学園へ
「展開が早い……」
揺られる馬車の中、チェシャは外の景色を眺めながら一人愚痴る。
流石公爵家といったところか。今座っている馬車の座椅子は、チェシャが持っていたベッドよりもふかふかで、長い旅路であるにも関わらず疲労を感じない。
だが、それでもチェシャは不満だ。
ため息を吐き、正面に座る少女をジト目で見る。
「ど、どうしてそんな目で見るの……? 私の顔に何か付いてる?」
チェシャの目に少しだけ怯む金髪の少女。
今の彼女は、初めて会った時のドレスではなく白を基調とした学生服。腰には細剣を携えており、チェシャの目からは新鮮に感じられた。
「アリスさんやい? 確か、俺達昨日まで貴女の家にいましたよね?」
「そうだね、昨日まで私の屋敷にいたね」
「そして、俺は見事に専属護衛になれた訳だ」
「これからよろしくねっ!」
アリスはジト目を向けるチェシャの隣に腰を下ろし、いきなり手を握って笑顔を向ける。
躊躇のないスキンシップに顔が熱くなるのを感じたが、それでもチェシャは表情を崩さなかった。
「だけど……早くない? 学園に向かうの……早くない? もう一回言うけど、早くない?」
大事な事はちゃんと三度言うチェシャ。
────チェシャとアリスが乗る馬車が向かっているのは、少し離れた王都にある学園。
そこはサルバート国一を誇る魔法学園であり、アリスが在学する学園でもある。
加えて言えば、これからチェシャが通う学園でもあったりする。
「余韻が欲しかったなぁ……アリスと出会って、まだ一日しか経ってないのに、もう学園なんだぜ? 余韻、プリーズ……ゆっくりさせてほすぃー」
そう、これからチェシャは学園に通う事になるのだ。
専属護衛たるもの、常にアリスの側で身を守らなくてはならない────その為、年齢的にも丁度いいチェシャは、公爵家の色々を使って、より身近で仕事をこなさなければならなくなった。
だが、それでも展開が早過ぎる。
もっとこう……学園での規則を覚えるとか、専属護衛としての心構えを叩き込むとか、色々と。
それなのに、最低限の話を聞かされただけで、「後はこちらで手続きしておく」の一言で送り出された。それも、今日の朝イチからだ。
「何言ってるのチェシャくん! 善は急げって言葉を知らないの!? 急がば回れなんだよ!」
「後者は違うな。できれば、俺も後者がよかったわ」
はぁ、と。大きなため息を吐く。
テンションが上がっているアリスについていけてない。
それに────
(善は急げに急がば回れ……ねぇ?)
チェシャは、アリスの言葉に疑問を持つ。
『善は急げ』、『急がば回れ』はチェシャの故郷である日本のことわざだ。
だが、ライカという少年の記憶を漁っても、この世界にそんなことわざは聞いた事がない。
という事は、このことわざは日本人しか知りえない言葉。
なのに、この世界の住人であるアリスは知っていた。
(考えられる事は二つ……この世界に俺みたいな転生者がいる可能性。もう一つはアリスが転生者である可能性だ)
もし、そのことわざがこの世界で広まっていたのであれば、この世界にその言葉を広めた人物がいるという事。
そして、広めた人物はそのことわざを知っていたという事になる。
つまり、チェシャと同じ日本からの転生者。チェシャ自身がこうして転生している以上、他に同じような人間がいてもおかしくない。
もう一つは目の前の少女が転生者である可能性だ。
(この可能性は、正直高いと思ってる……)
チェシャがそう思った理由は二つだ。
一つが、そのことわざを知っていた事。
前者が間違っているのであれば、アリスがその言葉を知り得るはずがないのだ。
二つ目は、チェシャという存在に異様に固執してくる事。
チェシャ自身、アリスの行動はおかしいと思っている。
出会ってまだ二日目。成り行きで助けたとはいえ、普通の人間であればお礼をしてそのまま関係を破錠させるはずだ。
この世界は向こうほど甘いが、治安は向こうの比ではない。助けたふりをして、相手の懐に入り、喉元を噛みちぎる事などよくある話だ。
故に、初対面の相手には特に警戒をして遠ざけようとするはず。
それも、公爵家の人間であれば尚更。そして、相手がスラムの人間であれば尚更なのだ。
だが、それでもアリスはチェシャという存在に固執した。
離れたくないと、守ってもらうのであればチェシャがいいと、チェシャの存在を大きくしている。
加えて、今この馬車にはアリスとチェシャのみ。公爵家の娘が出会って二日目の男と二人っきりなど、警戒心の欠片も存在しない。
では、どうして固執しているのか?
そこでチェシャが思い至ったのは、アリスが転生者であり、中身は自分と親しかった人間ではないのか? という事だ。
「はふぅ……」
チェシャが一人外の景色を見ながら考えを纏めていると、隣に座ったアリスがチェシャの膝の上に頭を乗せて横になった。
多分、長旅で疲れてしまったのだろう。睡魔に負けて、こうして横になるのも仕方がない。
故に、チェシャは微笑ましい者を見るかのように笑い、アリスの頭を優しく撫でた。
(本当に、アリスそっくりなんだよなぁ……)
だからこそ、チェシャはアリスが転生者であるのなら、中身は自分のよく知るアリスではないのか? と考えていた。
それなら、チェシャに固執する理由も分かる。
(何せ、あいつは俺を離れさせようとしなかったからなぁ……)
懐かしむように、チェシャはアリスの顔を覗く。
何かあれば袖を握って後ろを歩き、面白い事があれば腕を引っ張り連れ回す。
離れようとすれば体を抱き締めて引き留めてくる……常に、そんな感じであった。
今のアリスはチェシャの知る彼女と似過ぎている。
だからこそ、もしかしたらという淡い期待を抱いてしまうのだ。
「もしかしたら、もう一回お前に会えるかもな……」
確証も確信も証拠もない。
けど、もしかしたらという可能性が、チェシャの心を揺さぶる。
かつて、自分の腕の中で命を失った愛しい存在。
そんな少女と、もう一度会えるかもしれないのだ。
(まぁ、まだ先の話か……)
今の段階で、アリスが記憶を取り戻したような気配がない。
チェシャみたいに、何の拍子もなく蘇るかもしれないが、それは今じゃない。
「二度目のチャンスだ。気長に待ちますかね……」
期待を捨てず、まずはこの少女を守るところから始めよう。
そんな事思いながら、チェシャは馬車に揺られながら寝息を立てるアリスの頭を撫で続けるのであった。
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