笛の音

「ふぅ……」


 フェリシアは一人、自室で紅茶を啜りながら息を吐く。

 自室といっても学生に割り振られた部屋の一つで、全寮制のこの学園に通うのであれば公爵の娘であっても特別一部屋丸々を与えられる訳ではなく、アリス同様もちろんフェリシアの従者の少女が同室にいる。


「相変わらず、紅茶を入れるのが上手ねマリー。とても美味しいわ」


「あ、ありがとうございますっ!」


 マリーと呼ばれた黒髪の少女は上擦った声で返事をする。

 彼女の爵位は子爵。従者といってもチェシャのような平民だけではなく、こうして爵位の低い貴族も存在し、マリーはフェリシアという公爵令嬢の従者をしていた。


「そんなに緊張しなくてもよろしくてよ? 何年の付き合いになると思っているのかしら?」


「わ、私……話すのが苦手で……」


「いい加減それを治しなさいな。これでは将来まともな縁談もできませんわよ?」


「うぅ……っ!」


 マリーはフェリシアに言われて涙目になる。

 フェリシアとてマリーを困らせたり泣かせたくはないのだが、こればかりは仕方ないと心を鬼にする。


 貴族の娘として生まれたからには、フェリシアが言ったような事以外でもコミュニケーション能力を磨いておかなくてはならない。

 例えば婦人が開催するお茶会や式典など。縁を結んだり情報を集めたりしなければならない貴族社会では、こういった場で動く機会が山ほどある。


 そこで失敗などしれみれば、時に己の首を締め付けるような事になってしまうのだ。

 それが、貴族として生き抜くという事。


「わたくしがいるうちはサポートして差し上げますけれど、いつかは従者を辞めるのでしょう? でしたら、早々に治す事────いいわね?」


「は、はいっ!」


 そんなマリーの返事を聞いて、フェリシアは再び紅茶を啜る。


 ────一つ。勘違いを訂正しておこう。

 フェリシアという少女、実はチェシャ達が思っているほど悪い人間ではない。

 言動が目立ち、粗暴が荒れる傾向にあるフェリシアだが、根っこの部分は優しい少女なのだ。


 貴族としての責務を全うする。

 貴族として侮られないようにする。

 自らは特別な人間なのだ。


 そういった貴族としての意識が強い故に、アリスに対してあんな事を言ってしまい、己の威厳を強くする為にチェシャ達を勧誘した。

 もし、本当に悪い人間であれば例え他の貴族でも好き好んで近づいたりはしない。


 下心がない────といえば嘘になるが、少なくとも好意的な気持ちだけで近づいている人間もいるだろう。


(フェリシア様はやっぱり優しいなぁ……)


 美味しいと言ってくれた紅茶を啜るフェリシアを見て、マリーは感謝と尊敬の目を向ける。

 きっと、好意的に付き合っている人間の一人がマリーだ。

 マリーという少女が、フェリシアを悪人ではないと証明している人間だと思う。


 しかし、それはそれ。

 チェシャ達にとってはアリスこそ一番であり、アリスを馬鹿にした時点で悪人としての印象は拭えない。


「それで……大丈夫ですか、フェリシア様?」


「大丈夫ってなんの事かしら?」


「け、決闘の事です……」


 チェシャ達に手袋を投げつけた時に後ろにいたマリー。

 その一部始終を見ていたからこそ、心配な表情を見せた。


「わたくしが負けると思って?」


「そ、そんな事ありませんっ! た、ただ……相手は魔姫のアリス様ですし……」


 マリーの心配事項はそこなのだ。

 勝負を挑んだのは学園の中でも最も才があると呼ばれる魔姫であるアリス。

 その実力は言わずもがな。アリスと同じ学年で過ごしてきたからこそ、噂だけではないと理解している。


 故に、そんな相手に勝てるのか? そこが心配なマリーなのだ。

 負けた場合の要求はそれほど強い訳ではないが、もしかすればフェリシアの歴に傷をつけてしまうかもしれないから。


「あら? わたくしを誰だと思っているの? あの拾い子と同じ魔姫と呼ばれるフェリシア・ホースキンですのよ?」


「そ、そうですよね……」


「わたくしが負ける訳ありませんわ。あんな拾い子よりも、純粋な貴族であるわたくしの方が上に決まっていますもの」


 負けなどありえないと傲慢に浸るフェリシア。

 その姿は自信がありありと伝わってくる。


 そんな姿を見たマリーは徐々に不安そうな表情が消えていき、やがて同じように自信を身につけた。


「はいっ! フェリシア様が負ける訳ありませんよね!」


「当たり前だわ。だから、マリーはわたくしの後ろで堂々と応援してくれればよろしいですわ」


「流石ですっ! フェリシア様!」


 この光景をチェシャ達が見たらどう思うだろうか?

 きっと、「アリスが勝つに決まってるだろう!」と口論を起こしたに違いない。


(それにしても、やっぱりあの三人が手に入らないのは惜しいですわね……)


 フェリシアは今日の事を思い返す。

 訓練所で見たあの光景。規格外の力を見せつけたチェシャ達の姿。


 とても魔法とは思えないものだった。

 腕が伸び、物を変形させ、攻撃が一切通らない体。

 その力はどれも強大。これが学園という枠組み以外であれば、何処でも引っ張りだこだったであろう。


 だからこそ、学園にいる間に囲っておきたかったフェリシア。

 それは叶わぬと言われたばかりであったとしても────


(人を見つける嗅覚が鋭かったという訳ですわね……拾い子の癖に生意気ですわ)


 少しばかりの苛立ちが湧き上がる。

 それを口に合う紅茶を啜る事で紛らわした。


 そんな時────



 〜〜〜〜♪



 何処からか、綺麗な音色のの音が聞こえた。


「あら? この音は一体何なのかしら────って、どうしたのマリー?」


 フェリシアがマリーに話しかけようと顔を向けると、何故かマリーが焦点の定まっていない目で天井を仰いでいた。

 急な従者の異変。それが不思議に思ったフェリシアだが────



 〜〜〜〜♪



 その意識は途絶えてしまった。

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