刑罰:クヴンジ森林撤退支援 1
「まずいことになった」
と、ドッタ・ルズラスは深刻そうな顔で言った。
「本当にまずいよ。ぼくは、もう何もかも終わりかもしれない」
またか、と俺は思った。
そもそもドッタは三日に一度くらいの頻度で本当にまずいことになっている。よくあることだ。
それもこれも、本人の手癖が悪すぎるせいだ。
どのくらい悪いかというと、『深刻な国家への反逆』という罪で、こうして勇者の刑に処されているほどにタチが悪い。
聖騎士団によって捕縛・投獄されるまで、千件を超える窃盗事件を起こしてきたという。
世界史上まれにみるコソ泥とでもいうべきか。
ドッタ・ルズラスは本当になんでも盗む。
王族所有のドラゴンを盗んだ話を聞いたときは爆笑したが、そのあと左腕を食われたというくだりで真顔になった。本当にどうかしている。
とはいえ、勇者というのはそういう連中ばかりだ。
「なあ、ザイロ。どうすればいいかな、ぼくは――」
「その話」
俺は近づいてきたドッタの顔をおしのけ、黙らせることにする。
「また明日じゃダメか? お前は気づいてないかもしれないけど、俺たちはいま、死ぬほど忙しい」
死ぬほど、というのは比喩でもなんでもない。
命をかけてこの戦場にいる。
連合王国の北端、いまの人類の生息限界。肌を刺すように冷たい風が吹き抜ける、雪深い森の奥深く。
クヴンジ森林と呼ばれている。もうすぐ人類から失われる領域だ。
諸事情あって、俺とドッタはそこで息を潜めて朝から待機していた。
もうそろそろ日は暮れかけており、いまにもクソ寒い夜がはじまりそうだ。
それからついでに、間もなく魔王現象を相手に繰り広げねばならない、『決死の作戦』も待っている。
そこへ来て、偵察から帰ってきたドッタの、「まずいことになった」という発言だった。
これは頭が痛くなるし、とにかく黙ってろと言いたくなる。
「ドッタ、これから待ってる仕事がわかってるか?」
「まあ……一応は」
「言ってみな」
「魔王と戦う」
ドッタは青白い顔で、軍用コートの内側から小さな瓶を取り出した。東方諸島産のかなり高級な酒だと思う。豆から作る酒だ。
どうせこれも聖騎士団の倉庫か、ヴァークル開拓公社の酒蔵から盗んできたものに違いない。
「そうだな」
俺はドッタの手から瓶を取り上げ、わずかに口に含む。
喉が焼けそうになる感覚――それだけだ。俺には酒の味の良し悪しはよくわからない。
「魔王現象としても規模がでかくて、影響を受けた
とりあえず事前の情報では、そうだった。
あるいはもう少し減ってくれているかもしれない――我らが連合王国の偉大なる聖騎士団の努力によっては。
たぶん高望みにすぎるだろう、と俺は思っている。
そもそも敵を千や二千を減らしたところで、あんまり意味はない。
なぜなら――
「その
俺はドッタに酒瓶を突き返す。
「うん……」
ドッタは青ざめた顔でうつむいた。
「わかってるよ。ぼくらは勇者だ、仕方ない」
つまり、そういうことだ。
俺たちは勇者という刑に服する罪人であり、命令に対して逆らうことはできない。
死ぬことも許されない。
たとえ死んでも蘇生させられて戦うことになる――といえば良いことに聞こえるかもしれないが、当然、完全な状態で死人を生き返らせるなんて神様たちでも無理だ。
生き返るときには記憶とか人間性とか、そういうものを失っていくことになる。
中には自我を完全に喪失して、動く死体みたいになったやつもいる。
俺たちに選択の余地はない。
任務を果たす以外にどうすることもできない。
このとき俺たちに与えられたそれは、言葉にしてみるとかなり単純なものだった。
すなわち、「撤退支援」。
敗走してくる聖騎士団を援護し、この森から脱出させること。
押し寄せてくるやつら――魔王現象が生んだ
援護や支援の部隊は存在しない。懲罰勇者9004隊のみで完遂するべし。
そして懲罰勇者9004隊で動けるのは、この俺、ザイロとドッタ――それから何の役にも立たない『指揮官』だけという有様だった。
あとは吹っ飛んだ腕や首を修復中だったり、別の任務に従事したりしているため、何一つ期待できない。
控えめに言って、相当ふざけている。考えたやつを叩き殺したい。
とはいえこれはまだマシな方だ。
最初はもう少し無茶な任務が計画されていた――すなわち、この魔王現象の核となっている魔王の撃破、とか。
これに関してはうちの『指揮官』が交渉した結果だ。
やつは部隊の指揮なんてできない役立たずの腰抜けだが、元・詐欺師の政治犯だけあって人を騙す能力には長けている。
人格は最低だが、その部分だけは認めるしかない。
「まあ、なんとかなるよ……ね?」
ドッタは俺を窺うように見て、また酒の瓶を呷った。
「今回は暴力担当のザイロもいるし、ぼくらは勇者だもんね。最悪、ひき肉になるくらいでまたどうせ蘇生――」
「わかってねえな」
俺はドッタに現実を突きつける必要性を感じた。
「蘇生がどの程度うまくいくかは、死体の状況による。死体がひき肉になってたり、そもそも回収できなかったりすると、絶対にろくでもない後遺症が残る」
雪に埋もれた俺たちの死体を、聖騎士団が後で回収してくれる見込みはない。この森は間もなく魔王現象によって汚染されるからだ。
そうなれば蘇生の聖印を使ったとしても、記憶や自我に深刻な影響が出ることは確実だ。
その結果、亡者同然の歩く屍となった勇者もいた。
これには、ドッタは心の底から驚いたような顔をした。
「え、本当に?」
「嘘ついてどうする」
「知らなかった。ザイロ、詳しいね」
俺は答えなかった。
もしかしたら、こういう情報は一般向けには公開されていないやつだったかもしれない。
「だから、よほどうまいことやる必要がある。お前の話を聞いてる暇はない」
「いや、でも」
「聞きたくねえ」
「聞いてよ! 本当に大変かもしれないんだ。これ、どう思う?」
ドッタは傍らの地面を指差した。
俺があえて見ないようにしていた、大きな物体がそこにある。
「……なんだそれ」
棺桶だ、とまず思った。
縦長の箱で、小柄な人間がひとり中に入れそうな大きさがある。
表面にはなんだか複雑な装飾が施されていて、棺桶だとするなら、よほど身分の高い人物が収まるものではないだろうか。
俺はまたしてもドッタの正気を疑った。
「ドッタ、……なんで棺桶なんか盗んで来たんだよ」
「わからないよ……なんか豪華な箱があって、盗めそうだなって思って、気が付いたら」
俺は何も答えなかった。
ドッタの盗み癖をいまさらどうこう言うつもりはない。こいつの衝動的な窃盗はもはや死んでも治るまい。
こいつは本当に何でも盗むし、無意味なものほど盗みたがる。
このとき俺が気になったのは、別のことだ。
「なあ、ドッタ。この棺桶なんだけど」
俺は蓋に手をかけてみる。
「もしかして……誰か入ってる?」
「そうなんだよね」
ドッタは予想した通りの答えを返してきやがった。どうかしている。
「運んでるとき、すごく重いとは思ってたんだけど、さっき確認したら――」
「盗む前に確認しろよ。お前はなんで死体を盗んでくるんだよ、ワケわかんねえよ」
「そんなの、ぼくだってわかんないよ! 気づいたら盗んでるんだから!」
「なんでお前が俺を怒ってる感じになるんだ、
ドッタが『まずいことになった』と言った意味がだいたいわかってきた。
これだけ豪華な棺桶に収められているのだから、きっとその死体は王族か、大物貴族の類だ。
聖騎士団に従軍していたそれはそれは偉い人が死んで、この棺桶に収められたのだろう。
たしかに盗まれたら大騒ぎになりそうだ。
こうなったら、俺からできる助言は一つしかない。
「いますぐ返してこい、アホ」
言いながら、俺は死体を確認するため蓋を開けてしまった。
なぜ開けたかと言えば、俺にもよくわからない。
あるいは悪趣味な好奇心だったかもしれない。
王族や貴族なら俺の知っている相手の可能性はあるし、中にはぶち殺したい人間も一覧表に並べられるほどいる。
そのうちの一人ではないかと、非倫理的かつ陰険な期待を抱いたような気がする。
ただ、本質的には『なんとなく』以外の何物でもなかった。
俺がそういう不注意なやつという、それだけのことだ。
開ける必要なんてなかった。
むしろ、絶対に開けるべきではなかった。
「しまった」
俺は開けて後悔した。
確かに人間が入っていた――少女だ。
それも、ちょっと怖いくらいの美少女。
聖騎士団の白い軍服。滑らかな金の髪と、北方出身を思わせる雪のような白い肌。作り物のような顔の造作――
だが、何より俺が目を奪われたのは、その左の頬から首にかけて刻まれた『印』だった。おそらくその文様は胸元、心臓のあたりまで達しているはずだ。俺は知っている。
聖印と呼ばれる。
俺たちの首にあるものと少し似ているが、決定的に違う。呪いではなく、祝福の聖印。
「ドッタ、これはまずい」
「だよね。これって王族の子だよね?」
「違う。――そもそも人間じゃない」
頭の片隅がひりつくような錯覚に襲われる。
「《女神》だ、このガキ」
「え? なに?」
「なに、じゃねえよ。《女神》だよ」
人類の希望のひとつ。太古の英知によって創造された決戦生命体。
そういう大げさな宣伝用の文句があった。
しかし、俺は知っている――その表現は適切だ。《女神》は、人類が魔王たちに対して持ちうる、最大最強の戦力に間違いない。
聖騎士団とは、この《女神》を防衛し、かつ兵器として運用するための組織だ。
現存する《女神》の数は、この世にわずか十二しかない――いや、いまは十一になっているか。
そのうちの一つを盗んできたというのだから、このドッタという男はとんでもない。
こんな情勢でなければ、世界史上に残る大泥棒になっていただろう。
「いますぐ返してこい。かつてないほどヤバいぞ。《女神》くらい知ってるだろ!」
「ええ? いや、まあ、見たことあるけど……そうなの?」
ドッタは理解できないというような顔をした。
そうか。一般に《女神》というやつは、どんな姿をしているものなのか伝わっていないのか。
「こんな、ほんとに女の子の形をしてるもんなの? あのさ、ぼくが見た《女神》は、もっと超でかいクジラみたいなのとか、鉄の塊みたいな――」
「説明が難しいが、まあ、そういうやつもいる」
《女神》は太古に生み出された、いまでも解明できない超兵器だ。
中には人間には理解できない形をとる者もいるし、そうでない者もいる。さらに便宜上《女神》と呼ばれているが、必ずしも女性体ではない。
「ドッタ、よく聞けよ。こいつは――」
面倒ながら、俺はすこし解説してやろうとした。
だが、その前に俺の耳は、夕暮れの薄闇を破るような激しい音を聞いていた。
角笛。
そして太鼓の響き。
「なんだよ。もう来たのか?」
反射的に、俺は両手を握り、また開いた。
手の平。手首。それから肘――その付け根まで。皮膚にはくまなく聖印が刻まれている。
戦いのための聖印だ。
本来なら連合王国の聖騎士にしか与えられないもので、超多目的ベルクー種機動雷撃印群とクソ長い名前で呼ばれている。
これだけは勇者の刑に処されても剥奪されなかった。
俺の、いまとなっては唯一の「私物」。
「
「うん」
ドッタは目を見開き、夕暮れの薄闇の奥を見ていた。もともとは泥棒稼業で鍛えられた、こいつの目は特別だ。
「……いる。もう動いてるよ」
「じゃ、俺たちの出番だ」
「ま、待った。心の準備が、まだ」
「そんな暇があるか? 首の聖印に聞いてみろ」
首筋がひりつく。いますぐ戦え、と、聖印が言っている。
「戦いの時間だ」
「――た、たかい?」
不意に聞こえた、俺はその問いかけに戦慄した。
ドッタではない。
たどたどしいが、薄い鋼を弾いたような声だった。
俺はそこで気づいた。
棺桶の中から、《女神》が上半身を起こしている。おまけに目を開けていた――その瞳が炎の色に輝き、俺を見ていた。
「たたかい。……なるほど」
《女神》は、呻くように呟いて、悠然と立ち上がる。
「あなたが、私の、騎士ですね」
一語一語を区切って発する。
黄金の髪の毛が、火花を発しながら風になびいた。炎の色の目が俺を頭からつま先まで、睨みつけるように見た。
そして、わずかに眉をひそめ、数秒の後にうなずいた。
「いいでしょう」
発音が徐々に滑らかになっていく。
「合格点を差し上げます」
「なんだって?」
「戦いが始まるのでしょう。《女神》として、あなたに勝利を約束してあげます。よって――」
《女神》は金の髪をかきあげた。強い火花が散る。
「敵を殲滅した暁には、この私を褒めたたえ、そして頭を撫でなさい」
知っていた。
そう――《女神》。彼女たちにはいろいろな型が存在する。個性がある。
だが、いずれの《女神》にも共通する項目がたった一つある。戦いに関するプライドの高さと、承認欲求の強さだ。
俺は、よく知っている。《女神》を運用していたことがあるからだ。
「……ドッタ」
俺は傍らの、小男の首に腕を回した。絞めつける。
「今回ばかりは、お前の言ったとおりだ。何もかも終わりかもしれねえ」
「え。やっぱり?」
「そうだよ」
腕に力を込めながら、俺は泣きそうな声が出るのを自覚した。
「こいつ、ホンモノの《女神》だ。それも――たぶん未起動の。十三番目の《女神》」
俺がそう言ったとき、木々の間の薄闇が動いた。
いくつもの異形の姿が見える。数が多い。ドッタに文句を言いたいが、そういう暇はないようだ。
魔王現象が、襲ってくる。
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