とある三人のおとぎ話
食事を終わらせ、転生して初めて受ける授業を終えたチェシャは現在自室で就寝までの時間を過ごしていた。
あのこっ酷く断りを入れた後、フェリシアは「わ、わたくしの誘いを断った事、絶対に後悔させてやりますわ!」などと宣言し、少し涙目でチェシャ達から背中を向けたのだが、それは過去の話。
そこまで酷い事をしたか? と疑問を浮かべたが特段気にする必要もないと、淡々と授業の内容をを右から左へ受け流したのも、同じく過去の話。
初日はこれで問題ない。
定期測定で多少はやらかしてしまったものの、特に気にする事項もなかったのだが────
「…………」
鏡の前の椅子に座り、一人気が沈んでいるアリス。
そんな彼女の髪を梳いているチェシャは、何故か気まずい空気を感じていた。
「あのー……アリスさん? どうしてわたくしめはアリスさんの髪を梳いているのでしょうか?」
「……ダメ?」
「ダメじゃないが……」
別にチェシャとてこれぐらいの事で文句は言わない。
逆に、少し触ってみたかったアリスの髪を触れるのだから、少しラッキーと思ったぐらいだ。
だけど────
(この子はどうして落ち込んでいるのかねぇ……?)
本当に、特段何かあった訳でもない。
定期測定に関してはもう散々説教を受けて終わった話になったし、その後の授業も問題があった訳ではない。
まぁ、あるとすれば食堂での事なのだが。
「ねぇ、チェシャくん……?」
「ん? どうしたアリス?」
振り返らず、梳かれたままアリスがいつもより沈んだトーンでチェシャに尋ねる。
「どうして……チェシャくんはフェリシアさんの話を断ったの?」
その声からは巫山戯の欠片もなく、混じりっけなしの真剣な気持ちが伝わってくる。
「チェシャくんも、私が拾い子って聞いたよね? それなのにどうしてフェリシアさんの護衛にならなかったの?」
「あの貴族様の態度が気に食わなかったからかなー?」
「茶化さないで」
この空気をどうにかしようとしたチェシャにピシャリと言い放つアリス。
振り返り、チェシャの顔を見つめたアリスの顔は何故か泣き出しそうであった。
「私はチェシャくんから離れたくない……けど、側にいてくれる理由が分からない。チェシャくんに、忠誠も忠義も恩義も何もないんだよね? マザーちゃんやリムちゃんだってそう……拾い子の私より、フェリシアちゃんのところに行った方が得や風当たりもいい────それなのに、どうしてわたしの味方をしてくれるの? チェシャくんもマザーちゃんもリムちゃんも……今まで私と、全然話した事もなかったのに」
泣き出しそうな顔からは、不安と疑問と縋りたいという気持ちが伝わってくる。
朝までの彼女はこんな表情をしなかったのに、どうしてあの一件だけでこんなにも心を揺さぶられてしまったのか? そんな疑問を抱いてしまうチェシャ。
だが、雇い主が不安に感じている。
あのアリスが不安に感じているのであれば、その不安を拭ってやらないといけない。
────それがチェシャ猫だからだ。
「ちょっとだけ、おとぎ話をしようか」
チェシャは優しく笑いながら、アリスの隣に座る。
「とある世界に、一人の少年と二人の少女がいました。少年は世界を手にする為に力を求め、一人の少女は研究に明け暮れ、一人の少女は戦闘を好み毎日己の体を血で染めていました」
「それって────」
「まぁ、聞いてくれ────三人は接点もなければ互いの思想も性格も噛み合っていませんでした。普通に過ごしていれば出会う事もなかったでしょうし、出会ったとしても拳を交えて戦いを広げるか、横を通り過ぎるだけになっていたでしょう」
懐かしむように、チェシャは童話を読み聞かせるようにアリスに話す。
アリスもアリスで、何の話をしているのかが、何となく察しがついていたのだろう。
真剣な表情で、チェシャの話を聞いていた。
「ですが、三人はある日を境に徐々に変わっていきます。一人の少年は力を求めるのではなく、大切な人を守る為。一人の少女は研究の日々から抜け出し、外の世界へと歩くようになり、もう一人の少女は孤独な環境から友達を作り、戦い以外の幸せを見つけました」
悪事に手を染め、
外の世界に恐怖を覚え、研究という逃げ道を使って小さな箱に入って怯えていた少女は、自ら箱の中から飛び出した。
戦う事でしか悦楽を見い出せなかった少女は、別の方法で幸せを掴み取る事ができた。
三人は悪い方向にではなく、いい方向に。
自らの変化に後悔はないのだと、この道こそが幸せでいられるのだと確信し、今までの自分を変えていった。
「三人はそれぞれ別の変わり方しました。ですが、きっかけは皆同じだったのです────」
そして、チェシャは優しくアリスの頭を撫でた。
「それは、一人の少女との出会いでした」
「ッ!?」
その言葉に対してか、それとも突然頭を撫でられたからかは分からないが、アリスは目を大きく見開いて言葉を詰まらせた。
「少女は明るく、真っ直ぐで、誰にでも手を伸ばせるような……優しい子でした。力を求める有象無象が蔓延り、平和とは程遠い世界にいるのにも関わらず────少女は、己の目的を果たそうと前を向き、自分という存在を見失いませんでした」
何処で狙われているか分からない。
殺らなければ殺られる。臆病な存在は命を散らすか、自分を殺して他者を殺めるかの選択を強いられ、まともであった人間など存在しなかった。
三人も、人間だった頃の記憶など片隅に追いやり、すっかり役割に呑まれてしまった。
倫理観も、価値観も、道理も理性も最早あの頃の自分ではない。
青春という日々を走り回っていた無邪気な自分は、もう自分の中にはいなかったのだ。
しかし、その少女だけは違っていて、三人も────
「三人にとって、その少女はまるで太陽のようでした。かつての自分を思い出させてくれ、恐怖を取り払い、真っ先に手を伸ばしてくれた。それによってどれだけ三人が救われたのか……きっと、その少女は分からないのでしょう」
「…………」
「だからこそ、三人にとってその少女は友達であり、大切な人であり、恩人なのです────故に、その恩人が馬鹿にされ、恩人の元から離れた方がいいと言われて……三人は首を縦に振らなかったんだ」
語り口調から元の口調に戻ったチェシャ。
きっと、読み聞かせの時間は終わったのだろう。
「わ、私……チェシャくん達に会った事もない。助けた記憶もないよ……?」
黙って聞いていたアリスは納得する訳でもなく、先程よりも疑問が深まったような表情を見せる。
だが、それでもチェシャは猫のように笑った。
「今のは誰かのおとぎ話だよ。そんな気にする必要もないさ」
「じゃ、じゃあ……どうして私にこの話をしたの?」
「いや、何となく……アリスに聞いて欲しかったからかな」
そう言って、疑問を浮かべるアリスに対して誤魔化しの言葉を並べる。
「深い理由なんてねぇよ。俺はアリスを守るって決めたから誘いを断った。マザーとリムねぇはあの貴族様と付き合うよりアリスと過ごした方が楽しいって思ったからこっち側についたってだけだ……全部、この数日間のアリスの人徳による結果に過ぎないよ」
「大した事なんかしてないんだよ……」
不安は未だ拭えていない。
それでもアリスは、隣に座るチェシャの肩に頭を乗せた。
「アリスはそう思ってくれていいさ。全部、俺達が勝手に抱いてる事だし、この関係が変わる事もないさ」
その言葉をかわきりに、二人の間に言葉はなかった。
就寝までの時間。
二人はそのまま、互いの温もりを感じ合うように肩を寄せ合った。
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