刑罰:ミューリッド要塞防衛汚染 6
「どうなってんだよ」
俺は苛立つ声を抑えられなかった。
人間が、武器を使って、魔王現象に混じっている。
この異常性は大きい。
魔王化した人間とは意味合いが違う――人間の中に、ついにやつらと同調する勢力がでてきたということだ。
魔王現象の中にはごく少数ではあるが、人間の言葉を解する者もいることはわかっていた。
そういうやつは人間のそれに近い精神形態を持っている。
であれば、お互いの利益を目的として、交渉が成立しないとはいえない。そんなことを考え付くやつはどうかしているとは思うが、とにかく理屈の上ではそうだった。
あるいは、魔王現象からなんらかの精神的な干渉を受けている?
できればそうであってほしい。
ただ、あの『イブリス』にそんな性質があるとは聞いていない。
「ザイロ」
と、テオリッタは言った。
顔が青白い。この事態を深刻に捉えているようだ――理由はわかる。
「大きな問題がでてきました。私は人間を攻撃できません。そのようなことが、仕組みとして不可能なのです」
「わかってる。なんとかする」
とは言ってみたが、こいつはまさに深刻すぎる問題だ。
「……キヴィア! 聞いてるか、どうなってるんだ? あいつらはどこの連中だよ、第九聖騎士団からは何も聞いてねえぞ」
何回か呼びかけて、ようやく応答がある。
聖印による意思疎通は、懲罰勇者以外が相手だと途端に精度が落ちる。ある種の「波長」のようなものがあると聞いたことがあった。
『……私にもわからない』
なんてありがたい答えだ。
キヴィアたちの一団は、とにかくいちはやく正門前から離れようとしていた。追撃してきた
『貴族の私兵であることは確実だ。馬の扱いと騎射の腕がある』
しかも、二百はいる。
甲冑ではない軽装だが、具足を身に着け、頭は兜で覆っている。顔はわからない。
そういう連中がコシュタ・バワーに騎乗しながら、火矢を放つ――あっという間にノルガユ陛下の築いた馬防柵が燃え尽きていく。
ちょっとした悪夢的光景だ。
「貴族の私兵って、なんだよ。なんでそんなやつらが魔王の手先をやってるんだ」
『……わからない』
「わからないことだらけだな! じゃ、攻撃していいんだな? 捕まえて吐かせる」
『そうするしかあるまい――と言いたいが、無理だ。離脱したぞ! これでは追えない』
「くそ」
キヴィアの言葉通り、騎兵の集団は馬防柵を燃やすと、さっさと最前線から離れていく。
聖印群の甲冑で重武装したキヴィアたちには追う足がない。
軽騎兵としては当然の動きだ。
確かに正門からの城攻めはやつらの役目ではない。向かう先は――地下道か。そこはあえて門を開けてある。そちらに回るつもりだろう。
(不幸中の幸いってとこだな)
正直言って、助かった。人間を相手にする必要はない。
『ザイロくん、どうします!? なんか地下道に来ましたよ!』
「見りゃわかる。あいつら、この城の構造知ってるな」
『だからヤバいですって! どうするんですか、私のとこまで来たら!』
「お前は自分の保身のこと第一だな。でも、気にするな」
『そうっスよ。作戦の何を聞いてたんスか、ベネティムさん。タツヤさんが守ってるでしょ。まあ皆殺しっスよね』
『然り。タツヤ将軍の防御に加え、余が手ずから仕上げた爆破の聖印がある。最終的にはそれをもって防衛線となす』
ベネティムは黙った。相変わらず、指揮官にあるまじき男だ。
とにかく、地下道は安全だ。
地下道ならば爆破して封鎖してしまえばいい。
せいぜいそっちに引き付けてもらうことだ。
このことから、あの騎兵のやつらは城攻めの経験があまりないことがわかる。貴族の私兵――だとしても、軍に近い派閥の連中ではなさそうだ。
あるいは神殿か、と、かすかに思う。
『っつーか、地上班のオレらはどうすんスか?』
ツァーヴの声は面倒くさそうだった。
『オレ、こっちで手一杯なんで正門まで対処できないっスからね』
やつの言う通りだ。
正門側から、大型の
カイラックと呼ばれる種類のものだ。
牛をベースにした巨大な獣で、分厚い装甲に覆われ、強靭な角を備えている。それが破城槌のような役目を果たす。
城門に近づけないようにするしかないが、雷杖による射撃程度では止められない。
『ベネティムさーん、司令官でしょ。なんとかしてくださいよ』
ツァーヴの声に焦りはない。
ただ、裏門に近づこうとする
『せめて陛下を壁から下ろしてもらっていいスかね。カイラックが出てきてますよ、正門が持たない』
『そ、そうですよ! 陛下、ここはお引きください!』
『いいや、そちらから増援を送ってよこせ! ここは国土防衛の最前線、余の直卒する城砦! それが破れて王が退いたとなれば、国土は心の支えを失うことになる!』
『増援なんていませんし、それに……』
そもそもお前は王じゃない、という言葉をベネティムは飲み込んだ。
賢明だ。余計に陛下を激高させることになるだろう。
『砲門、開け!』
ノルガユは朗々と声を張り上げた。
『斉射用意! あの大型の
城壁の各所で、砲が動いた。
鉱夫たちによって動き、狙いをつける。
『砲』というのは聖印を刻んだ砲弾を射出する装置だ。
この要塞に備え付けられているものには『ランテール』という製品名がついていた。ヴァークル社が開発した、三十七径砲弾射出兵装。砲弾にひねりを加えて射出し、飛距離を安定させる機構を備えている新型だ。
かなり威力はあるが、正門方向には全部で四門しか整備できていない。
このミューリッド要塞を守る残りの人数では、それが限界だった。
『――撃て!』
ノルガユの調律した砲だ。
威力も爆発半径もそれなりにでかいが、素人では狙いがどうしようもない。
むしろ、砲弾が暴発しなかっただけ褒めた方がいい。
直撃こそなかったものの、多少は効果があった。
散発的に放たれた砲は、カイラックを数匹ほど巻き添えにして吹き飛ばした。
残りも無事では済まない。
とりあえず凌いだ形になるだろうか――最初の一つの波だけは。連射ができない以上、次の戦列を組まれて繰り出されたら、正門まで到達されてしまうだろう。
『おのれ、やはり狙いが不十分か。威力も足りん! ライノーは何をやっている。ベネティム宰相、あの愚か者をいますぐここに呼べ!』
『私の話、聞いてます? いませんって、陛下』
『ならばジェイスだ! 航空戦力を呼べ! 敵陣を破壊する!』
『それもいませんから』
『で、あれば――』
次に出る言葉はわかっている。
俺はテオリッタの肩を叩いた。振り返った彼女に目配せをする――出番だ。
『ザイロ総帥! 敵陣本営、敵将を討て! もってこの敵を撤退せしめよ!』
「仕方ねえな」
想定よりもずっと速い。
魔王現象『イブリス』は、まだ敵の後列をゆっくりと移動している――あれが前線に出てきてから、城壁の援護を受けて攻撃したかった。
それでも、いまはやるしかない。
城に侵入されてからでは遅い。
「テオリッタ」
俺は言わなければならなかった。
「本当なら、もう少し後の出番だったはずなんだ」
「いえ、待ちわびていました」
テオリッタは、すでに炎のように燃える目で、俺に先立って歩きだしている。
「《女神》と聖騎士の戦とは、このようなものでなくてはなりません。私は役に立ちますよ、ザイロ」
「何度も言わせるな、お前がどれだけ役に立とうが褒めるつもりはない」
「私もそろそろ理解してきました。では、譲歩します」
テオリッタは輝く金髪をかきあげて、小さな火花を散らした。
「役に立ち、そして必ず生きて戻ります。それならあなたも認めざるを得ないでしょう」
「認めるとか、認めないとか」
俺はたぶん、不機嫌そうな顔をしたと思う。
「どうだっていい。俺は《女神》の、そういうところが嫌いなんだ。他人のために何かするとか、それが存在意義なんて、不愉快なんだよ」
「あなたこそ」
テオリッタは生意気な目つきをした。
「その言葉、そっくりそのままお返しします。私が知るどんな《女神》よりも、あなたの方が《女神》らしい。いま、自分がしようとしていることを考えてみなさい」
(……言いやがる)
言われなくても、気づいてはいた。
自分の安全のためなら、このまま逃げるのが一番いい。
あとで何を言われようが関係ない。
ここで戦って死んで、記憶や自我に消せない傷を受けるより、そっちの方がマシなのだ。利益や不利益を考えたら、どう考えてもそうだ。
そして俺はそういうのを求めていない。
「我が騎士。あなたは私と違って、褒められることさえ望んでいない。なんのために戦っていますか?」
「知るか」
俺は、自分の怒りに引きずられている。
この理不尽な状況がたまらなく腹が立つ。俺が逃げてもテオリッタは一人で立ち向かうだろう。ベネティムやノルガユ、ツァーヴは戦うしかない。タツヤもそうだ。
この状況で逃げ出して、俺は何か言い訳ができるか?
(無理だな。俺にはそんなの耐えられない)
たぶん――テオリッタがそういう生き物であるのと同じくらいには、俺もそういう生き物だ。
他人から見ると、吐き気がするほど歪んだ存在であるかもしれない。
それでも、自分では手をつけられない衝動で生きている。そいつに逆らってみるか、妥協していくか、あるいはそいつを振り回して暴れてみるか。
選べるとしたらそのくらいしか思いつかない。自分の脳の貧困さに嫌気が差す。
「わかった、テオリッタ」
俺は彼女を抱え上げる。
そして、地面を蹴る。飛翔印を全開に、空へと跳ねる。
「お前もどうしようもない阿呆だって認めるよ」
「でしょう」
テオリッタが嬉しそうな顔をした。
褒められたと思ったのかもしれない。実際、そのつもりだった。
俺はナイフを引き抜いて、眼下に群れを成す
体をひねって立て続けに三度。
激しい閃光と爆音が、やつらの隊列を乱した。
目指すは、魔王『イブリス』。
その巨体が、数千の軍勢の奥に見えている――これはきつい。
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