだ。
懲罰房は、このライノーという男の行きつけの宿泊施設のようなものだ。
こいつには命令違反が多すぎる。
それを反省する様子もまったくない。常習犯といえるだろう。一年の半分ぐらいを拘束されて過ごしているような男だ。
――たとえば、ジェイスと組んで従軍した前の戦いだ。
ライノーは勝手に持ち場を離れ、何を考えたか、近隣の開拓村へ向かった。
そこでおもむろに単独戦闘を開始し、
どうやら西方の作戦では、戦略的な防衛線より西側の開拓地は見捨てる判断が下っていたらしい。
ライノーはそれを聞き、砲撃任務を放棄して独断で動いた。
これは美談に聞こえるし、実際そこの住人にとっては助かったのだろう。
ただ、この作戦の指揮官としてはたまったものではない。
その村を見捨てる決断をしたことの是非はともかく、兵士に自分でそんな判断をされては、軍隊というものは成立しない。
懲罰房に入れられるのも当然だし、むしろ毎回その程度で済んでいるのが不思議なほどだ。
「困っている人がいると、我慢できないんだ」
と、ライノーは薄ら笑いを浮かべながらそう言っていた。
「
ライノーがこういうとき、ツァーヴあたりは呆然とした顔でライノーを見る。
なんだこれ、という目つきだ。どうやらやつにとっては、命令違反を犯してでも見ず知らずの人間を助けに行くという概念が理解できないらしい。
それがライノーという男だ。
この懲罰勇者部隊において、こいつだけはなんの罪も背負っていない。たぶん。
志願勇者だと聞いている。その点は、俺にもまったく理解できない。死んでも解放されない戦いに、好き好んで参加する。
その理由を聞いてみたことはあるが――
「世のため人のためだよ、同志ザイロ。僕は人類全体に奉仕したいんだ」
という答えが返ってきた。
マジでワケがわからないし、だいぶ気持ち悪い。
そんな綺麗事としか思えない目的のために、死んでも働かされる勇者部隊に所属しようと思うのか?
そのくせこいつは、それが人命救助の観点から最善と判断すれば、平気で笑顔のまま民家に砲撃をぶち込んだりする。もう意味不明だ。
正直を言えば、俺もこんなやつとは極力一緒に仕事はしたくない。
ただ、今回のこの局面に関して言えば、それなりに当てになる存在といえなくもない。
一応、腕もいいからだ。
砲兵というこの新しい兵科を運用するには、専門知識と聖印の取り扱い技術がいる。どこで覚えたか知らないが、それは俺たちに真似のできないものだった。
「とにかく、いまは僕と睨みあっている場合じゃないよ」
ライノーは、憎たらしいほど落ち着き払って言った。
「同志ザイロ、力を合わせ、ともにこの事態を乗り越えよう。テオリッタ様も、頼りにしているよ」
「と……」
テオリッタはやや口ごもりながらも、力強くうなずいた。
「当然です。私を存分に頼りなさい! ……我が騎士ザイロ、まずは何をすれば?」
「そうだな」
テオリッタがやる気になっているのだから、俺が文句を言うことはできない。
ライノーのどこか空虚な笑顔を一瞥し、またベネティムに戻す。
「状況確認だ。市街地が襲われてるのか?」
「そうです」
ベネティムは卓上の地図を示した。
このヨーフ市の地図。いくつかの書き込みがある。ベネティムの指が、その港湾部の北側を示した。
ヨーフ・チェグ――南北に長いヨーフ市の港湾区画で、『北側』を意味する地名。
「この一帯。海から――あるいは海とつながった水路から、
「少ないね」
「少ないな」
不愉快にも、ライノーと俺の呟きは一致した。
俺はライノーをまた睨む――ライノーは微笑を崩さず受け止め、地図を覗き込んだ。
「同志ザイロと意見が一致したね。よかった。……なんでたった一千程度の小勢を繰り出して来たんだろう? この街には第十三聖騎士団も駐留している。付近には第九聖騎士団もいる。大きな人間の街だとわかっているはずだ」
「攪乱、陽動。こっちの戦力を引き出すのが狙いだろうな」
「うん。つまり本命は別ということかな?」
「違ったらただのアホどもが先走っただけだ」
こんなことは威張るようなことじゃない。当然の発想であり、ガルトゥイルでも似たような見解に至っているだろう。
ただ、放っておけない囮でもある。
これは損得の問題だ。なにしろここは商業の中心の一つ、ヨーフ市であり、その港湾施設は最重要拠点の一つになる。
船や倉庫、造船所の類が被害を受けたら、その影響は大きすぎる。
それに、市民もいた。
(ライノーじゃないけどな)
俺はライノーの横顔を睨みながら、心の中で言い訳をした。
そうだ、これは損得の問題にすぎない。
軍隊が市民を守らなければ、どうやってこの戦いを続けていくことができるだろう? これは、どこまで続くかもわからない、長い防衛戦なのだ。
「ベネティム。俺たちはどうする、ガルトゥイルからの指示はどうなんだ?」
「お二人と同意見だと思います。この
ベネティムは苦しそうに俺たちを見た。
「第十三聖騎士団は、ヨーフ市行政庁舎付近に展開。市の警備隊も即時引き上げ――替わって懲罰勇者部隊が、ヨーフ・チェグ港湾部の防衛および避難誘導を引き受けろと」
「なんだと?」
俺は耳を疑った。
「市民とその財産がヨーフ・チェグに集中してる。後で暴動になりかねないぞ」
「……ですが、貴族の財産は違います。内陸部……海から襲われても安全性の高い、この近辺に集積されています」
ベネティムは、今度は行政庁舎を指さした。
ヨーフ・チェグからは、いくつかの通りと市内の壁を隔てて存在する倉庫群がある。
「ガルトゥイルに強力な影響力を持つ貴族団が、こちらの守りを優先するよう働きかけを行ったのかもしれませんね……」
「頭がおかしいのか、そいつらは」
「わ、私に怒らないでくださいよ! そういう命令があったっていうだけの話なんですから!」
その貴族どもは人類があらかた滅びた後で、蓄えた資産をもって魔王どもに頭を下げるつもりでいるのか?
自分たちに有利な形で徐々に負けていけ、と言っているとしか思えない。
「あの、これは私の案ですが……」
ベネティムは俺の顔色を窺い、言うだけ言ってみるかという様子で切り出す。
「こんな戦いで怪我したり死んだりするのは、バカバカしいと思います。あまり積極的に活動せず、交戦指定地区のぎりぎり内側で大声をあげて誘導する体裁だけ整えるというのは……?」
「恥を知りなさい、ベネティム!」
テオリッタが、決然とした声をあげた。
少し怒っているのかもしれない。
「それでもこの《女神》テオリッタの勇士たちですか! たとえいかなる苦境だとしても、市民の命が危険に晒されています――ザイロ!」
命令するような口調だが、はっきりとわかる。
それは懇願して、期待しているのだ。
「助けに行かなければ。いま、それができるのは、私たちだけ……そうでしょう?」
テオリッタの瞳が、炎の色に輝いている。
「命を捨てて、役に立とうとかするな。それは覚えてるか?」
「覚えています。でも、これは」
テオリッタは言葉に少し迷った。それでも言う。
「そういうのとは、違う。でしょう? 自分の命を大事にするあまり、他人の命を見捨てようとするのは、たぶん……違います」
それから彼女はわずかに背伸びをして、金髪の頭を突き出すような姿勢をとった。
「ダメですか? どうですか、我が騎士。私の言葉は、賞賛に値しませんか?」
俺は何か答えを返そうとした。
だが、その前にライノーが台無しにしていた。
「さすがは《女神》様。美しいまでの覚悟だね。僕もまったく同感だ。港で暮らす人々の生活を、命を、守らなければならないよ」
ライノーが細い目で笑いかけてくる。鬱陶しい。
「同志ザイロ、いまこそ僕らの戦いの時だ。違うかな? 人々の未来と希望のために、手を取り合って頑張ろう」
「うるせえな。どっちにしろ、仕事だろ」
俺はライノーの視線をそらすように手を振った。
「俺らは兵隊だから、それが命令なら従うさ。避難救助か……」
俺はテオリッタの金髪に手を乗せ、撫でた。
「《女神》に導かれる勇者部隊らしい仕事になってきた」
手の平にかすかな火花を感じる。テオリッタは満面の笑みを浮かべた――またしても絶望的な作戦にも関わらず。
この《女神》は、俺たちよりもよほどたいしたやつかもしれない。
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