刑罰:クヴンジ森林撤退支援 5

 指揮官の女は、名をキヴィアというらしかった。

 本人が名乗ったわけではない。周りのやつがそう呼んでいる。

 家名なのだろうが、聞き覚えがない。強いて言えば旧北部王国にありそうな家名だ。生まれつきの貴族ではないのかもしれない。


 ともあれ、いまは状況の手当てを急がなくてはならなかった。

 遠目に見た応戦の規模からして、聖騎士団の数は一千を切るほどまで追い込まれているだろう。

 もはや普通にやっていたら二刻も持たない。


「後退しろ。ここで持ちこたえるのは無理だ」

 というのが、俺の第一の主張だった。

「それと、南側からもすぐに迂回部隊が来る。そっちへ二百回せ」

 どちらも当然やるべきことだったが、キヴィアはとても不愉快そうな顔をした。不潔な害虫を見かけたときのような嫌悪を感じた。


「貴様に言われずとも、すでに南方の対応は指示している。だが、後退しろとはどういうことだ」

「もうすぐ大型の異形フェアリーが出てくる。トロールか、バーグェスト」


 あくまでも分類の便宜上の呼び方だ。

 哺乳類をベースとした異形フェアリーで、二足歩行ならトロール、四足歩行ならバーグェスト。

 どちらも図体がでかく、皮膚が装甲化していて分厚い。このあたりの川の深度なら、渡河中もそれほど弱みにならない。

 動きが鈍いので、いまはまだ前線に到達できていないだけだ。


 で、ある以上は、渡河中を狙う利点はそれほどない。

 防衛線を引き下げて、渡河後の敵に火力を集中させるようにした方がいい。

 むしろ相手に川を背負わせる。川を使って分断して、背水を強いる。

 なぜこれが有効な「分断」になるかといえば、俺がいるからだ。


「こっち側に引き込んで、もう少し粘れ。そうすれば魔王現象の本体が直接前進してくる」

 こっちがそういう面倒な動きをすれば、魔王自らが指揮するしかなくなる。

 やつらに渡河地点を確保する、なんていう頭はないからだ。魔王自身が、そういう風に異形フェアリーどもを動かしてやる必要がある。


「それができたら、俺が片づける」

 空中を移動して、魔王を暗殺するという意味だ。

 いま、この異形フェアリー集団を瓦解させるには、その一手しかない。それまで聖騎士団には粘る戦いをしてもらう必要がある。

 魔王の周囲の異形フェアリーを、できるだけ誘い込んで減らしてもらいたかった。


「あんたらは、俺が飛び込むときの援護をやってくれ」

 俺は真剣に頼み込んだ。だが――


「貴様が、なぜ指揮官のような口を利く」

 俺の意見は、ものすごく不快な印象とともに受け取られたようだった。

 キヴィアの顔を見なくても声だけでわかるくらいだった。


「やつらの渡河は阻止する」

 キヴィアは呆れるほど真面目な顔で言った。

「死守だ。この川の東岸は、我らが騎士団の主の領土となっている。やつらに踏み荒らされるわけにはいかない」


「アホかよ」

 俺は自分の声が大きくなるのを抑えられなかった。

 聖騎士団は貴族からの支援によって経営されている。であれば、彼女たちの隊には、そういう命令が下りているのかもしれなかった。

「そんなもんに付き合ってどうする。無視しろ! 撤退命令が出てないのか? 俺たちはそれを支援するように言われてたんだぞ」


「ガルトゥイルからの使者は、最終的な判断は指揮官に委ねると告げた」

 ガルトゥイルというのは、もともとは連合王国における軍事的な部分を統括する庁舎の名だった。

 いまではガルトゥイル要塞と呼ばれる。

 それは事実上の司令部となっていた。


「ならば、名誉のためには命を惜しまない。我が第十三騎士団は、主のために忠節を貫くことを選んだ」

「アホすぎる」

 俺はそんな感想しか出てこなかった。


 ガルトゥイル要塞――軍部も、複数の貴族の出資で成り立っている。

 各貴族の思惑が入り混じった結果、そういうめちゃくちゃな指示が出ているのかもしれない。


「そんなもん忘れろ。誰かが住んでる土地を守るならともかく、ここは開拓地でさえないんだぞ。付き合わされる部下や俺たちはどうなる?」

「我が部下はみんな名誉を選んだ。貴様たち勇者のことなど、知ったことではない」

 忌々しげに、吐き捨てるようにキヴィアは言う。

「死にさえ値せぬ罪人どもめ! だいたい、その《女神》はどうしたことだ?」


 キヴィアは槍の穂先を俺と、背後のテオリッタに向けた。

「なぜ目覚め、貴様が契約を交わしているのだ! すでにそれがおかしいではないか? わけがわからない。いや、本当にわからない!」

「それは返す言葉もねえよ、くそっ! 盗んだやつがいたんだ!」


「ぬ、ぬすっ」

 キヴィアが目を瞬かせた。

「盗んだ!? 我らの警備をどうやって? いや、それよりなぜだ――なぜそんなことを? 貴様ら人類の敵か? 何を考えている?」

「ぜんぶ俺が知りたいくらいだ!」

 だんだん、腹が立ってきた。なんで俺がこんなことを詰問されなければならないのか。

 いま、それどころではないだろう。


「謝って意味があるなら謝る! けど――」

 確かにこれについては全面的に俺たちが――ドッタが悪い。

 ただしそんなことを追及している状況では、絶対にない。


「ごちゃごちゃ言ってる場合じゃねえだろ。俺の案よりマシな作戦があるならそっちでもいいよ、死守する以外でな!」

「なんだその口の利き方は。なぜ我々が勇者の指示で動く必要がある!」

「――黙りなさい、有象無象」


 不意に、テオリッタが口を挟んだ。

 冷たい鋼のような声だった。

「そ」

 キヴィアは気の毒なほどうろたえた。

「そ、それは、私のこと――ですか?」


「ええ。他に誰が? 言っておきますが、我が騎士の指揮に口答えは不要です」

 テオリッタは小柄ながら、全身から発する何らかの存在感が、キヴィアを圧倒しているように見えた。

 それは火花を散らす彼女の金髪のせいかもしれない。


「速やかに兵をまとめ、魔王と対峙しなさい。時間を無駄にすることは許されません」

「……いえ、お待ちください。《女神》様。この状況は何かの間違いです! その男があなたの騎士となったのはまったくの事故! 本来なら――」


「《女神》に事故などありえません。私が騎士と認めたのです。これは運命」

 切って落とすような言い方だった。

 テオリッタには、まさしく《女神》らしい物言いも身についているらしい。それとも、こっちの方が本来の態度なのだろうか。


「あなたはいささか優しすぎますね、我が騎士ザイロ」

 テオリッタは自慢げに俺を振り返った。

「私がこの者たちに威を示して差し上げましょうか――指揮権を握るべきは、この私を戴く騎士に他ならないということを!」

 ふん、と、鼻が鳴った。

 明らかに期待しているのがわかる。背後の空間が歪んで見えた。本気で力を示そうとしていた。


「そうすれば、あなたも私を褒めたたえること間違いないですよね。……ですよね?」

「ま、待て。なんだ? いま、妙な名前が――ザイロ?」

 キヴィアは俺の名前に引っかかったようだった。

 これは良くない――王国内で、俺の名前はかなり有名だ。特に聖騎士団に所属しているような相手だと、確実に知っているだろう。


「あの……ザイロ・フォルバーツか!? 勇者の中でも最悪ではないか。この、《女神殺し》の大罪人――」

 キヴィアの言葉は、途中でかき消された。

 激しい騒音。

 無数の金属を力づくで引き裂くような、そういう音が響き渡っていた。夜の闇の向こう。対岸からだ。


「遅かった」

 俺は舌を打つ。

 無駄な問答に時間をかけすぎた。


 ざわめく木々の闇の奥から、その巨体が姿を現していた。

 まず突進してくるのは、異形フェアリーども。

 象ほどもある四足歩行の狼――あれはバーグェスト。

 二足歩行する黒い人影はトロールで、両腕が異様に大きい猿のようなやつだ。毛むくじゃらの体を躍らせ、川に飛び込み、突っ込んでくる。


 そして、その背後には、家ほどもある巨大な昆虫がいた。

 多数ある脚を不器用に動かして、ゆっくりと這い進む昆虫。

 報告に聞いている通りだった。あの馬鹿みたいにデカい虫こそが、この魔王現象の根源。一般に、これを魔王と呼ぶ。

 四十七号、『オード・ゴギー』。


 やつらは魔王現象の触媒となり、周囲を「汚染」しながら移動する。

 生態系が捻じ曲げられ、時には人間もそれに巻き込まれる。

 聖印による守りがなければ、相対することもできない。そしてやつらは、個体ごとに特別な力を持つ。

 この『オード・ゴギー』の場合は――


「射撃停止! 魔王を狙うな!」

 キヴィアが旗を振らせたが、少し遅い。

 すでに何発かの雷杖と、砲が火を噴いていた。狙いはまずまず正確。それがよくなかった。『オード・ゴギー』はいくつもの足を振り上げ、それらの射撃を迎え撃っていた。


 放たれた雷や砲撃は『オード・ゴギー』の脚に弾かれ、反射し、返ってくる。

 その返礼は、渡河する異形フェアリーを攻撃していた部隊に襲い掛かった。川岸の柵が焼け、人も吹き飛ぶ。

『オード・ゴギー』には傷一つついていない。


 原理は知らないが、やつは聖印による攻撃を弾く。

 少なくとも、聖騎士団が持ち込んだ飛び道具はまるで効果がなかったらしい。

 それも戦術的に撃ち返してくるから、まともな戦いにならない。

 反射があまりにも攻撃的で正確なため、なんらかの力場のようなもので聖印が発生させる力を受け止めて反射しているのだ――という見解もある。


 こうなると物理的な質量をぶつけてみるしかないが、あの巨体に接近して、有効な攻撃ができる武器は少ない。

 それこそ本物の破城槌や、投石器のような兵器が必要だった。

 そういう古めかしい装備は、いま第一王都で準備されているところだ。


 この魔王は、自らが要塞となって進軍してくる魔王だ。

 聖騎士団が大打撃を受け、ここまで撤退することになったのも当然といえる。


「無理か……!」

 キヴィアは顔を歪めた。

「対岸にいる間に焦土印を試す! 工兵隊、準備を!」

「やめとけ。一か八かで使うものじゃない。通じなかったら全滅だ」


 焦土印というのは、まさしく周囲一帯を何もかも吹き飛ばすための聖印だ。

 聖印の運び手となる数名と、その土地が焼け野原になることを覚悟の上で使う。

 キヴィアのやりたいことはわかる。

 やつの戦略目標――川を挟んだこちら側の土地には、一歩たりとも踏み込ませない――せめて忠義立てするために、あらゆる手を使う。


 そんな覚悟には付き合いきれない。

 俺はもう心底からうんざりしている。

 命を投げ出して何かしようとするやつが多すぎる。


「キヴィア、あんたの部隊で俺を援護しろ。雑魚を狙って魔王の気を散らせ。すぐにやれ」

 俺は断定的に言って、テオリッタの肩に触れた。


「俺は死ぬつもりがないし、お前らが死ぬのを見せられるなんて御免だ。命を使って何かしようなんて思うな」

 キヴィアたちだけでなく、テオリッタにも言っている。

「魔王を暗殺する。うまくやって、生きて帰れたら――そうだな」

 俺は約束することにする。

「どんな文句でも罰でも受けてやるし、いくらでも褒めてやる」


 キヴィアはもはや殺意に近い目で俺を睨んだし、テオリッタは驚いたように――あるいは珍奇なものを見るように俺を見た。

 居たたまれない、と俺は思う。

 なので、返答を聞く前に跳躍した――対岸には闇がうごめいている。

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