午後5時のチャイム

餅月黒兎

小学生の噂話

「なぁ祐一。もうあの噂、聞いたか?」


 学校からの帰り道、僕のランドセルを小突きながら明弘が話しかけてくる。


「噂って……チャイムの話?」


 僕が住んでいる町は「防災放送」といって、災害時の放送テストの意味も兼ねて、毎日午後5時にチャイムが鳴る。曲はみんなも知ってる「赤とんぼ」。


 それ自体はいたって普通なんだけど、問題はチャイムが鳴り終わった後に「後ろを振り返る」と何か良くないことが起きる、そんな噂がこのあたりの小学生に広がっていたんだ。


「そう!それそれ!隣町の学校でも下校途中に倒れて病院に運ばれた奴、いるみたいじゃん。」


「よくそんな噂を仕入れてくるね……。」


「おれは情弱な祐一と違ってアンテナ張ってるからな!」


「……ただのミーハーなんじゃないの?」


 得意げな親友の横顔を見ながら気の抜けた溜息を吐きつつ、例の噂を思い返していた。


 午後5時のチャイムが鳴り終わった後、後ろを振り返ると化け物に連れていかれる、幽霊に憑りつかれてしまう、異次元に閉じ込められる……などなど、話にも幾つかバリエーションがあった気がする。


 今回の件で「振り返ると倒れて病院送りになる」って一文が追加されそうだ。


「って訳でさ、おれ今日の夕方のチャイムで試してみようと思うんだよ。」


 考え事をして上の空になっていた僕の耳が思わぬセリフが拾った。


「……ん? 今、なんて?」


「だから試してみるんだよ! 振り返ったら何が起きるか興味あるだろ?」


「いやいや、さっき隣町で病院送りになった子がいるって言ってたばっかじゃん。危なくない?」


「大丈夫! 何かあった時の為に、お前んちとうちの間にある近所の公園で試すからさ!そこなら人通りも多少はあるし、変なことが起きても助けを求められるだろ?」


「うーん……。それでもやらない方が良いと思うけどなぁ……。」


「祐一はビビリだなぁ。まぁ、いいや! 結果は明日報告するぜ!」


 右腕でガッツポーズを決めると、弘明はそのまま公園のある方へ走っていった。


 ------


 家に帰ると母さんが夕飯の準備をしていた。


「あれ、母さん。今日は早いんだね?」


 僕の両親は共働きで、父さんは会社勤め、母さんは隣町のスーパーでパートをしてる。


 普段はこの時間にいない事の方が多いんだけど、今日は珍しく早く上がれたみたいだ。


「祐一は夜ご飯カレーでもいい?」


「いいけど、お惣菜パンよりも美味しく作ってね?」


「おっ、言ったな~。」


 母さんとそんな会話をしている時、外から「赤とんぼ」のチャイムが鳴る音が聞こえた。


「(赤とんぼ鳴ってる……。明弘大丈夫かな?)」


 ふと、今日の帰り道に話していた内容が蘇る。


「(そういえば、家の中でも振り返ると良くない事がおきるのかな?)」


 特に明弘との会話を意識した訳ではないけど、僕もちょっと興味を持ってしまった。


「……今なら母さんもいるし、大丈夫かも。」


 僕は心の中でカウントを始めた。


「(1、2の……。)」


 バッと僕は後ろを振り返る。


 そこにはリビングのカーテンとテレビがあるだけで、いつもの家の風景だった。


「(なんだ。やっぱりただの噂じゃん。)」


 内心ちょっとビビッていたけれど、何も起きなかったことに安堵しながら食卓の椅子に座った。


 考えてみれば、午後5時のチャイムが鳴った後に振り返っちゃダメなら、それこそ毎日数千万単位の人間に良くない事が起きる事になっちゃう。


「うん、それはないよね。」


 僕は妙に納得しながら、テーブルに置かれたカレーを頬張った。


 明日の教室で残念そうな表情を浮かべてる明弘の顔が目に浮かぶ。


 その時は僕も家で試した事を話して笑い話にしてしまおう、そう思っていた。


 夜の10時を過ぎた頃に、明弘のおばさんから電話がかかってくるまでは。


 ------


「昨夜、わが校の生徒が下校途中に倒れ、病院に搬送されました。今も意識が戻っていない状況ですが、幸い命に別状はないそうです。」


 翌朝、緊急の全校集会が開かれた。


 青い顔をした校長先生が片手に持った資料を見ながら言葉を選んで説明をしている。


 あの時鳴った電話は、明弘が未だに家に帰ってきておらず、どこに行ったのか見当もつかない為、友人の家に片っ端から確認してるという内容だった。


 電話で話している母さんに、僕は帰り道での明弘の話を伝えた。


 母さんは噂の話を聞いて怪訝な表情をしていたけれど、電話を切ってから暫くしてサイレンの音が聞こえてきたから、変にごまかさずに明弘のおばさんに伝えてくれたんだと思う。


 そんな昨日起きたことと、今日の出来事を頭の中で繋げた時、僕は校長先生が濁した生徒の名前を察してしまった。そう、明弘だ。


「……なので、暫くの間は保護者の方に迎えに来て頂き、保護者同伴での登下校をするように。先生方もご協力をお願いいたします。」


 校長先生の話が終わり、僕たちの教室に戻ると、留めていた言葉を吐き出すようにみんな一斉に噂の話をし始めた。


 特に昨日、明弘と一緒に下校していた僕が注目の的になるのは必然だったけれど、僕の頭はそれ所じゃない。


 明弘をもっと全力で止められなかった後悔、クラスメイトが病院に搬送されているのに他人事のように盛り上がるクラスのみんなへの憤り、そして「噂が本当だったかもしれない恐怖」、何の確証もないけど「次は僕の番かもしれない」という不安。


 様々な感情がぐちゃぐちゃに入り混ざる。


 マスコミの記者のような質問攻めをしてくるクラスメイトも、考え事にふけって反応の薄い僕に何かを察して、つまらなそうに自分達の席へと戻っていった。


 ------


 下校時刻になり、校門が慌ただしくなり始めた。


 保護者の送迎が始まり、既にクラスメイトの大半がお父さんやお母さん、時々おばあちゃんの迎えが来て早々に下校していった。


 そんな中、僕は未だに教室にいる。


 母さんは迎えに来られるようパートの時間を調整しようとしてくれているらしいけど、流石に当日の早上がりというのは無理があったみたい。


「お母さんまだ迎えに来ないね~。」


 担任の先生が気を使って話しかけてきてくれる。気が付くと僕以外のクラスメイトは全員教室から居なくなっていた。


「4時も回ってもうすぐ5時だね……。」


 先生のその言葉を聞いてハッとした。


 ここでいつまでも母さんを待っていたら5時のチャイムが鳴ってしまう。一人で帰るのはもちろん怖いけれど、昨日試した限り家の中ではチャイムの後に振り返っても何も起きない。


 5時のチャイムが鳴る前に家に辿り着けば問題はないはずなんだ。


「すみません先生!途中で母と合流できると思うので帰ります!」


 僕は急いでランドセルを背負い、先生が呼び止めるのも聞かずに教室を飛び出した。


 教室を出た時間は午後4時40分。走って帰れば家まで10~15分程度で着くはずだ。


「先生の一言で気付けて良かった。まだ間に合う。」


 昇降口で素早く靴を履き替えると、僕は全力で走り出した。


 ------


 冬に入るにはまだ早い時期なのに、外はすっかり暗くなっていた。


「昨日はこんなに暗くなかった気がするけどな……。」


 心なしか、街灯の明かりも弱々しく感じる。きっと恐怖と不安のせいかもしれない。


「……?」


 家まで残り半分の距離まで走って、僕は違和感に気付いた。


「なんで……誰ともすれ違わないんだ?」


 学校を出たあたりまでは少なくとも何人かの歩行者とすれ違った。だけど、学校から離れ、家に近づくにつれて人の気配が減り、公園の近くまで来る頃には車やバイクすら見かけない。


 思わず足を止めて周囲を見渡すけれど、人も車も動物も何も見かけない。それどころか、こんなに暗いのに民家の明かりが一軒も点いていない。


 僕の顔と背中を、走っていてかいた汗とは全く違う、冷たい汗が流れ落ちた。


 なにかがおかしい。


「……そうだ、今何時だ!?」


 恐怖で思考停止しそうな頭をなんとか切り替えて、公園の時計を確認しようとしたその時……。


 ――♪♪♪~~♪♪~~♪♪♪~♪~。


「赤とんぼ」が鳴り、僕の目には午後5時を指し示した長針と短針が目に飛び込んできた。


「……嘘だ。なんで今が午後5時なんだ?」


 僕は確かに全力で走って帰ってきてた。もちろんペースだって落としてない。どう考えても残り時間は10分以上あったはずだ。


 まさか、教室の時計が遅れていた……?


「赤とんぼ」が鳴り終わり、僕の身体は全力で走った疲労と恐怖で完全に硬直してしまった。


「……まだだ。まだ大丈夫。振り返らずに家に帰れば大丈夫なんだ。」


 僕は自分に言い聞かせるように、重くなった右足を家に向け、一歩前に踏み出した。


 その時だった。後ろから聞き慣れた声が聞こえてきたのは。


 ------


「祐一。そんなところで何してるの?」


 母さんの声だ。


 そうか、パート上りが間に合ってきっと僕を迎えに来てくれたんだ!


 僕は恐怖から解放された嬉しさと、安心感から後ろを振り向きそうになって、気付いた。


 母さんのパート先である隣町は、学校とは真逆の方向にある駅を利用しないといけない。当然、母さんもそうして隣町まで移動している。


 そう、つまり母さんが帰ってきて迎えに来たのなら、僕と途中の道で向かい合う・・・・・・・・・・・・


 ――母さんじゃない。


 その事実に気付いた瞬間、振り返ろうとしていた上半身がピタッと止まった。僕の意思じゃない。振り返ってはいけないという絶対的な恐怖に支配されたからだ。


 母さんによく似た声が、徐々に僕へと迫ってきていることだけは分かる。だけど、身体が全く動かないんだ。


 動け 動け 動け! 走れ 走れ 走れ!


 僕は必死に心の中で唱え続けた。


 僕の心の焦りを見透かすように、母さんの声を真似た何かがのそり、のそりと近づいてくる。


「ユ うイ ちィ……。は ヤく コッち ニ 。」


 息遣いすら感じられる距離で囁かれた言葉を聞いた瞬間、電気のような衝撃が頭から突き抜けて、恐怖でガチガチに固まっていた身体が跳ね上がった。


 その拍子に僕の身体が背中にいた何かにぶつかり、大きなタンスが倒れたような音があたりに響く。


「身体が……動く!」


 思わず振り返って何かの正体を確認しそうになったけれど、僕は無我夢中で両足を動かして家に向かって走り出した。


「ゆゥぅゥイちィぃィぃいイい~!」


 何かからの悲鳴似た叫び声が僕の背中に刺さる。一瞬ビクッ身体が硬直したけれど、勢いのついた身体は止まらない。そのまま息の続く限り全速力で家を目指す。


 ――その後はどこをどう走ったのかすら覚えてない。気が付くと、僕は家の玄関でぐったりしていた。


 ------


 母さんは丁度パート先から戻って学校に迎えに行くところだったらしい。


 乱暴にドアを開閉する音が聞こえ、慌ててリビングから飛び出して来たら、滝のような汗をかいて顔面蒼白になった僕が玄関に座り込んでいたそうだ。


僕も真っ青な顔をした母さんの顔は覚えてる。


 母さんに介抱されてようやく一人で立てるようになった頃には、時計の針は夜の9時を指していた。


「……それで、何かあったの?」


 母さんに聞かれたけれど、あの話をしたところで信じてもらえる訳がない。


 僕はそう思って黙っていたんだけど、そんな僕を母さんはそっと抱きしめ、頭を優しく撫でてくれた。


 ――翌朝。


 朝のホームルームで担任の先生から明弘の意識が戻ったことが伝えられ、クラスのみんながホッと胸を撫で下ろす中、僕は昨日の出来事を思い出していた。


 あいつはチャイムが鳴り終わった後、狙った相手が一番心を許している人物の声になりきって、油断して振り向いた人の意識を奪い取っていたのかもしれない。


 意識を奪われた人間はその場で倒れ、意識のないまま徐々に身体を弱らせいき、最後には命まで奪われる……そんな事を考えていた。


「ねぇ、祐一さんも明弘さんのお見舞いいくでしょ?」


「……!」


 お見舞いの話を不意に振られ、僕は返事の代わりに首を縦に振った。


「じゃあメンバーは決まりね。何時頃に行こっか? やっぱり放課後かな?」


 お見舞いに行く人数が決まり、他のメンバーに意見を求めながらテキパキと予定を組み始める女子生徒。


 そんな彼女に向けて、僕は一呼吸おいてからぽつりと呟いた。


「午後5時の……チャイムが鳴る前には帰りたいかな。」

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午後5時のチャイム 餅月黒兎 @bokyaru

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