専属護衛

「専属護衛……だと?」


 アリスの言葉を聞いて、レイスが顔を顰める。

 周囲もざわつき始め、チェシャも思わず困惑した表情になった。


「あのー……アリスさん? 専属護衛っていうのは、言葉通りの意味ですかね?」


「言葉通りの意味ってやつだね! チェシャくんには、私を守るお仕事をして欲しいんだよ!」


 どうやら、自分が思いついた事と齟齬はないようだと、チェシャは理解する。


「私、今はお休みでこっちにいて、本当は学園に通っているんだけど────チェシャくんには、護衛として学園についてきて欲しいんだよ!」


「無一文なんですけど? 俺ってば、入学金を払うようなお金もないんだけど?」


「そこは大丈夫! きっとお父様が出してくれるから!」


 自分で提案しておいての他力本願。

 清々しいくらいの笑顔で言うアリスに、苦笑いが隠しきれないチェシャであった。


 だが、学園に通うという事は確かに衣食住の心配は要らなくなる。

 ライカという少年の知識では、この国の全ての学園が全寮制。一定の金額を納めれば食事も学園での制服も与えらる。


 加えていえば、学園に通うという事だけで周囲への印象は良くなるのだ。

 この国で学園といえば『魔法学園』を指す。

 そこでは魔法と教養を学び、人としても腕っ節も身につく事から、スラムで生活していた時よりかは仕事関係含め良くなる筈だ。


 チェシャにとっては悪くない話。むしろ美味しいとまでいく部類。

 だが────


「アリスよ。流石にその話だと、私も真剣に考えねばならない」


 真剣な表情でレイスはアリスを見据える。


「確かに、専属護衛がいない現状、一刻も早く見つけなければいけないのは私も理解している────だが、それには相応の実力が必要なのは分かっているだろう? アリスの命は、アリスが思っている以上に重く、色々な事情が付き纏うのだ」


 公爵家の人間────そのご令嬢の命は、レイスの言う通り重くない。

 貴族の中でも格上、重鎮に名を連ねる彼女の存在は色々な事に影響を及ぼし、損害が出る。

 一人の父親としても、娘を実力もない輩に任せたくない────そんな思いも多大にあるのだろうが。


「大丈夫! チェシャくんは強いもん! 私はチェシャくんが戦ってる姿は見てないけど────私を守ってくれたし、何となくそんな感じがする!」


 アリスは自信満々に答える。

 具体性も根拠も何一つない言葉は当然、レイスを納得させる言葉とはなり得ない。


 それ以前に────


「チェシャくん……だったかな? 君は、この話を受けたいかね?」


 レイスはチェシャに問う。


「この子の専属護衛になるという事はそれ相応の実力も必要となり、多くの危険に身を投じる事になるだろう────アリスを狙う輩は、君が倒した相手以外にもうじゃうじゃといる」


「……でしたら、さっさと専属護衛を見つけなければならなかったのでは?」


「それに関しては耳が痛い……事実、今回アリスが攫われてしまったのも、そういう怠慢での側面も多い────だからこそ、私は慎重になるのだよ」


 レイスはチェシャの顔を真っ直ぐに見つめる。

 チェシャも、レイスの言葉の重みが理解できているのか、それからしばらくの間、口を開かなかった。


 でも────


『ちゃんと、笑って…生きて、ね……』


「……」


 脳裏に、想い人の最後の言葉が蘇る。

 腕の中で段々と冷たくなっていく体、拭っても血で汚れてしまう腕、死に逝く彼女の笑顔。

 ライカという少年の記憶のおかげで薄れていた筈なのに、再び彼女の最後が────


「ごめん、アリス……俺は、お前の専属護衛はできねぇわ」


 チェシャを悲しく笑わせた。



 ♦♦♦



 室内が静寂に包まれる。

 周囲の視線は、アリスに頭を下げるチェシャの姿。


 アリス直々の専属護衛の話を蹴ったのがそこまで珍しかったのか、使用人や控える騎士などは目を丸くしている。

 だが、レイスに関してはさして驚いたようでもなかった。


「急に無理な話を持ちかけたのはこちらの方だ。気にしなくてもいいよチェシャくん。先程のお礼の件は、チェカルディ公爵家の名に懸けてしっかりと聞き届けよう」


 レイス自身、チェシャの反応は予想通りだ。

 公爵家の人間を守るというのがどれだけ重くのしかかる責任なのか、痛いほど理解している。


 だから貴族ですらない平民の少年が、そんな責を負える訳がないのだと納得したのだ。


 そして、早速チェシャに対する礼をする為に部屋を出ようとする。

 だが────


「チェシャくん……どうしても、ダメかな?」


 アリスだけは、納得しなかった。

 受けれないと断るチェシャの顔を覗き込み、先程のレイスと同じように真っ直ぐに見つめる。


「いや、やっぱり俺には重すぎるっていうか、今日会ったばっかの奴のお守りなんてしたくないっていうか……」


 チェシャは顔を上げ、沈んだ声でアリスに言う。

 その言葉は本心ではない。咄嗟に見繕った張りぼてだらけの真っ当に聞こえる嘘。

 そんなチェシャの言葉を、アリスはきっぱりと否定する。


「嘘。チェシャくん、嘘ついてる」


「いや、俺は別に嘘なんて────」


「ダメだよ。私に嘘ついちゃダメ……だって、チェシャくんが嘘ついてるって、何となく分かるんだもん」


 アリスの言い分は感情論だ。

 先程と同じ、具体性も根拠も証拠も何一つない、自分の感で物事を判断していた。


 それが、チェシャの嘘を剥がす言葉となった。


「なんだよ……さっきから何となくってよ────今日、会ったばっかだろうが」


 会ったばかりなのに自分を知っているような物言いに、チェシャの苛立ちが込み上げてくる。


「たまたま助けただけの人間が、どうしてそこまで俺に固執する? 知ったような顔をする? ────恩を仇で返すのがチェカルディ公爵家の名なのかよ……俺は、嫌だときっぱり断ったぞ。断った相手を、これ以上振り回すんじゃねぇよ」


 声は荒上げない。怒鳴りもしない。

 ただ、静かに怒りを言葉に乗せて、アリスへとぶつけた。


 本当は、こんな事を言いたい訳じゃないのだ。

 想い人と似ているアリスには、笑って接していたい。


 だけど、己の腕で消えたあの温もりが……チェシャの感情を刺激しているのだ。


(分かってる……こりゃあ、単なる八つ当たりだ)


 本当は怖いのだ。

 想い人に似た少女を再び自分の知る前で失う事が。もう二度と、あの光景を見たくないから。


 故に、チェシャは極力アリスとは関わりたくなかったのだ。

 多分、関われば関わるほど彼女という存在を思い出し、深みへと嵌ってしまうから。


 苛立ちは自己嫌悪へ。

 涙が溢れそうになったチェシャの顔は、未だに笑っている。


 そんなチェシャは何処か────憐れに感じてしまう。


「チェシャくん……」


 泣きそうになるチェシャを、アリスはそっと抱き締めた。


「私はね、何となくだけどチェシャくんを一人にさせちゃダメなんだって思ってるんだぁ……。それが、私の恩返し。本当に、どうしてか分からないけど……さっきから、私の頭の中はチェシャくんでいっぱいいっぱいなんだよ」


 アリスの目には、チェシャが何かに怯える子供のように映ってしまう。

 そんな子供をあやしたいからだとか、慰めてあげたいから────なんて気持ちは、不思議と湧いてこない。


 ただ、この少年だから……チェシャだからこそ、しなくてはならないのだと、そう思ったからだ。


「チェシャくんが何かに怯えてるってのは分かってるんだよ? それでも、私はチェシャくんと離れたくない……離したくない。もし、専属護衛が嫌だったら他の方法で側にいて欲しい」


 悲しく笑うチェシャに、アリスは縋るように自分の望みを口にする。


 助けてもらったのに烏滸がましいと思われてしまうのは仕方ない。それでも、アリスは

 不思議と、そんな感情が湧き上がってしまうのだ。


「だけど────私は、守ってもらうならチェシャくんがいい。何となく、そう思っちゃうんだ」


 だから、お願い……と。

 アリスはチェシャを抱き締める腕を強めた。


 この気持ちが届いて欲しくて。我儘だと分かっていても、お願いを聞いて欲しくて。

 初対面な筈なのに、不思議とチェシャであれば……という気持ちが強くなってしまう。


 これは、初めて会った時からずっと────


 それに対し、チェシャは抱きしめられながら思う。


(なんかこれ……アリスにも言われたなぁ……)


 守ってもらうならチェシャくんがいい────その言葉に、何処か聞き覚えがある。

 いつだったか……確か、前にいた世界で想い人であるアリスと行動を共にし、一緒に星空を眺めた時ではなかったか?


 互いに打ち解け、大切な人へと変わり始めたあの時。

 確かアリスはそんな事を言って、チェシャはこう返したのだ────


「俺が絶対に、お前を守る……」


「そうだね……私も、チェシャくんじゃなきゃ嫌だもん……って、何となく思っちゃうんだよ」


 守れなかったその言葉。

 重くのしかかり、果たせなかった約束の後悔が、未だにチェシャの心に刻まれている。


(あぁ……分かっているさ……)


 多分、きっと。

 この少女を守れなかったら、本当に壊れてしまうだろう。


 でも、もし許されるのなら。

 贖罪として己にもう一度機会が訪れるのであれば────


「俺に、アリスを守らせてくれ……」


 救えなかった彼女の代わりに、この子を守らせて欲しいと。

 抱き締めるアリスの言葉を聞いて、そう思ってしまった。


「うん……こちらこそ、お願いだよ」


 アリスに抱きしめられながらそっと、チェシャは涙を堪えながら猫のように笑うのであった。

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