立ち合い

「さて、君の意思は分かった。私としても、娘が推すのであればその意見を尊重したいと思っているし、恩人である君に仕事を与える……その約束は果たしたい」


 そう言ってレイスは木剣をならしのように振るう。

 1度振るうだけで風が音を運び、凄まじい剛腕だとチェシャに知らしめる。


(うん、まぁそうなるとは思ってた……はい)


 チェシャは同じ木剣を持ち、ガックリと項垂れる。


 チェシャがアリスを守りたいと決意し、アリスと共にレイスにお願いしたその後。

 チェシャとレイスは屋敷の庭へと足を運んでいた。


「君の実力を見させてもらう。もちろん、死に至らしめる攻撃はなし。相手が棄権すれば終わりというシンプルな試合だ」


「……了解です」


 今から行われるのは簡単な立ち会いだ。

 レイスが己の娘を守らせるかどうかを見極める為、チェシャの実力を測るが為の試合。

 チェシャも、その考えに異論はない。それは親としても貴族としても確かめないといけない行為だからだ。


「チェシャくん頑張って! 応援してるからね!」


 そして、それを見守るギャラリーの中には守るべき対象であるアリスの姿が。

 公爵家直属の騎士やら使用人が見守る中、アリスはチェシャに声援を飛ばしていた。


「おう! 頑張るわ!」


「お父さん、今は引退したけど騎士団長さんだったから!」


「おぅ……頑張るわ……」


 テンションが急激に下がるチェシャ。

 見るからに強そうだと思っていたが、王国が率いる精鋭────その中で騎士という称号を与えられた者達のトップ。

 そんな情報を聞いたチェシャは「先に言えや」とアリスに内心悪態ついた。


「別に私に勝たないと合格という訳ではない。別に勝たずとも、その実力が私を納得させるものであれば……私は二人の意見を呑み込もう」


 そして、準備運動が終わったのか、レイスは木剣を構えチェシャに切っ先を向けた。


(はぁ……なんともお優しいこって……)


 チェシャも同じように木剣を構える。

 だが、切っ先はレイスに向けず、だらりと地面に下げたまま。


『おい、あいつやる気あんのかよ?』


『知るか。流石に団長相手だからビビってんじゃないのか?』


 そんな周囲の声がチェシャの耳に届く。

 それでもチェシャの頭はクリアに、静かに敵であるレイスを見据えた。


「では、審判は私が務めましょう」


 そう言って、二人の間に出てきたのは一人の執事服を着た老人。

 その所作は何処か洗礼されているように感じ、一挙動に無駄がない。


「双方、準備はよろしいですか?」


「私は問題ない」


「俺も大丈夫っす」


 レイスとチェシャは頷く。

 それを見た執事は腕を大きく上げると、開始の合図と共に振り下ろした。


「────始めっ!!!」


 立ち会いが始まる。

 先に動いたのはレイス。剣を大きく振り上げ、そのままチェシャに向かって突貫していく。


 常人ではありえない程の速さ。

 きっと、身体を強化させる魔法で己の肉体を最大限まで昇華させているのだろう。


 ────この世界には魔法と呼ばれるものが存在する。

 それは己の体内にある魔力を糧とし、世の事象に干渉させ望む現象をもたらせるというもの。

 それがありふれたものになり、今では使えない人間の方が少ない。


 そして、それを極めた者こそ強者となる。

 正しく、今のレイスはその者達の一人なのだろう。


「処刑人は言いました。切り離す胴がありません、と。頭があるなら切れるだろと言われましたが、何度剣を振り下ろしても首は切れません」


 そんな者を相手に、チェシャもまた近づく。

 だが、ゆっくりと。薄らと笑いながら小言を呟く。


「女王は言いました。さっさと処刑せねば誰彼構わず皆処刑するぞ、と。しかし誰も切れません。ただただ、猫は薄らと笑うのみ」


 チェシャに近づくと、レイスの木剣が容赦なく振り下ろされる。

 目にも止まらぬ速さというのは、正にこの剣の事を言うのだろう。


「猫の正体は何だ? そんなの決まっている────」


 チェシャはその速さに追いつけていないのか、剣を防ごうともせずただただぶら下げている。


『決まった!』


 誰かがそう言った。

 だが────


「その者は────『猫のように笑う者』」


 レイスの剣は空を切る。

 チェシャの脳天から思いっきり振り下ろした剣は、研がれていないのにも関わらずチェシャを真っ二つに切ったのだ。


「ッ!?」


 驚くレイス。

 手応えが全くをもってなかった目の前の現象に、一瞬だけ双眸が見開かれる。

 しかし、それは致命的であり────


「ほら、俺の勝ちだ」


 真っ二つに割れたチェシャの半身が、その言葉と共にレイスの喉元に剣を突き出した。

 チェシャの体からは血が溢れ出ている事はなく、霧のように姿を揺らしながら猫のように笑っていた。


 それは殺す意思があればレイスの命はなかったという証。

 誰もが理解できないが勝敗という一点では理解できた。


「君……これはどういう魔法だ?」


 突きつけられた木剣を前にして、レイスは視線だけ動かしてチェシャに問う。

 そして、チェシャはその問いに猫のように笑いながら答えた。


「『猫のように笑う者』の権能が一つ────『不正解ミス・ロード』。誰もが猫の実体を捉える事のできない……童話のおまじないです」


「私には理解できないな……そんな魔法は見た事も聞いた事もない……だが────」


 レイスは木剣を離し、両手を上げて最後の言葉を口にする。


「降参だ。認めよう……君は、アリスを守るに相応しい」


 その言葉を聞いた執事は、片手を思いっ切り振り上げた。


「勝者────チェシャ!」


 溢れんばかりの歓声など起こらなかった。

 ただ、周囲のギャラリーは口を開けて目の前の光景に驚くのみで、言葉など誰も発していない。


 そんな状況で、チェシャは一人薄らと笑う。


「こっちと童話向こうの世界とじゃあ、優しさが違うからな。住む場所が違うんだよ」


 たった一振りの立ち会い。

 それでも、勝負を決めたのは転生者であるチェシャであった。

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