騒動の決着

「……んっ」


 頭に感じる痛みが、目を覚ましたアンナの顔を歪ませる。

 目を開けてみれば青々とした空が広がっており、気持ちよい風が頬を撫でた。


(ここは……)


 どうして自分は青空を見ているのか? どうして頭に痛みが走っているのか? その疑問がアンナの頭にまず最初に浮かんできた。

 思い返してみると、先ほどまで自分はチェシャと相対していたはず。


 何故————


「ど、どどどどどどどどどどうしよう綾人くんっ!? 思いっきり殴っちゃった! 頭を思いっきり殴っちゃったよ!?」


「うむ、容赦のない一撃だったぞアリス。そこまで憎かったのか……」


「わざとじゃないんだってばぁ!」


 そんな疑問を浮かび上がらせていると、アンナの耳がそんな声を拾う。

 起き上がり、その声の元に顔を向けると、狼狽えている金髪の少女と、それを煽っている一人の少年の姿があった。


「ほら、マッチ売りが目を覚ましたぞ」


「えっ!?」


 アンナが起き上がった事にチェシャが気づく。

 すると、アリスが物凄い勢いでアンナの元に駆け寄り、後頭部をチラチラと見ながら心配そうな顔をした。


「大丈夫マリーちゃん!? 頭痛くない!? 今すぐ医務室に行った方がいいレベルかな!?」


 その様子からは戦闘を始める気配など全く感じられなかった。

 自分の身を心配し、気を遣ってくれる少女の姿そのもの。


 そんなアリスを見て、アンナは思い浮かんだ疑問が解消される。


「なるほど……私は負けてしまいましたか」


 後頭部に走る痛み。

 戦闘継続をする気配がない状況。

 心配そうに見つめるアリス。


 その事実が、倒れていた原因を物語っていた。


「まぁ、お前が変に強い生き物を出す事に固執していたからな。それさえなければ、俺達も先はどうなっていたか分からん。アリスの『鏡渡テレポート』も気づかれたかもしれないし」


 アリスの権能————『鏡渡テレポート』。

 それは、鏡を経由した場所に対して何処にでも移動ができるといったものだ。


 アリスはあの時自分の足元に鏡を出現させ、時計を持った兎に小さな鏡をアンナの元に運ばせた。

 それによって、アリスは鏡を経由してアンナの背後に回り、一瞬で意識を刈り取ったのだ。


 もし、アンナがチェシャに対して集中していなければ、一角獣ユニコーンを出現させる事に固執していなければ、時計を持った兎にも気づけただろう。


「本当に大丈夫じゃなかったら医務室行けよ? 残念ながら、俺達じゃ治癒系統の権能も魔法も使えないしな」


 チェシャもアリス同様にアンナの身の心配をする。


「……先程まで襲っていた相手の心配をするなんて、変わっていますね」


「そりゃ、アリスだもん」


「待って綾人くん。それは私が変っている人って意味なのかな? かな?」


「…………」


「その無言はムキー! なんだよ! 今すぐ表に出ろ馬鹿野郎だー!」


 ちょっとした事でもアリスをからかう事を忘れないチェシャ。

 それに対して、アリスは頬を膨らませてチェシャの体をポカポカと殴る。残念ながら、チェシャにダメージは与えられていないようだ。


「…………」


 その様子を、ポカンと呆けた顔で見るアンナ。

 本当に、現状を理解できていないといった顔だ。


 自分は、二人を殺そうとしたのに。

 どうして、自分の身を心配してくれるのか?


「まぁ、アリスはお前を殺すつもり何てない。俺はアリスの意向に従っている、それだけだ。あまり深く考えるなよ」


 アリスに叩かれながら、チェシャは呆けたアンナに気にするなと口にする。


「……私を殺した方が、よかったと後悔する事になりますよ? また、襲う可能性も————」


「本当に襲う人はそんな事は言わないよ! マリーちゃんは優しい女の子……うん、私はちゃんと分かっているから!」


 満面の笑みでそう答えるアリス。

 彼女の顔は眼前まで近く、その気になれば今すぐに首を捻る事も飛ばす事もできる距離だ。


 にもかかわらず、アリスは警戒する様子もなく、こうした距離感でやって来ている。

 それこそ、さっきまで殺そうとしていた相手のはずなのに。


「私はこれでも主人公メインキャラクターです。私を殺せば自在作家ストーリーテラーに近づく事もできますよ?」


 自嘲めいた笑みでアリスを揺さぶるアンナ。

 だけど、アリスは急に真剣な表情になると、アンナに向かってピシャリと言い放った。


「私達はそんなもの目指してないから。誰かを殺してなろうとする役割なんて、私には必要ない。皆と笑って過ごす事ができるなら……私は、それでいいんだ」


 アンナが長年求めていたものを一蹴する。

 必要なのは幸せな時間であり、誰かを傷つけた先にあるものなど願い下げだとも言わんばかりに。


「大丈夫だよちゃん……多分、この世界は童話向こうの世界とは違うから————。ごめんね、さっき思い出した私が言うのもなんだし、確証もないけど……そんな気がする」


「ッ!? ど、どうしてその事を……っ!?」


「いや、流石の俺達でもマッチ売りの少女の結末ぐらい知っている————所々優しさを見せていたお前が、「生き残る為」って口にしていれば嫌でも分かるさ」


 当たり前だと、チェシャは口にする。


「だから、私はアンナちゃんが襲ってきた理由も知っているし、優しい女の子だっていうのも分かってるから殺さない。次襲ってきたら……説得してみせる。何度でも、自在作家ストーリーテラーに固執する必要ないんだって————教えてあげる」


「まぁ、次アリスに手を出したら許さねぇけど……多分、お前はもうしないだろうさ————今のお前、鏡でも見てこいよ。野望や信念が瞳から消えてるからさ」


 優しい笑みを、二人はアンナに向ける。

 根本的な問題は何一つ解決していない。だけど、これ以上求める事などしなくてもいいよと、自分達は笑って許してあげるからと、そうアンナに投げかけた。


(あぁ……これはダメですね)


 アンナは、内心一人で理解した。


 自分が死ぬかもしれないという不安は拭えていない。

 まだ、自在作家ストーリーテラーを目指した方が死なない可能性も高いのかもしれない。


 だけど、アンナは二人を見て思ってしまった。


(この人だけは……殺してはいけない人間です……)


 あまりにも眩しすぎる。

 心優しい少女と謳われていた自分ですら、アリスという少女は眩しくも優しいと感じてしまう。


 別に、自在作家ストーリーテラーを諦めたわけじゃない。

 だけど、アリスを殺して手に入れるのは……してはいけないのだと、そう思ってしまった。


「はぁ……私の負けです。色々な意味で、ですが」


 そう言って、アンナは二人を見てはにかみながら笑った。

 その笑みは何処かスッキリとしていて、晴れ晴れとしていた。


「そっか……」


「おう、ならよかった」


 二人も、これ以上は語る必要もないと、その場に座り込んだ。

 辺りには喧騒が蘇ってきており、視線を先に向ければ二人の少女がゆっくりと近づいてくる姿が見えた。


(あぁ……この三人がアリスに固執する理由が分かりました)


 それは己にはない力だと、そう思った。


 だけど————その力に触れられた事に、妙な満足感を覚えたのであった。




 こうして、一件の騒動は幕を引いた。


 童話の住人の争いにも関わらず、消えていなくなる存在は誰一人としていない。

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