刑罰:ミューリッド要塞防衛汚染 8
剣の雨が降った。
緑の月夜に白々と刃が閃き、落ちてくる。
俺はその隙を縫って駆ける。
二種類の異なる増援のせいだ。
側面からの攻撃は、横っ面を殴られたようなものだった。そして後方から現れた騎兵たちは、魔王『イブリス』自身の注意を逸らした。
動物的な対応。
こいつらは軍勢の体を成してない。やはり魔王『イブリス』に大した知性はない。
(だとしたら、なぜだ?)
ほかに、この要塞を攻撃するように命じた指揮官がいるとしか思えない。
ただ、いまそのことを考えている場合ではなかった。
剣に串刺しにされる
飛びついてきたフーアの一匹を踏みつけ、地面にめり込ませて跳ぶ。あと一歩。
魔王『イブリス』に接近する――直線距離。邪魔をした大型のバーグェストに、ナイフを打ち込んで吹き飛ばす。跳躍する。
もう、目の前だ。
(いや、でかいな)
象程度の大きさだと思ったのが間違いだった。
近づいてみれば、こいつはでかい。ミューリッド要塞の正門を通るのも苦労しそうなほどだ。しかし、対処の手はある。
この距離ならザッテ・フィンデの雷撃も届く。
ただしそれは、『イブリス』からの反撃も可能な距離だった。
ナメクジのような魔王が持つ攻撃手段は、単純なものでしかない。
自重による押し潰し。
柔軟すぎる体を伸ばし、俺を叩き落そうとしてくる。単なる突進。体当たりにすぎないが、有効だ。
「テオリッタ!」
俺は空中で体をひねる。
「やれるよな?」
「当然です」
うなずく。やるべきことは伝わっている。
しがみついてくる力を感じる。火花が散る。空中に長大な剣が生まれた――小さな塔のような剣。
それは『イブリス』の体を貫き、引き裂く。悲鳴。突進の動きが鈍る。
俺はその剣の柄を足場にした。
蹴って、再跳躍する。
すぐに剣は錆びた砂となって崩れ去る。このように、《女神》の召喚物は個体差によるが、永遠に存在できるわけではない。いまのは規模と強度だけを重視した、持続性度外視の召喚だった。
俺が使う場合、それでよかった。
テオリッタは急激に戦い方を学びつつある。俺とともに戦う方法をだ。これもまた、聖騎士と《女神》が強力である理由の一つだ。
「いかがですか、我が騎士」
テオリッタは何かを挑むように俺を見た。目が燃えている。
「私の祝福も、なかなかのものでしょう」
気づいているのだと思う。
いまの剣の召喚をテオリッタに願った時点で、俺は思い出していた。
セネルヴァのことだ。城砦の《女神》。異界の構造体を召喚できる祝福の使い手だった。
いくつもの戦場を飛び回った――文字通りに。
こんな風に、巨大な塔の群れを呼び出し、俺はそれを跳び渡り、魔王現象と空中戦を演じたこともあった。
少し、そのときのことを思い出した。
「上等だ」
とだけ、俺はテオリッタに答えた。
ほかにどうすればいいかわからない。テオリッタは少し微笑んだ。
「そうでしょうとも。私が祝福するのです、絶対に勝ちなさい」
背後を一瞥する。
迫る『イブリス』が、得体のしれない体液をまき散らしながら吠えていた。
巨大な剣で切り裂かれても、止まっていない――傷がふさがっていく。
愚直に俺を追ってくる。魔王現象の群れを置き去りに、巨大な体躯で地面をのたうつようにして迫る。
間近で見ると、山が押し寄せてくるような威圧感がある。
緩慢な動きに見えたが、図体がデカい分だけ一歩の動きもデカい。
ということは、もう目的は達成したということだ。
俺は地面に降り立ち、『イブリス』を見上げる。無数の濁ったような目が俺を見ている。
怒っているのかもしれない。
「そうだな」
俺は地面にナイフを突き刺し、うなずいた。また、跳ねる。
最低限『イブリス』が追えるような速度で。
「お前の気持ちもわかる。こんな戦場、最悪だ」
何一つ明快でなく、混沌としていて、理屈の通らないことばかりだ
俺たち懲罰勇者の戦いというものは必ずそうなる。
主にぜんぶあいつらが悪い。
『イブリス』はその巨体で俺を踏みつぶそうとした。
よって、その罠にかかった。
俺が地面に突き立てたナイフは爆発し、光と轟音を響かせ、ついでに大地の様相を一変させた。
偵察の際に仕掛けていたものだ。
キヴィアの協力を得て、ノルガユ陛下が調律した聖印を、この土地一帯に埋設しておいた。
乾いた土を泥のようにしてしまう聖印だ。
いわばおおげさな落とし穴のようなもので、戦場ではあまり使われない。使用した付近が土地として使用不能になり、復旧に時間がかかるからだ。
この世の道理というやつで、壊すのは簡単だが、戻すのは難しい。
とはいえ、気にしていられるものか。
キヴィアがこの聖印を封じた箱の中身を知っていたら反対したかもしれない、とは少し思う。
広範囲にわたる大規模な泥濘化――『イブリス』はそれに巻き込まれた。
「テオリッタ」
「ええ」
その金髪が、強く火花を散らした。
空中に剣が三本。おそろしく巨大な、銛のような切っ先を持った剣だ。
魔王『イブリス』は咆哮をあげた。
苦し紛れに体をもがかせても、もう遅い。泥濘化した地面ではまともな動きはできない。
「これで」
テオリッタが指さすと、剣は『イブリス』に降り注いだ。
その巨体を突き刺し、泥と化した大地深くへ縫い留める。今度の剣は、持続力にも十分な力を回している。その大きさにも、強度にもだ。
やつがどう暴れても、逃れられない。
剣による傷口が、やつの体を引き裂いて、片っ端から治癒されていく。
が、それでも泥の沼と、自らの体を深々と地面に突き刺している剣の重量は跳ねのけられない。前進するための足場もない。
結局のところ、不死身だけが問題となる魔王の相手をするには、これで十分だった。
動きを止めるということ。
巨大な落とし穴と、脱出不可能な仕掛けがあればいい。呆れるほど原始的だが、必要なものはこれだけだったのだ。
あとはそれを実行する方法。
あとは――まあ、いろいろ。
こうしてしまえば、動きを止めている間に、毒でもなんでもぶちまければいい。
要塞を犠牲にする必要はどこにもない。
「やりました」
テオリッタは呼吸を荒げ、額に汗をにじませて俺を見上げた。
「よね?」
撫でろ、と言わんばかりに頭を突き出してくる。
たぶん、それが良くなかったのかもしれない。勝ちを認めるには早すぎた。
ぶつん、と、異様な音が地面の下で鳴り響いた。
『イブリス』の巨体が、泥の中で暴れている――その背中が裂けていた。ぶちぶちと柔らかい肉が裂け、翼が生える。
いや、違う。
分離している。
『イブリス』の肉の中から、何かが飛び立つ。蝙蝠に似ていた。小柄な生き物だ。
俺はそのとき、この魔王の本当の姿を知った。
変化している。
こいつの特性はただの不死身ではない。変化適応――ゆえに不死身か。
こんなもの、本当に毒で仕留められるのかよ。
第三の《女神》の予知は、ついに外れていたのではないか。
いまや魔王現象『イブリス』は、自らの巨体を脱ぎ捨て、蝙蝠になって飛翔していた。
それだけではない。
見ているうちに、空中で体を肥大化させていく。全身の表面に目玉が浮き上がる。こちらを睨みつける。
――飛来してくる。
「失敗かよ」
考える前に、俺はテオリッタを庇った。
『イブリス』に鉤爪が生えるのがわかった。鋭利な刃。かろうじて回避は間に合っただろうか。
肩から背中へ抜ける鋭い痛み。
意識が高揚しているからか、それほど気にならない。
『……兄貴、まだっスか?』
ずいぶんとかすれた、途切れがちなツァーヴの声。
『そろそろこっちヤバいっスよ。オレはめちゃくちゃ頑張ってますけど――』
その言葉の途中で、ばきばきと凄まじい異音が響いてくる。ノルガユとベネティムの声がそれに混じる。
『者ども、引け! 天守へ駆けろ、正門が持たん!』
『ええっ!? こっち来ないでくださいよ、陛下! そ、そっちで粘ってください!』
『あ、そろそろそんな感じっスか? あの、じゃあオレも逃げていいっスか?』
『待って、誰か……助けて……! 傭兵団に追いつかれたら殺される!』
まったくひどい連中だ。
こっちが笑えて来る。どうしようもないところになってきた。
こうなったら、こんな戦場をつくった責任は俺も取らなきゃならないだろう。ここで俺だけ逃げ出したら、デカい顔ができない。
「仕方ねえな」
俺はため息をつく。
「テオリッタ、逃げろ。時間稼いでみる。俺は勇者で死んでもいいが、お前は――」
「いいえ、我が騎士」
テオリッタは首を振った。
「私がいる限り、あなたに敗北はあり得ません。私は《女神》ですよ、ザイロ」
彼女は燃える目で、まだ敵を見ていた。
『イブリス』が空中で身をひるがえし、また体を肥大化させるのを見ていた。
その背後から
(すげえな)
と、俺は単純すぎる感想を抱いた。
テオリッタは、まだ戦意を失っていない。
たいした《女神》だ。まるで本当に、人間を導くために降臨した存在であるかのように、テオリッタは敵を指さす。
「ええ。我が騎士。私は絶望などしませんし、生きることも諦めません」
虚空に剣が呼び出される。
「そうしたら、きっとあなたは私を認めてくれるでしょう? 私を偉大な存在だと、私自身に確信させてください……他でもない、この私自身のために」
「わかった」
そうして俺は、テオリッタに導かれてやる気になった。
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