刑罰:ミューリッド要塞防衛汚染 5
魔王現象に対するにあたって、城砦が有する最も効果的な防御法というものがある。
堀を水で満たし、跳ね橋を上げること。
物理的な接近を困難にしてしまうことだ。
こうなると、魔王の軍勢は攻めあぐねる。
水陸両用の
そうでなければ、魔王現象の本体が攻撃を行うか、無視して包囲し、閉じ込める手があるのみだ。
俺たちが相手にする魔王現象十五号『イブリス』の軍勢は、およそ五千。
第九聖騎士団が相当に減らしまくったはずだが、まだそれだけの数が居る。
その中核が魔王『イブリス』なのだから、想定される戦力規模は一万以上といってもよかった。普通なら、たった一つの城砦にとってこれは絶望的な数だ。
しかし、その中に水路を踏破できる
飛行種もほぼ存在しないことは明らかになっている。
乾燥した地帯か、あるいは凍土で生まれた魔王現象によくある編成だ。
よって、俺たちがとるべき防御策は、本来なら簡単だった。
堀にカドゥ・タイ河の水を引き込み、跳ね橋を上げるだけで、持久戦に持ち込める。その間に外部からの救援を待てばいい。
できれば比較的話の通じる第六聖騎士団がいい。
……ただし、その方法は最初から禁じられていた。
理由は二つ。
一つ、救援が来る当てがないこと。
二つ。城砦に引き込み、毒で『イブリス』を無力化することが戦いの目的ということだ。
つまり自ら敵を招き入れるしかない。
堀に水は満たしたが、そこまでだ。正門と裏手門を塞ぐことは許可されていない。
俺たちは跳ね橋を下ろしたまま、魔王現象と対峙することになった。
明るすぎる月の夜だった。
月の色は、ややくすんだ緑。より乾いた、冷たい空気の訪れを知らせる月の色だった。
その月光の下、魔王の軍勢が蠢く。
まず攻め寄せるのは、コシュタ・バワーと呼ばれる魔王化した馬の群れ。
機動力と突破力があり、蹄は鉄の盾ですら踏み砕く。その口には牙が生えそろっているのが普通だ。
やつらが正門から攻めかかった。
『総員、構え!』
ノルガユ陛下の苛烈な声が響き渡る。俺の首の聖印のせいだ。懲罰勇者部隊の通信ならば、聞きたくなくても勝手に入って来る。
『狙いをつけろ。まだ撃つな』
正門の壁の上で、五十人ほどの鉱夫たちが杖を構えるのがわかった。
聖印を刻んだ雷杖だ。
「正気かよ。ベネティムの野郎」
俺は思わずつぶやいてしまった。
城壁の上に、鉱夫たちを指揮する男の姿を見た。
杖をつき、木製の片足を引きずる、大柄な髭面の男。ノルガユ陛下に他ならない。
「陛下の出撃を止められなかったな?」
それが良かったのかどうか――判断はできない。
とりあえず、鉱夫たちの士気が高いのはわかった。
緊張していながら、正門の城壁には戦意が満ちていた。
『まだだ。引き付けろ』
と言ったノルガユの指示も間違っていない。跳ね橋にコシュタ・バワーどもが近づく。草食動物だったとは思えない、恐るべき形相の馬の群れ。
鉱夫たちはそれに対し、慌てて拙い射撃を行うようなことはなかった。
むしろ、よく指示を聞いていたといえる。
『よし』
ベネティムの許可は、悪くはなかった。
特に距離がいい。
『撃て!』
雷杖が起動する。
たとえ鉱夫たちに戦闘経験がなくても、その威力は変わらない。
ほかでもない、ノルガユが調律した聖印の威力は万全だった。雷が虚空を貫き、何匹かのコシュタ・バワーを撃ち抜く。
七割くらいが狙いを外していたが、それでもよかった。
これは出足を鈍らせ、攪乱するのが狙いだ。
『――防御柵!』
こっちの号令は、ノルガユ陛下ではない。
キヴィアのものだ。張り詰めた声が響き渡る。
『引き上げろ! 聖印起動!』
正門前に、潜んでいた聖騎士団が動いた。
先をとがらせた丸太の群れが、コシュタ・バワーの行方を遮るように引き上げられる。聖印を刻んだ丸太だ――激突した者、あるいは隙間をすり抜けようとした者に、強い稲妻が迸った。
――これこそが、ミューリッド要塞の防衛手段のほぼすべてだった。
ノルガユの調律した聖印で、敵を食い止める。
その大方針が、俺の考えた防衛戦術だった。せいぜい二百程度の人数で、要塞を少しでも長く持たせるには、聖印兵器の威力に頼るしかない。
現にノルガユの仕上げた強力な防御柵は、大型の
いま、黒く焼け焦げて倒れ伏すコシュタ・バワーがそのいい見本だ。
後続のボガートや、バーグェストといった連中が躊躇しているのがわかる。魔王の命令さえあれば、死すら厭わない
それはすなわち、魔王が有効な攻撃手段を指示できていないということになる。
『次の射撃に備えよ!』
ノルガユは朗々と響く声をあげていた。
『見事な射撃だ。諸君ら勇士の攻勢に、敵は怯んでいるぞ!』
『大丈夫っスか、陛下』
と、なんだか困ったように言ったのはツァーヴで、こっちは裏手門を担当している。
三十名ほどの囚人を従え、城壁の上で狙撃用の雷杖を構えていた。その攻撃の精度についてだけは、俺は文句を挟めない。
『前に出すぎなんじゃないっスか、陛下? ベネティムさん、面倒見てくださいよ』
喋りながら、ツァーヴは裏手に回り込む敵へ射撃を繰り出している。
正確無比といっていい。
頭部と心臓以外を狙うつもりがないように――迂回機動を試みたコシュタ・バワーや、堀を泳ごうとする小勢のフーアを射撃によって破砕している。
囚人たちも、ツァーヴに続いて射撃を試みている――それなりの牽制にはなっているはずだ。
『私も陛下を止めたんですよ』
ベネティムの泣きそうな声。言い訳が始まる。
『でも、ぜんぜん話を聞いてくれなくて』
『くどいぞ、宰相! 余は王である。余が最前線に身をさらすことで、兵は奮い立つ!』
ノルガユの叱責。
実際にそうであるのが恐ろしい。正門の城壁を守る鉱夫たちの士気は俺が呆れるほど高い。
『ベネティムさん、ぜんぜんダメじゃないスか。止められてないし。ベネティムさんから口先のごまかしを取ったら何が残るんスか』
『ええ……? ちょくちょく失礼ですよね、ツァーヴくんは』
『いやあ、オレはどうかと思うなあ』
無駄口を叩きながらも、ツァーヴは射撃を止めない。一射につき、一匹。確実に
よくこんな調子で狙撃に集中できるものだと思う。
『ぶっちゃけ陛下って、オレらよりはるかに重要でしょ。陛下に何かあったら要塞持たないっスよ。……兄貴、どう思います?』
「そうならないように、少しは考えた」
『おっ、さすが兄貴。それってどんな』
それはまるで、ツァーヴの疑問に答えるようだった。
『いくぞ!』
キヴィアの鋭い声が再び響き渡り、聖騎士団の騎士らしい動きが始まる。
要するに、それは馬に乗ることだ。
全身を印群甲冑で固めた騎士が、騎乗し、魔王の軍勢をかき回す――槍を振るうたびに炎や閃光が走る。
キヴィアの指揮は、俺から見ても悪くはない。
魔王現象の軍勢に、深く食い込む――と見せかけて、引く。あるいは突き抜ける。
そうやって釣り出した魔王現象の勢力に対して、反転して攻撃を仕掛ける。
キヴィアたちは小勢で、せいぜい十騎ほどにすぎないが、その甲冑は特別だ。
夜の闇を照らすような炎を放ち、敵の追撃を許さない。
「……なかなか見事ですね、キヴィアは」
テオリッタが、俺の傍らでそう言った。
どこか不満そうな響きがあった。
「あいつらが片づけてくれたらいいんだけどな」
半分だけ本気で俺は言った。
印群で身を固めた、万全の状態の騎士は、俗に歩兵百人分の働きをするといわれる。時と場合によっては、それ以上とも。
「キヴィアの指揮なら、千人分の力はある。俺の出番がなけりゃ、それはそれでいい」
「……ザイロ!」
テオリッタは俺の正面に回り込んだ。
きつい目で俺を見上げる。
「なんと気概の足りないことを! あなたは私が特別に祝福して差し上げているのですから!」
彼女は俺の胸を指でつついた。少し痛い。それくらい強いつつき方だった。
「キヴィアに負けていては面目が立ちませんよ!」
「面目なんていらねえよ」
俺は苦笑いするしかない。
実際、戦線は俺が最初に思ったよりうまくいっていた。
ノルガユによって激励された鉱夫たちの果敢な射撃と、聖印による防御柵。裏手門を守るツァーヴのめちゃくちゃな狙撃防御。
これを抜けて突破するには、相応の被害が必要だ。
魔王現象の本体が来るまで持ちこたえるのは、そんなに難しくない――
そう思ったのが、運のツキだったかもしれない。
『あ。なんスかね、あれ』
ツァーヴが訝しげにつぶやいた。
俺にもわかった。
魔王の軍勢、その中央を割るように、数百ほどの一団が突進してくるのがわかった。
そいつらは馬に乗っていた。
……人型の影が、コシュタ・バワーに跨っていた。鞍をつけ、鐙を備えて、弓まで手にしていた。弓につがえた矢には、炎が燃えていた。
『……人間?』
ベネティムの驚愕した声。
そうだ。
そのときには俺もわかっていた。人間が、コシュタ・バワーに乗っている。
そのくらいの区別はつく。
(だが――)
聞いたことがなかった。
魔王化していない人間が、魔王現象の軍勢に味方するとは。
(なんなんだ、あいつらは)
そして、人間たちは火のついた矢を放つ。
それは聖印の刻まれた防御柵に突き刺さり、燃え上がらせる。
聖印の防御が焼かれていく。
こうしてミューリッド要塞の守りは、戦闘開始からわずかのうちに、その重要な外殻が失われようとしていた。
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