刑罰:クヴンジ森林撤退支援 3
《女神》とは兵器だ。
生きている兵器。
その機能は、魔王現象に対抗する『何か』をどこかから呼び出す――召喚するということにある。
神殿の学士によれば、《女神》とはある種の「門」であるという。
その性質は個々の《女神》によって異なる。
人間を召喚する《女神》もいれば、炎や嵐といった自然現象を召喚する《女神》もいる。未来の光景を呼び出し、予知する《女神》もいると聞いている。
《女神》の運用に、取扱説明書や手順書は必要ない。
その《女神》が何を呼べるか、何ができるかという機能については、契約を交わした聖騎士ならば理解することができる。
そういう連帯を結ぶ。
このとき、俺もすぐさま理解できた。
「テオリッタ?」
俺の血を啜った金髪の少女は、そういう名前の《女神》だった。
「ええ、我が騎士」
テオリッタは火花を散らして髪をかきあげる。
「ザイロ」
彼女もまた、俺の名を理解したようだった。ついに取り返しのつかないことをした、と俺は思った。
「どのような祝福をお望みですか」
そう尋ねたテオリッタの炎のような目の奥に、俺は鋼の輝きを見た。
鋼だ。
限りなく思える無数の鋼の刃――名剣。魔剣。宝剣。聖剣。それが虚空の彼方で、呼び出されるのを待っている。
「どうぞ。祈りなさい」
剣の《女神》、テオリッタ。
それだけ理解できれば、十分だった。彼女に何が呼べるか、はっきりとわかった。
「柵」
と、俺は短く言った。
取るべき戦術――お互いにできること。
意志ともいえない単なる感覚、いうなればイメージのようなもので、俺はテオリッタとそれを共有する。
この感覚も知っている。
これができるから、《女神》は人類の切り札だった。
ただ強力な存在を召喚するだけでは足りない。それを軍事に長けた者が共有し、運用できるから、切り札になる。
俺はそういうところが嫌いだった。
「まずいよ、ザイロ」
ドッタは雷杖を構え、ヘタクソな射撃をしながら叫んだ。
もう、フーアどもは目の前に迫っている。どす黒く、ぶよぶよしたカエルの体を波打たせ、泥の津波のように殺到してくる。
「どうしよ! 死ぬかも!」
「死んでたまるか」
俺は当然のことを言って、押し寄せるフーアどもを指差した。
「テオリッタ! 派手にやってくれ、ここで押し返す!」
「ここで押し返す。いい言葉ですね」
テオリッタは嬉しそうに微笑んで、虚空を撫でるように片手を動かした。
「我が騎士にふさわしい。喜んで祝福しましょう」
その瞬間に、空から無数の剣が降り注いだ。
何百という数だった。
輝く銀の刃が雨のようになって、フーアどもの体を貫いた。ぎりぎりと濡れた布を絞るような、ひどく耳障りな悲鳴の合唱が連鎖する。
降り注いだ剣は地面に突き立ち、俺たちとフーアを隔てる境界のようになった。
俺が注文した通りだ。
防御柵ができている。フーアの数も半分以下に減った。
「すっげ」
ドッタは顔をしかめ、鼻をつまんだ。
地面がフーアどもの濁った体液であふれ、すさまじい異臭が立ち込めていた。
「《女神》ってこういうもんなの?」
「遊んでる場合じゃねえぞ。ドッタ、撃て!」
俺は急いで剣の柵まで駆けた。
「近づけるな。徹底的に叩く」
突き立つ刃の一本を引き抜く。右手で握って振りかぶる――槍や剣を投げる技術は、前の職場で叩き込まれた。
物体に祝福を浸透させて使う、聖印を用いた戦術によるものだ。
この俺に限っていえば、二十歩や三十歩程度の距離で狙いを外すわけがない。
腰のひねりで下半身と上半身を連動させ、投げる。
投げた剣はフーアどものど真ん中で閃光を放ち、爆発した。それはさらに何匹かを巻き込んで吹き飛ばし、完全にやつらの勢いを削いだ。
肉と血が溢れて、砕けた土と混ざり、沼のようになっている。
「すげえ匂いだ。さっきとは別の意味で吐きそう」
ドッタも青白い顔で剣の柵にとりつき、雷杖での射撃を開始する。
ヘタクソもいいところだが、剣の柵が遮蔽物になっている。飛び越えようとしたやつは、俺が片手でたたき切った。
そうなれば、逃げ始めるやつもいる。
こちらの戦力に大きな変化が生じたことは、やつらにもわかるらしかった。
「ドッタ、お前ほんと射撃ヘタだな。ぜんぜん当たってねえ」
「ぼくは人を傷つけるのが苦手で……」
「嘘つけ。お前、押し込み強盗もやってるだろ。そのとき殺してるよな」
「苦手だけど、あのときは努力したよ……褒めてほしい……」
努力という問題ではないが、ドッタの精神性について言及するのはバカバカしいのでやめた。
フーアたちが逃げていく。
もはやその動きは止められない。ここは凌ぎ切ったと見ていいだろう。ドッタは地面に尻をつき、荒い呼吸を繰り返している。根が臆病者なのだ。
「――いかがですか、我が騎士」
《女神》テオリッタは、俺の目の前で胸を張った。
改めて見ても、背丈が小さい。俺の胸ほどまでしかない。
「この私の祝福に感激しましたか?
めちゃくちゃに尊大な言い草だが、見た目はまるで子供だ。
炎の色に目が輝いている。
何かを期待するように、こちらへ頭を突き出す。
「ザイロ。許すといっているのです」
彼女が言わんとしていることは、よくわかった。そのイメージが伝わってくる。
「頭を撫で、どれだけ私が偉大かを言葉にしなさい」
要するに、彼女はこう言いたいのだ。
頭を撫で、『偉いぞ』と声をかけろということだ。
(しかし、それをするのは――)
俺はためらった。
余計に取り返しのつかない状況に自分を追い込もうとしている。
まさに俺は《女神》のこういうところが嫌いだった。
悪趣味すぎると思ったことがある。
それでも彼女らは確かにそれを必要としているのだ――誰かからの賞賛を。それこそ、まさに《女神》の本質で、存在に必要な――
『あっ。ザイロくんとドッタ、まだ生きてるんですか?』
俺が手を伸ばしかけたところで、耳元でまた不愉快な声が聞こえた。
俺たちの『指揮官』。ベネティムだった。
『さっきの話の続きなんですけど。二人とも、どうします?』
とても指揮官とは思えないような発言に、頭痛がする。言い方が他人事すぎる。
これにはドッタも唸り声をあげた。
「ぼくらはいますぐ逃げるよ。聖騎士団が勝手に戦うなんて知ったことじゃないよ」
『ですよねえ。でも、聖騎士団の過半数が死んだら、二人とも死んじゃいますよ。作戦失敗なんで、かなり残酷な苦しみ方をするんじゃないかな……』
「うう」
と、ドッタは頭を抱えて俺を見た。
「どうしよう、ザイロ」
「ベネティム、なんとか交渉できないのか。お前の唯一の存在価値だろ」
『わかりました。やってみましょう、少し時間をください』
「嘘つけ」
俺は即座にベネティムの嘘を見抜いた。
呼吸をするように嘘をつく男だ。
俺にはベネティムの考えがわかっている。
やつの置かれた状況もわかる。
ベネティムの肩書は『指揮官』であり、森林の外から指揮をとっている。それも、王国刑務官の監視の下で。
つまりあの男は、臨機応変に戦況を判断でき、極悪人だらけの懲罰勇者部隊を扱うことができる、唯一の存在である――
と、王国刑務官たちに信じさせ続ける必要があり、やつはそれに成功し続けている。
『どこか頼りなく、普段は役に立たないが、なぜか犯罪者どもから慕われている切れ者』。
さすが詐欺師だけあって、そういう印象を演出するのがうまい。
かつて王族を騙し、王城をサーカス団に売却させかけて捕まっただけのことはある。
実際はただ頼りないだけで、別に俺たちも慕ってはいない。
普段でも非常時でも、口先以外のことで役には立たない。
いま「わかりました、やってみましょう」というのも単なる演出以外の何物でもない。
本当に適当なことを言っているだけだ。
聖騎士団が原因不明の迎撃という暴挙に出た以上、やつは俺たちがもうすぐ死ぬと思っていやがる。
『任せてくださいよ、ザイロくん。私はこれでもみなさんの指揮官ですから。たまにはいいところを見せないとね』
「こっちの声が刑務官にどうせ聞こえないと思って、適当なこと言ってるな」
『それじゃ、すみませんがそういうことで』
「定期的な連絡が必要だからって、無駄に声かけてくるんじゃねえよ――あ、いや待て」
そのとき、俺はベネティムがかろうじて役に立ちそうなことを思いついた。
「聖騎士団は? どこまで迎撃に出てる?」
『えーっと……』
やや長い沈黙があった。
おそらくいまさら調べているか、刑務官にでも確認しているのだろう。
そのくらい把握してから連絡してこい、と言いたい。
『そこからもう少し東寄り、パーセル川沿い……ええと……第二渡河地点で陣を組んでる。みたいですねえ。ちょっと遠いですね』
「ぜんぜん遠くねえよ」
俺は呆れた。こいつは俺たちの現在地まで適当な把握の仕方しかしていない。
だが、いま少しだけ役に立った。そう遠くないのも幸運だ。
このとき、俺には選択肢があっただろうか。
無理そうだから諦めてここは死んでおく。
勇者なのだから、そういう賭けに出ることもできた。あとでひどい蘇生のされ方をするだろうが、運さえよければというやつだ。
(――無理だな)
ただ、俺には悪い癖というか、どうにもできない部分がある。
「……ドッタ。俺たちが残酷に死なないようにする作戦を考えた」
「え」
ドッタはすごく不安そうな顔をした。
「それ、どんな感じのやつ?」
「聖騎士団と協力して魔王を倒す。王道だな。これしかねえよ、もう」
「まあ!」
真っ先に反応したのがテオリッタだった。
彼女は手を叩いて喜んだ。
「さすが我が騎士! そうでなくては。――なんという幸運でしょう。あなたこそ、まさに私の信奉者にふさわしい」
「ぼくは反対」
ドッタはやる気がなさそうに手をあげた。
「この聖印の呪いで死ぬよりひどい目にあうかもしれないよ、冗談じゃない。ザイロ、きみこそ勝手に戦い始めた聖騎士団なんかのために死ぬのは嫌だろ――ほら、だって、きみは――」
「だからだよ」
ドッタの言いたいこともわかる。
俺はかつて聖騎士団だった。そこから追放されて、こうなった。
確かに俺は聖騎士団には恨み――というか怒りのような気持ちがある。
中には殺したいやつもいる。俺を追放したやつら。俺を嵌めた連中。全員残らず叩き殺すつもりではいる。
いま、森の中にいる聖騎士団がそれかもしれない。
ただ、
「俺だってやつらは嫌いだ。でもな、それを理由に見捨てたなんて陰口を叩かれるのは最高にムカつくんだよ」
「自意識過剰だと思うよ、陰口なんて言わせとけばいいんだよ」
「俺は我慢できねえ」
俺よりチンケな連中に、そんな器の小さいやつだと思われるのは耐えられない。
結局のところ、この悪癖のせいだろう。自覚は少しある。
要するに俺は、舐められるのが嫌いなんだ――だからここで、こんな罰を受けている。
「行くぞ」
俺はドッタを蹴りつけ、その場に突き立つ剣の一本を引き抜いた。
鋭利な刃。
銀色に輝き、曇り一つない。さすが《女神》の召喚する剣。
「聖騎士団が壊滅したら俺たちもおしまいだ。逃げるなよ」
「逃げ場があればそうしてるよ」
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