拉致された場所は
「アリス……ッ! おぉ! 無事だったかぁああああああああ!!!」
「ちょ、お父様……苦しいんだよ……!」
壮年の男性が、アリスに向かって熱い抱擁をする。
アリスに至っては苦しそうに男性の手を叩くが、潤む男性の抱擁は一向に止む気配がなかった。
「…………」
そんな光景を、ふかふかな絨毯のうえで正座しながらチェシャは眺めていた。
アリスに拘束され、辿り着いた屋敷。門には何人もの警護兵が配置され、チェシャが持っていた家の数十倍もの大きさを誇る屋敷を見た時は、チェシャの開いた口は塞がらなかったものだ。
そんな屋敷の中に通されたチェシャは現在蚊帳の外である。
後ろには三人の騎士の姿があり、まるでチェシャを逃がさまいと見張っているようだ。
(本当に拉致で泣けてくる……)
ちなみに、屋敷に着けば解くと言われた縄は、現在進行形でチェシャの手に結ばれてある。幸い足の縄は解いてくれたものの、未だに拉致されたままだ。
(この世界って、恩人に対する扱いってこんな感じなんだなぁ……)
この世界の住人であるライカでも知りえなかった情報。
チェシャの価値観が一つ変わった瞬間であった。
「それよりお父様! この人が私を助けてくれたんだよ!」
熱い抱擁から抜け出したアリスは、チェシャに近づき後ろから抱きつく。
何の脈絡もなくとは、多分この事を言うのだろう。
(ど、どどどどどうして抱きついていらっしゃるので!?)
頭が急にパニックに陥り、チェシャの鼓動が早く、顔が一気に真っ赤に染まる。
それもその筈。かつて、童話で共にしていたアリスが好きだったチェシャ。
そんな少女と瓜二つ、性格が似ており、名前まで一緒の少女に抱きつかれてしまえば?
向こうでは想いを告げれず、キスや抱擁といったスキンシップさえできなかったチェシャにとって、想い人との過度なスキンシップには耐性がなかったのだ。
「チェシャくん、鼻血が出てるよ? 布巾使う?」
「ありがと。俺、両手塞がってるから拭いてくれね?」
「おっけーだよ♪」
故に、こうして平静を装っていようが鼻血が出るのは仕方ないのだ。
「君か、我が愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい娘を助けてくれたという少年は」
「アリスのお父さん、愛が重くない?」
「私もお父様の事は大好きだから問題ないんだよ!」
それにしては、愛しいというワードが多く聞こえたのだがと、チェシャは少しだけ男性の歪さに背筋に寒気を感じた。
「まずは自己紹介だな────私はレイス・チェカルディ。チェカルディ公爵家現当主ではあるが、ここではアリスの父親として接してくれて構わない」
「は、はぁ……」
貴族の……それも公爵家の人間にしては随分と物腰が柔らかい。
きっと、人柄が大きく関係しているのだろうが、驕ったりせず恩人であるチェシャに対して同じ目線で話す態度には誠意を感じる。
「この度は、アリスを助けてくれてありがとう。アリスが攫われたと耳にした時は愕然とし、足場が無くなったかのような感覚を覚えたが……こうして、無事な姿を見られるのは君のおかげだ……本当に、ありがとう」
座るチェシャに向かって同じく座り、そのまま頭を下げるレイス。
それは地面に頭が付きそうなほど深く下げられており、見渡せば騎士や屋敷の使用人全てが同じように頭を下げていた。
その光景に驚くチェシャ。それと同時に、アリスという少女が慕われ、愛されているのだと理解する。
「いえ……先程もアリスには言いましたが、所詮は単なる猫の気まぐれです。不幸に貶める事もすれば、善行に走る事もございますので────どうか頭を上げてください。貴方の頭は、いち平民に下げるものではないでしょう?」
チェシャは頭を下げるレイスに向かって礼儀を持って口にする。
ご令嬢を助けたとはいえ、平民であるチェシャに下げる頭ではないのだ。
いたたまれない気持ちになる前に頭を上げて欲しいと、チェシャはお願いした。
「……ありがとう」
レイスは頭を上げると、小さく笑った。
それに伴い、騎士や使用人も同じように頭を上げる。
(なんかこそばゆいな……)
今まで感謝など殆どされてこなかったチェシャ。
童話の世界に紛れ込んでしまったあの日から、チェシャ猫として生きてきた人間にとって、一斉に向けられる感謝には慣れていなかったのだ。
しかし、それも悪くない。
そう感じ、チェシャも小さな笑みを浮かべた。
「娘を助けてくれたんだ。是非ともお礼をさせて欲しい」
レイスは立ち上がり、チェシャに向かって口にする。
その言葉に、チェシャはギラリと目を輝かせた。
チェシャにとって、遠慮と躊躇など存在しない。
先程は、想い人と似ているアリスから要求するのは気が引けた為、言えなかったが、それがアリスではない人間から貰えるのであれば────躊躇はしない。
何故なら、チェシャには明日を生きる金も食料もないのだから!
「とりあえずは金を────」
「うむ、金貨5000枚をやろう」
「食料を────」
「おいっ! この屋敷にある食料ありったけを用意するんだ!」
「家を────」
「離れの別荘を使うといい。何名かの使用人も派遣しようじゃないか」
「あざーーーーっす!!!」
どれだけ懐の大きなお方なのだろうか?
チェシャは思わず深々と頭を下げずにはいられなかった。
「お父様! チェシャくんにお金とか食料とか家とかあげなくてもいいんだよ!」
「こらこらアリスさん? 君はなんて事を言うのかね、うぅん?」
「え? 要らないでしょチェシャくん?」
「俺は明日を生きるお金も食料もないのに要らないわけないだろうがッ!!! 君にゴミ箱を漁らなきゃ生きていけない惨めな思いをした事あるかね!?」
せっかくお礼を要らないと一蹴したアリスに眼を飛ばすチェシャ。
切実な叫びが室内に木霊し、同情の視線がいくつもチェシャに突き刺さる。
だけど、そんなチェシャに臆する事なくアリスは口を開く。
「大丈夫だよチェシャくん! 私が言いたいのは、衣食住がしっかり付いたお仕事をプレゼントするから要らないって事なんだよ!」
「……むっ?」
その言葉に、チェシャが反応する。
確かに、屋敷もお金も貰えるものは全て破格────スラムで暮らしていたライカにとってはどれも目にする事もないものだ。
だが、それも有限。
食料も食べれば消えるし、お金も使えば消える。
なくなってしまえば、スラムで生きていた自分にとっては増やす事など困難。
冒険者という選択肢もあるが波がある。
仕事も見つけるのにも苦労する為、生きるには再び自給自足というサバイバルに向かう決心をしなければならない。
では、ここで仕事を貰っておいた方が得策なのでは?
チェシャの空っぽな頭がそう考えた。
「して、アリスくん……そのお仕事とは一体何なのかね? 事によっては、今から身なりを整えに行かなければ……」
「大丈夫! 私の面接は合格! 後はお父様の許可を貰うだけだね!」
「チェカルディ公爵様! どうかわたくしめにお仕事をいただけないでしょうか!?」
「君はある意味凄いな。両手が縛られているにも関わらず綺麗な土下座を見せてくれるとは……」
切実なチェシャのお願いに、頬が引き攣るレイス。
先程までの礼節弁えた少年の面影すら感じない。
「だがアリスよ。仕事というのは一体何なのだ? 私も、できる限りこの少年の願いは聞いてやりたいのだが────」
「むふん! それは────」
アリスは立ち上がり、自分の父親に向かって力強く口にした。
「チェシャくんには、私の専属護衛をしてもらおうと考えてます!」
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