待機指令:ミューリッド要塞 1

 俺たちのような懲罰勇者に、休暇という概念はない。

 本来なら拘束した上で牢屋に閉じ込めておくのが正しい扱いだからだ。


 しかし、待機という状態ならば存在する。

 刑務と刑務の隙間、あるいはさらなる罰が言い渡される準備期間だ。

 こういうときは、もちろんまったく自由に出歩けるというわけではない。

 許可されている区画以外は出入りを禁じられているが、多少は休息――に似た時間を過ごすことも可能だ。


 それでも俺は外を出歩く気にはなれない。

 なぜなら、今日は俺たちが駐屯しているミューリッド要塞が賑やかだからだ。

(面倒だな)

 と、思う。

 こういう日は本でも読んで過ごすに限る。

 懲罰勇者とはいえ軍の中にいれば、娯楽用の書籍を手に入れるのに苦労はない。よって俺は床に寝転がって、読書に没頭することにした。


 今日は十日に一度の「大酒保」の日だ。

 これは小さな市場ともいえる。いつもの要塞内常駐の売店ではなく、ヴァークル開拓公社の派遣商人たちがやってきて、日用品や嗜好品の類を中庭で売る。

 人気があるのは、酒、煙草、手紙の配達サービス、干し菓子の類。

 そんなところだ。


 ガルトゥイルが発行している軍票を使うことができるため、それなりに兵士が集まる。もちろん第十三聖騎士団のやつらもそれに混じる。

 俺は聖騎士の連中と顔を合わせたくなかった。

 それに、ノルガユ陛下の面倒を見るという仕事もあった――修理場からドッタとともに送り返されてきた陛下は、日常生活がなかなか大変そうだったからだ。


「総帥! ザイロ総帥! どこだ!」

 大声で喚き散らしながら、ぎこちなく硬質な足音を響かせて、ノルガユ陛下は廊下を歩く。

「行商人が来ているぞ。余は酒を飲みたい! 買って参れ!」


 戻ってきてから、ノルガユ陛下の妄想はさらに度合いを増した。

 俺のことを『総帥』と呼ぶようになり、タツヤは『将軍』だ。

 記憶もかなり欠落してしまっているらしく、坑道でのことはほぼ何も覚えていない。俺たち勇者のことを親衛隊だと思い込んでいる。


 それに右足がどうしてもうまく再生しなかったらしく、木製の義足で代えている。

 ほかの死体の右足で代替するべく、神殿ではいま死体の選定中だ。すべて陛下の図体がでかすぎるのが悪い。


「ザイロ総帥! ここか!」

 俺に割り当てられている部屋のドアを、ノルガユ陛下は勢いよく開けた。

 まだ全身のあちこちに包帯を巻いている――しっかり接続していない箇所があるのだろう。

「行商人が来ておる。余の酒をただちに買って参れ」


「陛下、金あるのかよ」

 やむを得ず、俺は体を起こし、胡坐を組んだ。

「じつは我が王国の国庫は空だぜ、酒も買えない」

「なんだと? それほどに困窮しているのか? 財務大臣はどこだ、何をやっている!」


 正確に言えば、ノルガユ陛下の軍票は、たとえ支給されてもあっという間に消滅する。

 酒に使うからだ。

 物覚えの悪い本人はそれを覚えていないし、坑道の作戦からこっち、その度合いには拍車がかかっている。


「そんなに酒が欲しいなら、借金でもして買いに行くんだな」

 俺は妥当な解決策を示した。

「俺は暇じゃねえ、重要文献に目を通してるんだ。ベネティムにでも命令しろ」

「あの宰相はドッタの監視に当たっておる」

「そうか」


 そういえばそうだ。

 ドッタが戻ってきて、そして今日が大酒保の日なら、監視役が必要だ。

 鎖を巻き付けた上で見張る必要がある。

 ベネティムは名目上の指揮官なので、その仕事を押し付けられていた。タツヤにそんな仕事はできないからだ。


「じゃあ、ツァーヴだな」

 俺はもう一人、別の任務から戻ってきたばかりの男の名前を挙げた。

「あいつに借りればいい」


「ツァーヴなどまったく当てにならん。金遣いが荒すぎるし、賭博に弱すぎる。とっくに使い果たしているのではないか」

「いや、ついにこの要塞でも賭場への出入りが禁止されたらしい。今日みたいな日じゃなきゃ使い道がない。急げばまだ間に合う」

「やむを得んな」

 陛下は重々しくうなずき、踵を返した。


 これで騒がしい奴の相手をツァーヴに任せられる。

 ツァーヴというのは、うちの狙撃兵だ。

 腕の立つ男ではあるのだが――懲罰勇者部隊にぶち込まれたのだから、その人格は推して知るべきといえるだろう。元・殺し屋のクソ野郎だ。


 単独で西部の戦線に送り込まれていたはずだが、その仕事はうまくいったのだろうか。

 いちおう手足がそろったまま戻ってきたのだから、役目自体は果たしたのかもしれない。標的を撃ち抜くことには成功したか。

 ツァーヴも腕だけはいい。魔王現象を退けられたかどうかは別の話だが。


 ――ともあれ、これで静かになった。

 俺は再び横になる。大酒保がお開きになる時間まで、あとはここで暇を潰していよう。

 と、思ったときに限って、次から次へと騒がしいやつがやってくる。


「我が騎士!」

 軽い足音とともに飛び込んできたのは、《女神》だった。

「ザイロ、ここにいたのですね。探しましたよ」

「なんだよ」

「大酒保には行かないのですか? 買い物に出ていると思っていました」

「聖騎士たちに会いたくねえんだ」


 顔をしかめられるならともかく、因縁でもつけられたらたまらない。あるいは皮肉や、嫌みを言われるとか。

(冗談じゃねえぞ)

 そうなれば、俺は自分の我慢強さを信用していない。

 気づいたら殴ってしまうかもしれなかった。


「では、起きて私と遊びなさい」

 テオリッタは偉そうに、寝ている俺の顔を見下ろした。影が落ちる。

「テオリッタこそ、大酒保には行かないのか?」

「……私は《女神》ですから! ああいうものに、興味などありません」


 絶対に嘘だ、と思ったが、仕方がないかもしれない。

 確かに《女神》が大酒保を自由に利用できるかといったら、そういうわけにもいかない。《女神》としての威厳が失われないようなふるまいを求められるため、聖騎士や神官の許可や監督がいる。

 察するに、キヴィアも、あの従軍神官も忙しいのだろう。

 主に俺やテオリッタの、これからの処遇を決める必要があるからだ。


「あなたも暇なら、ザイロ、私と遊ぶ名誉をあげましょう。……嬉しいですよね?」

 そう尋ねるテオリッタの片手には、小さな箱が抱えられていた。

 遊戯盤と、駒のセットが入っているやつだ。


 地方によって多少は異なるが、この手の遊戯盤はだいたい『ジグ』と呼ばれている。

 印のついた駒を動かして互いに陣地を奪い合う。

 ルールが簡単なため、子供から大人まで遊ぶやつは遊ぶ。いい暇つぶしだ。軍でも嗜むやつはそれなりにいるし、賭けの対象にもなったりする。


 俺も嫌いではなかった――『ジグ』の遊び方について、待機命令を持て余していたテオリッタに教えてやったのが三日前。

 それ以来、暇さえあれば盤を持ってやってくる。

 やってしまった、と思ったがもう遅い。


「私も特訓を積みました。そう簡単には負けません」

「昨日の夜にやったばっかりだろ」

「さきほどベネティムを相手に、高度な戦術を学んだのです。ふふん。これはかつてレーゲ王国の宮廷で使われていた、由緒正しき『忍び槍』という戦い方で――」

 ベネティムが相手ならたぶん騙されているのだろう、とは思ったが、余計なことを言うのはやめた。

 由緒正しい戦術ということは、時代遅れということだ。

 さっさと盤に駒を並べようとするテオリッタを、俺は片手で制する。


「俺はいま忙しいんだ。本を読んでる」

「本? 本なら後で読めばいいではありませんか」

 とは言いながら、テオリッタは俺の読んでいるものに興味を示したようだった。覗き込んでくる。

「ザイロが読書好きとは意外ですね。何を読んでいるのです? 面白いですか? 私にも読めますか? 東方古語の類でなければ――」


「詩だよ。詩集」

「詩集! ……ザイロ、……あなたが!?」

 えらく驚かれた。

 テオリッタの目が丸くなった。本当に意表をついたようだ。なぜそこまで驚かれる必要があるのだろう?


「どんな詩集ですか? 気になりますね。私に読んで聞かせる栄誉を与えます」

「断る」

 思わず、反射的に答えてしまった。やや口調が強くなったせいで、テオリッタは少しひるんだ様子を見せた。

 かつて俺が組んでいた《女神》を思い出したせいだ。こういうやり取りをしたことがある。


「で、でしたら、読み聞かせは結構です。私も一人で読めます……隣で一緒に読むくらいはいいでしょう! ……いいですよね?」

「いや。《女神》様の気に入るような詩集じゃない」

 俺は本を閉じる。

 詩集の名前は『竜酔』といった。古い時代の詩だ。


「こいつはアルトヤード・コメッテ。酔っ払いの詩人だ。宮廷をクビになって、山の中で隠遁したやつ――晩年はドラゴンになりたいって妄想がはじまって、夜な夜な飛ぶ練習をして、最後には死んだ」

「はあ。……変わった方ですね」

「この時代の詩人はそういうやつが多い」


 俺が好きなのも、そういう詩だ。

 軍人にならなかったら、俺も詩人を目指してしまっていたかもしれない。気楽そうに思えたからだ。


「……まあいいや。そんなに暇なら、『ジグ』で相手になってやるよ」

 隣で本を読まれては、俺も落ち着かない。

 遊戯盤をはさんで向かい合うことにする――どうせ暇つぶしだ。

「ええ!」

 と、テオリッタが笑顔を見せたときだった。


「……ザイロ・フォルバーツ」

 部屋の入口に、また新しい来訪者が姿を見せていた。


 長身に黒髪の、見知らぬ女。誰だ――と一瞬思ったが、それは錯覚だ。

 いつも甲冑やら具足やらを身に着けていたから、軍服だと印象が違っているせいだ。それに黒髪も編んでまとめている。

 キヴィアだ。

 たった一人で、共を連れていない。

 ということは、強制連行ではなさそうだ。……だったら、何の用がある?


「大酒保ではなく、ここにいたのか。……《女神》テオリッタも一緒とは思わなかった」

「聖騎士団長が、わざわざこんな場所まで来るとは」

 俺は皮肉っぽい言い方になるのを抑えられなかった。

「ついに俺たちの処遇が決まったのか、次の作戦の命令か?」


「……どちらも正解ではある。ただ、私の用は違う」

 キヴィアはわずかに眉をひそめた。俺の言い方が気に食わないのかもしれない。

「ついてこい、ザイロ」

「どこに? 地下牢の拷問室か?」

「違う」

 俺の冗談を、キヴィアはまるで理解していないようだった。生真面目に否定する。

 ただ、その後に出てきた要求は予想外のものだった。


「私はお前と話がしたい。場所はどこでも構わない」

 そうしてキヴィアは俺をするどく睨みつけた。

 なんだか決闘を申し込まれているようだ、と俺は思った。

「どうだ。応じるのか。断るのか。返答しろ」


 なんだそりゃ、と思った。

 思ったが、よく考えると俺に拒否権はない。


「……別にいいけど」

 不意を打たれたからか、こちらも予想外のことを言ってやりたくなった。

「どこで話をするか、場所を指定してもいいか」

「聞こう。可能な限り応じる」

「中庭の大酒保で。買い物したいんだ。それと、テオリッタを一緒に連れていく」


「む……」

 どういうわけか口ごもったキヴィアとは対照的に、テオリッタが瞳を燃え上がらせた。

 期待する目で俺とキヴィアを交互に見る。

「……いや。わかった」

 おおよそ十秒ほどの沈黙ののち、キヴィアはうなずいた。

「貴様の希望に応えよう。……中庭へ行くぞ!」

 その宣言は、まるで進軍の合図のようだった。

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