アンナVSチェシャ

 アンナは、心優しい少女だった。

 役割を与えられる前は、デンマークの小さな学校に通い、暖かい家族に包まれながらその余生を過ごしていた。


 だがある日、一冊の本を手にしてしまった事によってアンナの人生は大きく変わってしまった。

 アンデルセン童話の中の物語の一つ────マッチ売りの少女。


 その中に登場する悲劇の主人公、アンナの役割を与えられてしまう。


 童話の世界から現実世界に戻ってみれば、家族は自分を亡き人物として扱われ、知り合いだった人間も成長し姿形を変えていた。


 ……一人、自分だけしかいない世界。

 しかし、役割を与えられたからといって特段、彼女は何も行動を起こさなかった。


 自在作家ストーリー・テラーを求める訳でもない。

 戦闘を好む訳でもない。

 毎日のように襲いかかる連中をあしらい、一転した余生を送る。


 それでいい……そういう人生なら仕方ないと、誰をも傷つけず平穏に暮らしていました。


 ────だが、マッチ売りの少女は物語の締めくくりとして天国へと旅立ってしまうのだ。

 役割を与えられたからといって、自分もその道を辿る訳がない……そう、アンナは思っていた。


 しかし、アンナが十八の歳を迎えたある日────


 アンネは、息を引き取った。


 死因は、『凍死』であった。



 ♦♦♦



(だから私はここで私の未来を変えてみせます……っ!)


 チェシャが眼前に迫る中、アンナは内心で己を鼓舞する。


(自在作家ストーリー・テラーになれば、私の『凍死』という未来を書き換える事ができるのだから!)


 マッチの火を灯し、その中の火を見つめる。

 そこに浮かび上がるのは陽炎の火ではなく、小さく無数にある『ジャックナイフ』。

 それが火の中から飛び出し、チェシャに向かって襲いかかる。


「ちぃっ!」


 一本が頭部をすり抜けるが、それ以降のナイフはチェシャが体を捻る事によって躱されていく。

 だが、それで終わりのアンナではない。


 マッチの火は直ぐに消える。

 しかし、その火が消えるまでであれば何度でも浮かび上がらせる事が可能。


雪人族バラモンド


 今度は白く覆われた屈強な人型の妖精が三体。

 顔だけでなく全身が白に覆われたその妖精は、手に鋭利な鎌を持ってチェシャに襲いかかる。


「『幻影顕現ファントム・アート』!」


 チェシャは後ろに下がりながら、巨大な鏡を出現させトランプの兵を呼び出した。

 いくら屈強といえど、一回りも大きなトランプの兵の前ではその鎌を致命傷にはならない。

 負けじと妖精はトランプの兵に鎌を振り下ろすが、トランプの兵が剣を薙いだ事によって霧散してしまった。


 そして、追撃と言わんばかりにアンナに向かって肉薄する。

 だが、アンナは臆する事なく悠々とマッチにもう一本火をつけ、その火の中を覗いた。


 そこから生まれたのは────


 ゴォォォォォォォ!!!


 激しい音と大量の蒸気を上げる鉄の塊であった。


「蒸気機関……っ!?」


 鉄の塊は真っ直ぐにトランプの兵を巻き込み、後ろで控えていたチェシャに向かっていく。

 だが、チェシャの『猫のように笑う者』の権能によって蒸気機関車はチェシャの体をすり抜け彼方に向かって走り去ってしまった。

 そして走り去るのと同時に、今度は無数の槍がチェシャに向かって投擲されていく。


「あぁっ、くそが! 鬱陶しいに程がある!」


「これぐらいで根を上げてしまうとは情けありません……私、実はまだ本気を出していませんので」


 チェシャは巨大な鏡を出現させ、呼び出すのではなく盾代わりとして無数の槍を防いでいく。

 防ぎ切った後、チェシャはトランプの兵ではなく時計を持った小さな兎を呼び出した。


「あら、可愛らしい。そんな小さな愛玩動物で何をするおつもりで?」


 アンナはもう一度白い精霊を五体ほど呼び出し、新しく生み出された兎に向かって鎌を突きつける。


「はっ! ただの愛玩動物だと思ったら大間違いだ!」


 チェシャはそう言いながら、アンナに向かって突貫していく。

 チェシャが主人の元に向かった事に危険を覚えたのか、精霊は向きを変えチェシャに向かって鎌を振り上げる。


 だが、その瞬間に時計の針が進み、妖精達の動きが急に止まってしまった。


「なるほど……そういうお話ですか!」


 アンネが驚き、新たにマッチに火をつけようとするが、それよりもチェシャの剣の方が早い。


(とった……!)


 確かな確信を抱き、チェシャはそのまま切っ先をアンナに向けず、歯の側面で首を叩くように軌道を変えた。

 相手が気絶で終わるように配慮しながら。


 しかし────



「ですから、まだ私は本気を出していませんよ?」



 確信に近い感情を抱いていたチェシャの肩と足に鋭い痛みが走った。

 視線を動かせば、背後から小さな槍のような物で自分の足と肩に突き刺さっているのが見える。


「ッ!?」


 今まで『猫のように笑う者』の権能によって全ての攻撃に捉えさせなかったチェシャ。

 だが、その権能にも弱点があり────


「あなたの権能は、?」


 チェシャの肩から突き出た槍を撫でながら、アンナは答え合わせをするように口にする。


「フェアリーゴッドマザーとの戦闘ではっきりしました……一度だけ、避ける必要もない攻撃を避けましたよね? もし、あなたの権能がであれば厄介────というより、もはや主人公メインキャラクター格の存在です。しかし、そこに制限があるのであれば、やはり登場人物サブキャラクター止まり」


 そう、チェシャの『猫のように笑う者』の権能はものだ。

 一度目の攻撃であれば霧のように姿を変える事ができるが、二度目以降の物体に関しては実体が残ってしまう。


 故に、チェシャの権能は万全ではなく、一度限りの不意打ちにしか特化していない弱点が備わっているのだ。


「それさえ分かってしまえば、後は容易ですね……避けられない状況で同時に攻撃してしまえばいいのですから」


「……くそっ」


 勝ち誇った笑みを浮かべるアンナに対して、チェシャは痛みを感じながら舌打ちする。

 突き出ている槍は地面から飛び出し、見事に固定されている為動かせない。

 抜こうとしても、アンナが槍の先端を押さえているため抜き出す事ができずにいる。


 万事休す。

 そんな言葉が、チェシャの頭に浮かぶ。


「さぁ、あなたを倒して早くアリスをお相手しなければいけませんね」


 そして、アンナはもう一本のマッチに火をつけた



 ♦♦♦



 その光景を、アリスは眺めていた。

 呆然と、瞳に涙を浮かべながら薄らと頬を引き攣らせて。


「……思い出した」


 頭走る痛みを堪えながら、そう呟くのであった。

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