刑罰:ゼワン=ガン坑道制圧先導 顛末

 ひどい耳鳴りだ。

 テオリッタの聖印による防御を受けていても、まだ苦しい。


 それだけこいつが、精神に働きかける能力の強い魔王なのだろう。

 何かを脳の奥で叫んでいるような気がしてくる。

 苦しんでいる――あるいは泣いている。寂しさにも似た何かが、脳の真ん中を突き刺してくるようだ――いや。

 それは違う。


(気にするな)

 俺はあえて意識からその声を締め出す。

 そうしなければいけない。こういう攻撃を行う魔王現象には、遭遇したことがある。人間の精神を「汚染」する魔王。


 鉱夫の長が言っていた。

 五十人いた鉱夫が一人ずつ減っていった話。真夜中に声が聞こえて、呼び出されたという。

 この声は、人間にそういう行動をとらせるのだろう。


「動くな!」

 俺は周囲に怒鳴った。

 鉱夫たちはその場でのたうち回っているか、あるいは、その苦痛に耐えて立ち上がろうとしている。

 俺はそのうち一人を捕まえた。


「動くな。寝てろ」

「ま、待って……」

 そいつは何かを訴えるように手を動かした。

「――あっちから、声が、何か聞こえませんか!? 何か言ってますよ!」

 闇の奥を見つめ、不安そうに頭をかきむしる。俺はそいつの頭を掴んで抑えた。

「そりゃ気のせいだ。聞くな」

「聞こえるのに、わからないんです。な、なにを言っているのか……!」


「あっちに行ったら死ぬ。それはわかるだろ」

 闇の奥から触手が伸びている。

 植物の蔦に似ている、というよりそのものだ。植物が魔王化したのか? しかし丸太のように太い。

 あんなものの直撃を受けたら、人体はひどいことになるだろう。

 タツヤが一人、とても人間とは思えない運動能力で跳ねまわり、振り回される触手を叩ききっている。


「だけど、な、なにか」

 動揺している鉱夫には、まるでそれが見えていないようだ。

「何か言ってるんですよ! でも、あれが、なにか、あ、あっ、あっ」

 激しく耳をひっかく。血が噴き出すほど強く――そして、俺を突き飛ばして出ていこうとする。仕方がなかった。

 俺はそいつを殴りつけ、地面に叩きつけた。


(防戦は無理だ)

 俺はそう結論づけるしかなかった。

 みんな耳を抑えて倒れている。動けるやつは、よろめくように魔王へ近づこうとする。俺はそれを捕まえて、殴り倒す必要があった。


 この耳鳴りに耐えられるほど精神の強いやつは、声を聞くことになる。

 あの魔王現象が呼ぶ声だ。

 おそらくは、そっちが本命の攻撃だろう。どっちにしても相手を行動不能には追い込める。寄ってきたやつは――そのまま殺して食うつもりか。


 いまの俺にこの手の攻撃の効果が鈍いのは、テオリッタがいるからだ。

 契約している《女神》との、ある種の繋がりがある。

《女神》の精神を守っている力が、俺を狂気の手前で保っている――あとは剣の柵のおかげだ。ノルガユの守りの聖印が機能している。

 タツヤがなんの問題もなく動けるのはまた別だ。

 このままでは全員死ぬ。


「作戦を変える。攻撃だ! おい、陛下!」

 俺は一本の剣を、地面から引き抜いた。ついでにノルガユを蹴とばす。

 やつは白目を剥いて、唸り声をあげていた。


「起きろ、働け!」

 ノルガユが放り出したカンテラを、殴りつけるように頭に押し当てる。そいつには多少は強力な守りの聖印が刻まれていたはずだ。

 ただ、あまり効果はなかった。

 ノルガユはかすかに呻き、カンテラを握りしめたが、とても動ける状態ではなさそうだった。


「わ、我が玉座……玉座を……」

 うわごとのような言葉が漏れた。

「簒奪するつもりか……賊め! 皆殺しだ! 簒奪者ども!」

 ダメだ。

 いつもの妄想が余計にひどくなっている。使い物になりそうにない。


(鼓膜を破るか?)

 それで音が聞こえなくなり、影響から脱することができるなら、試してみてもいい。

 ただ、音は耳だけで聞くものではないし、相手は魔王現象だ。どんな理不尽な能力を備えているかわからない。

 だいいち、そんなことを試してみる暇はない。


「くそ! テオリッタ!」

「ええ」

 テオリッタは俺の腕をつかんだ。すでに、その指先に火花が散っていた。


「願いを言いなさい、我が騎士。《女神》ですから、叶えて差し上げます」

「ここから狙撃して、タツヤを援護する」

 聖印による守りの柵から出たら、この耳鳴りはひどくなるだろう。動けなくなるだろうか? それだって、試してからでは遅い。


「タツヤならやれる。剣の補給を頼む」

「その調子ですよ、我が騎士。この私に頼りなさい」

 テオリッタがさらに剣を生み出す。鋭利に輝く刃。投擲に向いた、細身の剣。

(久しぶりの射撃戦だな)

 かつての俺なら、もっと強力な聖印を使うことができた。最大射程も、破壊範囲も大きな『カルジッサ』。城壁すら貫通する『ヤーク・リイド』。

 いまはどれも無い物ねだりにすぎない――俺は右手に力をこめ、剣を振りかぶる。


 タツヤが暗闇の奥へと跳ねるのが見える。やっぱり、あいつにはこの耳鳴りは効かないようだ。ただ魔王現象を捕捉し、攻撃するというだけの、人の形をした兵器。

 だから、勇者は魔王に対抗するための存在だったのかもしれない。


「タツヤ!」

 剣を射出し、俺は怒鳴った。

「そのまま前進しろ! 魔王を殺せ!」

 俺の投げた剣は、さすがに蠢く触手は外したものの、その土壁に突き刺さった。

 激しい閃光と、爆音。

 手近な触手を吹き飛ばし、血のような樹液が散る。


 いっそう悲鳴のような耳鳴りは強くなり、思わずよろめくほどだったが、テオリッタが危ないところでそれを支えた。

「やはり、私がいてよかったでしょう」

 と、その火花を散らす眼が言っている気がする。いまは文句を返している余裕がない。次を、その次を、剣を射出してタツヤの前進を援護する。


(やっぱりダメだ、柵からは出ない方がいい)

 援護しかできない――それでもタツヤならば。

 俺は次の剣を投げつける。さらに次、その次。テオリッタが虚空に呼び出す剣も、狙いは雑だが量は多い。たちまち触手を引きちぎっていく。

 タツヤの進撃経路を文字の通りに切り開く。


(悪くはないな)

 万全な補給。良質な鋼、鋭利な刃、射撃陣地。

 腹がたつことに、悪くはない。

 かつて、聖騎士だった頃を思い出してしまう。あのときは、こんなヤバいところで、ヤバいことをやる羽目になるとは――


「ぐ」

 俺が一瞬だけ過去に意識を引きずられかけたところで、タツヤが遂に到達していた。

 半端に開いた口から、唸り声に似たものが漏れていた。

「あ」

 タツヤの戦斧は手旗のように目まぐるしく旋回し、触手を切り散らす。

 そして、その根元へ――球根のような塊。


 だが、違った。

(本気かよ、畜生)

 俺は自分の失敗を悟った。

 タツヤが振り回し、戦斧を叩きつけたそれは、ただ引き裂かれて爆ぜただけだった。触手が止まらない。本体でもなんでもなかった。

 あれは疑似餌みたいなものか?

 だとしたら、


「ぶ、ぐっ」

 背後でくぐもった声。

 鉱夫の長の男だ――土壁に叩きつけられ、悲鳴をあげた。

 地中から触手と、その塊がのぞいていた。いまタツヤが破壊したものよりも大きな塊だ。

 その塊の中から、ぎょろりとした瞳がのぞいた。


(これは目玉だ)

 それとも心臓か――触手を伸ばし、さらに鉱夫の一人を掴んで、振り回す。

 地面にぶつかって首が折れるのがわかった。


 畜生。

 俺は本体を狙おうとするが、振り回される触手の数が多すぎる。さすがに、ちゃんと防御を固めていやがる。

 これをかいくぐれるのは、タツヤくらいじゃねえのか。


「ザイロ! こちらにも」

 テオリッタが叫んで、俺の腕にしがみついた。

 触手が蠢き、明らかにこちらを狙っていた。俺は剣を振るう。引き裂くと同時に爆破する。


(まずいな)

 聖印で守られた空間の内側は、もう蹂躙されかかっている。

 最悪に近くなってきた。手が足りない。タツヤは通路の向こうで触手どもと格闘しているし、ここにいるのは動けない鉱夫たち、《女神》、俺、ノルガユ国王陛下。


「あああああああうううううううぅぅぅぅ!」

 ノルガユに至っては叫びながら地面に頭を打ち付けている。

「すべて余のものだ! この国家はすべて余のものだ! 渡さんぞ、簒奪者め!」

 いまのノルガユを役に立たせるのは無理だ。

 精神に対する干渉が完全に悪い方向に出ている。人の話を聞ける状態ではない。


 そして、この手の状況の悪化は連鎖する。


「――いたぞ!」

 鋭い声。たくさんの足音。

 キヴィアだ――そして聖騎士団。俺たちが来た方の通路からやってくる。


「《女神》テオリッタだ。追及は後だ――ザイロ、いま救援する!」

「やめろアホ、来るな!」

 と、俺は怒鳴った。キヴィアの真面目さを、むしろ怒鳴り散らしたい。

 この魔王の「声」の射程に入らせるわけにはいかない。だが、それを止められるか?


(全滅かよ)

 その可能性が急激に高まりつつあった。

 テオリッタが俺の腕をつかんでくる。


「ザイロ」

 何かやる気だ。火花が散っている。

「私に願いなさい。《女神》の出番でしょう」

 剣を召喚するのか――それも大量に? この触手をすべて断ち切って、本体の目玉――だか、心臓だかに突き立てるのか。できるか?

 あるいは別の方法が?


 火花が止まらないし、限界が近いはずだ。テオリッタにできるのか。

 俺は一瞬だけ躊躇った。

 その一瞬の間に、ひどいことが起きた。


「――簒奪者め!」

 ノルガユ陛下の精神は、そのあたりで限界だった。

 聖印によって輝くカンテラを胸に抱き、自殺行為としか思えない行動をとった。


「滅びろ! 皆殺しだ、愚か者ども!」

 叫び声をあげ、魔王現象本体に身を投げ出す。

 聖印の刻まれたカンテラをひねる。触手は当然、そんなノルガユを掴んで叩き伏せようとした。首に触手が絡みつく。

 結局、それが魔王にとっては最悪の一手だった。


(正気か、こいつ)

 俺はふと思ったが、それこそまさしく愚か者の疑問だった。

 答えは一つだ。

 ノルガユ国王陛下は正気じゃない。


「余は」

 ノルガユの抱えるカンテラが、強すぎる光を放った。

「こ、こ、国王だぞ!」

 破裂音。

 ノルガユの全身が熱い肉片になって吹き飛ぶ。

 天井から降り注いだ土砂のせいで、聖騎士や鉱夫たちにも重傷者が多数出た――死者がいなかったのは幸いだった。


 その後のことについては、特筆すべきことは何もない。

 散らばった陛下のご遺体を集めるのは、最悪だったという笑い話だけだ。


 ――ただ正直、この先のことを考えると気が重い。

 言い訳のしようもなく、俺たちとテオリッタはいくつもの規定に抵触した。

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