アリスと似たアリス
「一章しか出てきてない猫に負けるなんて可哀想にな。まぁ、トランプの兵士は不思議の国じゃあ上にいるキャラだけど」
綾人は胴体と首が離れた亡き骸を一瞥し、手を叩き現れたトランプの兵士と鏡を消す。
スラムの一角には珍しくもない血の匂いが充満していた。
「やれやれ……『助言する者』に『不幸に貶める者』と『猫のように笑う者』をふんだんに使っての人助けとは……アリスを助ける時以来だよなぁ」
そんな事を愚痴りながら綾人は血で汚れた両手を、横で沈む黒装束の男の服で拭う。
鷺森綾人自身、人助けなどという愚行を起こしたことは数少ない。
それでも、本当に見ず知らずの人間を助けてたい、などと思ってしまったのはきっとアリスという綾人の側にいた人物の影響だろう。
「アリスと過ごした三年のうちに、俺も変わっちまったなぁ……」
今日という一日だけでそれがよく分かってしまった。彼女と過ごしていた間には感じることがなかった事実。
しかし、それが不思議と嫌な気持ちではなかった。
派手な音は残していない筈だが、何処からともなく大勢の足音が聞こえるのを綾人の耳が捉える。
もしかしたら、先ほどの黒装束の男達の仲間かもしれない。
であれば、いち早くここから立ち去ったほうがいいに決まっている。
(……まぁ、何人来ようがって話になるんだけどなぁ)
とりあえず綾人は先ほどからジタバタと動いている麻袋を解くことにした。
逃げるにしろ、このままじゃあこの中に入っている人間が可哀想だ。そんな事を思ってしまう。
「全く、こっちの世界の方が治安が悪いはずなのに
綾人は勢いよく麻袋に巻かれていた縄を解いた。
そして、麻袋をゆっくりと剥がした。
顔を出すのは何処かの貴族の男だろうか? それとも悪徳商人だろうか? はたまた生娘なのか?
自分が助けた人物の存在がどんな奴なのか、少しワクワクしてしまう綾人。
そして————
「……は?」
綾人はその人物を見て固まってしまう。
顔を出したのは、両手両足を縛られた腰まで伸びた長い金髪の少女。
ライトブルーの瞳は潤んで綾人をしっかりと捉え、愛嬌ある顔立ちの半分下は声が出ないように布を巻きつけられていた。
服装は豪華なドレス。きっと、どこぞのパーティー中に攫われた貴族なのだろうと言うのは、普通に予想できた。
……だが、綾人が固まってしまったのは貴族だからとか、容姿に見蕩れてしまったからなどではない。
童話、不思議の国のアリス。
その世界に紛れ込み『アリス』という役割を与えられてしまった憐れな少女。
自国に帰りたいと望み、綾人がその身を賭して守りたいと思った女の子。
己に全てを与えてくれ、己の腕の中で息を引き取ったアリス・リンフォード————その少女と、容姿が似ている。
いや、まるでアリスの生き写しのようだ。
「むぅ~!」
「……あ、悪い」
口が塞がれている少女が何かを言おうとし、綾人は慌てて少女の口に巻かれてある布を解いた。
「————ぷはっ! あ、あなたは誰なのかな!? 私なんか食べても美味しくないんだから!」
いきなり大声で叫びだす少女。
別に食べるつもりも一切ないのだが、何処か反応に困る言葉である。
「えー……ちなみに、俺が攫って食べるような人間に見える? ここに転がってる連中よりも」
綾人は少女の縄を解きながらも頬を引き攣らせ、転がる黒装束の男を指さす。
少女はしばらく綾人と黒装束の男に視線を行ったり来たりを繰り返すと、しばらく考え込んだ。
そして————
「……うん! 違うね! 多分、助けてくれてありがとうって言わなきゃいけない気がする! ありがとうね!」
切り替えの早さ、無垢な自分を信じれる意思。
そして、満面の笑みで綾人に向かってお礼を言うその姿。
口調も容姿も性格も————その全てが、似すぎている。
気の所為な筈だ、偶然に決まっている。
彼女は向こうで死んだのだ。もし、自分と同じような転生を果たしているなら「誰?」などと言わない。
分かってる。分かってる筈なのだ。
それでも————
「な、泣いているの……?」
綾人の頬に、涙が伝ってしまう。
おかしいと何度も拭うが、それでも涙は一向に止まらない。
そして、やがてその涙は綾人の嗚咽を引き出した。
「うっ……ひぃぐ……!」
「ど、どうしたの!? いきなり泣いちゃってどうしたの!?」
アリスが生きているような気がして、綾人は思わず泣いてしまった。
しばらく、スラムの一角に少年の嗚咽が響く。
♦♦♦
「————なるほど。君の好きだった人が死んで、私がその人にもの凄く似ていたから泣いちゃったって訳なんだね」
「……その通りっす」
綾人は泣いてしまった理由を正直に話し、少女は腕を組んで納得したように首を縦に振る。
足音が広がっているが、今の綾人には気にしている余裕はない。
違うと分かっており、初対面の女の子を前にそれはもう可哀想なほど号泣してしまったのだ。
思春期の男子には中々堪えてしまう。羞恥心でいっぱいいっぱいになってしまった。
「それなら仕方ないよね! 私だってお母さんが亡くなっちゃった時はいっぱい泣いたもん! 仕方ない事なんだよ!」
「……できれば忘れていただけると————」
「ごめんね! 多分無理かも!」
「……左様で」
どうやら、自分の惨めな姿は忘れてくれないらしい。
それが再び綾人の涙を誘ってしまう。
「でも、私は誰にも言いません! 恩人さんのお願いだからね! チェカルディ公爵家の娘として、約束はしっかりと守ります!」
そう言って、少女は薄い胸を叩く。
やはり貴族の娘だったかと、綾人は思ってしまった。
「改めて————私を助けてくれてありがとうございます。パーティーの最中に攫われてしまい、あのままではどうなっていたか分かりません。貴方という恩人に最大級の感謝を。このご恩は決して忘れません」
そして、少女は両手を地面につき、先ほどの口調とは打って変わり礼儀正しく頭を下げた。
貴族としての所作。決して奢らず、人としての恩義を無下にしないあたりはしっかりとした教養がされているのだと伺える。
それに対し、綾人もしっかりと礼儀を弁えて頭を下げた。
「いえ……お礼など結構です。結局、薄汚れた笑う猫の気まぐれです。彼女に影響されていなければ、私は見て向ぬふりをしていたでしょう————いち平民などに頭を下げないでください」
次に行うかも分からない善行。
アリスという心優しい少女の影響がなければ、必ず見て見ぬふりをしていたのだ。
お礼を言われる筋合いなどない、と。綾人はしっかりと言う。
「それはできません。このアリス・チェカルディ、平民であろうが貴族であろうが、恩を受けたのであれば報わなければチェカルディ家の名折れ―———どうか、受け取ってください」
「しかし————」
「どうか、受け取ってください」
少女は再び深く頭を下げる。
別に、恩義を感じてもらう必要などないと思っている綾人。
しかし、一歩も引き下がらない少女を見て……大きくため息をついた。
「であれば、その感謝の言葉————受け取らせていただきます。ですが、お礼など不要。どうせこの地を去る猫です————助言と不幸を笑う猫には貴方様の恩返しなど身に余るもの。言葉だけで結構」
正直、このままお礼と言って今日を生きる為のお金を受け取ろうとも考えた。
しかし、アリスに似た少女から貰うのは————綾人の心の何処かで「それは嫌だ」と思ってしまったのだ。
「で、ですが————」
少女がそう切り出した瞬間、聞こえていた足音が不意に鳴り止んだ。
それがどうしてか、と分かった綾人は目の前の少女の声を遮って己へと引き寄せた。
「きゃっ!」
「……これはまた、人数の多い事で」
少女は驚き、少年は路地の先を見据える。
そこには絢爛な鎧を身に纏う騎士が数十人も集まり、綾人に向けて剣の切っ先を向けていた。
「『不幸に貶める者』の一つ————『
綾人は、背後に大きな鏡を顕現させる。
それは、綾人の戦闘態勢に入った合図だ。
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