少年は、チェシャ猫と名乗る

「……さて? 不思議の国の住人は、客人を招く準備はできたようだが……」


 綾人は不遜な笑みを浮かべ、傍らのアリスを抱えたまま現れた一団を見やる。

 先程の黒装束の男とは違い、絢爛な鎧に統制された剣、切っ先はこちらに向けているので間違いなく敵なのは分かる。


 ────がしかし、それにしては襲ってくる気配がない。

 黒装束の男は問答無用に躊躇なく襲ってきた。しかし、この一団はと言ったようにも見え、その状況はどうしてか? と綾人は頭を回す。


「後ろに大きな鏡がある!? 凄い! 私が綺麗に映ってる! ────じゃなかったや……あのね? そんな顔しなくてもいいよ? この人達、味方の人だから」


 アリスはチェシャ猫の権能────『不幸に貶める者』の一つである『幻影顕現ファントム・アート』を見て、両目をキラキラと輝かせるが、ただならぬ空気を察して我に返る。

 その言葉を聞いた綾人は、少し疑り深そうに顔を顰めた。


「……マジ?」


「マジ!」


「……マジマジ?」


「マジのマジマジなんだよ! きっと、私を探してくれた人達だと思う!」


 あぁ、なるほど。だから襲ってこないのかと、綾人は納得する。

 それもその筈。見つけ守るべき相手が敵の腕の中となれば、無闇に動ける訳もない。

 それに、良く考えれば貴族お抱えの騎士の格好をしているではないか。それなのに、敵だと疑ってしまったのは、きっと────


(あちゃぁ……これはアリスと思い込んでしまったかね?)


 あの時は全てが敵だった。

 でも今は、あのアリスではなく別世界のアリスなのだ。

 口調や雰囲気、全てが似ているからこそ、綾人は重ねてしまったようだ。


 もう、守るべき相手ではない。

 目の前にいる女の子は自分の想った相手ではないのだ。


 ならば、然るべきに帰してやらねば。そして、これ以上面影を重ねることのないように────


「……んじゃ、アリスは向こうへ行ってきな」


 そう言って、綾人は少しだけ名残惜しそうにアリスの背中を押した。

 だけど、その表情は笑ったまま。チェシャ猫らしく。


「きゃっ!」


 いきなり背中を押されたアリスは驚きながらも、騎士の一団がいる方へと辿り着く。


「だ、大丈夫でしたかアリス様!?」


「お怪我はありませんか!?」


「う、うん……私は大丈夫……」


 騎士達に心配されながらも、アリスは綾人の方へと顔を向けた。

 アリスの顔は何か言いたげだ。そんなの、ずーっと見てきた童話向こうのアリスと似ている少女であれば、綾人は直ぐに分かってしまう。


 それでも、己は彼女とは住むべき場所が違う。

 以前は対等。だが、今回は貴族とスラムで過ごしている平民。

 ただ、助けただけの────そんな関係。


 であれば、これ以上関わるのは変な話だろう────


「チェシャ猫は、迷い込んだ憐れなアリスを物語中枢まで導く存在。時に助け、時に助言し、悪人と善人の側面を持った醜い登場人物サブキャラクター。だが、所詮はただの猫で、迷い込んだだけアリスの側にはいられない存在だ」


 少年は、アリスを見据えて言った。


「だから、今回は役割通りにただ助けただけ。まぁ、今度は攫われないように気をつけろよ」


 今度は死なないように、と。

 綾人はアリスに背を向けて立ち去ろうと歩く。


 少しカッコつけたか? と思いつつも、これでいいのだと納得させた。

 引き止められるかな? なんて淡い期待を抱いてしまう己は、なんて未練がましいのだ。それほどまでに、アリスが大事だったのかと再認識させられる。


 そんな綾人を見てアリスは────


「皆さん! あの少年を捕まえて欲しいんだよ!」


「「「はっ!!!」」」


「まさかの物理行使!?」


 予想の斜め上。

 言葉ではなく実力行使で引き止められるなどと思いもよらなかった綾人。


 何の準備も警戒もしていなかった綾人は『猫のように笑う者』の権能を行使することができず、呆気なく騎士達に組み伏せられる。


「ちょっと!? 恩に報いるとか言っておきながら恩人を組み伏せるか普通!? 仇で返されるなんて猫もビックリだぜ!?」


 顔を上げ、近づくアリスに文句を言う。

 だが、アリスは勝ち誇ったかのように鼻を鳴らし、薄い胸をしっかりと張った。


「むふん! 何となくだけど、君は私が何言っても逃げそうな気がしたから、こうして実力行使した方がいいって思ったの! 私、デキる女の子だから!」


「デキる女は実力行使する前に引き止めそうな気がする!」


 綾人は若干頬が引き攣ってしまう。

 だが、このような感じで何処かズレているような性格はやはり────


(……似てるなぁ)


 そう思ってしまう。

 童話向こうのアリスと初めて会った時も確かこんな感じだった気がする、と綾人は感慨深くも思い出した。


「────さて! まずは君の名前を教えて欲しいんだよ! ずーっと君って言うのもおかしな話だからね!」


「ずーっとってのはおかしくない? 別にこれきりだろうに……」


 綾人はそう言うが、アリスの目はキラキラとしている。

 無粋なツッコミは、名前を知りたがるアリスの前では無意味なようだ。


「……はぁ」


 綾人は組み伏せられながらも大きくため息を吐く。

 そして、己の名前を口にした。


「俺の名前は鷺森────」


 だが、寸前で言葉が詰まってしまう。


 今の自分。ライカという少年と鷺森綾人という紛い物が混ざった自分は、一体どちらの名前を名乗ればいいのだろうか?

 この世界にいる以上、ライカと名乗るのが自然……だが、こうしているうちに段々とライカとしてではなく鷺森綾人としての意識の方が強くなってきている。


 今の自分は? と質問されたら、鷺森綾人だと名乗るのがいいとは思う。

 だけど────


『君、チェシャ猫なんだ!? 私、アリスって言うんだけど……そうだ! 私の事はアリスって呼んで! その代わり、私はチェシャくんって言うから!』


 ────そんな昔のやり取りが蘇ってしまった。

 だからなのだろうか、自然と次に出た言葉がそうなってしまったのは。


「チェシャ……俺の名前は、チェシャだよ」


「うん、分かった! チェシャくんだね! 私、アリスって言うんだ────だから、これからはアリスって呼んでね!」


 嬉しそうに破顔するアリス。

 そこまで名前が聞きたかったのかと、苦笑を禁じ得ない綾人。


(名前も性格も容姿も似ている……全く、神様ってのはイタズラ好きのようだ……)


 だが、それでも。綾人はそのイタズラに呆れながらも何処か感謝の気持ちを抱いてしまった。


「じゃあ、このまま一緒に私のお家にレッツゴーだね! パーティーなんかに戻ってられないからね!」


 どうやら本当にイタズラ好きなようだ、と。

 離れるつもりであったのに、拉致をする気満々な彼女の言葉を聞いて、綾人はひっそりと涙を流したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る