刑罰:クヴンジ森林撤退支援 6
テオリッタを抱えて、夜の空を跳ねる。
我ながら、理屈に合わないことをしていると思う。
それとも、理屈が介在しないようなことをしているか? このまま手を引いてもよかった。そっちの方が余計な苦しみを感じずに死ねたかもしれない。
ただ、腹が立って仕方がない。
たぶん俺の勝手な怒りだ。
どいつもこいつも、人の役に立つためだとか、名誉のためだとか、いい加減なことばかり言いやがって。
(アホじゃねえのか)
俺は心の中で毒づく。
それがどれだけ無意味なことか思い知らせてやろう。やつらを唖然とさせてやる。
何が一番唖然とするかといったら、それはもちろん、俺みたいなわけのわからんやつが魔王を倒すっていうことだろう。
(思い知らせてやる)
俺は怒りながら川を飛び越える。
空は冷たい――風が強く感じる。眼下には
地面は敵だらけという言い方もできる。
「捕まれ。落ちるなよ」
とだけ、テオリッタには言った。
ここから少し頭のおかしいことをする。彼女の力が必要だった。
「心配は無用です。不遜ですよ。私はあなたたち人間を心配する側です」
さすがに《女神》テオリッタは強気だ。俺の首にしがみついてくる。
「ではザイロ、私の役目を果たすときですね?」
「いや。まだだ」
俺は即答した。
テオリッタに頼りすぎてはいけない。
《女神》の機能には限界がある。
召喚できる対象の限度というものが存在する。それを超えると、糸が切れるように《女神》は機能不全に陥る。
最悪の場合は死んで、もう二度と戻らない。
「ザイロ、私を甘く見てはいけません。まだまだこの程度で――」
と、テオリッタは主張するが、信用できるものではない。
彼女たち《女神》は強がる癖がある。
人に頼られないと死んでしまうとでもいうように、とにかく弱みを見せたがらない。
(やっぱり嫌いだ)
俺は《女神》の疲労を量る方法を知っていた。
瞳の輝き。髪の毛から散る火花。それが強くなるほど、無理をしている証拠だ。いま、彼女を抱えていても、髪の毛の火花が止まっていない。
大きな召喚をあと一度か二度、というところで限界が来るだろう。
「戦術は騎士に任せるのが《女神》だ」
俺は強い口調で言った。自然とそうなった。
「ここぞってときに取っておけ。雑魚は俺がやる」
俺はあえてたいしたことでもなさそうに言った。
嘘だ。雑魚の相手だけでも十分きつい。
眼下には
数が死ぬほど多すぎる。
(機動戦闘の要点。一つ目、着地点を抑えること)
俺はベルトからナイフを引き抜き、着地点を見据える。
数匹の
狼よりも毛皮がずっと分厚く、角質化して棘のようになっている個所もある。
(ちょうどいい相手だ)
ベルクー種雷撃印群の仮想敵の一つは、まさにあの手の地上の大型目標だ。
反撃も許さず、ああいうのを一方的に破壊する。
この作業には威力と精度が求められる。
よって俺はナイフを強く握りしめ、聖印を十分に浸透させると、投擲することでそれを解放した。
時間差の起爆。
もちろん俺がそのタイミングを間違えるはずがない。バーグェストの一匹に刃が突き刺さり、光と轟音が弾ける。
肉片が飛び散り、その衝撃は周囲の
「なかなか見事です。ではザイロ、次は私が――」
「まだだ」
(機動戦闘、要点二つ目……)
頭の中で、慣れていることを思い出す。
(動きを止めない。相手の死角へ回る)
着地と同時、俺は前へ跳んだ。今度は低く。つま先で土を削りそうになるくらいの低高度。横への移動は、その分だけ距離も長くなる。
それに、地を這うように跳べば、トロールやバーグェストの足元をすり抜けることができる。
すれ違いざまにナイフを打ち込む。
やつらがその図体で首を巡らせるより、爆破の方が速い。
肉が爆ぜる。
「ザイロ。次こそは、私の役目では?」
「まだだ」
(まだ、動きを止めない)
俺はまた高く跳ぶ。ナイフを投擲――群がってきた小型の
(止めない……止まったら囲まれる)
爆破。閃光、跳躍。
たちまち魔王との距離が詰まってくる。
砕けた土と泥、
何か得体の知れない力が、その非常識な巨体を維持している。
そしてやつは、馬鹿みたいにデカい複眼で俺を視た。
「これが魔王」
テオリッタの緊張が伝わってくる。その体がこわばるのがわかった。
そして、テオリッタは俺がそれに気づいたことに気づいた。
「恐怖しているわけではありませんよ」
テオリッタは怒ったように早口で言った。
「魔王を討つことこそ、《女神》の本懐。高揚しているだけです。なので、いまこそ私の役目を――」
「まだだ。もう少し」
「まだですか? さきほどから何度も待たせすぎではありませんか?」
「もう少しだ」
接近者に気づいた『オード・ゴギー』は、無数にあると思える脚の何本かを伸ばしてくる。そいつでハエみたいな俺を叩き落とそうとする。
絶対にそうやってくると思った。
こっちはすでに回避動作に入っている。
(一度だけなら、たぶん……うまくやれる)
樹を蹴って、跳躍。
鎌みたいな前足の一撃をかわす。『オード・ゴギー』の頭上を飛び越えながら、残り少なくなったナイフを投擲する。
狙ったのは、腕の付け根――殻の継ぎ目だった。
曲芸に近い、と言っていいだろう。
俺の放ったナイフの刃は、正確にその個所へ突き刺さった。爆破の閃光。
果たして、成果はあった。
爆破は殻の継ぎ目に対し、決定的な損害を与えていた。腕は振り回した勢いで千切れ跳び、体液が飛ぶ。
一瞬遅れて、鉄を引き裂くような『オード・ゴギー』の悲鳴が響きわたった。
「一本千切れただけで大げさだな」
これで証明できた。
硬いのは殻だけだ。隙間を狙えば破壊は可能――ただし、この証明の代償はタダでは済まない。
『オード・ゴギー』の悲鳴に応じて、
明白に俺を捕らえようとする動きだ。
着地点を捕まえようとする。フーアどもがカエルの四肢を使って飛び跳ねる。
ナイフの数にも限りがあるし、『オード・ゴギー』も次は警戒するだろう。二度目はそう簡単に通じない。
普通なら、ここで引くべきところだ。
ただ、普通にやっていたら勝てないのはわかっているし、こっちには《女神》がいる。普通じゃない手を使うべきだ。
「ザイロ、囲まれます。私の出番はまだですか? そろそろいいのではないですか?」
「ああ――」
俺は着地しながら、捕まえようとしてきたフーアの一匹にナイフを打ち込んだ。
刃が肉に沈み込んで、相手を破裂させる。
「ここだ、テオリッタ」
俺は再び樹に飛びつき、魔王を指差す。
それと、明白な敵意をもってこちらに殺到してくる
「魔王までの道を開けてくれ。盛大に頼む」
「……ええ!」
ふん、と鼻を鳴らし、テオリッタの瞳が燃えた。
「刮目して御覧なさい」
虚空から、たくさんの剣が生まれた。
今度は、一振りずつが大きい。
儀式でしか使わないような、非実用的ともいえる大剣だった。
バーグェストでも、トロールでも、刺し殺すことができるような肉厚の刀身。
銀色に輝く刃は雨のように降り注ぐ。
「あと一度」
俺は即座に跳躍する。
テオリッタを強く抱え、イメージを伝える。
「……特別な剣を頼む。できるんだろう?」
「不遜ですね」
テオリッタは全身から火花を散らしていた――抱えている俺が、痛みを感じるほどだ。
「私は《女神》ですよ、我が騎士。ただ敬虔に祈りなさい」
魔王との距離があっという間に詰まる。
やつは多数の脚を素早く動かした。
『オード・ゴギー』の複眼は、今度は明確に俺を狙っていた。複数の脚を組んで「網」をつくり、空中で捕らえようとする。
(これも、やっぱり一度だけなら)
一度目に、ナイフでの仕掛けを見せた。
何が脅威なのかやつにはわかっている。攻撃力はあるが、致命的なものには程遠く、これで阻止できるとも思うはずだ。
事実、俺だけならそうだった。
「どうぞ」
と、テオリッタが言った瞬間、虚空に剣が生まれるのを見た。
いままでよりもずっと長い剣――それはまるで「槍」のようだった。もはや剣とは呼べないかもしれない。俺はそいつを掴み、肩がはずれるほどの衝撃を感じながら、聖印を浸透させた。
そして、蹴飛ばす。
全力で蹴った。
飛翔印サカラによって莫大な運動エネルギーが与えられ、巨大な剣が飛ぶ。
攻城用の弩にも匹敵するような、質量と速度の一撃だった。
(王都では、破城槌や投石器が準備されてる)
そういう原始的な兵器が通用することを、軍部は掴んでいるに違いない。
ガルトゥイル要塞のやつらは政治ゲームで遊ぶ悪癖があるが、決して無能ではない。特に自分たちの命がかかっている場合には。
だとすれば、この攻撃は効くはずだ。効かなきゃ打つ手がない。
結果はすぐにわかった。
その槍のような剣は、『オード・ゴギー』の脚を何本か吹き飛ばした。
刃が切り裂き、へし折れて千切れる。剣の切っ先が『オード・ゴギー』の胴体に突き刺さる。
刃が殻を貫くのがわかった――それと同時に、閃光が走った。
爆音。
空気が毀れるような轟音だった。
魔王の体内から、『ザッテ・フィンデ』が起動していた。
殻を内側から吹き飛ばし、肉が爆ぜて、体液が飛び散る。
俺は自分の――自分とテオリッタが引き起こした破壊の成果を見た。
(上出来だ)
と思えた。
『オード・ゴギー』の胴体には、ごっそりとえぐり取られたような傷痕が生じていた。そこから体液が溢れ続けている。
「よし、テオリッタ。これで――」
と、俺は言いかけた。
その瞬間だった。
ごしゃっ、と、湿った音が聞こえた。
『オード・ゴギー』の方から。
破壊された胴体がうごめいていた。
そこから何かが生えてくる。とんでもない速度で伸びてきた――新たな腕? あるいはクラゲみたいな触腕か? 二本か三本。
どっちでもいい。
この時脳裏に浮かんだことは一つだけだ。
「そりゃ反則だろ」
ほとんど発作的にやってしまったことがある。
テオリッタを抱えて、『オード・ゴギー』に背を向けた。どう考えても馬鹿げていた。
やるなって言っていたことを俺がやっている。
あとはまあ――衝撃。
たぶん簡単に吹っ飛ばされたんだろう。
視界が瞬き、束の間だけ暗転して、何かにぶつかったことを知る。幸いにもデカい樹だった。トロールやバーグェストじゃない。
ただ、これは無理かもな、と感じた。
いまので魔王を仕留められなかったのだ。同じ手は通じないだろうし、やつはどくどくと体液を流しながらも、徐々にその傷口を塞ごうとしている。
「ザイロ!」
テオリッタが叫んだ。
それにしても痛い。夜空が見えた。
あとは激痛で叫ぶ魔王――ざまぁ見ろ。魔王からの命令を失い、混乱して走り回る
「……我が騎士! こちらを見なさい!」
名前を呼ばれた。
テオリッタ――まぶしいくらいに瞳が輝いている。炎の色だろうか?
それと、あと一つ。
(……なんだこれ)
幻覚であればいいと思った。そのくらい、それはあまりにも異様かつ滑稽で、見たくもないものだった。
「……あー……ザイロ?」
そいつは俺を困ったようにのぞき込んでいた。
史上最悪のコソ泥、ドッタ・ルズラス。あいつの薄汚い顔を、いまここで見る羽目になるとは。
「何やってんの、こんなところで」
お前にだけは言われたくないと思った。
やつは子供が入りそうなデカさの樽を背負っていた。
そこに書かれている文字を見て、俺は驚愕した――『ヴァークル社』、『取扱注意』、『リーヌリッツ第七号兵装』――そして『焦土印』。
「ドッタ」
俺は笑ってしまった。笑いながら体を起こす。
全身が痛んだが、そんなことを気にしている場合じゃない。ドッタの胸倉をつかんで、逃げないように押さえつける。
「また盗んだな?」
「これは違うんだ。忍び込んだぼくの目の前に、ちょうど置いてあったから――」
「よくやった。あとで殺すのは勘弁してやる」
――あとのことは、別に語るほどのことではない。
焦土印は、言ってしまえば聖印を刻んだ木片の集合体だ。その樽自体が、木片を組み合わせた兵器なのだ。
こんなものをむき出して盗んで持ち歩いていたドッタは度を超えたアホだ。
樽を構成する「安全装置」の木片を、何本かを引き抜いて起動する。引き抜く数量で威力を制御し、爆破半径を絞ることができる。
俺の知っている製品と同じ型で幸いだった。
すでに殻を破壊された手負いの魔王相手なら、最低限の爆破でよかった。
このあたり一帯を更地にする必要はない。
俺はその樽を思い切り蹴飛ばし、そして同時に跳んだ。
ついでにドッタも抱えてやったのは、せめてものサービスだった――着地と同時に、やつを殴り倒したのは言うまでもない。
地面をえぐり、森の一角に閃いた爆発を、俺たちは間近で聞いた。
このようにして、俺たちは魔王『オード・ゴギー』を撃滅し、聖騎士団の撤退支援を完遂した。
――もちろん、語るべき問題はその後のことだった。
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