刑罰:クヴンジ森林撤退支援 4

 俺たちがたどり着いたとき、すでに戦端は開かれていた。

 夜の冷たい風にのって、たくさんの人間の怒号と、鬨の声、それに稲妻の轟くような音が聞こえてくる。


「ああ……やってる。もう手遅れじゃないの?」

 ドッタが憂鬱そうに言った。

 聖騎士団の救出にあたり、こいつはまったく気が進まないようだ。


 パーセル川に沿った陣地では炎が焚かれ、煙が夜空に舞い上がっている。

 火に照らされているのは、懐かしい白の甲冑だった。

 聖騎士たちだ。川を渡ってくるフーアや、ブラウニーといった異形フェアリーたちを雷杖で射抜き、あるいは槍で迎え撃っている。


 射撃の号令で雷杖が閃光を放ち、異形フェアリーたちの体を吹き飛ばす。

 ときおり轟音を響かせているのは、歩兵用の雷杖よりもさらに威力の高い、設営型の大型杖だろう。

 たぶん、ヴァークル社開発の迫撃印群。


 あれはもはや杖――というより、破城槌に似ている。組み上げて使う代物だ。

 聖印を刻んだ砲弾を、聖印の杖で加速させて飛ばす。

 そういう兵器。


 連射できず、聖印それ自体の蓄光量の限界から弾数も限られているが、異形フェアリーどもをまとめて吹き飛ばす威力はある。

 俺の聖印、デカい飴玉こと『ザッテ・フィンデ』よりも出力はやや大きい。


 おおむね、よく持ちこたえているといえた。

 防衛線は異形フェアリーどもを寄せ付けていない。

 なかなかに士気は高く、指揮官らしき人影の号令のもと、一斉に稲妻が放たれるのが見えた。破られかけた個所の手当ても的確だった。


(知ってる顔は、当然いないか)

 それに、翻っている青い旗も知らない紋章が縫い付けられていた。

 傾きの無い大天秤の家紋。

 聖騎士団は後援者である貴族の威光を示すために、隊によって掲げる紋が異なる。

 かつて第十二隊まで存在した聖騎士団が、それぞれどんな紋章を掲げているかくらいは俺も知っている。


 そのどれにも当てはまらないということは、やはりこの部隊は新しい。俺の知らない貴族の支援を受けている。《女神》、テオリッタは十三番目の新しい《女神》なのだ。

 いよいよまずいことをしてしまった、という気がする。

 それもこれも、すべてはドッタが悪い。


「ザイロ、もういいんじゃない?」

 と、やつは呑気に言った。

「聖騎士団は持ちこたえるかもよ、かなり頑張ってる」

「なんと……我が騎士。この従者には矜持というものが見当たりませんね。武勲を立てるべき戦場が目の前にあるのですよ」


 ここまでの行軍で、ドッタの息はあがっていたが、《女神》テオリッタは涼しい顔だ。

 このくらいの運動量で音をあげるなどありえない、とばかりに優雅な振る舞いをしている。

 単なる強がりだ。

 通常の人間よりはタフだが、《女神》もしっかり疲労する。表に出さないだけだ。

 しかし、それを指摘するほどアホでもない。


「仕方ねえから、助けに行く」

 俺ははっきりと言った。

「このまま引き上げたら、やっぱり俺たち勇者は役に立たないクソどもの集まりだって言われるんだぞ」


「ぼくは役立たずで別にいいよ」

 ドッタはふてくされたように言った。

「ぼくら、ほんとに呪いで死ぬよりマシなことになるかな? ザイロ、ちゃんと考えてるんだよね?」


 この物言いには、テオリッタが不満そうな顔をした。

「我が騎士。私、従者は厳選するべきだと思いますわ。彼にはやる気と根性も足りません」

 どうやらテオリッタはドッタを「従者」だと認識しているらしい。

《女神》にはよくある。

 俺にはどういう回答も返せない。ただ、渡河地点の攻防に意識を集中させるだけだ。


「もう行かなきゃならない。攻防が始まって、そこそこ時間が経ってる」

 俺はすでに歩き出している。

異形フェアリーどもは迂回してくるはずだ」


 これは当然の戦い方だ。

 異形フェアリーどもは基本的にアホで、動物的な行動しかとれないが、やつらを支配する魔王は違う。

 確かな知性があるし、戦術的に動く。


(もし、俺が魔王側だったら――)

 渡河地点を抑えられて、正面突破では損害が大きすぎる。

 そういう場合、上流か下流の渡河地点へ迂回を考えるべきだ。別動隊を組織してそっち側に送る。普通はそういうことをする。

 そして、聖騎士団にそれを抑える別動隊の戦力はない。

 そもそもやつらはもう少し北部の戦線から撤退してきたのだ。よく持ちこたえているが、万全の状態であるはずもない。


 そんな状態で戦おうとするなよ、とは言いたい。

 向こうの事情はわからない――貴族からなんらかの圧力があったか、指揮官がうちのベネティム並みにアホなのか。

 それとも懲罰勇者どもが撤退を支援するという話がまったく信じられなかったか。

(その可能性はあるな)


 笑えてくる話だ。

 たしかに俺たちはクズの集まりだし、肝心なところで逃げたり、作戦を放棄したりするかもしれない。

 一人で勝手に笑って、俺は背後を振り返る。


「それじゃ、ドッタ――」

 名前を呼んだとき、気づいた。

 まさか、と思う。この流れで、そういうことをするか? 正気か?

「テオリッタ。あいつは?」


「え? あら……?」

 テオリッタも驚いたように周囲を見回す。

 姿がない。とんでもないやつだ。このタイミングで逃げるとは――いや、いつものことだ。それにしてもすさまじい逃げ足の速さ。感心するしかない。


 それに何より、地面には布切れが一枚落ちている。

 墨で文字が書いてある――『別動隊として、聖騎士団から金目のものを盗んでおきます』。

 呆れるという気分を通り越している。後で見つけたら殺そう。


「あの従者の方、どちらへ?」

「……急用を思い出したんだろ。どうせ大した役には立たねえから、いいんだけど……それより、テオリッタ。これからあんたの力がいる」


「ええ」

 彼女は目を炎の色に輝かせた。嬉しそうに。

「やはりもっとも頼れるのは、この私ですね。奇跡の力が必要なのでしょう? 感謝し、讃えなさい」


「……やれるか?」

 と、あえて俺が尋ねたのには理由がある。

《女神》も疲れるということだ。

 運動すれば限界が来るし、召喚の奇跡を使っても体力を消耗する。無限に呼べるわけではない。

 さきほどはあれだけの剣を召喚したのだ――相応に疲弊しているはずだった。


「無礼ですよ、我が騎士ザイロ」

 彼女は事実、不機嫌そうに口を尖らせた。

 そういう表情は完全に子供だ。

「私は剣の《女神》、テオリッタ。人に奇跡をもたらす守護者です。求めるならば与えましょう。それこそが私の意味のすべてです」


 ――これだから嫌いだ。

 こいつら《女神》は本気で言っている。

 本気で俺たち人間のために命を消費しつくすつもりでいる。そうやって命をかけるのは、ただ人間に褒めてもらうためだ。

 気分が悪くなる。


「だから、我が騎士。いくらでも私を頼りなさい」

 テオリッタは誇らしげに言った。その態度を称賛されたがっているのもわかった。

 お断りだ、と俺は思う。


「あんたらにも限界があるのは知ってる」

 俺の物言いは吐き捨てるようになった。

「死ぬまで戦うなんてことはするな。そんなことで俺は褒めない」

「なんですって? ザイロ、それはどういうこと?」


 テオリッタが驚いたように言ったところで、そのときが来た。

 北側からだ。

 川沿いの聖騎士団の陣地に、闇から湧きだしたような異形フェアリーたちの群れが襲い掛かっている。

 魔王現象の別動隊が渡河を終え、迂回攻撃を開始したのだ。


「テオリッタ」

 俺は走り出しながら、彼女の肩に触れた。

 それでだいたいのイメージは伝わる。

「剣を頼む」

「――ええ。我が騎士。いまの話、あなたには言いたいことがありますが」


 テオリッタは優雅に髪をかきあげた。

「勝利してからといたしましょう」

 火花が散る。

 虚空が歪む――剣が呼び出される。無数の剣がどこか彼方から現れる。


 今度は空から降るだけではなく、地面からも生えた。

 その一本の剣の柄につま先をかけ、ちょっとした踏み台の代わりにして、俺は勢いよく飛んだ。


 空を飛ぶような、高い跳躍。

 これが俺に使用を許可された、もう一つの聖印だった。

 こっちの製品名は『サカラ』という。飛翔印サカラ。古い王国の言葉で、トンボの一種を意味しているそうだ。


 機能は基本的な身体能力の強化――を、跳躍力に絞って効果を上げている。

 ごく短時間ではあるが、飛行に近い跳躍を可能とする。


 空中戦。

 これが、俺に搭載されたベルクー種雷撃印群の設計コンセプトだ。

 上空からの火力投射。飛行する種類の異形フェアリーへの対処。そして、魔王現象そのもの、本体への機動攻撃。


 難点は、この手の変則的な白兵戦には相応の訓練が必要になること。

 俺はその専門家だった。

 たぶん、連合王国でほんの数人の専門家。


 だからできる。

 空を飛びながら、テオリッタの呼び出した剣を掴む。

 振り下ろす動きで、今度は『ザッテ・フィンデ』――爆破の聖印を浸透させ、投げる。


 地上で爆発が起きた。

 フーアどもの肉が爆ぜ、土が弾け、夜が照らされる。

 異形フェアリーの群れが混乱しているのがわかる。

 その只中に着地して、また別の剣を掴み、振るった。俺が剣を使う場合、目的は斬撃ではない。『ザッテ・フィンデ』の聖印を使う。


(久しぶりだな、これも)

 刃の触れた部分が爆ぜ飛び、千切れる。

 空から降ってくる無数の剣も、やつらを生かしてはおかない。


 これで聖騎士団の陣地に横撃をくわえようとしていた、異形フェアリーの群れは完全に止まった。

 だいぶ派手な乱入になったと思う。


 そのころには、聖騎士団の連中も俺に気づいている。

 俺と、《女神》テオリッタ。

 当然、やつらもめちゃくちゃに困惑していた。


(こういうとき、声をかけておくべきなのは――)

 俺は聖騎士団の中に、ひときわ白く磨かれた鎧をまとう者を見た。

 賢そうな馬に乗り、旗手を従えた人物。

 たぶん、こいつが指揮官だ。


「――誰だ?」

 指揮官らしき者は、とてつもない警戒心のにじむ声をあげた。

 どうやら女だ。

 兜の面頬を跳ね上げると、はっきりわかった。黒髪と鋭い目つき。一昔前ならともかく、女の軍人というのは珍しくない。聖印によって身体能力を補えるからだ。

 こと軍事的な領域に限り、聖印の発展により男女の差異は減少しつつある。


「何者だ! 所属と名を名乗れ!」

 と、指揮官の女は繰り返した。

 その鋭い目がさまよい、俺の背後に控えるテオリッタに止まって、よりいっそう混乱の度合いを深めた。


「そちらにおわすのは、我らが《女神》ではないか! なぜ目覚めている!?」

 そう叫びたくなる気持ちはわかる。

 俺が向こうの立場なら、もうわけがわからない。ただ、そんなことを説明している場合ではないし、説明したところで状況が変わるわけでもない。

 いまはみんなの命がかかっている。


「気にするな」

 俺は一言で切り捨て、また別の剣を地面から引き抜いた。

「わけのわからん状況だと思うが、それはぜんぶドッタのせいだ。歴史に名を刻むレベルのコソ泥だぜ、あいつは」


「待て。いや、待て。本当に」

 指揮官の女は俺の発言を止めようとする。

「説明しろ! お前は何者で、何がどうなっている。なぜ《女神》が――」

「俺はザイロで、《女神》はテオリッタ。たぶん説明してる場合じゃない」


 俺は川岸の向こうを、剣の先で示す。

 いっそう黒々とした夜の闇が、そこにわだかまっている気がする。

「魔王が近づいてきてる」

「それはわかっている! だが――」

「俺は勇者で、魔王を殺す」


 この発言に、指揮官の女は沈黙した。

 本格的に状況の混乱が許容量を超えたのかもしれない。


「そういう仕事だ。いまから始める。死にたくなければ手を貸せ」


 ――世の中には言い方というものがある。

 最近、俺も勉強しはじめたところだが、さっぱり上達しない。

 これのせいで、俺はいつも貧乏くじを引いている気がする。

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