刑罰:クヴンジ森林撤退支援 2

 最初に魔王現象が確認されたのは、はるか西方、開拓域の山奥だったという。

 魔王現象一号、呼称『ウワバミ』。

 それは、開拓村の人間たちが「とてつもない大蛇を見た」という噂に端を発する。


 その大蛇の出現をきっかけに、めちゃくちゃなことが始まった。

 ただ人間が襲われただけではない。

 森の木々はねじれ、小動物や昆虫は怪物のようになり、土地は腐り始めた。蛇に噛まれたという人間もまた起き上がって、麓の集落に襲い掛かった。


 最初は怪談というか、田舎者の与太話だと思われた。

 ヴァークル開拓公社が発行している新聞でも、その程度にしか扱われていなかった。

 村がいくつか壊滅したという噂は誇張されたものだと認識された。


 聖騎士団が出動し、焦土聖印によって山ごと吹き飛ばすしかなかった――という話も流れたが、当然そんなはずはないと一笑に付された。


 それらがすべて事実だとわかったときには、もう遅かった。

 各地で魔王現象が始まり、あっという間に拡大した。


 そうして、人類は生息域の半分を喪失し、いまに至る。


        ◆


 俺は薄闇の奥に、飛ぶように跳ねる影を見た。

 大型犬ほどもある巨大なカエル――というような生き物で、ああいう種類は『フーア』と呼ばれている。

 魔王現象に影響を受けた異形フェアリーだ。


 この異形フェアリーどもに共通する特徴として、とにかく凶暴で、他の生命体への見境ない攻撃が挙げられる。

 理由はよくわからない。

 神殿の学士によれば、生き物の見ている悪い夢のようなものだから、とのことだ。

 理解できない説明だが、確かにやつらの見た目も生態も、おおむね悪夢的な存在ではある。


 よって、速やかに駆除するしかない。


「ドッタ」

 俺は腰のベルトから一本のナイフを引き抜いた。

 右手で握ると、手のひらの聖印が熱を帯びるのがわかる。力が刃に流れ込む。

「方向と距離を合わせろ」

「え、もう? 喧嘩売るの?」

「売る」


 ドッタは少し怯えたような顔をしたが、構わない。

 戦い方は決めていた。

 撤退支援ということなら、せいぜい派手にやって陽動をこなさなければならない。


 ああいう獣型の異形フェアリーどもにたいした頭脳はない。

 特にフーアはアホなので、動くものに対して反射的に襲い掛かる。

 聖騎士団がまともな指揮官を擁していれば、こっちが騒ぎを起こしたことに気づいて逃げ足を速めるだろう。


「十時の方向、指一本分くらい九時寄り」

 ドッタが額のあたりに手をかざし、呻くように言った。

「距離は三十七歩かな。いちばん密集してるのは」

 ドッタはそこそこ夜目が利くが、この芸当は単に視力だけの話ではない。

 異様な勘を持っている、というべきか。

 相手は生き物に限るが、臆病な分だけ、他人の気配におそろしく敏感だ。信じられない精度で対象物との距離を測る。


「わかった。数は?」

「多いよ……ものすごく多い。群れの全部ってことはないと思うけど」


「そちらの貧相な方も、目はよろしいようですね」

《女神》はドッタに対し、的確に失礼なことを言った。

 それから俺の前に進み出る。

「では、我が騎士。エスコートをお願いします。どのような戦術で参りますか?」


「ザイロ……」

「ああ、いや……」

 ドッタにも困惑した目を向けられ、俺は返答に困った。

 すごく困る。相手は《女神》だ。言い方に気を付けなければ。


「あの程度の連中に……そう……」

 扱い方が大事だ。不用意に《女神》の力を使うべきではない。

 俺はそのことをよく思い知っている。

「《女神》様の偉大な……偉大な力を借りるのは恐れ多い。その辺で、あれだ。見守っていてくれ」


「まあ、かわいいことを仰る」

《女神》は明らかに嬉しそうな顔をした。

「たしかに、我が騎士の顔を立てるのも《女神》の役目……ですが、遠慮なさらなくてもよいのです。さあ、いますぐ私に頼りなさい」


「違う、これは遠慮じゃなくて――」

 俺はもっとはっきりと断る言葉を探そうとした。

 だが、状況はそれを許さない。


「ザイロ、やばいって」

 ドッタが今度は怯えた声で、俺の名を呼んだ。

「こっちに気づいたやつがいる!」

「くそ」

 悪態をつく。やるしかない。

 こっちに気づかれたなら、距離があるうちに先手をとり、やれることをやっておかなければ。


「どうしよ、ザイロ」

「問題ねえよ」

 俺はナイフを振りかぶり、腕をしならせて投擲する。

 それはまっすぐ、弓矢のように飛んだ。

 びいっ、と、空気の裂ける音が聞こえたかもしれない――そして着弾。


 着弾、という言葉がふさわしい。

 一瞬だけ、薄闇の奥に閃光が走った。

 それから轟音。

 多大な熱量が解き放たれ、木々と土と石と、フーアどもの体をぐちゃぐちゃに吹き飛ばす。ここまで風圧を感じたほどだった。

 一応、これでも威力は調節した。


 これはナイフではなく、俺の手の平の聖印に仕掛けがある。

 前の職場で使っていた商売道具だ。

 勇者刑に処されたときに、ほとんどの聖印は機能を封じられたが、たった二つだけは残された。その一方が、これだ。


 この印の製品名は『ザッテ・フィンデ』。

 古い王国の言葉で「デカい飴玉」の意味――熱と光の聖印。

 対魔王現象兵装の一つであり、現時点においては最新鋭といえるだろう。物体に聖印の『祝福』を浸透させ、破壊兵器に変える。

 派手な手投げ式の爆竹のようなものだ。


「注意は引いた。ここまでは予定通りだ」

 俺は冷静なふりをして言った。

 慌てるとドッタが逃げ出すからだ。ここで戦力が一人減るのは致命的だ。

「ほ、ほんとに予定通り?」

「ほんとだよ」


 爆撃を受けたフーアたちが混乱しているのがわかる。いきなり襲われ、こちらの脅威度を測りかねている。

 それでもまもなく、群れは雪崩を打ってこちらを狙ってくるだろう。


「ドッタ、とにかく撃ちまくれ。撃ったら走れ。遅れるなよ」

 俺の言葉に、ドッタは短い杖をベルトから引き抜く。目の高さに構える。

「ゲロ吐きそう……」

 文句を言いながら、杖を握る手に力を込めた。


 杖には聖印が刻まれている。この類の武器を、雷杖という。

 印の製品名は『ヒルケ』。ヴァークル開発公社が開発した、一昔前の古いやつだ。

 聖印によって雷を放つ。

 回避も防御も困難な飛び道具――という名目で売り出された。

 射出の射線と焦点を設定するのに熟練が必要なため、有効性は弩より少しマシ、というところだ。


 ドッタもこいつの名手というわけではない。

 目がよくて気配に敏感でも、肝心の聖印の制御にセンスというものが欠けている。

 ただ、魔王現象を相手にするならば話は別だ。いつもやつらはとんでもない大群で襲い掛かってくるものだからだ。


「――当たったっ」

 ドッタが嬉しそうに言った。

 雷杖の先端が稲妻を放ち、金属がひび割れるような音を響かせる。

 同時に、フーアの一匹が肉片を散らして吹き飛んだ。警戒した数匹の速度が緩む。ただ、もっと多くの注目がこちらに集まった。


「ザイロ、当たったよ!」

「あれだけの数なら外す方が難しい。逃げるぞ」

 森の木々の間をかすめるように走る。

 獣道よりもう少しマシ、という程度の道なら見つけてあった。一昔前に開拓公社が作りかけていた道だろう。


 罠を仕掛けてある地点は、すぐそこだ。

 そこで迎え撃ち、かなり数を減らせるだろう。そうなれば、後続の群れもこちらに注意を向けてくる。

 多少知性のある異形フェアリーがその中にいたところで、まさかたった二人で陽動しているとは思うまい。

 あとは、罠にかけて数を減らしながら――こっちの逃げ足との勝負だ。

 これはかなり自信がある。特にドッタは専門家だ。


 聖騎士団はこっちが大騒ぎをしている隙に離脱してもらう。

 これが、お互いもっとも生存率の高いやり方だ。そのはずだった。

 だが――


「――逃げるのですか?」

 案の定、《女神》が不満そうに尋ねてくる。

「私の騎士にふさわしくないふるまいですね。ここは私にお任せなさい。あの程度の薄汚い異形フェアリーなど、一網打尽にしてさしあげます」

「いやいや、その……」


 俺は何か理由を探そうとした。

《女神》の力を使うのは、すごくまずいことだ。

 いまならまだ間に合う。聖騎士団にこっそり返却することができる。力を使ってしまっては取り返しがつかない。

 その場しのぎでもいいから、何か理由を見つけなければ。


「ザイロ、もう一回!」

 雷杖の射撃を繰り返し、隣を走るドッタが急かしてくる。

「さっきのでかいやつ、やってくれよ」

「ああ、くそ。わかってる」


 もう完全にフーアどもに追いかけられている形だ。

 ドッタの下手くそな射撃だけでは、牽制力が貧弱すぎる。ナイフの残弾に限りはあるが、あと何度か俺が聖印を使う必要があるだろう。

「《女神》様、とにかくここは大丈夫だから! 俺らでどうにか――」

 俺は《女神》を静止しながら、もう一本ナイフを引き抜こうとする。


 そのとき、また別の問題がやってきた。

『――ザイロくん! ドッタ!』

 耳元で悲鳴が聞こえた。

 鼓膜が痺れるくらいの金切り声。こういう声を出すやつを、俺もドッタも知っている。


 俺もドッタも思わず耳に手を当てた。

 無駄なことはわかっている。

 首筋に刻まれた勇者の聖印が、この声を届かせている――そういう力がある。遠距離での通話。俺たちは互いにこの忌々しい連帯から逃れられない。


『大変ですよ、聞いてください! まずいことになりました。すごくまずい』

 そう言ったのは、俺たちの名目上の『指揮官』。

 政治犯にして詐欺師にして役立たずの根性なし、ベネティム・タイアス。


 こいつも人格に相当な問題を抱えている。

 ドッタと同じくらい問題を起こすし、だいたい三日に一度は『まずいこと』になっている。

 本人の口が災いしている場合がほとんどだが、このときは違った。


『もう終わりかもしれないってくらい大変です。ザイロくん、いま余裕あります?』

「ねえよ!」

 俺は吐き捨てながら、ナイフを握る。

 聖印の力が注ぎ込まれる――背後を振り返りざま投擲する。爆音。フーアどものぶよぶよした体が吹き飛ぶ。


「いまの聞こえたか? あ? これで余裕あると思うか?」

『ないような気がしました。でもこれ言わなかったら後でザイロくん怒りますよね』

「怒る。いま言っても怒るけど! なんだよ!?」

『聖騎士団が動きました』

「そりゃ良かったな! さっさと逃げてくれたんだろ? そのくらいの報告なら――」

『いえ。魔王現象に向かって動いてます』


 俺は自分が泣きそうな顔をしていることに気づいた。

 自分の耳が信じられなかった。

「なんだって?」

『そちらの森で態勢を立て直していた聖騎士団のみなさんは、魔王現象に対して戦列を組んでいます。なんでも、魔王現象の進軍をここで食い止めるとか』

「……なんで?」

『そんなの私にわかるわけないじゃないですか』


 それからベネティムはだらしのないような笑い声をあげた。

『もうすぐ双方が激突しますよ。……どうしましょうね?』


 知るか、と言いたかった。

 聖騎士団に作戦は伝わっていないのか? 伝わっていたとしてもそれを無視したのか?

 俺の知る聖騎士団は、腐ってもプロだ。こういうときは勇者部隊を捨て駒にして、さっさと離脱を始めるのが定石のはずだった。


(だが――いや。何がどうなってるか考えるのは後だ)

 どちらにせよ、いまこの瞬間、俺の考えていた計画は音を立てて崩壊した。

 聖騎士団の撤退を支援するという命令が生きている限り、やつらに森の中に居座ってもらわれては困る。

 魔王現象の群れと正面からぶつかるなんてもってのほかだ。


 このままでは俺たちは無惨に死ぬし、生き返った時にはどんな有様になっているかわからない。聖騎士団だって全滅に近い被害を受けるだろう。

 なぜならやつらが切り札とする《女神》がここにいるから。


(なんなんだよ)

 俺は心の中で毒づいた。俺たちにできることは、こうなれば一つしかない。

 聖騎士団が撤退しないというのなら、いっそ――


「ザイロ」

 ドッタは俺より泣きそうな顔をしていた。

「どうしよ?」

「……《女神》様」

 俺は投げやりな気持ちで足を止め、火花を散らす金髪の少女を振り返った。

 彼女は息一つ乱すことなく、俺の後ろについてきていた。


「ええ、はい」

《女神》は満面の笑みで答えた。

「ここが反撃地点ですか、我が騎士?」

「ああ。……そう……そうだ。そうだよ、反撃する」


 彼女には、俺とベネティムの会話は聞こえていない。

 まだ彼女は誤解している。

 俺のことを聖騎士だと思っている――俺たちが何者か知らない。つまり、俺は彼女を騙すことになる。


「《女神》様のお力を貸してもらいたい」

 俺ははっきりと言った。

「作戦を切り替えるぞ、ドッタ。これから俺たちは魔王を倒す。《女神》様の力があれば、たぶんそれができる」

「ええ? ちょっと、本気で言ってる?」


「無礼な方ですね。当然でしょう。この私が力を貸すのですから」

《女神》は優雅に一礼した。

「それでは我が騎士、契約の代償を差し出しなさい」


「……わかってる」

 これしかない。俺は《女神》の口元に、右腕を近づけた。

 引き抜いたナイフで傷をつける。鋭い痛みとともに血があふれ出す。これが《女神》の運用方法だ。

 使い手である騎士は、自らの体の一部を差し出す。

 契約の証だ。一対一の契約――どちらかが死ぬまで続くもの。

 それがあって初めて、女神は人のために力を発揮することができる。


「頼む。俺たちを助けてくれ」

「ええ」

《女神》は嬉しそうに俺の腕に唇をつけた。

「承りました」


 このときのこれが、まさに取り返しのつかない第一歩だったといえる。

 こうして、俺はまた人生を台無しにした。

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